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第二章~道半ばなれど~
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一
この頃の大洲藩と言えば、伊予の小京都と謳われる城下町を、約三百五十戸の正にこぢんまりとした街並みを中心とした情景が思い浮かぶが、その街並みを四重四層からなる大洲城が見下ろすように建っている。
大洲城は、本丸に六つの矢倉と、二の丸には、八つの矢倉を配していた。元々は、戦国期に豪族であった宇都宮氏が建てたが、それを藤堂高虎が大改築し、脇坂安治が引き継ぎ、江戸時代に入ってから、洲藩初代の加藤貞泰が大洲に国替えとなると、そのまま代々、加藤家の所領となり続いていた。
現在の当主は、第十二代目の泰祉(やすとみ)である。泰祉は前藩主である父が死去した後に、十歳で家督を継いでいるので、もう十年以上藩主の地位にいる事になる。
若年ではあるが、彼はお飾りの藩主などではなく、積極的に藩主としての務めを果たそうとしていた。
安政の大地震以後は、大洲藩内でも大きな被害が出た事もあり、質素倹約に務めるよう藩内にも触れを出し、参勤交代の無い年には、藩内を巡察して、直接に民と触れ合いを持つ事を積極的にし、またペリー来航や、桜田門外の変以降は、外国の知識を貪欲に吸収すべく、講師を藩に多く招くなど、勤皇の志が篤い立派な殿様であるとの評判であった。
泰祉は、これからの藩を背負う人材を作るべく、藩士にも藩校である明倫堂での学問を奨励していた。
若殿である泰輔は、そんな兄を大変尊敬し、助けたいと日頃から思っていた。そんな若殿が、最近師事している人物が藩内に居た。国嶋六左衛門紹(くにしまろくざえもんしょう)徳(とく)である。
六左衛門は、藩内の郡中奉行を勤めており、砲術の心得がある。藩内の鉄砲処も兼務しており、そして、郡中奉行の務めの無い時には、大洲城下の私邸にて、時折弟子たちに講義をしていた。若殿も六左衛門の噂を聞いて、後学の為に、その講義を聞いていたのだった。
そして今、将策はその国嶋六左衛門の講義を聴く為に、大洲の城下町を歩いていた。大洲城下に戻って、数日経った時の事である。若殿からの使いの者が、六左衛門門下への推薦状を携えて、現れた事が始まりであった。
そこには、六左衛門の人となりと、これまでの経歴が記されており、将策は、一通り若殿からの書状へ目を通すと、気持ちはすでに固まっていた。
正直ありがたかった。この先の将来をどう生きて行けば良いのか、自分ではまだ何も分かってはいなかったからだ。ただ今のお役目を果たすだけの人生で良いのだろうか?
周りの若者たちが、人生を駆け抜けて行き、自分だけ取り残されるのではないかという焦燥感が、ここしばらく続いていた。その答えが見つかるかもしれない。そうならなくても、何かのきっかけとなる可能性があるのではないか?
将策は、堪らず城下を駆け出していた。これから学ぶ事、起る事への期待感の現れであったに違いなかった。
国嶋邸は、城下の外れにあった。大洲城下は、戦災に遭わなかったので、今でも当時の名残を数多く残している。三の丸、二の丸、西の門などの地名があり、当時からの路地や建物が数多く残っている。
ここを訪れれば、この時代の息吹を少しは、感じる事が出来るだろう。大洲城下は、城の南東側と南西側に侍屋敷が多く建っていた。その数、二百七十戸余り。
大洲城の東側に在る藩校の明倫堂を素通りし、更にその先の南側の向中島と呼ばれる侍屋敷の並びの角に位置する場所に、国嶋邸はあった。その広さ十二間という。それは、一藩の奉行職の屋敷としては、余りに質素な物であった。
将策が六左衛門の屋敷に着くと、入口で声を掛ける。すると女性がすぐに現れて、将策を案内してくれた。女中かと思えば、六左衛門の娘であるという。後で聞くと、その娘は長女で、歳は十五、六と言ったところだろう。国嶋家には、四人の子供が居るらしかった。
(奉行の屋敷に、使用人が居らぬ筈はなかろうに…)
少し変に思ったが、後から聞いた話しだと、国嶋家では、子供達の教育の為、余り使用人を置かずに、家内の仕事を任せているという。その辺りに、六左衛門の人となりが現れているだろう。
将策が案内された奥の部屋の前に着くと、すでに講義は始まっているようで、中で声がしている。襖を少しだけ開けて、中を覗き込むと、十名程の若者たちを前に話している男がいる。それが六左衛門に違いなかった。
「コホンッ」
部屋を覗き込むのを咎めるように、六左衛門の娘が咳払いを一つする。将策はバツが悪そうな顔をして、その顔を見た娘に笑われる。釣られて将策も苦笑いするしかなかった。
「井上様をお連れ致しました」
「入れ!」
