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例の夜会から数日の間、セシリアは心にぽっかりと穴が空いてしまったような日々を過ごした。

結局、夜会の二日後に約束していたエリアーシュとの"デート"は、体調が優れないという理由で断ってしまった。
エリアーシュに、何も告げずに夜会で中座したことを詫びる手紙にその旨を記せば、彼は別の日に会うことの提案と、セシリアのお見舞いに行きたい旨を記してくれた。

それが、どうしようもなくうれしかった。
彼の優しさゆえの言葉だろうと思いはしたが、それでも自分を気遣ってくれることに、冷えていた心があたたまるように思えて。

──だが、それらすべてを断った。
本当は、今すぐにでも彼に会いたくて会いたくてたまらなかったが、そうするべきではないとすぐに断じた。

セシリアはエリアーシュが好きだ。もちろん、異性として。
それをはっきりと自覚したからこそ、アイリスの気持ちもわかるのだ。

そして、肝心のエリアーシュの気持ちだが──

──最初にわたしと彼の婚約話がもち上がったとき、本当にうれしかったのです。くれました。

──アイリスのあの言葉を聞いた上で、本人に確認する気は起きなかった。

とにかく、早く自分の気持ちに折り合いをつけねばならないのだと思う。
それでも、自分の初恋になるこの気持ちを封ずることはどうしても難しくて。

いっそアイリスの気持ちを裏切って、このままエリアーシュと結ばれてやろうかとも考えた。
しかし、すぐに良心の呵責に苦しむだろうことは明らかで、どうもセシリアはそこまで強かな悪女にはなれそうになかった。


──そんな風に、セシリアが悶々と悩んでいたときだった。

プライセル公爵家に手紙が届いた。
エリアーシュの姉ウィレミナ・マクナリー子爵夫人からの──一対一でのお茶会のお誘いだった。



お茶会当日、セシリアはひどく緊張しながらラザル子爵家の門をくぐった。

ウィレミナ夫人は、自分の嫁ぎ先であるマクナリー家よりもラザル家の方が、セシリアが来やすいだろうと配慮してくれたものらしい。
だけどセシリアにしてみては、勤務中でエリアーシュがいないとわかりながらも踏み入るラザル子爵家は、どうにも居心地の悪いものだった。

それでも誘いを断らなかったのは、ウィレミナの手紙の中に、セシリアに大事な話があること、そしてもしセシリアに悩みがあるのなら相談に乗ることが記されていたからだ。

大事な話とは何だろう──彼女はエリアーシュの姉だ、彼に関する話かもしれないと、セシリアの好奇心は刺激された。
またショックを受けることになるかもしれないと思わなかったわけではないが、それでもエリアーシュに関わることだろうと思えば、その誘惑には抗えなかった。

それに、相手がラザル子爵家から嫁いで出てしまったウィレミナだということも大きかった。
これがエリアーシュの母オフィリアからの誘いであれば、子息の厚意を無碍にした罪悪感が好奇心を上回ったであろうから。


子爵家の侍女に案内されて通されたのは、以前のように応接室サロンだった。
以前と違うのは、そこにはウィレミナ一人しかいないことだ。

「お久しぶりです、セシリア嬢。ウィレミナ・マクナリーでございます」
「こちらこそお久しぶりです、マクナリー子爵夫人。セシリア・プライセルでございます。本日はお招きいただき、ありがとうございます」

立ち上がって淑女の礼カーテシーを取ったウィレミナに、セシリアも礼を返す。

そうして、セシリアは改めてウィレミナ夫人を見た。
彼女もどちらかと言うと母親似のようだが、背の高さや切れ長の目は父親に似たのだろう。
そのせいか、全体としては凛々しさが勝る麗人で、いかにも騎士の家系の女性といった雰囲気だった。

