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女学院の見学会後、エリアーシュは騎士学校の仲間にあれこれ聞いて、彼女の情報を集めた。

セシリア・フィングレイ侯爵令嬢。

高位貴族も高位貴族。子爵家の自分と比べてしまうのが畏れ多いほどの、まさしく雲上の人だった。

そして、情報収集の過程で知ったのは、残酷な現実だった。

「フィングレイ侯爵家かぁ⋯⋯あんまりいい噂は聞かないよな。ほら、騎士学校にいる嫡男も嫌な奴だって話だし」

「娘はまだマシって聞くけど、実際はどうなんだろうな。なんか、親は昔イロイロあった家同士の結婚だとか。母親は⋯⋯プライセル公爵家だったか?前騎士団長の家の」

「フィングレイ侯爵令嬢?確か最近婚約したって聞いたぞ。相手は財務の切れ者の子息とか」

そんな話を聞くうちに、エリアーシュは諦めざるを得ないのだと悟った。
家のことなど彼はまったく問題にするつもりはなかったが、やはり相手は侯爵令嬢だ。
婚約を結んだという相手も、侯爵家の嫡男──もともと、子爵家の三男でしかない自分には、手を伸ばすことすら許されない相手だったのだろう。

──それでも、聞いた話を繋ぎ合わせた結果発覚した驚愕の事実を思わず母親に確認したのは、やはり未練だったのだろうか。


「──ああ。フィングレイ侯爵夫人ね。ええ、お父様の従妹いとこよ」

自分の父親は、現プライセル公爵の甥子なのだと聞いたことがあった。
とはいえ、公爵家の三男の次男が父だという。そこまできてしまえば、もともとの家格も関係ない。
それでも、血縁的にプライセル公爵家とはやはり近いのだ。

「従妹はシンシアといってね、在学期間は被っていないけれど、わたしと仲がいいのよ」
「へぇ⋯⋯侯爵夫人の御子は?」
「子供?女と男が一人ずつね。──ああ、嫡男の方は騎士学校に在学中のはずだったわね。それでなの?」
「え⋯⋯──ああ、うん」

母の問いかけに、エリアーシュは咄嗟に反応できなかった。騎士を目指す嫡男など、まったく気にかけていなかったからだ。
しかしすぐに、この少々突然な質問に真意とは別の意味をもたせるならば、嫡男そちらの方がいいかと気づき、頷いたのだが──普段はおっとりしている母の目が、鋭くなってしまったのがわかった。

「へぇ⋯⋯そうなの?貴方が騎士団関係者に興味をもつだなんてうれしいわぁ」
「いや⋯⋯まぁ」
「ちなみに、知っていると思うけれど、フィングレイ侯爵のご令息とご令嬢には、もうのよねぇ」
「へぇ⋯⋯やっぱり高位貴族は違うね」

気のない返事で誤魔化したつもりだが、本当に誤魔化されてくれたかはわからない。
それでも、あえて婚約者の話題を出したことは、確実に自分への牽制だったのだろう。

──もしくは、あまりのめり込む前に現実を見せようとした、一見残酷にも見える優しさだったのか。


そういえば、プライセル公爵家への養子入りの話が来たときは驚いた。
とはいえ、エリアーシュでは能力的に不安視されたこともあり、次兄がその話を持って行ってしまったのだが。

別に構わなかった。
伯爵家への婿養子の話も、公爵家への養子入りの話も。
エリアーシュが欲しかったのは爵位じゃない。
ただ一人の、この先もう出逢えぬと確信できるほどに魂を揺さぶる女性ひとだったのだから。

──だからもう、このまま平々凡々たる平騎士として、一人で生きていこうかと思っていたのだ。


(──本当に、完全に手が届かないと思っていたんだよな)

必死に思い出そうとしているらしい真剣なセシリアの顔を見ながら、胸中で呟く。
初めて会ったあのときとは、自分は大分変わっているだろう。
成長期を迎えて大きく成長した体つきもそうだが──顔つきも変わったと思うのだ。
だから正直、彼女が気づかなかったとしても仕方がない。

だけど、別に思い出してもらいたいというわけでもないのだ。
今こうして彼女の傍らにいられるという、奇跡以外の何物でもないように思えるほどのこの状況で、充分に満足だから。

「⋯⋯別に無理に思いださなくていいよ。俺は今、こうしてセシリアといられるだけでいいから」

完全に油断していた彼女の手を取ってそう言えば、彼女はしばらく固まってからその頬に朱を昇らせた。

「エ、エ、エル⋯⋯!」

顔を真っ赤にしてどぎまぎする彼女をこの上なく愛おしく思う。
それにしても、この反応は期待してもいいのだろうか。

「とにかく、俺はずっと前から君に夢中なんだよ。一度は諦めていたけれど、こうして君と婚約を結べるかというところまで漕ぎつけられて、本当にうれしいんだ」

彼女の手を取りながら、真剣に語りかける。
セシリアは頬を染めながらも、エリアーシュに向き合ってくれた。

「私も、エルの気づかいや優しさをとても⋯⋯こ、好ましいと、思っています」
「好ましいって?」
「えっと⋯⋯つまり、その⋯⋯──す、好きです」

意地悪く尋ねると、セシリアは顔を赤くしながらも、エリアーシュが一番欲しくてたまらなかったその言葉を口にしてくれる。
それがあまりにも可愛くて、エリアーシュはにんまりと笑った。

「うん。俺もセシリアが好きだ」

エリアーシュが言うと目を見開いたセシリアは、もう目を合わせられないとばかりに恥ずかしそうに俯いてしまった。
今どんな表情をしているのか、本当はじっくり眺めたいところだが、それをするとさすがに怒られそうなので我慢する。

すると──ふと、セシリアが顔を上げる。眉がひそめられた憂い顔だった。

「⋯⋯無理はしていない?」
「無理?何が?」
「⋯⋯公爵家に入ること。それで貴方が辛く苦しい思いをするのは嫌だわ」

その瞳には悲しそうな色があって。エリアーシュは先程のアイリスの言葉を思い出した。
勝手なことを言ってくれたものだと不快に思いながらも、なんだそんなことかと、安心させるように微笑んだ。

「無理するつもりはないよ。だけど、セシリアに相応しい相手になろうとは思う」
「私に相応しいって⋯⋯今のままで充分よ」
「うれしいことを言ってくれるね。──だけど、これは俺なりのけじめだから」

エリアーシュは座っていた椅子から降りると、セシリアの前にひざまずいた。

「さっきも言ったけど、君と結婚することが俺の望みだ。そして、プライセル公爵家の跡取り娘である君と結婚するということは、当然、俺にがあることも理解している。
──俺は、君の夫としてそれらの責任にも真摯に向き合うと誓うよ」
「エル⋯⋯」

それでもまだ心配そうなセシリアに、エリアーシュは笑う。

「君と結婚できるっていう僥倖の代償だとしても安いくらいだよ。
──だから、そう心配しないで。セシリアには笑っていてほしいんだ」

真剣に告げるエリアーシュに、セシリアも小さく頷いた。
そして、どこかむずがゆそうにしながらも、花がほころぶような笑顔を見せてくれた。

「⋯⋯うん。それだけで俺は何でもできそうだ」

心底幸せそうに笑ったエリアーシュが、ずっと握っていたセシリアの手の甲に口づけを落とした。
ひゃ、とセシリアの口から頓狂な声がもれる。

「⋯⋯今はまだここだけで我慢しておくよ」

手から少しだけ唇を浮かせはしたものの、吐息がくすぐる位置でそう囁いたエリアーシュに、セシリアは何も言えずにただ顔を赤くさせた。
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