27 / 31
26
しおりを挟む女学院の見学会後、エリアーシュは騎士学校の仲間にあれこれ聞いて、彼女の情報を集めた。
セシリア・フィングレイ侯爵令嬢。
高位貴族も高位貴族。子爵家の自分と比べてしまうのが畏れ多いほどの、まさしく雲上の人だった。
そして、情報収集の過程で知ったのは、残酷な現実だった。
「フィングレイ侯爵家かぁ⋯⋯あんまりいい噂は聞かないよな。ほら、騎士学校にいる嫡男も嫌な奴だって話だし」
「娘はまだマシって聞くけど、実際はどうなんだろうな。なんか、親は昔イロイロあった家同士の結婚だとか。母親は⋯⋯プライセル公爵家だったか?前騎士団長の家の」
「フィングレイ侯爵令嬢?確か最近婚約したって聞いたぞ。相手は財務の切れ者の子息とか」
そんな話を聞くうちに、エリアーシュは諦めざるを得ないのだと悟った。
家のことなど彼はまったく問題にするつもりはなかったが、やはり相手は侯爵令嬢だ。
婚約を結んだという相手も、侯爵家の嫡男──もともと、子爵家の三男でしかない自分には、手を伸ばすことすら許されない相手だったのだろう。
──それでも、聞いた話を繋ぎ合わせた結果発覚した驚愕の事実を思わず母親に確認したのは、やはり未練だったのだろうか。
「──ああ。フィングレイ侯爵夫人ね。ええ、お父様の従妹よ」
自分の父親は、現プライセル公爵の甥子なのだと聞いたことがあった。
とはいえ、公爵家の三男の次男が父だという。そこまできてしまえば、もともとの家格も関係ない。
それでも、血縁的にプライセル公爵家とはやはり近いのだ。
「従妹はシンシアといってね、在学期間は被っていないけれど、わたしと仲がいいのよ」
「へぇ⋯⋯侯爵夫人の御子は?」
「子供?女と男が一人ずつね。──ああ、嫡男の方は騎士学校に在学中のはずだったわね。それでなの?」
「え⋯⋯──ああ、うん」
母の問いかけに、エリアーシュは咄嗟に反応できなかった。騎士を目指す嫡男など、まったく気にかけていなかったからだ。
しかしすぐに、この少々突然な質問に真意とは別の意味をもたせるならば、嫡男の方がいいかと気づき、頷いたのだが──普段はおっとりしている母の目が、鋭くなってしまったのがわかった。
「へぇ⋯⋯そうなの?貴方が騎士団関係者に興味をもつだなんてうれしいわぁ」
「いや⋯⋯まぁ」
「ちなみに、知っていると思うけれど、フィングレイ侯爵のご令息とご令嬢には、もう婚約者がいるのよねぇ」
「へぇ⋯⋯やっぱり高位貴族は違うね」
気のない返事で誤魔化したつもりだが、本当に誤魔化されてくれたかはわからない。
それでも、あえて婚約者の話題を出したことは、確実に自分への牽制だったのだろう。
──もしくは、あまりのめり込む前に現実を見せようとした、一見残酷にも見える優しさだったのか。
そういえば、プライセル公爵家への養子入りの話が来たときは驚いた。
とはいえ、エリアーシュでは能力的に不安視されたこともあり、次兄がその話を持って行ってしまったのだが。
別に構わなかった。
伯爵家への婿養子の話も、公爵家への養子入りの話も。
エリアーシュが欲しかったのは爵位じゃない。
ただ一人の、この先もう出逢えぬと確信できるほどに魂を揺さぶる女性だったのだから。
──だからもう、このまま平々凡々たる平騎士として、一人で生きていこうかと思っていたのだ。
(──本当に、完全に手が届かないと思っていたんだよな)
必死に思い出そうとしているらしい真剣なセシリアの顔を見ながら、胸中で呟く。
初めて会ったあのときとは、自分は大分変わっているだろう。
成長期を迎えて大きく成長した体つきもそうだが──顔つきも変わったと思うのだ。
だから正直、彼女が気づかなかったとしても仕方がない。
だけど、別に思い出してもらいたいというわけでもないのだ。
今こうして彼女の傍らにいられるという、奇跡以外の何物でもないように思えるほどのこの状況で、充分に満足だから。
「⋯⋯別に無理に思いださなくていいよ。俺は今、こうしてセシリアといられるだけでいいから」
完全に油断していた彼女の手を取ってそう言えば、彼女はしばらく固まってからその頬に朱を昇らせた。
「エ、エ、エル⋯⋯!」
顔を真っ赤にしてどぎまぎする彼女をこの上なく愛おしく思う。
それにしても、この反応は期待してもいいのだろうか。
「とにかく、俺はずっと前から君に夢中なんだよ。一度は諦めていたけれど、こうして君と婚約を結べるかというところまで漕ぎつけられて、本当にうれしいんだ」
彼女の手を取りながら、真剣に語りかける。
セシリアは頬を染めながらも、エリアーシュに向き合ってくれた。
「私も、エルの気づかいや優しさをとても⋯⋯こ、好ましいと、思っています」
「好ましいって?」
「えっと⋯⋯つまり、その⋯⋯──す、好きです」
