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本編

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「別れたいの。だって貴方は私の事が嫌いでしょ?」

 目の前に座る婚約者を見れば、目を見開き。何を言われたのか理解していないらしい。

「君が嫌がろうと、婚約は両家で決められた約束だ」
「そんな約束なんて関係ない。私から開放されて、嬉しいでしょ」

 一方的に話を終わらせ、彼が何かを言う前に、私は席を立ち部屋を後にした。



 一週間前、私は夢を見た。

 私と彼が通う魔術学園で、彼は一人の少女と出逢い恋をする。だけど、少女は彼と結ばれる事は無かった。

 彼と結婚したのは私。


 だけど、教えられた遺跡で見つけたのは昔話と思っていた魔王の力が封印された物。そんな物とは気付かず、発見者は、その身に受け入れてしまった。

 魔王の力が封印から解かれ、人類と魔物の戦いが始まると。少女は聖なる乙女として覚醒し、魔王討伐の旅へ出る。

 稀代の魔術師である彼も、少女と共に旅立つのだ。


 深い森の奥、魔王の前に現れたのは、少女と魔術師のみ。一緒に旅をした仲間は皆、死んでしまった。

 少女が聖なる光を放とうとした時。

「許さない」

 少女を庇うように前に出てきた彼は、魔王へ禁忌と言われる程の強い魔術を放つ。

 魔王が膝から崩れ落ちると同時に、彼も自分の命を削り魔術を放った為。魔王と同時に床へ倒れた。

「死なないで! 私はずっと貴方を愛しているの!」

 聖なる光で彼の身体は光りに覆われ、魔王はそのまま死を迎える。


 遺跡の壁から僅かな魔力を感じ、魔王の力を手に入れたのは私。

 そう、私は彼に殺され。きっと彼は少女と結ばれるのね。

 なんて陳腐な物語かしら。

 彼から愛されたくて、隣に立ち並びたくて頑張ったわ。
 私に見向きもしない彼に振り向いて欲しくて、魔力を上げる方法を必死に探して。
しかし、魔王の力は余りにも強大過ぎて力に翻弄された。
 怖くなった私は、誰かを傷つける事が無いよう深い森へ一人で逃げただけ。

 強大な力の使い方が分からず、でも一人は寂しくて。死にかけた小鳥を見つけて、両手に閉じ込めた。
 手を開くと真っ黒な姿となり、小鳥は息を吹き返し、楽し気に飛んで行ってしまった。
 きっと私は狂っていたの、森へ行けば動物たちに襲われるけど。どんな生き物も私が軽く手を翳すだけで瀕死の状態になった。
 それを抱きしめれば、真っ黒なケモノが息を吹き返す。
 ケモノは私によく懐いた。しかし、魔物だと騒ぎケモノを次々と殺したのは人間の方。



 初恋だった。

 初めて会った時に見た、あの何も感情が無いような瞳に私だけを映してほしいと強く思ったの。
 私と同じように見えた彼に強く惹かれたの。

 両親は貴族らしい立派な人達。そう家族に対しても貴族らしく、両親にはお互い愛人が居て。何も不自由しなかったが、私は愛情を知らずに育った。

 5歳の頃に婚約した彼だけが私の希望だったわ。
 だから、執着した。彼に纏わりつく少女へ嫌がらせもしたのよ。
 結婚してやっと手に入れたと思ったのに彼が私を見る事は無かったけど。


 「愛されないと諦めてしまえば、こんなに心が軽くなるのね」

 平凡な茶色の髪と瞳を真っ黒に戻し。既に馴染んだ力をもて遊ぶように術を発動させれば、もう私を覚えている人間は誰も居なくなる。

 陳腐な物語は、今までの私なら選ぶだろう未来と納得したわ。
 夢の最後。私の為に、彼が自分の命さえ投げ出した姿を見れただけで、満足してしまったんだもの。

 今度は違う事をしてみようと考えた。

 小さなカバンを持って、部屋を出ようとした時。

 「カリーナ。お前は俺を愛しているのに捨てられるのか」
 「ランドール様。貴方はライラさんを愛しているんでしょ、何度も見たわ。あなた達が寄り添う姿、それに嫉妬した自分もね」

 術がまだ効いていないの?

 廊下で待っていた彼が、私の名前を言うなんて何年ぶりかしら。

 「カリーナなんて人間は、最初から居なかったの。全て忘れて」

 より強力な術をかけようと、彼の頬へ手を伸ばすが。その腕を掴まれてしまった。

 「許さない。俺しか愛せないお前が何処へ行こうとしている」
 「あなたの居ない場所。さよなら」

 掴まれていない左手を翳せば、彼は何か抵抗していたが呆気なく廊下に倒れた。



 絶望を知っている私には魔王の力は心地よい気さえしているのよ。




******

 「カリーナに会わせて欲しい」
 「何度も訪ねて来てくれているが、我が家には娘などいない」

 誰も彼女を知らない。彼女が存在していた形跡さえ何一つ残されてはいなかった。


 俺が彼女を初めて見たのは、使用人に連れられて行った屋敷で、婚約者だと紹介された時だ。
 真っ直ぐ前を向き、母親の隣に立つ姿から目が離せなかった。

 特別に美しい訳でも可愛い訳でも無い。人混みに紛れてしまえば見失ってしまいそうな平凡な少女。


 「ランドール様の隣に立てるように頑張りますわ」

 恋でも、愛でも無い。

 俺を見つめる彼女の瞳は仄暗く、危うさを感じた。

「そうか」


 それからの彼女は、確かに何事も完璧を目指していた。
 同時に、俺への執着を隠しもしない。俺へ近づく女に罵声を浴びせ、何処に居ようと婚約者だからと纏わりつく。

 だから、わざと近づいて来た少女をそのままにした。
 周りの人間は、天真爛漫な少女だと言い。見た目の良さも加わり少女を持て囃した。

 「ランドは、もっと自由に生きられるのに。あのカリーナ様が婚約者なんて可哀相だわ」

 はっ! お前に何が分かる?

 彼女は俺の為に、どれだけ努力したのか知らないくせに。

 「ランド程の力があれば、親に決められた結婚。愛の無い結婚なんてしなくて良いのに」

 俺しか愛せないのに、愛が無いだと?

 ほら、見えるか?
 今にもこの女を殺しそうな彼女の瞳を。
 隣に座る少女の戯言など耳に残らない。
 彼女はいつも俺だけを見ていれば良い。

 「ランドール様、お慕いしております」
 「ランドール様の為なら、何でもします」
 「ランドール様…」

 なのに、忽然と姿を消した。
 誰も彼女を覚えてすらいない。

 「俺から逃げられる訳ない」


 美しい愛など俺たちには必要無い。

 なぁ、そうだろ?

 彼女以上に俺を欲する人間なんて居ない。
 そう思っていたのは俺だけだったのかカリーナ。



 「私、神に選ばれて聖女になったの。魔王が復活したんだって。
ランドはもちろん、私と一緒に行ってくれるよね?」

 王宮からの呼び出しに来てみれば、あの少女と周りに侍るのは、第二皇子を始めとする高位貴族の側近達。

 「人々を脅かす魔王を討伐する為に、我らが選ばれた」

 彼らは奴の思惑などきっと理解していない。いや、想像すらしていない。
 正義の名の元、魔王討伐の旅へ向かう事となった。



 殺されたケモノ達。その心臓から取り出される魔石は、さぞ、この国を豊かに傲慢にするだろう。
 けれど、この旅に同行したのは幸運であった。

 殺され続けるケモノ達から、僅かに感じたカリーナの魔力。

 この先にカリーナが居る。


 深層の森へと近付くほど、ケモノ達は強くなり。簡単には殺されない、逆に魔石を狙う人間が食い殺されていく。

 「可愛い動物を、こんなに醜い姿にさせた魔王を許せない!」

 この女。何を言っている?

 ケモノ達は、自分から攻撃しない。狩られる側に立たされれば、必死になるのは動物もケモノも同じ。

 あぁ、この女の言葉は虫唾が走る。

 「ランドもそう思うでしょ。可哀想で私… 泣いてしまいそう」

 何も学ばず、自分の目で真実を見ようともしない。
 ただ他者を憐れみながら、その本質は自分だけは一段高い場所から、全ての者を見下していると気付きもしない。

 「私が必ず、みんなを救ってあげるわ!」


******

 ランドール様の魔力を感じた。

 森の木を切り倒し、弱いケモノから殺す人間達。あの女の魔力も感じるから、きっと一緒に私を殺しに来たのね。


 「ここに留まる必要なんて無いわ。さぁ、皆行くわよ」


 深層の森を抜けると、そこは人間が立ち入る事が出来ない氷に閉ざされた未開の地。

 「あなた達は、まだ黒く染まっていないわ。一緒には行けないの」

 元気な動物たちに微笑み、立ち上がると黒いドレスを翻した。

 魔王の核と呼ばれた力を手に入れる為には、欲望と絶望が必要だった。弱い人間は核に触れる事すら出来ないと、直感的に悟った。
 私はランドール様に愛されたいと願う欲望と、拒絶された絶望を知らぬ間に捧げていたらしい。

 強く愛していれば、自分も愛されると思いたかった。独りよがりな愛だと気づきもせずに。


 氷の世界へ足を踏み入れると、高揚感で自然と顔が綻ぶ。

 両手を掲げ、強く念じれば深層の森との間に高い氷の壁が出来上がった。

 「ランドール様の命など、今の私には不必要。せいぜい幸せな物語でも紡げば良いわ」


******

 「ケモノが引いていくぞ… それに森を覆っていた霧が」

 聖女と呼ばれる女が、祈りを捧げるとケモノ達が一斉に何処かへ走り出した。

 「私の祈りが通じたのね」

 随行していた兵士達からは歓声が上がり、第二皇子達は聖女を囲むように喜びを隠しもしない。

 「魔王には会えませんでしたが、黒い霧は晴れて平和が戻ってきたわ!」

 僅かに感じていたカリーナの気配が無くなった。ケモノ達が向かった方向へ行こうとしたが。

 「ランド、もう戦いは終わったのよ。一緒に帰ろう」

 俺の腕に女が触れて…


 「ハ… アハハハハハ!」
 「急にどうしたの? ねぇランド」

 女の腕を掴み、手首にある腕輪を引き抜くと。力を使い果たしたのだろう、跡形もなく砂と化した。

 「イヤー! 何すんのよ! 私の… 私の腕輪に何をしたの!」
 「聖女様。ほら、聖なる祈りを捧げて下さい」

 キッと俺を睨み付けたが、腕輪が無くなった以上。この女が聖なる光を使う事は出来ない。

 「こんなの認めない… 私が神に選ばれたのよ。私が…」
 「この腕輪は役にたったか?」

 俺は地面に座り込む女の耳元で囁いた。

「ランドール! いきなり何を言っているんだ!
 見ろ、ライラがこんなに怯えているではないか。
 彼女が聖女なのは、皆が知る事実。今更疑う余地すら無い!」
 「そうか、なら勝手にするが良い。だが言っておく、この女は二度と聖なる力は使えない。
 お前達だけで王都へ帰るんだな。俺はここで別れる」
 「待て! 話は終わっていないぞ!」

 背後から聞こえる声を無視して、ケモノが向かった方角へひたすら進んだ。


 あの女が持っていたのは、魔王と呼ばれた男が作った魔道具だ。膨大な魔力を持ち、人々から虐げられてきた彼が作った魔道具。今も使われ続ける魔道具の礎となったと伝えられている。

 彼の日記が発見されたのがおよそ100年前、色々な理論が書かれていたが当時は空想だと思われていた。
 しかし、魔道具の技術が進歩すると。彼の日記に書かれていた理論の実現方法が解明された。

 だが、どうしても解明不可能と言われた遺物。本当に実在するのかも謎のまま。

 その魔道具は完成されたと記載されていたが。

 先ほどの塵と化した腕輪と、もう一つは指輪である。

 腕輪はつけた者の魔力を全て浄化へと変換されるが、放出した魔力は二度と元へは戻らない。

 指輪はつけた者へ、彼の魔力全てを継承すると書かれていた。

 王家が何故、魔王復活と言ったか、それと聖女の存在。

 答えは簡単だ。

 ケモノが現れた事、それは彼の指輪を受け継ぐ者が現れた証。
 ケモノから魔石が取れる事は一部の人間しか知らされていない。

 彼が持つ魔力を受け入れた動物は、その心臓に魔力を結晶化する。魔力を核に変える事が出来る唯一の方法で、ケモノから取れる魔石の利用価値は計り知れない。

 だが、ケモノとなった動物たちは、自分を作った者の感情に応じて凶暴にも従順にもなる。

 その為、もし指輪が悪用された場合。ケモノ達を浄化する為に作られたのが腕輪であった。

 本来容易く壊れる事が無い腕輪が塵と化したのは、つけた者の魔力が浄化と相反する為に変換の術式が耐えられず壊れたのだろう。

 何故、こんなに詳しいか。

 それは魔王と呼ばれた彼の子孫がカリーナ、彼女だからだ。

 彼女と婚約したのは必然だった。膨大な魔力を持つ俺は、生まれてすぐ、その魔力で多くの物を、人を傷付けた。

 強すぎる力を恐れられ、部屋に閉じ込められていた。
 魔王と呼ばれた彼の子孫であるカリーナの両親が、俺の事を聞きつけ。再びの栄華を取り戻す為に、俺とカリーナの婚約が結ばれたのだ。

 カリーナの屋敷に引き取られ、彼の残した沢山の書物から、魔力が齎す光と闇を理解した。

 「ランドール様は、ずっとカリーナと一緒に居てくれるの?」
 「… 婚約者だからな」
 「嬉しい! じゃあカリーナもランドール様とずっと一緒に居てあげる」

 幼いカリーナは使用人に囲まていたが、誰もカリーナに寄り添う事は無かった。

 魔力がほとんど無いカリーナは、ただ魔王の血筋を残す孕み腹としての価値しか与えられなかった事が原因だ。

 カリーナの足りない魔力を補う為に選ばれたのが俺。

 そんな事を知らないカリーナは一途に俺だけを求め続けた。

 人々から疎まれた俺に、全て捧げると笑うカリーナ。
 まだ覚醒していない、俺より膨大な魔力をカリーナは自覚しないまま、俺を欲するあまり周りを傷つけ自分をも傷つける日々。


 このまま、俺だけに囚われたカリーナだと安心していた。
 何が起ころうと俺からは逃げられないと思っていたのに。

 カリーナが消えて、魔力の残骸を追っていた俺は、ある遺跡で隠し部屋を見つけた。
 そこで見つけたのが、豪華な箱に納められていた腕輪。
 不自然にある空間に、カリーナが指輪を手に入れたと確信した俺は、腕輪を手に取り遺跡を後にした。

 平民ながら膨大な魔力を持つ女へ、名前を書かず腕輪が入った箱を、俺は学園の寮の部屋に置いておいただけ。

 誰からかも分からない物を腕にはめ、腕輪により浄化の力が使える事すら学園の者たちは知らずに、あの女が放った浄化の光に喜ぶ姿は滑稽過ぎて嗤いが止まらなかった。


 奴は、きっと腕輪に気づいている。全ては仕組まれた道と気付かず、今頃は彼らの処遇が王宮で決められているだろう。

【魔王との戦いが原因で亡くなった】と。

 聖女と第二皇子、高位貴族の子息たちが民を救う為に命をかけた。

 きっと愚民や近隣諸国へ対し最高のプロパガンダになるだろう。

 ケモノが居なくなれば、魔石を手に入れる手段は無くなる。近隣諸国までケモノが溢れる前に全てを終わらせたのだと、表向きは声高に発表し、真実は魔石を独占する為。

 まぁ、そんな事は俺には全く興味など無い。
 煩わしい人間達から離れ、カリーナと二人だけになれる。


******

 氷の壁が壊された…

 急いで行くと普段の無表情とは違う笑みを浮かべた、ランドール様が壊れた壁の前に立っていた。

 「カリーナ、逃げられると思ったか?」
 「何故… ランドール様は私が嫌いでしょ…」

 「あぁ… 俺を諦めたカリーナにどれほど苛立ったか。
 本気で離れられると思ったのか?」

 ゆっくり近付いて来るランドール様、だけど。

 「離れられるわ!

 私、夢を見たの、とっても陳腐で愚かな物語だったわ。

 聖なる乙女となったあの女を庇い、魔王と呼ばれた私はランドール様に殺され、ランドール様はあの女に助けられる!
 あの女は、ランドール様を愛していると叫びながら!」

 「俺が愛しているのはカリーナだけだ」

 「近付いて来ないで!」

 ケモノ達が私を守るように前に出てくる。

 「私は大丈夫よ。優しい子たち…

 ランドール様は自分の場所へお戻り下さい。私にはこの子たちさえ居れば、あとは何もいらないの」

 「許さないよカリーナ。俺だけを求め続けたのは偽りだったのか?」

 雪を踏みしめる音が、一歩。また一歩と近づいてくる。

 ケモノがランドール様へ牙をむき出し威嚇するも、まるで私しか見えていないかの様に歩みを止める事は無い。

 「ダメ… 帰って。私はもうランドール様を愛してない!」
 「泣きながら言っても信じないよカリーナ。俺がどれほど我慢していたか教えてあげよう」

 ふわりと抱きしめられ、顔をあげるとランドール様が優しく微笑んでいる。

 「第一皇子ヴァンハードは、ずっとカリーナを狙っていた」
 「ヴァンハード様が? でも何故?」
 「王家は代々、真実の眼と言われる魔道具を持っている。ヴァンハードはカリーナの内に眠る魔力を知っていたんだ。
 俺と形式上結婚させ、公妾として城へ呼ぶつもりだった。
 だが、俺に固執する姿を見せる事でヴァンハードから興味を失わせるつもりだったが」

 私の知らない話ばかりで、何を言えば分からず。黙ってランドール様の話を聞いていた。

 「カリーナ、お前は純粋過ぎたんだ。何故第二皇子である者が偽りの魔王討伐なんかに駆り出されたか、第二皇子はヴァンハードに見捨てられたからだよ。
 あの偽物聖女の魅了にかかり、女の言いなりになる王族なんて醜態にしかならない。

 ヴァンハードは、カリーナが魔王の器に相応しいと気づいたのかもな。あの遺跡へ行くように言ったのもヴァンハードだろ?」

 ヴァンハード様。いつも優しくして下さった、でも…

 『可哀相なカリーナ。私なら君をこんなに悲しませたりしない。
 そうだ、最近発見された遺跡がある。君の祖先である彼が関わったと記述が見つかったが、一度行ってみるかい?』

 夢の中で見たヴァンハード様の顔が醜悪に歪む。

 「そんな…」
 「カリーナの両親も、公妾として城へ行かせる手配を既に始めていた。
 なぁ、俺からカリーナを取り上げようとするなんて許せる訳無いよな」

 信じられない、信じたい、何が正しいのか理解出来ない。

 「復讐するか? カリーナを馬鹿にした奴らも、利用しようとした奴らも。
 あぁ… いっその事。全て消してしまうのも良い。
 俺はカリーナさえ居れば他は何もいらない」

 私を離さず、微笑んでいるはずなのに。ランドール様の瞳は冬の月の様に冷たい。

 「私を愛しているの? あの女よりも?」
 「カリーナ、お前が俺を愛しているんだ。俺にはお前だけ、お前には俺だけ居れば良い」

 狂っている。
 だけど、言葉とは裏腹に切なげに私の頬を撫でる手が僅かに震え、唇が塞がれた。

 「なぁ、俺を愛していると言ってくれ。俺しか必要無いと…」

 見上げると、ランドール様の瞳には私しか映っていない。
 表面上いくら拒絶しようと、何度も諦めたと口に出そうと。心の奥底からの叫びが私を支配してしまう。

 「… 愛していますランドール様。私の身体も命も心も、全てランドール様のもの」
 「俺の全てはカリーナの為に」

 私の目の前で、あの時。ランドール様が一緒に死に絶えてくれれば何も思い残す事は無かった。

 でも、あの女が居る限りランドール様と一緒に死に絶える事は出来ない。

 だから、私は私を殺した。

 ランドール様が私以外を見つめる事は死よりも苦しい。


 「カリーナは俺だけを求め続けろ」

 抱きしめた腕の強さも、蕩けそうな吐息も全て私へ向けられている。それだけで良い、それしか要らない。


******

 何度もキスを繰り返すと、カリーナはくったりと身体の力が抜け、意識が無くなった。

 大切に抱き上げれば、ケモノたちが俺の周りを囲んだ。

 「俺に敵うと思っているのか?」

 溢れ出た魔力に、ケモノたちが地面へ座り込む。

 「カリーナを傷つける者たちに容赦はいらない。分かるよな?」

 ケモノたちも俺と同じ、大切なのはカリーナだけ。

 壊した氷の壁を元へ戻すと、カリーナが魔力で作った屋敷へ向かい、ゆっくりベッドへカリーナを寝かせる。

 奴がカリーナへ手を出さないよう、話をしなければならない。それでも何か仕掛けるなら消せば良い…



******

 「これは偉大な魔術師であるランドールじゃないか」
 「俺が来る事を知っていたんだろ?」

 いきなり現れたランドールに驚きもせず、自室で寛ぐヴァンハード。

 「やはり、早く私のものにしておけば良かった」

 「代わりの対価は十分だったはずだ。貴重な魔石と邪魔な第二皇子の排除、腕輪も無くなった今。カリーナに手出しはさせない」

 椅子から立ち上がり、戸棚からグラスとウィスキーを取り出し。ヴァンハードは、ランドールに座るよう促した。

 「カリーナは、いつ指輪を手に入れた?    
 ある遺跡が見つかったと報告があった時は既に、ケモノの目撃証言があった」
 「ヴァンハードがカリーナを連れ出したんじゃないのか?」
 「私では無い。遺跡が見つかったのも、誰かが侵入した事で結界の綻びが出来たからだ」

 じゃあカリーナは、どこで指輪の存在を知ったんだ。

 『私、夢を見たの、とっても陳腐で愚かな物語だったわ。

 聖なる乙女となったあの女を庇い、魔王と呼ばれた私はランドール様に殺され、ランドール様はあの女に助けられる!』

 まさか… 時を巻き戻したのか?

 「ランドール、流石のお前でも知らない話をしてやろう。

 魔王と呼ばれた男は、自分の妻子を救う為に魔石を作り出す方法を研究した。

 男の作った魔道具欲しさに、屋敷を荒らし妻子は無惨に殺されたそうだ。

 だが、時を戻す魔道具に必要な魔力は、例え魔王と呼ばれた男でもまかない切れなかった。

 男は王家へ取り引きを持ち掛けた、真実の眼と呼ばれる王家の秘宝と呼ばれる魔道具と、もう一つは、王を引き継ぐ者だけに知らされる時を戻す魔道具。
 その代わり、自分に爵位を与えて欲しい。いくら魔力が高くても、平民では妻子を守れないとね。

 本当に時を戻せるのか聞けば、二年後まで何が起こるか書かれた封書を差出し。それは全て当たったと言われている」

 俺と同じ、真っ赤な瞳が細められた。

 「私の本当の弟はお前だけだ。両親が亡くなり、あの叔父が玉座へ座る事を許し、叔父の息子が堂々と第二皇子を名乗るのすら許したのは、私が幼すぎた故。

 だが、もう叔父の好きにはさせない!

 分かるだろ?
 お前を利用しようとした叔父へ復讐する事が出来るんだ」

 「そんな事に興味は無い。俺はカリーナさえ居れば他は何もいらない」

 ヴァンハード。腹の中では何を考えているのか分からない厄介な奴だ。

 「では、カリーナを見逃す対価として。ランドールには、この魔道具の修繕をしてもらう。
 … 何年かかっても構わない、私が生きている内に持って来い」

 「これは何だ?」

 「時を戻す魔道具だ。お前なら直せるはずだ」

 懐中時計のように見える魔道具を、俺の前にぶら下げたから。ひったくるように受け取った。


******

 何も言わず魔道具を手に取ると、背を向け窓から姿を消したランドール。

 「今度は間違えるなよ」

 ヴァンハードには、同じ時間を生きた記憶がある。

 膨大な魔力を持ち生まれた弟。両親も私も喜んだが、まだ何も分からぬ赤子へ叔父の魔の手が伸びた。

 両親と弟が居る場所で、弟が魔力暴走を起こし両親は亡くなってしまう。
 後の調べで、叔父が弟の足裏に毒を刺してわざと暴走させたと分かった。

 弟は死亡した事にされ、自分の派閥であった子爵家へ渡されたのは。魔力を持つ者が少ない現在、殺すより飼いならすつもりだったからだろう。

 弟が生まれた時に、父親から王家の秘密と真実の眼を受け取っていなければ私も殺されていただろう。

 それでも、真実の眼は魔力の有無とオーラと呼ばれる人間の揺らぎしか分からない為、全てに対処は出来なかった。叔父は正式に受け取った私から、真実の眼を奪う事が出来なかったのも私から見れば幸運だったのかも知れない。

 長い年月で、弟が生きている事が分かり。叔父がやった事の証拠も集めた頃。

 正式にランドールを第二皇子として城へ迎え入れると共に、弟に執着する女を排除しようと考えた。醜く弟に縋るカリーナは、魔王の子孫であり覚醒していない魔力量は弟よりも高い。

 部下から遺跡が発見されたが、魔術がかかり中へ入れないと聞き。試しにカリーナを誘い遺跡へ行けば弾かれる事無く中へ進む事が出来た。

 そこで見つけた指輪と腕輪。

 指輪をカリーナが持つと激しく痙攣し、床へ倒れ込むと徐々に容姿が変わった。
 魔王と呼ばれた男の日記、それには指輪を受け入れた者は、男の魔力を引き継ぐ事が出来るとあった。

 自分の目的と弟をこのカリーナから救う。この二つを同時に出来るとほくそ笑んだが…


 『何故! 俺とカリーナを引き離したんだ!』

 叔父夫婦を玉座から引き攣り降ろし、私の計画は遂行された。
 だが、聖女に仕立て上げた女の首を目の前に放り投げたのは、ランドールだった。

 『お前はカリーナを昔から嫌っていたではないか。
 聖女となったライラを愛していたのでは無いのか?』

 玉座に座る私へ、杖を突きつけたランドール。

 『カリーナは俺だけの物だ。傷つけ壊して良いのも俺だけ。
 お前達は間違えたのだ、俺からカリーナを奪った罪。身を持って知れ!』

 本来、一族以外。はめられない指輪を強引に指へ付け、ランドールは破滅の道へ進んだ。
 人々を殺し、あらゆる物は壊され王城は地獄と化した。

 隠し通路から自室へ戻り、私は用意してあった時を戻す魔道具へ手を伸ばす。

 『全ての裏にヴァンハードが居た事は分かっている。俺の兄だろうが、カリーナを奪ったからには楽に死ねると思うなよ』

 もうダメかと覚悟を決め、目を閉じた時。

 ランドールが魔術を放った… が、グワンと地面が揺れ。目の前が真っ暗闇になり意識が無くなった。



 詳細は分からないが、三年前へ戻っていた。手には壊れた魔道具だけがある。

 夢? いや違う。

 手元にある魔道具だけが、過去へ戻ってきたのだと証明していた。

 二度と失敗は許されない、固い決意はカリーナの失踪と共に崩れ去った。

 今回も又、聖女となったのはライラ。その腕には私が渡すはずであった腕輪が見えた。

 叔父夫婦の悪事は二度目である為、簡単に集める事が出来たが。
 問題は魔王となったカリーナ。またカリーナが死ぬような事になれば、ランドールは全てを破滅させるだろう。

 この先は、きっと神の領域。
 もう時を戻す術は無いのだから…





 「聖女ライラと、今。帰還しました」

 第二皇子が聖女と共に、玉座の間へ現れる。

 「魔王討伐は成功したのか?」
 「兄上… 父。いえ陛下は」

 既に毒杯を煽った事を知らない二人は、周りを取り囲む人々の冷たい視線を受け動けなくなっている。

 「ライラ、浄化はまだ使えるのか?」

 真っ青な顔を一瞬、こちらへ向けたが俯いて何も言わない。

 「兄上! ライラはケモノを浄化し、魔に染まった霧を晴らした!
 今、使えないのは、きっと疲れているだけで。
 それより、何故。兄上が、そこへ座っているのですか!」

 「私が正当な王位継承者だから当たり前だろ?

 お前に兄上と呼ばれるたびに吐き気がしたが、それも今日で終わる。

 おい、こいつらを連れて行け!」

 「玉座に座るのは私だ! 無礼だろ! 私に触るんじゃない! 兄上!」
 「私が聖女なのよ! 私が王妃になるの! 私が!」




 第二皇子は、その後。自分の両親が玉座へついた経緯を聞くと共に。ライラにかけられた魅了を解くと、人が変わったように大人しくなった。

 「兄上… とはもうお呼び出来ないのですね。

 ヴァンハード陛下。私は貴方に憧れながらも、憎しみの対象でした。
 完璧と言われる貴方より、父は玉座を私へ継がすと言われ、初めて貴方に勝てたと思っていたが。

 全て、ヴァンハード陛下の掌の上だったのですね」

 「どうであろうな… 決心はついたか?」

 「私も毒杯を賜りたいと思います」

 床に片膝をつけ、頭のを下げた元第二皇子。
 小さい頃、兄様と呼び。笑顔で駆け寄ってきた姿を思い出す。周囲の環境が彼を変えたが、元々は純粋な青年なのだ。

 「分かった」

 鉄格子の向こう側で、カランと何かが落ちる音とドサリと人が倒れる音が聞こえたが。

 私は振り返る事はしなかった。

 ライラの処遇は、皇子へ魅了を使った罪。それと危険な魔道具を使い聖女と偽った罪をもって、捕らえられた日に処刑されている。

 腕輪は見つからず、ライラの身体にあった魔力は回復する事も無く空っぽであった。
 これが意味する事に気づいた私は、口を閉ざす道を選んだ。

 叔父と共に暴利を貪った輩達への処分など、例え叔父夫婦から玉座を奪い返しても、問題山積である。

 「ここが私の死に場所だ。だから、せめてのも償いとして。
 ランドール… 幸せに暮らせ」



******

 「起きたかい? カリーナ」

 目覚めると、頭上から聞こえるのはランドール様の声。

 「起こして下されば…」
 「昨日は無理をさせたからな。もう少し寝ていろ」

 二人で暮らすようになり三ヶ月。料理など暮らす為に必要な事が出来ない私へ、ランドール様は甲斐甲斐しく世話をして下さる。

 夜は寄り添い、お互いを求め、昼過ぎにやっと目が覚める日々。


 「俺はカリーナが居なければ生きている意味が無い。だけど、俺以外を見るカリーナを許す事が出来ない」

 「ランドール様も、私以外を見るならば。その両目を抉ってしまいますわよ」

 二度目の目覚めに、顔を近づけたランドール様へ手を伸ばし微笑むと、蕩けるように笑い目を細めた。

 「あぁ、カリーナが望むなら」

 私の手を引き寄せ、身体ごと包み込まれると、ランドール様の身体からドクドクと脈打つ心臓の音が聞こえる。

 「カリーナに見せたい物がある」

 膝下に手を差し入れ、私を抱きかかえると階下へ向かった。

 「ランドール様、これは?」

 三体の人形がお仕着せを着て立っている。

 「俺がカリーナの為に作った魔道具人形だ。屋敷の全ては人形達がやる。

 カリーナはただ俺だけを見ていれば良い」

 ランドール様の笑みが、あの時と重なる。

 私が夢で殺された時も、ランドール様は私だけを見て言った。

 『許さない』

 あの夢の中では、ランドール様と聖女以外、全て死んでいたけれど…

 ケモノ達が本当に二人以外を殺したのだろうか?
 ケモノ達は私の心とリンクしている、ならば無闇に誰かを傷つける事は無い。現に今回、第二皇子達は城へ帰ったとランドール様が仰った。

 なら… 殺したのは誰?

 もしも、もしも私がランドール様から逃げた事に対して言った言葉としたら?

 『許さない』

 ランドール様が、確実に自分が私を殺す為に同行した者を排除していたら?

 『許さない』

 全身が歓喜に震える。
 もし、私の考えが合っているならば、あの夢の中のランドール様も私を愛していた。
 私も愛しています、狂おしいほど愛しています。


 「カリーナ、何を考えていた」

 抱き上げられたまま、ランドール様の瞳を覗き込んだ。

 「ランドール様の事よ」

 「愛しているカリーナ、お前が俺を諦めない限り」

 ランドール様が私だけを見つめ、その瞳に私だけを映す。こんな幸せな物語を誰も知らない。



 ねぇ、ランドール様。
 狂っているのは、だぁれ?


    
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