ピエロの嘲笑が消えない

葉羽

文字の大きさ
上 下
2 / 12
1章

閉ざされた館

しおりを挟む
重厚な鉄門を押し開けると、軋む音が静寂を切り裂いた。神藤葉羽(しんどう はね)と望月彩由美(もちづき あゆみ)は、足を踏み入れるのを躊躇するかのように、一瞬立ち止まった。目の前にそびえ立つ古びた洋館は、長い年月を経た風格を漂わせながらも、どこか荒廃した印象を与えた。高い塀に囲まれた敷地は薄暗く、生い茂る蔦が石造りの外壁を覆い隠している。屋根には数羽の烏が止まり、来訪者を見下ろすように不気味な鳴き声をあげていた。

「ここが……クロウ・ハウス」

彩由美が不安げに呟いた。その声は、広い敷地に吸い込まれるように消えていく。葉羽は無言で頷き、彼女を先に促した。敷石の敷かれた小道を進むと、正面玄関に辿り着いた。重厚な木製の扉には、黒い金属で造られた烏の飾りが取り付けられている。その目はまるで生きているかのように鋭く光り、葉羽と彩由美を見つめているようだった。

葉羽が扉のノッカーを叩くと、しばらくして内側から足音が聞こえてきた。扉がゆっくりと開き、中から一人の男が現れた。年の頃は五十代半ば、整えられた口髭と銀縁の眼鏡が知的な印象を与える。しかし、その瞳には冷たい光が宿り、葉羽と彩由美を値踏みするかのように観察していた。

「ようこそ、クロウ・ハウスへ。私が院長の灰塚宗司(はいづか そうじ)です。ご予約の方でしょうか?」

灰塚は慇懃無礼な口調で尋ねた。その声音には、どこか作り物めいた響きがあり、葉羽は違和感を覚えた。

「望月彩由美と申します。叔母の静香を見舞いに来たのですが……」

彩由美が緊張した面持ちで答えた。

「ああ、望月静香さんですね。お待ちしておりました。どうぞ、お入りください」

灰塚はにこりともせずに二人を館内へと招き入れた。玄関ホールは薄暗く、重厚な調度品が置かれている。壁には風景画や肖像画が掛けられているが、どれも古びて色褪せていた。湿気を含んだような空気が淀み、埃っぽい匂いが鼻をつく。葉羽は、この館全体が何かに覆われているような、閉塞感を感じた。

「望月静香さんには後ほどお会い頂くとして、まずは応接室でお話を聞かせて頂きましょう。こちらへどうぞ」

灰塚に促され、葉羽と彩由美は応接室へと案内された。部屋の中央には大きなテーブルとソファが置かれ、窓からは庭の景色が見える。だが、庭の木々は生い茂り、光を遮っているため、室内は薄暗いままだった。

「さて、お二人はどのようなご用件で?」

灰塚はソファに座りながら、改めて尋ねた。葉羽と彩由美も向かい側のソファに腰を下ろす。

「叔母の様子が少し心配で……電話だとあまり話してくれないので、直接会って話を聞きたいと思いまして」

彩由美が答えた。

「そうですか。静香さんは精神的に不安定な状態ですから、電話ではうまく話せないのかもしれませんね。ご心配はごもっともですが、安心してください。ここには優秀なスタッフが揃っていますし、静香さんも適切な治療を受けています」

灰塚は淀みのない口調で説明したが、葉羽はその言葉に違和感を覚えた。まるで事前に用意された台詞を読んでいるかのように、感情がこもっていない。

「ところで、院長。この診療所では、最近何か変わったことはありませんか? 患者さんが……何か、幻覚のようなものを見ているとか……」

葉羽は意を決して切り出した。彩由美が言っていた「ピエロ」のことを直接聞くのは躊躇われたため、婉曲的な表現を選んだ。

灰塚の表情が僅かに変わった。一瞬、驚いたような表情を見せたが、すぐに冷静さを取り戻す。

「幻覚、ですか。精神科の患者さんが幻覚を見ることは珍しいことではありません。特に、静香さんのような方は……」

灰塚は言葉を濁した。葉羽は彼の反応を注意深く観察していた。何かを隠しているような、そんな印象を受けた。

「いえ、私が聞きたいのは、特定の何かを見ている患者さんが多いかどうかということです。例えば……ピエロのような」

葉羽はあえて「ピエロ」という言葉を出した。灰塚の反応を見るためだ。

灰塚は一瞬目を見開いたが、すぐに平静を装った。

「ピエロ、ですか。そのような話は聞いたことがありませんが……。患者さんたちの話を鵜呑みにするのも考え物ですよ。彼らは精神を病んでいるのですから」

灰塚は冷静に答えたが、その声には僅かな焦りが混じっているように感じられた。葉羽は確信した。この診療所では何か隠されている。そして、それは彩由美の叔母、静香が見ているという「ピエロ」と関係があるに違いない。

