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中編②

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邸の中に入ることなく庭を進むと、テラスが現れた。
もともとそこでお茶をする予定だったのだろう、テーブルセットには茶器が用意され、メイドが控えていた。

勧められるままに席に着き、汗をかいたから着替えてくるわねとエルミラ様が言い残して邸内に入られてしばし。
お待ちの間にお飲みくださいと出されたお茶に手をつけられずにいると、エルミラ様が戻ってこられた。

「待たせたわね、ニーナ」

その姿を、唖然と見つめてしまう。
やけに早いと思ったら──彼女は、フリルのついたシュミーズ・ドレスに編み上げのコルセットをゆるめに締め、黒い巻きスカートペティコートを着ていた。ただそれだけの格好だった。

そのシンプルな装いはエルミラお嬢様の美しさをさらに引き立ててはいるが⋯⋯その服装自体は、はっきり言ってそこらの平民と変わらない。
それどころか、私よりも軽装だった。

「ふふ、驚いた?この格好」

私の視線に気づいたのだろう、お嬢様がいたずらっぽく笑った。
それに私ははっとして、慌てて頭を下げた。

「も、申し訳ありません!不躾でした!」
「いいのよ。さっきの格好といい、おかしいと思ったのでしょ?わたしはいつだって手の込んだ優雅なドレスを着ていたものね」

エルミラ様は、手に持っていた数枚の紙を卓上に置き、席に着いた。
そうして、頬杖するようにした両手に小さなお顔を乗せながら笑った。一つも気取ったところのない笑顔だった。

「でもね、正直ああいう格好って疲れるのよ。この西洋風な異世界の時代設定がいつぐらいかはわからないけど、やっぱり見てる分にはよくても実際に着るとなると厄介よね、ああいうドレスって」

またエルミラ様のよくわからない話が始まった。
私は相槌すら打てずに、ただぽかんとその美しいかんばせを見つめる。

「お茶会や夜会ともなれば、容赦なくぎゅうぎゅう締め上げる矯正下着コルセットに、馬鹿みたいにスカートを膨らませる骨組みの下着クリノリンでしょう?コルセットは殺す気かって感じだし、クリノリンなんか座ったときに足に食い込むし。もう少し時代が下った後のアール・ヌーボーとかアール・デコとか、その辺りのもっと簡素で着やすいドレスがよかったわ」

エルミラ様はメイドの淹れたお茶で一度喉を潤すと、まだまだ足りないとばかりに喋り続ける。

「もちろんわかるわよ、ちょっとでも自分を美しく見せたいって女心は。でもだからって、健康や利便性を犠牲にするのはよくないわ。知ってる?コルセットは健康上の問題があるのよ。肋骨の変形や内臓の損傷を引き起こすらしいわ。それならば、運動をしたり筋トレをしたりして、筋肉の力で引き締めればいいのに」

それを聞いて、ふと腑に落ちた。
だからエルミラ様は、動きやすい男物の服を着て、屋敷の周りをぐるぐる回っていたのだ。
それが『運動』なのだろう。

「クリノリンの難点は、わかるわよね、移動がしづらいったらないのよ。ドレスの横幅でドアにつっかえるって何なのかしら?ギャグ?これは高度な笑いなの?」
「え、ええと⋯⋯」

何も返せない私に、エルミラ様は寂しそうに笑った。

「いいのよ、別に賛同を得ようとは思ってないの。婚約破棄されたショックで倒れていた間にね、こんな感じの色んな知識がわたしの中に溢れてきたの」
「知識⋯⋯ですか」
「ええ。わたしは地球っていう惑星の日本って国で一度生涯を終えていたの。前世って言うのかしら?前世の最期は確か、結婚を約束していた男が浮気して、それを追いかけて、⋯⋯たぶん事故に遭ったのね。だから婚約破棄のショックで記憶が戻ったのだわ」

言いながら、彼女は視線を斜に流した。

「⋯⋯突然こんなことを言い出したものだから、家族にはショックで気が触れたと思われたみたいなの。それで領地送りになったってわけよ」
「それは⋯⋯お気の毒です」
「でもね、別にそこまで落ち込んでるわけでもないのよ。王都の屋敷タウンハウスでは絶対にさせてもらえないような、好きな格好で好きなことができるのだから。そこだけは感謝だわ」

くすくすと笑うエルミラ様の表情は明るい。その言葉は虚勢ではないということだろう。
そうしてから思い出したと言うように手を鳴らし、先程卓上に置いていた紙を手にした。

「そうそう、好きな格好で思い出したわ。なぜ貴女をお茶に誘ったかというと、仕立て屋である貴女にこれを見てもらいたかったのよ」

言いつつ、彼女は卓上に数枚の紙を並べた。
そこには、見たこともないデザインのドレスをまとう女性の姿が描かれていた。

「こんな感じのドレスって、どう思うかしら?」

私は、そのデザイン画を食い入るように見つめた。
そもそも人物の描き方が、今の画壇でも見かけぬほどに現実的リアルであることも、今は気にならなかった。
その、ひたすらに前衛的としか言えないデザインを必死に理解しようとする。

「な、なななな、なんですかこのデザインは!」
「なんて貧相なドレスなのか、伯爵令嬢であるわたしには相応しくないって、侍女には言われたわ」
「貧相なんかじゃありませんよ!無駄が削ぎ落とされた、どこまでも洗練されたデザインなんです!なんて美しい⋯⋯!」
「あら、わかってくれるの?」

お嬢様の美しい笑みも視界に入らない。
デザイン画を持つ手が震える──強い感動のために。

「もし貴女さえよければ、このドレスをわたしのために作ってくださらない?この邸に住み込みで、わたしの専属ドレスメーカーとして」

そんな素晴らしい提案、迷うわけがなかった。

「喜んで!」

──これが私の、三度目の人生の転機だった。
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