声と共に襖が開けられる。将策は覚悟を決めて、部屋へと入った。入ると、いくつかの後頭部の先に、一人の男が立っていた。その男は、将策を一瞥しただけで、何も云わず、講義を続ける。将策は仕方なく、末席の空いていた席へ、腰を降ろす事にした。
「武士は刀を捨てねばらない」
その男の声は、大きく、良く通る声をしていた。国嶋家は加藤家が大洲藩に移封される前からの古参の家臣ではあるが、そこまでの重臣ではない。知行も百石と中ぐらいであったが、六左衛門は、三十代半ばで、郡中奉行へ抜擢された逸材であった。
新極流、正木流、荻野流の砲術を熟知し、藩の砲術師範を代々務める家系である。そして、六左衛門自身は、砲術に限らず、欧米からの新たなる知識を身に付け、諸般の事情にも長けていると、専らの評判の男であった。
「武士は刀を捨てなければならない」
六左衛門は、もう一度言葉を繰り返した。
「そうしなければ、いずれ諸外国に飲み込まれてしまうだろう」
その言葉を始まりに、講義は熱を帯びていった。欧州列強の荒波が、日本を取り囲んでいる。そして、その波は、この大洲藩のすぐ近くまで迫っていたのた。
「この中で、黒船を見た者はおるか?」
その言葉に手を挙げる者は居ない。六左衛門は、郡中奉行として、伊予灘と長浜湾の警備も兼ねる立場であった。
そして、ここ近年、外国籍の黒船が燃料補給を名目に、その姿を瀬戸内海湾岸まで見せる事例が起きていたのだ。六左衛門を始め、藩の上層部は、その対応を苦慮せねばならなかった。
「我が藩でも、黒船を持ち、大藩に負けない軍備増強をせねば、この国は滅んでしまう。今こそ日本中の武士が、いや武士も町民も農民も、戦える者は立ち上がって、お上の為に、尽くさねばならぬ時代がやってきたのだ」
その初めて聞く、衝撃的な六左衛門の言葉の数々の内容に、いつしか将策も夢中になって、講義に聞き入っていたのだった。
講義が終わると、将策は別室に通され、一人六左衛門と対面を果たしていた。
「若様から申し付かっておる」
「はい、井上将策前博と申します。宜しくお願い致しまする」
その日、陽が落ちるまで、将策は、六左衛門と直に話す機会を得ていた。
「先生がおっしゃった黒船の話し、土佐の知人が同じことを申しておりました」
「なるほど、その土佐の坂本という者、面白き男かもしれぬのう」
どうやら、六左衛門は、将策の事が気に入った様子であった。次の講義から、他の門弟たちと一緒に受けるように申し付けると、六左衛門は次の事を言った。
「将策、時は動いておる。勉学に勤しみ時を惜しめ。下士や軽輩、身分に捉われずに、各々の力量にあった仕事が出来る時代がきっと来るぞ」
帰りの夜道を月明かりに導かれながら、将策は歩いていた。しかし、決してもう迷う事はないだろう。将策は、やっと自らが進むべき道が分かったかのように、歩を速めるのだった。
二
六左衛門の私塾へ、入門を許されてからの将策の日常は忙しさを増していた。
何せ、藩の御勤めはあるのだし、他の門下生より遅れているのだから、その御勤めが終わってからの時間を専ら勉学へ充てた。六左衛門に言われた通りに、時を惜しむように、文字通り寝る間も惜しんで、勉学に勤しんだ。
元々、将策は文武両道を尊ぶ大洲藩の藩風の下で育った男だ。西洋の知識、六左衛門より借り入れた砲術の書、大洲に居て得られる知識は、すべて吸収する勢いで励んでいた。その甲斐もあって、わずか三ヶ月後には、講義を聞いても、内容に何とか付いていける程度には、上達していたのだった。
そんな将策を六左衛門がほっておく筈もなく、最近は何かに付けて将策、将策としきりに呼んでは、話し相手とするのだった。
将策がそんな充実した時期を過ごしていた、ある日の帰り道の事だった。
「おい待て、井上!」
背後より声を掛けられて、将策が振り返ると、そこには一人の若いが、目付きの鋭い侍の姿があった。良く見ると、男の右眉毛には、何やら刀傷のような物があるのが見えた。
「貴様、身分をわきまえろよ」
「何のことだ?」
「分際を見よと言うたのだ。先生は、貴様を認めたのではない。唯物珍しいだけじゃ」
男はそう言うと、将策をその鋭い目で睨んできた。
「将策どうした?」
また背後より声がした。振り返るとそこには、二人の男が立っていた。一人は、森本千代之助と言い、背は将策より少し小さいが、骨格がしっかりとした浅黒い男で、将策とは同年の生まれ。私塾に入ってから無二の親友となった男だ。
もう一人は、豊川嘉一郎渉と言い、将策らよりは年下だが、切れ長の目をした白い肌の美青年であった。抜刀術に優れて、幼少期より、六左衛門に師事する男であった。
「貴様、森本千代之助…」
男はそれ以上何も云わずに、足早にこの場を去った。
「千代之助、あれは誰じゃ?」
将策は今あった事を二人に話して聞かせた。
「あの男は、永田権右衛門じゃ」
