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契約結婚で隠した過去には

契約結婚で隠した過去には8

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「……寧々ねねは帰したわよ、それで次はどうすればいいの?」

 震えそうになる声を必死に堪えて、なるべく冷静なフリをする。本当は心臓はバクバクいっているし、呼吸は荒くなってきている。
 いつ発作が起こってもおかしくない状態だったが、それでも私は後ろに立っている郁人いくと君になんとか尋ねることが出来た。

「そこに停めてある白のワンボックス、あの車の助手席に乗ってシートベルトを締めて」

 郁人君の指さす方に確かに白のワンボックスカー、あれに乗ればきっと私はどこかに連れ去られてしまう……
 彼の言うことに素直に従うか迷っていると、郁人君は背中に当てている何かを強く押し付けてくる。怖い、怖い、怖い……恐怖で頭がいっぱいになり、彼の言うままにワンボックスカーに向かい助手席のドアを開けた。

「早く乗って、シートベルトも……抵抗したら、分かるよね?」

 後ろから囁いてくる郁人君の声は優しかったころとはまるで違う。どこか残酷さと冷たさを含んでいて、同じ声のはずなのにもう別人のもののようだった。

 こんな時に自分はもう少し強い人間だと思ってた、それなのにいざそんな状況に置かれると恐怖で何も出来ない。
 怯えながら発作が出ないように耐えることに精一杯で、誰かが助けてくれないかとばかり考えてる。

 震える手でシートベルトを締めた後、郁人君からを両手をガムテープでぐるぐる巻きにされてしまった。
 これでもう、私は彼から逃げられない……




 そのまま運転席のドアを開け乗り込んだ郁人いくと君は焦った様子も見せず、ごく自然にエンジンをかけて車を発進させた。
 車内には十年ほど前に流行った音楽が流れ、珈琲の香りが充満している。
 ……その様子になんだか頭がひどく痛んだ。

「今日は夕方から雷雨なんだって。ほら、あっちの空はもう曇ってきているね?」

 こちらを振り向くことも無く、独り言のようにそう話す郁人君。この後の天気が雷雨なんて、この状態でいったいどうすればいいのだろう。
 
「ねえ杏凛あんりちゃん、喉乾いてない? 確かオレンジジュース好きだったよね」

 スッと伸ばされた手、持っているのはファーストフード店のドリンクカップ。ズキズキと痛む頭の中に、一瞬だけ同じ光景が浮かんだ。

「あの日……同じようにオレンジジュースを渡されて、私はそれを飲んだ?」

 そう、そして気付いた時にはまったく別の場所にいて。ゆっくりだったが私の頭の中にあの日の記憶が戻っていくのを感じた。

「ああ、思い出してくれた? 杏凛ちゃんはあの日の事を忘れるんだもん、悲しかったよ」

 薄く笑う郁人君の声は本当に嬉しそうで、私の身体の芯までゾッとさせる。記憶をなくした私を責めるように話す郁人君は、私の記憶に残っている彼とは別人のようだった。


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