意地悪く尋ねると、セシリアは顔を赤くしながらも、エリアーシュが一番欲しくてたまらなかったその言葉を口にしてくれる。
それがあまりにも可愛くて、エリアーシュはにんまりと笑った。
「うん。俺もセシリアが好きだ」
エリアーシュが言うと目を見開いたセシリアは、もう目を合わせられないとばかりに恥ずかしそうに俯いてしまった。
今どんな表情をしているのか、本当はじっくり眺めたいところだが、それをするとさすがに怒られそうなので我慢する。
すると──ふと、セシリアが顔を上げる。眉がひそめられた憂い顔だった。
「⋯⋯無理はしていない?」
「無理?何が?」
「⋯⋯公爵家に入ること。それで貴方が辛く苦しい思いをするのは嫌だわ」
その瞳には悲しそうな色があって。エリアーシュは先程のアイリスの言葉を思い出した。
勝手なことを言ってくれたものだと不快に思いながらも、なんだそんなことかと、安心させるように微笑んだ。
「無理するつもりはないよ。だけど、セシリアに相応しい相手になろうとは思う」
「私に相応しいって⋯⋯今のままで充分よ」
「うれしいことを言ってくれるね。──だけど、これは俺なりのけじめだから」
エリアーシュは座っていた椅子から降りると、セシリアの前にひざまずいた。
「さっきも言ったけど、君と結婚することが俺の望みだ。そして、プライセル公爵家の跡取り娘である君と結婚するということは、当然、俺に求められるものがあることも理解している。
──俺は、君の夫としてそれらの責任にも真摯に向き合うと誓うよ」
「エル⋯⋯」
それでもまだ心配そうなセシリアに、エリアーシュは笑う。
「君と結婚できるっていう僥倖の代償だとしても安いくらいだよ。
──だから、そう心配しないで。セシリアには笑っていてほしいんだ」
真剣に告げるエリアーシュに、セシリアも小さく頷いた。
そして、どこかむずがゆそうにしながらも、花がほころぶような笑顔を見せてくれた。
「⋯⋯うん。それだけで俺は何でもできそうだ」
心底幸せそうに笑ったエリアーシュが、ずっと握っていたセシリアの手の甲に口づけを落とした。
ひゃ、とセシリアの口から頓狂な声がもれる。
「⋯⋯今はまだここだけで我慢しておくよ」
手から少しだけ唇を浮かせはしたものの、吐息がくすぐる位置でそう囁いたエリアーシュに、セシリアは何も言えずにただ顔を赤くさせた。
0
お気に入りに追加
707
あなたにおすすめの小説
黒聖女の成り上がり~髪が黒いだけで国から追放されたので、隣の国で聖女やります~【完結】
小平ニコ
ファンタジー
大学生の黒木真理矢は、ある日突然、聖女として異世界に召喚されてしまう。だが、異世界人たちは真理矢を見て、開口一番「なんだあの黒い髪は」と言い、嫌悪の眼差しを向けてきた。
この国では、黒い髪の人間は忌まわしき存在として嫌われており、真理矢は、婚約者となるはずであった王太子からも徹底的に罵倒され、国を追い出されてしまう。
(勝手に召喚して、髪が黒いから出てけって、ふざけるんじゃないわよ――)
怒りを胸に秘め、真理矢は隣国に向かった。どうやら隣国では、黒髪の人間でも比較的まともな扱いを受けられるそうだからだ。
(元の世界には戻れないみたいだし、こうなったら聖女の力を使って、隣の国で成り上がってやるわ)
真理矢はそう決心し、見慣れぬ世界で生きていく覚悟を固めたのだった。
押し付けられた仕事は致しません。
章槻雅希
ファンタジー
婚約者に自分の仕事を押し付けて遊びまくる王太子。王太子の婚約破棄茶番によって新たな婚約者となった大公令嬢はそれをきっぱり拒否する。『わたくしの仕事ではありませんので、お断りいたします』と。
書きたいことを書いたら、まとまりのない文章になってしまいました。勿体ない精神で投稿します。
『小説家になろう』『Pixiv』(敬称略)に重複投稿、自サイトにも掲載しています。
家族と婚約者に冷遇された令嬢は……でした
桜月雪兎
ファンタジー
アバント伯爵家の次女エリアンティーヌは伯爵の亡き第一夫人マリリンの一人娘。
彼女は第二夫人や義姉から嫌われており、父親からも疎まれており、実母についていた侍女や従者に義弟のフォルクス以外には冷たくされ、冷遇されている。
そんな中で婚約者である第一王子のバラモースに婚約破棄をされ、後釜に義姉が入ることになり、冤罪をかけられそうになる。
そこでエリアンティーヌの素性や両国の盟約の事が表に出たがエリアンティーヌは自身を蔑ろにしてきたフォルクス以外のアバント伯爵家に何の感情もなく、実母の実家に向かうことを決意する。
すると、予想外な事態に発展していった。
*作者都合のご都合主義な所がありますが、暖かく見ていただければと思います。
冷徹女王の中身はモノグサ少女でした ~魔女に呪われ国を奪われた私ですが、復讐とか面倒なのでのんびりセカンドライフを目指します~
日之影ソラ
ファンタジー
タイトル統一しました!