それが将策に絡んだ男の名前であった。歳は将策らより、二つ上であろうか。藩の重臣と姻戚関係に当るらしく、その縁で、六左衛門の私塾へ通っていた。
「将策、お主の席の近くに座って居るぞ。知らぬのか?」
千代之助に呆れながら言われると、将策は頭を掻くしかなかった。将策は途中からの入塾であったので、講義の内容に追われて、必死だったのだから。
そして、一つの事に夢中になると、他が疎かになる事が多々あり、周りの者に気を配るゆとりはなかったのだろう。
「妬みでしょうね。井上さんが、自分より家格が低いのに、先生に気に入られているのが面白くないんですよ。尊大で嫌な奴ですよ」
年下の豊川嘉一郎が、その美しい顔に似つかわしくない毒舌を披露する。
「ま、気にせぬことじゃ。だが奴もお主同様に腕が立つというぞ。一応気を付ける事だ」
千代之助は、物騒な事を将策に言う。しかし、将策はどこも動じる様子は無い。
「な~に、俺の背後は千代之助と、ここに居る藩随一の抜刀術の使い手に守ってもらうさ」
将策はそう言うと、嘉一郎の左肩を勢いよく叩いた。その勢いに、嘉一郎は、一つ咽て(むせて)しまう。
「私は別に、藩一とは、思ってませんよ。まっ井上さんの背中ぐらいは、たやすく守れるでしょうがね」
「こやつ」
三人はそれを合図に笑う。この三人は妙に馬が合った。まだ刻を同じくしてから、さほど経っていないのに、もう幼少からの朋輩という感覚があったのだろう。
「おい、いつまでもここに居ると、またお叱りを受けるぞ」
千代之助に急かされて、城でのお役目の時刻が迫っている事に気づき、三人はその場を足早に去った。永田権右衛門は、それ以来、特に将策に絡む事は無かった。ただ講義の合間などに、じっとこちらを凝視する程度であった。
それが不気味ではあったが、まだ彼の存在が将策の眼前にはっきりとした形となって現れてくるのは、しばらく後の事であった。
三
一つ己の歩く道が拓けてきた将策であったが、ある事件により、その道は、加速度を増す事となる。
文久三年六月、フランス船籍の黒船が、燃料と食糧の補給を求めて、大洲藩領内の長浜沖へ姿を現したのである。ここ近年、瀬戸内海に黒船が出現し始めている事は先に述べた。
しかし、今回は、完全に交渉と、通商を藩に求めて来たのだ。全国にある大名の治める各藩には、外国と通商をする権限は無い。この時代にそれが出来たのは、幕府だけである。
諸外国もそれは承知している為、表だっては、正式に各藩に要請や、要望を出したりする事は稀であった。しかし、時代は生き物のように動いて行くもである。
「殿様はどうなさるおつもりか?」
「いや、殿は今江戸に居られる。対応は重臣方で、決められるそうじゃ」
大洲藩内は一時騒然となった。そして、この大洲藩始まって以来の事件に、藩より対応を任されたのは、国嶋六左衛門であった。
六左衛門は郡中奉行として、大洲藩内の海防の責任者でもあった。そして、諸外国の知識とその見識は、藩内でも随一の男である。他に適任は居ないであろう。
六左衛門は、すぐに対応すべく、現地へと向かった。この時、六左衛門のお供に長浜下目付として、井上将策も同行していた。そして、六左衛門の門弟より、護衛役として、豊川嘉一郎と森本千代之助と、そして、永田権右衛門が加わっていた。
交渉は初手から難航を極めた。何せ大洲藩には、フランス語が話せる藩士など一人もなく、ようやく見つけた通訳も、オランダ語を少し話せる程度であったからだ。
それでも何とか相手側からの要望を聞き出してみると、それは、燃料の補給と食糧の備蓄、そして、船が帰る際に、もう一度寄港し、同じく物資の補給がしたいという内容であった。
つまりは、水、薪、食糧を求めて来た捕鯨船であった。当時、日本海や太平洋沖にて、ランプの油を目的とした捕鯨が盛んに行われていた。
長浜沖には、文久元年にも外国船が停泊した事があったが、この時は、大洲藩の折衝担当の責任者選びに難航し、初めての事であった為に、管轄の所在がはっきりとせず、それを決めている間に、停泊した外国船の方が痺れを切らして、何処かへ出航してしまったのだ。
この事を機に、瀬戸内海でも黒船の渡来が見られるようになっていた。そして、大洲藩内で、対応が決まるまでの間も、フランス船は、空砲を撃ち、音を鳴らし、長浜湾内を航行するなどの威嚇行動を取っていた。我々を侮るなとのメッセージである。
「先生、断るべきです」
最初にそう主張したのは、永田権右衛門であった。彼はその鋭い目つきで、大声で主張を始めると、フランス側が強硬な姿勢に出るならば、斬ってしまえとまで言うのだった。
「それでは、戦(いくさ)になるぞ」
「望む所じゃ!」
権右衛門を諌めるように、千代之助が言うが、聞く耳をを持たない。
「千代之助、貴様はここでも俺の邪魔をするか」
権右衛門が激昂し、刀の柄に手を掛けようとする。
「双方控えぬか!」
それまで黙って目を閉じていた奉行の六左衛門が二人を制した。この問題は、二人が思うよりも、とても難しい問題であった。正答は無いのかもしれない。大洲藩に通商を求められても、その権限は、大名には無い事はすでに触れた。
或いは、薩摩藩のように、密貿易をしている藩もあるが、大洲藩は小藩の上に、立地的に山間の僻地である。薩摩のように大藩で、立地も南の端で貿易がし易い環境でもない。
しかし、だからと言って、にべもなく断れば、どんな強硬手段にあちらが出るか、予測も付かない。予測も付かない事を外交手段に用いる分けにもいかない為、これは一番困る問題なのだ。
下手をすれば、それが日本とフランスとの外交問題、更には、本当に二国間での戦に為りかねないのだから。
「将策はどう思うか?」
六左衛門は、末席にいる将策に問う。
「断るしかないでしょう。しかし、断り方という物がありましょう」
将策も六左衛門を見る。
「まずは、とっくと相手の言い分を聞く事が肝要と…」
「井上、貴様そんな当たり前しか言えぬのか!」
権右衛門が、将策に掴みかかる程の勢いで唾を飛ばす。
「どうした権右衛門。目の上の傷が痛むか?」
「何だと?千代之助、やはり貴様は許せぬ!」
権右衛門が再び柄に手をかけた時であった。
「双方やめよ!相分かった。皆、大儀である」
その六左衛門の言葉が終了の合図となった。後は六左衛門に託されたのであった。
最初、難航していた大洲藩と、フランス船との通商問題であったが、六左衛門は、まずは船員の中で、病気や怪我人の手当てが必要ならばと申し出る事にし、相手の信用を得る事にした。
すると、最初あれだけ威嚇行動に出て、会談の当初は、捲し立てる様な言葉を浴びせていたフランス側も、対応に変化が見られ始めた。六左衛門は、この機を逃すまいと、フランスの船長以下、一等航海士を長浜の庄屋宅を借りて、宴を開いてもてなした。そして、その酒席が落ち着いた所で、
「我が藩は田舎の小国ゆえ、外国との交渉権が無い。大坂まで行き、幕府に直訴願いたい」
と言う事を、懇親を込めて説明した。すると、この六左衛門の対応に心を打たれたフランスの船長は、あっさりと聞き届け、翌日には、大坂へ向けて出港したのだった。
「将策、そなたのおかげぞ」
「いえ、お奉行の誠心が相手に届いたのですぞ」
国嶋奉行の功績は藩内でもすぐに話題となった。しかし、そんな二人のやり取りをその鋭い眼を冷たくして、じっと凝視している男に、二人は気づいてはいなかった。
「やはり黒船が必要じゃ…」
六左衛門が独り言を言うように呟くのを将策は、ただ黙って頷いていたのだった。
四
黒船襲来は、大洲藩を根底から揺るがしかねない大事件であったが、それは、黒船自体が無事に去ってからも、尾を引いていたのだった。今、藩内ではある言葉が叫ばれ始めていた。
「海防をどうするのか?」
という言葉であった。そこで早速、長浜に台場を建設した。肱川下流にある沖の城と、亀の首という二ヶ所に設置し、併せて長浜台場として、大砲を設置するなどの処置を国嶋奉行の指揮の下、速やかに行われている。
そうした防衛策を施した藩内であったが、ある一つの問題が浮き彫りとなっていた。これら、防衛に努める人手の不足である。
この時期の大洲藩士は、約千百名程であり、大洲藩領の人口は約十万四千名程であった。大洲藩は、石高六万国の小国に過ぎず、従って、戦う為の武士も少ない。ここで問題となっていくのは、混沌とする時代に立ち向かう為、火急的速やかに戦う人材を整える事であると言えた。
森本千代之助は、五郎村へと足を運んでいた。将策を訪ねる為だ。今二人はある事をしようと、連日密に連絡を取り合っている。今日もその一つである。
「御免、森本千代之助と申す。将策殿はおいでか?」
千代之助は、入口にて、大声で家中に聞こえるように声を掛ける。
「おう、入ってくれ」
奥より、将策らしき声が聞こえたので、遠慮なく、声の方へと上がって行った。
「入るぞ。何じゃいこりゃ?」
襖を開けると、将策の部屋らしき一室を一見しただけで、千代之助は声を上げた。
「これか?やっぱり驚いたか。これはベッドじゃ」
その六畳一間ほどの小さい部屋に、ベッドらしき物が、我が物顔で横たわっていた。
「前に国嶋先生から聞いての。西洋人はベッドで寝ると。俺は西洋人のように身体が大きいけん、ベッドがええじゃろうと思っての」
それは、将策が自作したベッドであった。
「座ってみんけんよ」
将策に促されて、千代之助は、恐る恐るベッドに腰を降ろす。すると、何ともフワッとした感覚に包まれているのを実感する。
「気づいたか?それは、布団に鳥の羽を入れとるんじゃ」
「お主、このような物。殿様でもしとらんぞ」
「そう言うな。自分で作った物じゃけん金はかかっとらん。それより、千代之助、これ飲んでみんか?」
そう言って、千代之助の目の前に、将策が差し出した湯呑みには、白い液体が入っていた。