「それでは、静香さんに会わせて頂けますか?」

彩由美が不安そうな表情で尋ねた。

「ええ、もちろん。準備が整い次第、お連れしましょう。それまで、どうぞごゆっくり」

灰塚はそう言って立ち上がり、部屋を出て行った。二人きりになった応接室には、重苦しい空気が漂っていた。

「ねえ、葉羽君……やっぱり、何か変よ、この診療所」

彩由美が不安げに呟いた。葉羽は頷き、周囲を見渡した。壁に掛けられた絵画、古びた調度品、重厚なカーテン。どれもが古めかしく、陰鬱な雰囲気を醸し出している。

「ああ、何か隠しているのは間違いない。それに、院長も怪しい……」

葉羽は立ち上がり、部屋の中を歩き回った。窓の外の景色を眺め、壁に掛けられた絵画を一つ一つ確かめる。何か手掛かりはないか、探しているのだ。

「葉羽君、どうするの? 叔母さんは大丈夫かしら……」

彩由美は不安そうに葉羽を見つめた。

「大丈夫だよ。僕が必ず、真相を突き止めてみせる」

葉羽は彩由美に微笑みかけた。だが、その内心には不安が広がっていた。この閉ざされた館の中で、一体何が起きているのか。そして、「ピエロ」の正体とは……?

その時、廊下から微かに物音が聞こえた。何かが引きずられるような、鈍い音だった。葉羽と彩由美は顔を見合わせる。

「今の音……?」

彩由美が小声で尋ねた。

「分からない。行ってみよう」

葉羽はドアに耳を澄ませた。物音は止み、廊下は静寂に包まれている。葉羽はゆっくりとドアを開け、廊下へと足を踏み出した。

薄暗い廊下には人影はなく、静まり返っていた。だが、葉羽は確かに何かの気配を感じた。見えない何かが、この館のどこかに潜んでいる。そして、それは彼らをじっと見つめている……。

葉羽は廊下の奥へと歩き出した。彩由美が不安そうに後をついてくる。閉ざされた館の中で、彼らの悪夢が始まろうとしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

時の呪縛

葉羽
ミステリー
山間の孤立した村にある古びた時計塔。かつてこの村は繁栄していたが、失踪事件が連続して発生したことで、村人たちは恐れを抱き、時計塔は放置されたままとなった。17歳の天才高校生・神藤葉羽は、友人に誘われてこの村を訪れることになる。そこで彼は、幼馴染の望月彩由美と共に、村の秘密に迫ることになる。 葉羽と彩由美は、失踪事件に関する不気味な噂を耳にし、時計塔に隠された真実を解明しようとする。しかし、時計塔の内部には、過去の記憶を呼び起こす仕掛けが待ち受けていた。彼らは、時間が歪み、過去の失踪者たちの幻影に直面する中で、次第に自らの心の奥底に潜む恐怖と向き合わせることになる。 果たして、彼らは村の呪いを解き明かし、失踪事件の真相に辿り着けるのか?そして、彼らの友情と恋心は試される。緊迫感あふれる謎解きと心理的恐怖が交錯する本格推理小説。

「鏡像のイデア」 難解な推理小説

葉羽
ミステリー
豪邸に一人暮らしする天才高校生、神藤葉羽(しんどう はね)。幼馴染の望月彩由美との平穏な日常は、一枚の奇妙な鏡によって破られる。鏡に映る自分は、確かに自分自身なのに、どこか異質な存在感を放っていた。やがて葉羽は、鏡像と現実が融合する禁断の現象、「鏡像融合」に巻き込まれていく。時を同じくして街では異形の存在が目撃され、空間に歪みが生じ始める。鏡像、異次元、そして幼馴染の少女。複雑に絡み合う謎を解き明かそうとする葉羽の前に、想像を絶する恐怖が待ち受けていた。

双極の鏡

葉羽
ミステリー
神藤葉羽は、高校2年生にして天才的な頭脳を持つ少年。彼は推理小説を読み漁る日々を送っていたが、ある日、幼馴染の望月彩由美からの突然の依頼を受ける。彼女の友人が密室で発見された死体となり、周囲は不可解な状況に包まれていた。葉羽は、彼女の優しさに惹かれつつも、事件の真相を解明することに心血を注ぐ。 事件の背後には、視覚的な錯覚を利用した巧妙なトリックが隠されており、密室の真実を解き明かすために葉羽は思考を巡らせる。彼と彩由美の絆が深まる中、恐怖と謎が交錯する不気味な空間で、彼は人間の心の闇にも触れることになる。果たして、葉羽は真実を見抜くことができるのか。

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

嘘つきカウンセラーの饒舌推理

真木ハヌイ
ミステリー
身近な心の問題をテーマにした連作短編。六章構成。狡猾で奇妙なカウンセラーの男が、カウンセリングを通じて相談者たちの心の悩みの正体を解き明かしていく。ただ、それで必ずしも相談者が満足する結果になるとは限らないようで……?(カクヨムにも掲載しています)

虹の橋とその番人 〜交通総務課・中山小雪の事件簿〜

ふるは ゆう
ミステリー
交通総務課の中山小雪はひょんなことから事件に関わることになってしまう・・・無駄なイケメン、サイバーセキュリティの赤羽涼との恋模様もからんで、さて、さて、その結末やいかに?

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

処理中です...