二人そろって着席すると、さて、とウィレミナが切り出した。

「楽にしてちょうだいね。⋯⋯と、子爵家の者でしかない私が言うのもおかしな話だけれど」

そう言って、彼女は気取った風もなく笑う。
無意識に緊張して姿勢を正していたセシリアは、その言葉に驚いた。

「いえ、でも⋯⋯」
「もちろん、セシリアさんの気に障るようなら私が改めるわ」
「それは構いません!⋯⋯が、よろしいのですか?」

ウィレミナの態度を気にすると言うよりは、家格に差があるとはいえ、このままいけば小姑になる歳上の相手にそう気安く接していいものかとセシリアは思ったのだ。
だが、ウィレミナは気にした風もなく笑っている。

「ごめんなさいね、私、お堅いのは苦手なのよ。⋯⋯それに、セシリアさんとは仲良くしたいと思うの」
「そう⋯⋯なんですか」
「ええ。ほら、私は下が男ばかりだから。貴女みたいに可愛い妹が本当はほしかったのよ」
「そんな、可愛いなんて⋯⋯もったいないお言葉です」
「謙遜するところも可愛いわぁ。──ね、試しに私のこと、お義姉ねえ様って呼んでみない?」
「そ、それは⋯⋯」

などというやりとりをしばらくした後、とりあえず気安く喋ることにはセシリアも合意した。
二人しかいないのだから気軽にお喋りしましょうよ、とはウィレミナの言だ。

「話が脱線しまくったわね。──えぇと、今日わざわざセシリアにご足労いただいたのはね、他でもない、あの愚弟に関してよ」

この場合の愚弟とは、間違いなくエリアーシュのことだろう。
思わず表情が硬くなったセシリアに、ウィレミナは内心申し訳なく思いながらも話を続けた。

「ごめんなさい、婉曲に話をするのが苦手だから単刀直入に訊くわね。──あの愚弟とは最近どう?」
「⋯⋯それは⋯⋯」
「そんなに悲しそうな顔をしないで。貴女を困らせたいわけではないの。⋯⋯むしろ、今の状況には貴女も困っているのではないかと思って」

その声に責める調子は一切なく、ただ、どこまでも気遣わしげにセシリアのことを見つめてくれる。

「遠慮せず、正直に話してね。⋯⋯あの子のことが気に入らなかったり、婚約が嫌だったりは⋯⋯」
「それは違います!」
「しないのね。よかったわ」

ウィレミナはほっとしたように笑う。
それに、セシリアの罪悪感がちくちくと刺激される。

「その⋯⋯ごめんなさい。今の状況では、誰にとっても何も良くないとは、わかってはいるのです。⋯⋯ですが⋯⋯」

口ごもるセシリアに、ウィレミナは優しく微笑み、頷いてくれる。

「いいのよ。何か引っかかっていることがあるのなら話してちょうだい。貴女の苦しそうな顔を見たくないの」

あたたかなその言葉にまた涙がこぼれそうになったが、セシリアは堪えた。
代わりに震え出した唇で、躊躇い、ためらいながらも、なんとか言葉を紡ぐ。

「その⋯⋯本当は、エリアーシュとアイリス嬢が婚約を結ぶはずだったと、聞いて⋯⋯」
「──そう。⋯⋯それは、アイリスから聞いたのかしら?」

セシリアは頷くことで答えた。そのまま俯いてしまう。
なるほどとウィレミナは頷きながら──やっぱりか、と内心ため息をつく。

「⋯⋯本当、なのですか?」

おそるおそる尋ねたセシリアに──ウィレミナは、どう話したものかとしばらく思案してから、覚悟を決めて口を開いた。

「──その話はね、事実よ。だけど⋯⋯」

その言葉を聞いた途端、セシリアの頭を衝撃が襲い、胸が締めつけられるように痛んだ。
しかし、その背に何かが触れて──セシリアは顔を上げた。
見ると、ウィレミナが心配そうに背中を撫でていた。

「ショックよね」
「⋯⋯はい。でも⋯⋯」
「だけど、ね。話は最後まで聞いて。アイリスとエリアーシュの婚約の話が出ていたのは事実だけど、それは今から10年近く前のことで、しかもこの二人の婚約云々に関して言うなら、話はそこだけで終わっているわ」
「──え?」

セシリアは唖然としてウィレミナを見返した。
その視線の先──それこそ真実だとばかりに、ウィレミナが自信をもって頷いていた。
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