「何じゃ?」
「これは牛の乳じゃ」
「こ、馬鹿者!そんな物が呑めるか」
「そうか?滋養の薬ぞ。それに癖はあるが、慣れると美味い。毎日飲んどるぞ」
将策は自宅の裏で、牛を一頭飼い、自ら乳を搾って飲む事を日課としていたのだった。
「それで、お主はさっきから何をしよるんぜ?」
千代之助が気になっていたのは、将策が机の上で、先程から、いじっているある機械についてであった。
「これは、晴雨計(バロメートル)じゃ」
バロメートルとは、所謂気圧計の事であった。この時代の物なので、見た目は、現在の置時計程度の大きさであろうか。
「調子が悪くての。朝からいじっとるんじゃが。これがないと、次に肱川あらしがあっても分からんけんのう」
最近の将策の西洋かぶれ振りに、いささか閉口気味の千代之助であったが、今日はそれどころではなかった。千代之助は苦笑して言った。
「将策、武田の先生がお待ちじゃ」
溜息交じりの千代之助の言葉を聞いて、バロメートルをいじる将策の手が、いつの間にか止まっていたのだった。
武田の先生とは、武田亀五郎敬(ゆき)孝(たか)の事を言う。大洲藩の藩学所である明倫堂の教授方を務める男だ。
この敬孝の弟に、武田斐(あや)三郎(さぶろう)成(なる)章(あき)という人物が居た。この斐三郎は、かの五稜郭建設に助力した人物として知られ、明治政府において、陸軍幼年学校の初代校長を務める事になる人物であった。
そして、その兄にあたる敬孝も藩内随一の知識人であり、勤皇の志篤く、西洋文化に対する見識も、六左衛門と同等か、それ以上である大洲藩の知恵袋と云われていた。そんな人物が、将策と千代之助を呼んでいる。二人は、敬孝の元へとすぐに向かうのであった。
元々、将策も千代之助も明倫堂にて学んでいた元服前には、敬孝の講義を直に受けており、愛弟子と言って、差し支えない。藩に仕え始めてからは、出会う回数も少なくなり、久方ぶりの再会であった。
武田先生がいる大洲城下までは、将策の住む五郎村からは、三里と離れていない。将策の家を出発し、川沿いを歩けば、すぐに大洲城が眼前に現れる。
「千代之助よ。一つ聞きたい事がある。お主と永田権右衛門には、何かあるのか?」
将策が聞いたのは、権右衛門の右目上の眉毛の傷についてであった。二人は並んで歩いていたが、将策の問いに千代之助は、歩を止めて立ち止まる。
「それを聞いて何とする?」
「どうもせぬ。ただ聞いておる」
千代之助は、何か罰の悪い表情で、すぐには言い出せずにいる様子だ。
「…あの傷は、俺がつけた物だ。それ以上は聞くな」
少しの沈黙の後、千代之助はそう言うと、将策を追い越すように急に歩を速めた。この件について、それ以上、二人が会話をすることは無かった。
武田敬孝宅に着いてから、もう一刻を過ぎていたのだが、話しは、一向に進んではいなかった。何故かと問えば、一つの答えが、将策から返ってくるだろう。
(喋り過ぎじゃ、この爺さんは…)
と心中で将策が思っているだろうと、千代之助は確信していた。武田敬孝は、この時、四十代半ばの年齢ではあったが、白髪の多くなった頭髪と、皺の深まった顔に、よく喋るからか、そのしゃがれた声という特徴から、実年齢よりも老けて見えるのは確かであった。
一見して、学者や先生と言うのが、相応しい人物だ。そして、そんな敬孝を将策は、大の苦手と感じていた。
(この方はよくしゃべる。それに…)
「井上、お主、わしがまた喋り過ぎとるとでも思っておろうが?」
(人の心を見透かす…)
先に心を読まれた将策が苦笑いで、心の中で答えた。
「お主の顔にそう書いてあるわい。だいたいお主は、藩のお役目にかこつけて、わしの所には顔を出さずに、最近は、国嶋殿の所ばかりらしいじゃないか?」
図星を付かれて、将策はぐうの音も出ない。
「はい、国嶋奉行は、武田先生に次いで、立派な御仁です」
「うむ、国嶋殿が人物である事に異論は無い」
困り果てる将策を気遣い、千代之助が横から助け舟を出す。お蔭かそれがきっかけで、敬孝の機嫌も直ったのか、話しがようやく進み出した。
「藩内皆兵論」
というような事を敬孝は言った。
「身分に捉われず、有望な士を広く登用すべし。お主ら若人らとの連名にて、殿に建白仕る」
敬孝の言葉に、将策も千代之助も血が滾ってくるのを感じていた。脳天の奥底にズドンと一撃が加えられたかのような衝撃が走る。
「そうしなければ、諸外国には勝てぬ」
敬孝の意見に、将策は賛成であった。この国は長く平和が続き、戦乱を知らない。戦う事が、言わば仕事である武士でも、本当に人を斬った事がある者は、一握りであろう。
こんな国の状態で、しかも兵器でも、日常的な民の生活でも、総てにおいて、外国に引けを取る我が国が、負けない為には、今までの考え方や、習慣その物を壊していかなくてはいけないのかもしれない。
しかし、それと同時に、ある疑問が浮かんでくる。
「何故、先生だけのお名前ではいけないのですか?」
それが、将策の素直な疑問であった。敬孝は、大洲藩随一の知識人で、藩校である明倫堂の学長を務める。云わば、藩の知の代表者である。その男の名を記せば、藩主泰祉といえども、無視は出来ない筈であった。
「若い者の名があれば、若い藩主に想いが届くだろう」
敬孝はそういう言葉で説明をする。仮に武田敬孝一人の建白書を記せば、必ず目を通されるだろうし、重臣たちにも図られるだろう。
しかし、それでは、老婆心からと黙殺されかねない。特に敬孝は、事あるごとに、苦言を呈して憚らない人物である事は、大洲藩士で知らぬ者は居ないだろう事実だ。
「わしの不徳の致す所ではあるが、お主ら若人の力を借りたい。この通りじゃ」
敬孝はそう言うと、驚いた事に二人に頭を下げた。
敬孝のそんな姿を見た二人は、先生のこの国の行く末を案じる志に心を打たれたのだった。国を想うのに、歳や身分や、立場の違いなど、そんな事は、些末な事に過ぎないだろうと。
「先生、承知仕りました。どうか頭をお上げ下さい。我ら両人、先生の意に従いまする」
頭を上げた敬孝に、今度は二人が頭を下げる番であった。
「二人とも良くぞ言ってくれた。それでこそ、わしが見込んだ甲斐があった。命懸けの大仕事となるが、覚悟は出来ておるか?」
先生の問いに、頭を上げた二人はだまって頷いていた。
「ならば両名、もそっと近くに…」
その日、三名の志士は、遅くまで語り合うのだった。これからの藩の進むべき道を。そして、この国の行く末を。
(井上、学問は続けよ。そなたは、剣の道を究めたようだが、学問でも身を興せる男ぞ)
語り合う合間の都度に、敬孝は、将策にそう説いて聞かせた。何度も何度も繰り返し、まるで小姑の小言だと、自分でも呆れるぐらいの熱心さで。そして、そうする内に、三名の秘め事が形を成す。建白書が出来上がったのである。
将策と千代之助は、その翌日から、文字通り、藩内を駆け続けた。同志を募る為である。
駆けていると、時々、敬孝から言われた言葉が脳裏によぎっては、将策を苦笑させた。数日を駆けて、二人は敬孝が認めた建白書に、二十七名からなる藩士有志者連署を集めた。
そして、満月が次の日に迫ったある晩の夜、二人の姿は、大洲藩内から消えた。脱藩したのである。文久三年七月十五日の事であった。
この頃の大洲藩と言えば、伊予の小京都と謳われる城下町を、約三百五十戸の正にこぢんまりとした街並みを中心とした情景が思い浮かぶが、その街並みを四重四層からなる大洲城が見下ろすように建っている。
大洲城は、本丸に六つの矢倉と、二の丸には、八つの矢倉を配していた。元々は、戦国期に豪族であった宇都宮氏が建てたが、それを藤堂高虎が大改築し、脇坂安治が引き継ぎ、江戸時代に入ってから、洲藩初代の加藤貞泰が大洲に国替えとなると、そのまま代々、加藤家の所領となり続いていた。
現在の当主は、第十二代目の泰祉(やすとみ)である。泰祉は前藩主である父が死去した後に、十歳で家督を継いでいるので、もう十年以上藩主の地位にいる事になる。
若年ではあるが、彼はお飾りの藩主などではなく、積極的に藩主としての務めを果たそうとしていた。
安政の大地震以後は、大洲藩内でも大きな被害が出た事もあり、質素倹約に務めるよう藩内にも触れを出し、参勤交代の無い年には、藩内を巡察して、直接に民と触れ合いを持つ事を積極的にし、またペリー来航や、桜田門外の変以降は、外国の知識を貪欲に吸収すべく、講師を藩に多く招くなど、勤皇の志が篤い立派な殿様であるとの評判であった。
泰祉は、これからの藩を背負う人材を作るべく、藩士にも藩校である明倫堂での学問を奨励していた。
若殿である泰輔は、そんな兄を大変尊敬し、助けたいと日頃から思っていた。そんな若殿が、最近師事している人物が藩内に居た。国嶋六左衛門紹(くにしまろくざえもんしょう)徳(とく)である。
六左衛門は、藩内の郡中奉行を勤めており、砲術の心得がある。藩内の鉄砲処も兼務しており、そして、郡中奉行の務めの無い時には、大洲城下の私邸にて、時折弟子たちに講義をしていた。若殿も六左衛門の噂を聞いて、後学の為に、その講義を聞いていたのだった。
そして今、将策はその国嶋六左衛門の講義を聴く為に、大洲の城下町を歩いていた。大洲城下に戻って、数日経った時の事である。若殿からの使いの者が、六左衛門門下への推薦状を携えて、現れた事が始まりであった。
そこには、六左衛門の人となりと、これまでの経歴が記されており、将策は、一通り若殿からの書状へ目を通すと、気持ちはすでに固まっていた。
正直ありがたかった。この先の将来をどう生きて行けば良いのか、自分ではまだ何も分かってはいなかったからだ。ただ今のお役目を果たすだけの人生で良いのだろうか?
周りの若者たちが、人生を駆け抜けて行き、自分だけ取り残されるのではないかという焦燥感が、ここしばらく続いていた。その答えが見つかるかもしれない。そうならなくても、何かのきっかけとなる可能性があるのではないか?
将策は、堪らず城下を駆け出していた。これから学ぶ事、起る事への期待感の現れであったに違いなかった。
国嶋邸は、城下の外れにあった。大洲城下は、戦災に遭わなかったので、今でも当時の名残を数多く残している。三の丸、二の丸、西の門などの地名があり、当時からの路地や建物が数多く残っている。
ここを訪れれば、この時代の息吹を少しは、感じる事が出来るだろう。大洲城下は、城の南東側と南西側に侍屋敷が多く建っていた。その数、二百七十戸余り。
大洲城の東側に在る藩校の明倫堂を素通りし、更にその先の南側の向中島と呼ばれる侍屋敷の並びの角に位置する場所に、国嶋邸はあった。その広さ十二間という。それは、一藩の奉行職の屋敷としては、余りに質素な物であった。
将策が六左衛門の屋敷に着くと、入口で声を掛ける。すると女性がすぐに現れて、将策を案内してくれた。女中かと思えば、六左衛門の娘であるという。後で聞くと、その娘は長女で、歳は十五、六と言ったところだろう。国嶋家には、四人の子供が居るらしかった。
(奉行の屋敷に、使用人が居らぬ筈はなかろうに…)
少し変に思ったが、後から聞いた話しだと、国嶋家では、子供達の教育の為、余り使用人を置かずに、家内の仕事を任せているという。その辺りに、六左衛門の人となりが現れているだろう。
将策が案内された奥の部屋の前に着くと、すでに講義は始まっているようで、中で声がしている。襖を少しだけ開けて、中を覗き込むと、十名程の若者たちを前に話している男がいる。それが六左衛門に違いなかった。
「コホンッ」
部屋を覗き込むのを咎めるように、六左衛門の娘が咳払いを一つする。将策はバツが悪そうな顔をして、その顔を見た娘に笑われる。釣られて将策も苦笑いするしかなかった。
「井上様をお連れ致しました」
「入れ!」
声と共に襖が開けられる。将策は覚悟を決めて、部屋へと入った。入ると、いくつかの後頭部の先に、一人の男が立っていた。その男は、将策を一瞥しただけで、何も云わず、講義を続ける。将策は仕方なく、末席の空いていた席へ、腰を降ろす事にした。
「武士は刀を捨てねばらない」
その男の声は、大きく、良く通る声をしていた。国嶋家は加藤家が大洲藩に移封される前からの古参の家臣ではあるが、そこまでの重臣ではない。知行も百石と中ぐらいであったが、六左衛門は、三十代半ばで、郡中奉行へ抜擢された逸材であった。
新極流、正木流、荻野流の砲術を熟知し、藩の砲術師範を代々務める家系である。そして、六左衛門自身は、砲術に限らず、欧米からの新たなる知識を身に付け、諸般の事情にも長けていると、専らの評判の男であった。
「武士は刀を捨てなければならない」
六左衛門は、もう一度言葉を繰り返した。
「そうしなければ、いずれ諸外国に飲み込まれてしまうだろう」
その言葉を始まりに、講義は熱を帯びていった。欧州列強の荒波が、日本を取り囲んでいる。そして、その波は、この大洲藩のすぐ近くまで迫っていたのた。
「この中で、黒船を見た者はおるか?」
その言葉に手を挙げる者は居ない。六左衛門は、郡中奉行として、伊予灘と長浜湾の警備も兼ねる立場であった。
そして、ここ近年、外国籍の黒船が燃料補給を名目に、その姿を瀬戸内海湾岸まで見せる事例が起きていたのだ。六左衛門を始め、藩の上層部は、その対応を苦慮せねばならなかった。
「我が藩でも、黒船を持ち、大藩に負けない軍備増強をせねば、この国は滅んでしまう。今こそ日本中の武士が、いや武士も町民も農民も、戦える者は立ち上がって、お上の為に、尽くさねばならぬ時代がやってきたのだ」
その初めて聞く、衝撃的な六左衛門の言葉の数々の内容に、いつしか将策も夢中になって、講義に聞き入っていたのだった。
講義が終わると、将策は別室に通され、一人六左衛門と対面を果たしていた。
「若様から申し付かっておる」
「はい、井上将策前博と申します。宜しくお願い致しまする」
その日、陽が落ちるまで、将策は、六左衛門と直に話す機会を得ていた。
「先生がおっしゃった黒船の話し、土佐の知人が同じことを申しておりました」
「なるほど、その土佐の坂本という者、面白き男かもしれぬのう」
