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19. 断罪劇は続く 〜犯した罪

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しばらく父は言葉を失っているようだった。
この間に大人しく自省し、自らの非を認めてくれればいいのだが──

「──貴様か、フィリップ⋯⋯!」

父にそんな殊勝な真似はできないかと、私はすぐに思い直した。

「何でございましょう、旦那様」
「貴様だろう!わざと養子の届出を出さずに私を嵌めたのは!たかが使用人の分際で許されぬ!不敬罪で処罰してくれる!」
「何をおっしゃいますか、旦那様」

憤怒の形相の主人にも、この老齢の家令は動じなかった。

「国にお出しする書類でございますよ?そもそも、使の私めには、扱えぬ代物でございます」
「ぐっ⋯⋯!」

父はあっという間に言葉に詰まった。
その目はすぐに別の生贄を捜し──母に目を留めた。

「シンシア!メリルのことを煙たく思っていたお前のことだ。わざと届出を出さぬことで、メリルを養女とすることを阻止しようとしたのだろう!」
「何をおっしゃいますか、侯爵様。そもそも養子縁組の届出は、その家の当主にしか出せぬものです。夫人の立場ではどうしようもありませんわ」

母は婉然と笑う。
父は目に見えてうろたえた。

「そ、それなら、今までの他の書類は⋯⋯」
「それはもちろん、領地運営や家の存続に関わるような重要な書類は、侯爵様が何もなさいませんでしたので、代わりに処理してサインをいただいておりましたが」
「それなら今回の届出だって!」

父は縋るように言うが、ラザル卿が提出されていないと首を振ったことを忘れたのだろうか。

「養子縁組の届出に関しては、私は何も存じ上げませんわ。重要な書類でもございませんし。そもそも、届出にサインをした覚えがないと、ご自分で気づかれていたはずでしょう。──まさか、書類の中身を確認せずにいつもサインしていたなどとおっしゃいませんよね?」
「そ、それは⋯⋯」

父はあっという間に言葉に詰まったようだった。
それにしても、何も考えずにフィングレイ侯爵としてのサインをしていたとは恐ろしい。
母やフィリップに悪意がなくてよかったと感謝すべきところだろう。

「では、本当に届出は出していなかったというのか⋯⋯」

父が養子縁組の届出を出すしかなかったのにそれを怠ったせいなのだが、どうにも他人事のような言い方だ。
つまりは、そのような明らかな落ち度を父は認めたくないのだろう。何とかしてどこかに非をなすりつけたいのだ。

やり取りを黙って見守るラザル卿が、なんだこの茶番はと言いたげな顔をしている。⋯⋯もう少々お付き合いくださいませ。

「貴様らは、揃いも揃って⋯⋯!侯爵家当主である私がメリルを養女にすると宣言したのだぞ?そのように動いて然るべきであろう!」

段々と怒りが込み上げてきたとばかりに、わなわなと怒りに震えながら叫んだ。
当主だと偉ぶっておきながら、どうしようもない他力本願具合である。実際のところ、フィングレイ侯爵家は母と家令とが回していたのだが。
父はフィングレイ侯爵家の一粒種として、それはそれは可愛がられて育ったお坊っちゃまのため、自身が労を取り骨を折るなど考えつかないらしい。

母が何度目かの深いふかいため息をついた。

「そうおっしゃるのでしたら、申し上げますが。そもそも、貴方が通さねばならぬ筋を通していらっしゃらないからでしょう」
「なんだ!その、筋とやらは!」
「何度も申し上げましたように、まずは我が父であるプライセル公爵への説明ですわ」

母の言葉に、父は面食らったような顔をした。

「⋯⋯何故、公爵殿に説明が必要なのだ?」

父を拘束している騎士たちまでもがざわついた。
母は額に手を当て、目をつぶっている。頭痛がするのだろう。私と同じだ。

「⋯⋯フィングレイ侯爵家には、嫡男のトリスタンと、女ですが嫡出子である私がおります。このように跡取りとなれる子らがいてもなお養子を取るとなれば、当然それなりの理由が必要になりますし、母の実家である公爵家への説明も必要になるでしょう」
「だから、それが分からぬと言っておるのだ」

補足した私に対し、何故か父が偉ぶってそう言う。
ここでも相手が悪いかのような態度を取るあたり、ある意味一貫していると感心すべきなのか。

「説明せずに養子を取れば、そこには後ろ暗い理由があると勘繰られます。政略結婚であれば、特にそのような疑惑の種は家同士のつながりのためにも取り除かねばなりません。⋯⋯しかも、フィングレイ侯爵家に対し、プライセル公爵家は格上です。尚更説明は必要になるでしょう」