小説家になろうにて先行公開中
https://ncode.syosetu.com/n5925iz/
残虐非道の鬼女王。若くして女王になったアリエルは、自国を導き反映させるため、あらゆる手段を尽くした。時に非道とも言える手段を使ったことから、一部の人間からは情の通じない王として恐れられている。しかし彼女のおかげで王国は繁栄し、王国の人々に支持されていた。
だが、そんな彼女の内心は、女王になんてなりたくなかったと嘆いている。前世では一般人だった彼女は、ぐーたらと自由に生きることが夢だった。そんな夢は叶わず、人々に求められるまま女王として振る舞う。
そんなある日、目が覚めると彼女は少女になっていた。
実の姉が魔女と結託し、アリエルを陥れようとしたのだ。女王の地位を奪われたアリエルは復讐を決意……なーんてするわけもなく!
ちょうどいい機会だし、このままセカンドライフを送ろう!
彼女はむしろ喜んだ。
婚約者が隣国の王子殿下に夢中なので潔く身を引いたら病弱王女の婚約者に選ばれました。
ユウ
ファンタジー
辺境伯爵家の次男シオンは八歳の頃から伯爵令嬢のサンドラと婚約していた。
我儘で少し夢見がちのサンドラは隣国の皇太子殿下に憧れていた。
その為事あるごとに…
「ライルハルト様だったらもっと美しいのに」
「どうして貴方はライルハルト様じゃないの」
隣国の皇太子殿下と比べて罵倒した。
そんな中隣国からライルハルトが留学に来たことで関係は悪化した。
そして社交界では二人が恋仲で悲恋だと噂をされ爪はじきに合うシオンは二人を思って身を引き、騎士団を辞めて国を出ようとするが王命により病弱な第二王女殿下の婚約を望まれる。
生まれつき体が弱く他国に嫁ぐこともできないハズレ姫と呼ばれるリディア王女を献身的に支え続ける中王はシオンを婿養子に望む。
一方サンドラは皇太子殿下に近づくも既に婚約者がいる事に気づき、シオンと復縁を望むのだが…
HOT一位となりました!
皆様ありがとうございます!
欲情しないと仰いましたので白い結婚でお願いします
ユユ
恋愛
他国の王太子の第三妃として望まれたはずが、
王太子からは拒絶されてしまった。
欲情しない?
ならば白い結婚で。
同伴公務も拒否します。
だけど王太子が何故か付き纏い出す。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
没落した元名門貴族の令嬢は、馬鹿にしてきた人たちを見返すため王子の騎士を目指します!
日之影ソラ
ファンタジー
かつては騎士の名門と呼ばれたブレイブ公爵家は、代々王族の専属護衛を任されていた。
しかし数世代前から優秀な騎士が生まれず、ついに専属護衛の任を解かれてしまう。それ以降も目立った活躍はなく、貴族としての地位や立場は薄れて行く。
ブレイブ家の長女として生まれたミスティアは、才能がないながらも剣士として研鑽をつみ、騎士となった父の背中を見て育った。彼女は父を尊敬していたが、周囲の目は冷ややかであり、落ちぶれた騎士の一族と馬鹿にされてしまう。
そんなある日、父が戦場で命を落としてしまった。残されたのは母も病に倒れ、ついにはミスティア一人になってしまう。土地、お金、人、多くを失ってしまったミスティアは、亡き両親の想いを受け継ぎ、再びブレイブ家を最高の騎士の名家にするため、第一王子の護衛騎士になることを決意する。
こちらの作品の連載版です。
https://ncode.syosetu.com/n8177jc/
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる