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1章
閉ざされた館
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重厚な鉄門を押し開けると、軋む音が静寂を切り裂いた。神藤葉羽(しんどう はね)と望月彩由美(もちづき あゆみ)は、足を踏み入れるのを躊躇するかのように、一瞬立ち止まった。目の前にそびえ立つ古びた洋館は、長い年月を経た風格を漂わせながらも、どこか荒廃した印象を与えた。高い塀に囲まれた敷地は薄暗く、生い茂る蔦が石造りの外壁を覆い隠している。屋根には数羽の烏が止まり、来訪者を見下ろすように不気味な鳴き声をあげていた。
「ここが……クロウ・ハウス」
彩由美が不安げに呟いた。その声は、広い敷地に吸い込まれるように消えていく。葉羽は無言で頷き、彼女を先に促した。敷石の敷かれた小道を進むと、正面玄関に辿り着いた。重厚な木製の扉には、黒い金属で造られた烏の飾りが取り付けられている。その目はまるで生きているかのように鋭く光り、葉羽と彩由美を見つめているようだった。
葉羽が扉のノッカーを叩くと、しばらくして内側から足音が聞こえてきた。扉がゆっくりと開き、中から一人の男が現れた。年の頃は五十代半ば、整えられた口髭と銀縁の眼鏡が知的な印象を与える。しかし、その瞳には冷たい光が宿り、葉羽と彩由美を値踏みするかのように観察していた。
「ようこそ、クロウ・ハウスへ。私が院長の灰塚宗司(はいづか そうじ)です。ご予約の方でしょうか?」
灰塚は慇懃無礼な口調で尋ねた。その声音には、どこか作り物めいた響きがあり、葉羽は違和感を覚えた。
「望月彩由美と申します。叔母の静香を見舞いに来たのですが……」
彩由美が緊張した面持ちで答えた。
「ああ、望月静香さんですね。お待ちしておりました。どうぞ、お入りください」
灰塚はにこりともせずに二人を館内へと招き入れた。玄関ホールは薄暗く、重厚な調度品が置かれている。壁には風景画や肖像画が掛けられているが、どれも古びて色褪せていた。湿気を含んだような空気が淀み、埃っぽい匂いが鼻をつく。葉羽は、この館全体が何かに覆われているような、閉塞感を感じた。
「望月静香さんには後ほどお会い頂くとして、まずは応接室でお話を聞かせて頂きましょう。こちらへどうぞ」
灰塚に促され、葉羽と彩由美は応接室へと案内された。部屋の中央には大きなテーブルとソファが置かれ、窓からは庭の景色が見える。だが、庭の木々は生い茂り、光を遮っているため、室内は薄暗いままだった。
「さて、お二人はどのようなご用件で?」
灰塚はソファに座りながら、改めて尋ねた。葉羽と彩由美も向かい側のソファに腰を下ろす。
「叔母の様子が少し心配で……電話だとあまり話してくれないので、直接会って話を聞きたいと思いまして」
彩由美が答えた。
「そうですか。静香さんは精神的に不安定な状態ですから、電話ではうまく話せないのかもしれませんね。ご心配はごもっともですが、安心してください。ここには優秀なスタッフが揃っていますし、静香さんも適切な治療を受けています」
灰塚は淀みのない口調で説明したが、葉羽はその言葉に違和感を覚えた。まるで事前に用意された台詞を読んでいるかのように、感情がこもっていない。
「ところで、院長。この診療所では、最近何か変わったことはありませんか? 患者さんが……何か、幻覚のようなものを見ているとか……」
葉羽は意を決して切り出した。彩由美が言っていた「ピエロ」のことを直接聞くのは躊躇われたため、婉曲的な表現を選んだ。
灰塚の表情が僅かに変わった。一瞬、驚いたような表情を見せたが、すぐに冷静さを取り戻す。
「幻覚、ですか。精神科の患者さんが幻覚を見ることは珍しいことではありません。特に、静香さんのような方は……」
灰塚は言葉を濁した。葉羽は彼の反応を注意深く観察していた。何かを隠しているような、そんな印象を受けた。
「いえ、私が聞きたいのは、特定の何かを見ている患者さんが多いかどうかということです。例えば……ピエロのような」
葉羽はあえて「ピエロ」という言葉を出した。灰塚の反応を見るためだ。
灰塚は一瞬目を見開いたが、すぐに平静を装った。
「ピエロ、ですか。そのような話は聞いたことがありませんが……。患者さんたちの話を鵜呑みにするのも考え物ですよ。彼らは精神を病んでいるのですから」
灰塚は冷静に答えたが、その声には僅かな焦りが混じっているように感じられた。葉羽は確信した。この診療所では何か隠されている。そして、それは彩由美の叔母、静香が見ているという「ピエロ」と関係があるに違いない。
「それでは、静香さんに会わせて頂けますか?」
彩由美が不安そうな表情で尋ねた。
「ええ、もちろん。準備が整い次第、お連れしましょう。それまで、どうぞごゆっくり」
灰塚はそう言って立ち上がり、部屋を出て行った。二人きりになった応接室には、重苦しい空気が漂っていた。
「ねえ、葉羽君……やっぱり、何か変よ、この診療所」
彩由美が不安げに呟いた。葉羽は頷き、周囲を見渡した。壁に掛けられた絵画、古びた調度品、重厚なカーテン。どれもが古めかしく、陰鬱な雰囲気を醸し出している。
「ああ、何か隠しているのは間違いない。それに、院長も怪しい……」
葉羽は立ち上がり、部屋の中を歩き回った。窓の外の景色を眺め、壁に掛けられた絵画を一つ一つ確かめる。何か手掛かりはないか、探しているのだ。
「葉羽君、どうするの? 叔母さんは大丈夫かしら……」
彩由美は不安そうに葉羽を見つめた。
「大丈夫だよ。僕が必ず、真相を突き止めてみせる」
葉羽は彩由美に微笑みかけた。だが、その内心には不安が広がっていた。この閉ざされた館の中で、一体何が起きているのか。そして、「ピエロ」の正体とは……?
その時、廊下から微かに物音が聞こえた。何かが引きずられるような、鈍い音だった。葉羽と彩由美は顔を見合わせる。
「今の音……?」
彩由美が小声で尋ねた。
「分からない。行ってみよう」
葉羽はドアに耳を澄ませた。物音は止み、廊下は静寂に包まれている。葉羽はゆっくりとドアを開け、廊下へと足を踏み出した。
薄暗い廊下には人影はなく、静まり返っていた。だが、葉羽は確かに何かの気配を感じた。見えない何かが、この館のどこかに潜んでいる。そして、それは彼らをじっと見つめている……。
葉羽は廊下の奥へと歩き出した。彩由美が不安そうに後をついてくる。閉ざされた館の中で、彼らの悪夢が始まろうとしていた。
「ここが……クロウ・ハウス」
彩由美が不安げに呟いた。その声は、広い敷地に吸い込まれるように消えていく。葉羽は無言で頷き、彼女を先に促した。敷石の敷かれた小道を進むと、正面玄関に辿り着いた。重厚な木製の扉には、黒い金属で造られた烏の飾りが取り付けられている。その目はまるで生きているかのように鋭く光り、葉羽と彩由美を見つめているようだった。
葉羽が扉のノッカーを叩くと、しばらくして内側から足音が聞こえてきた。扉がゆっくりと開き、中から一人の男が現れた。年の頃は五十代半ば、整えられた口髭と銀縁の眼鏡が知的な印象を与える。しかし、その瞳には冷たい光が宿り、葉羽と彩由美を値踏みするかのように観察していた。
「ようこそ、クロウ・ハウスへ。私が院長の灰塚宗司(はいづか そうじ)です。ご予約の方でしょうか?」
灰塚は慇懃無礼な口調で尋ねた。その声音には、どこか作り物めいた響きがあり、葉羽は違和感を覚えた。
「望月彩由美と申します。叔母の静香を見舞いに来たのですが……」
彩由美が緊張した面持ちで答えた。
「ああ、望月静香さんですね。お待ちしておりました。どうぞ、お入りください」
灰塚はにこりともせずに二人を館内へと招き入れた。玄関ホールは薄暗く、重厚な調度品が置かれている。壁には風景画や肖像画が掛けられているが、どれも古びて色褪せていた。湿気を含んだような空気が淀み、埃っぽい匂いが鼻をつく。葉羽は、この館全体が何かに覆われているような、閉塞感を感じた。
「望月静香さんには後ほどお会い頂くとして、まずは応接室でお話を聞かせて頂きましょう。こちらへどうぞ」
灰塚に促され、葉羽と彩由美は応接室へと案内された。部屋の中央には大きなテーブルとソファが置かれ、窓からは庭の景色が見える。だが、庭の木々は生い茂り、光を遮っているため、室内は薄暗いままだった。
「さて、お二人はどのようなご用件で?」
灰塚はソファに座りながら、改めて尋ねた。葉羽と彩由美も向かい側のソファに腰を下ろす。
「叔母の様子が少し心配で……電話だとあまり話してくれないので、直接会って話を聞きたいと思いまして」
彩由美が答えた。
「そうですか。静香さんは精神的に不安定な状態ですから、電話ではうまく話せないのかもしれませんね。ご心配はごもっともですが、安心してください。ここには優秀なスタッフが揃っていますし、静香さんも適切な治療を受けています」
灰塚は淀みのない口調で説明したが、葉羽はその言葉に違和感を覚えた。まるで事前に用意された台詞を読んでいるかのように、感情がこもっていない。
「ところで、院長。この診療所では、最近何か変わったことはありませんか? 患者さんが……何か、幻覚のようなものを見ているとか……」
葉羽は意を決して切り出した。彩由美が言っていた「ピエロ」のことを直接聞くのは躊躇われたため、婉曲的な表現を選んだ。
灰塚の表情が僅かに変わった。一瞬、驚いたような表情を見せたが、すぐに冷静さを取り戻す。
「幻覚、ですか。精神科の患者さんが幻覚を見ることは珍しいことではありません。特に、静香さんのような方は……」
灰塚は言葉を濁した。葉羽は彼の反応を注意深く観察していた。何かを隠しているような、そんな印象を受けた。
「いえ、私が聞きたいのは、特定の何かを見ている患者さんが多いかどうかということです。例えば……ピエロのような」
葉羽はあえて「ピエロ」という言葉を出した。灰塚の反応を見るためだ。
灰塚は一瞬目を見開いたが、すぐに平静を装った。
「ピエロ、ですか。そのような話は聞いたことがありませんが……。患者さんたちの話を鵜呑みにするのも考え物ですよ。彼らは精神を病んでいるのですから」
灰塚は冷静に答えたが、その声には僅かな焦りが混じっているように感じられた。葉羽は確信した。この診療所では何か隠されている。そして、それは彩由美の叔母、静香が見ているという「ピエロ」と関係があるに違いない。
「それでは、静香さんに会わせて頂けますか?」
彩由美が不安そうな表情で尋ねた。
「ええ、もちろん。準備が整い次第、お連れしましょう。それまで、どうぞごゆっくり」
灰塚はそう言って立ち上がり、部屋を出て行った。二人きりになった応接室には、重苦しい空気が漂っていた。
「ねえ、葉羽君……やっぱり、何か変よ、この診療所」
彩由美が不安げに呟いた。葉羽は頷き、周囲を見渡した。壁に掛けられた絵画、古びた調度品、重厚なカーテン。どれもが古めかしく、陰鬱な雰囲気を醸し出している。
「ああ、何か隠しているのは間違いない。それに、院長も怪しい……」
葉羽は立ち上がり、部屋の中を歩き回った。窓の外の景色を眺め、壁に掛けられた絵画を一つ一つ確かめる。何か手掛かりはないか、探しているのだ。
「葉羽君、どうするの? 叔母さんは大丈夫かしら……」
彩由美は不安そうに葉羽を見つめた。
「大丈夫だよ。僕が必ず、真相を突き止めてみせる」
葉羽は彩由美に微笑みかけた。だが、その内心には不安が広がっていた。この閉ざされた館の中で、一体何が起きているのか。そして、「ピエロ」の正体とは……?
その時、廊下から微かに物音が聞こえた。何かが引きずられるような、鈍い音だった。葉羽と彩由美は顔を見合わせる。
「今の音……?」
彩由美が小声で尋ねた。
「分からない。行ってみよう」
葉羽はドアに耳を澄ませた。物音は止み、廊下は静寂に包まれている。葉羽はゆっくりとドアを開け、廊下へと足を踏み出した。
薄暗い廊下には人影はなく、静まり返っていた。だが、葉羽は確かに何かの気配を感じた。見えない何かが、この館のどこかに潜んでいる。そして、それは彼らをじっと見つめている……。
葉羽は廊下の奥へと歩き出した。彩由美が不安そうに後をついてくる。閉ざされた館の中で、彼らの悪夢が始まろうとしていた。
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