後ろ暗い理由──例えば、不義の子であるとか。言えぬような血なり来歴なりの子であるとか。妻の子に跡目を取らせたくないとか。

父は理解できたのかできていないのか、微妙な顔をしている。
ずっと待っていたラザル卿が痺れを切らしたように口を開いた。

「もうよろしいだろうか?それならばこれで詰所へと向かうが──」
「ちょっと待ってくれ!」

考え込んでいたらしい父が声を上げた。
まだ何かあるのかと、若干げんなりした様子でラザル卿が視線を向ける。

「養子の届出が行われていなかったのが悪かったのだろう?──ならば、仕方がない。墓まで持っていくつもりだったこの事実を公表しよう」

が考えて辿り着いた解決策、そのための事実──正直に言って、私には嫌な予感しかしなかった。
そしてそれは母と家令も同じであったらしい。表情が一気に強張った。

「メリルは私の実子だ。養子などではない」

──あまりの言葉にふらついた母を家令が支えた。
トリスタンも息を呑み、あまりの衝撃に声を失っているようだ。
私もめまいがしたが、ある意味予想通りであったので、何とか堪えた。

「⋯⋯ご自分が何を言っているか、分かっておられるか?」

そんな私たちにちらりと視線を向けてから、ラザル卿が低い声で父に確認する。

「分かっているとも。メリルは正真正銘、私とマリアナの子だ」

どこの世に、そんなにも胸を張って不貞の結果を告白する者がいるというのだろうか。
父を押さえる騎士たちも、心なしか父から離れたがっているように見える。大丈夫です不貞はうつりませんわと声をかけて差し上げたい。

「これで養子の届出はいらぬだろう?故に罪も消えたはずだ。さあ、私とメリルを解放したまえ!」

悠々と告げる父に、ラザル卿はとうとう頭を抱えてしまった。

「⋯⋯それならばそれで、認知が必要になるだろう。だが、メリル殿はベルク男爵家の嫡出子として届けられている。どの道、フィングレイ侯爵家の子だと偽った罪は変わらないのだが」
「なんだと⁉︎」

父が驚愕の声を上げる。

「それならば、私の先程の告白をどうしてくれる!完全に無駄ではないか!」
「貴殿が勘違いして勝手におっしゃっただけだろう。その責を私に押し付けられても困るのだが⋯⋯」
「なんと、無礼な!子爵風情が‼︎」

真っ赤な顔をした父の罵りに、ラザル卿はもはや無の境地の顔になった。気持ちは分かる。

私は父を拘束する騎士たちに、声には出さず願った。──お願いですから、これ以上恥の上塗りをする前に、殴るなりして昏倒させてさっさと運んでください、と。

ラザル卿を罵倒していても何も変わらないとやっと気づいたらしい父は、青い顔でまだ何か考えを巡らしているようであったが、もう完全に手詰まりだったのだろう。
その目は──結局、元妻になろうとしている母に向いた。

「シンシア⋯⋯!私が悪かった。今までのすべてを詫びる!だから、助けてくれ!」

父のお得意の手のひら返しに、母は軽く眉をひそめただけだった。

「今さら私にできることは何もありませんわ」
「シンシア!頼む!」
「私は何度も申し上げました。貴方にもメリルさんにも、『フィングレイ侯爵家の者ではない』『養女むすめではない』と。セシリアも同様のことを申したはずです。
⋯⋯それなのに、私どもの嫉妬心であると曲解して顧みなかったのは、貴方がたでしょう」

額を押さえながら、母はため息をつく。

「それに、そもそもは貴方がご自分で出すべき届出を怠ったことが原因でしょう。⋯⋯いえ、根本を正そうとすれば、まともに政務をされようとしなかったことからだと申し上げるべきでしょうか。
それでもせめて、私どもの言葉に真摯に耳を傾け、途中ででも気づけていればよかったというのに。
⋯⋯事ここに至っては、私にはもうどうしようもありませんわ」

すげなく突き放され、父は俯いた。
しかし、下を向きながらも、その目は母の隣の家令を見た。

「フィリップ⋯⋯お前の主の危機だ!何とかしてくれ⋯⋯!」

もしかするとこの場の誰よりも上手うわての家令は、はて、と首を傾げた。

「私めのような使に、旦那様の罪を贖うことなど、できようはずがございませんが」
「主人を見捨てるか?父の代から雇ってやっていたというのに⋯⋯この、薄情者が⋯⋯!」

薄情はどちらだとこちらがなじってしまいたかったが、フィリップは気にした風もなく笑った。

「お言葉ですが、主人はこちらで見定めます。貴方様のお父君は確かに私めの主でありましたが、ご令息の貴方様もそうとは限りますまい」

そう言って、好々爺こうこうや然とした表情を正した。

「──今の私の主は、シンシア様です」

そうして、初めて父に対して冷ややかな目を向けた。

「亡きお父君とシンシア様のためにと、お坊っちゃまのお守りをして参りましたが⋯⋯この老体にはもう、限界のようです。
私に賛同する使用人も多うございますが、まとめてお暇をいただいてもよろしゅうございますか?」

父の目に、暗い影が差した。
それは、妻に見放され、長年仕えてきた家令にも見限られようとしている自身への絶望なのだろうか。

「──⋯⋯好きにしろ」

父は、俯いてそれだけを答えた。
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