どうやら、六左衛門は、将策の事が気に入った様子であった。次の講義から、他の門弟たちと一緒に受けるように申し付けると、六左衛門は次の事を言った。
「将策、時は動いておる。勉学に勤しみ時を惜しめ。下士や軽輩、身分に捉われずに、各々の力量にあった仕事が出来る時代がきっと来るぞ」
帰りの夜道を月明かりに導かれながら、将策は歩いていた。しかし、決してもう迷う事はないだろう。将策は、やっと自らが進むべき道が分かったかのように、歩を速めるのだった。
二
六左衛門の私塾へ、入門を許されてからの将策の日常は忙しさを増していた。
何せ、藩の御勤めはあるのだし、他の門下生より遅れているのだから、その御勤めが終わってからの時間を専ら勉学へ充てた。六左衛門に言われた通りに、時を惜しむように、文字通り寝る間も惜しんで、勉学に勤しんだ。
元々、将策は文武両道を尊ぶ大洲藩の藩風の下で育った男だ。西洋の知識、六左衛門より借り入れた砲術の書、大洲に居て得られる知識は、すべて吸収する勢いで励んでいた。その甲斐もあって、わずか三ヶ月後には、講義を聞いても、内容に何とか付いていける程度には、上達していたのだった。
そんな将策を六左衛門がほっておく筈もなく、最近は何かに付けて将策、将策としきりに呼んでは、話し相手とするのだった。
将策がそんな充実した時期を過ごしていた、ある日の帰り道の事だった。
「おい待て、井上!」
背後より声を掛けられて、将策が振り返ると、そこには一人の若いが、目付きの鋭い侍の姿があった。良く見ると、男の右眉毛には、何やら刀傷のような物があるのが見えた。
「貴様、身分をわきまえろよ」
「何のことだ?」
「分際を見よと言うたのだ。先生は、貴様を認めたのではない。唯物珍しいだけじゃ」
男はそう言うと、将策をその鋭い目で睨んできた。
「将策どうした?」
また背後より声がした。振り返るとそこには、二人の男が立っていた。一人は、森本千代之助と言い、背は将策より少し小さいが、骨格がしっかりとした浅黒い男で、将策とは同年の生まれ。私塾に入ってから無二の親友となった男だ。
もう一人は、豊川嘉一郎渉と言い、将策らよりは年下だが、切れ長の目をした白い肌の美青年であった。抜刀術に優れて、幼少期より、六左衛門に師事する男であった。
「貴様、森本千代之助…」
男はそれ以上何も云わずに、足早にこの場を去った。
「千代之助、あれは誰じゃ?」
将策は今あった事を二人に話して聞かせた。
「あの男は、永田権右衛門じゃ」
それが将策に絡んだ男の名前であった。歳は将策らより、二つ上であろうか。藩の重臣と姻戚関係に当るらしく、その縁で、六左衛門の私塾へ通っていた。
「将策、お主の席の近くに座って居るぞ。知らぬのか?」
千代之助に呆れながら言われると、将策は頭を掻くしかなかった。将策は途中からの入塾であったので、講義の内容に追われて、必死だったのだから。
そして、一つの事に夢中になると、他が疎かになる事が多々あり、周りの者に気を配るゆとりはなかったのだろう。
「妬みでしょうね。井上さんが、自分より家格が低いのに、先生に気に入られているのが面白くないんですよ。尊大で嫌な奴ですよ」
年下の豊川嘉一郎が、その美しい顔に似つかわしくない毒舌を披露する。
「ま、気にせぬことじゃ。だが奴もお主同様に腕が立つというぞ。一応気を付ける事だ」
千代之助は、物騒な事を将策に言う。しかし、将策はどこも動じる様子は無い。
「な~に、俺の背後は千代之助と、ここに居る藩随一の抜刀術の使い手に守ってもらうさ」
将策はそう言うと、嘉一郎の左肩を勢いよく叩いた。その勢いに、嘉一郎は、一つ咽て(むせて)しまう。
「私は別に、藩一とは、思ってませんよ。まっ井上さんの背中ぐらいは、たやすく守れるでしょうがね」
「こやつ」
三人はそれを合図に笑う。この三人は妙に馬が合った。まだ刻を同じくしてから、さほど経っていないのに、もう幼少からの朋輩という感覚があったのだろう。
「おい、いつまでもここに居ると、またお叱りを受けるぞ」
千代之助に急かされて、城でのお役目の時刻が迫っている事に気づき、三人はその場を足早に去った。永田権右衛門は、それ以来、特に将策に絡む事は無かった。ただ講義の合間などに、じっとこちらを凝視する程度であった。
それが不気味ではあったが、まだ彼の存在が将策の眼前にはっきりとした形となって現れてくるのは、しばらく後の事であった。
三
一つ己の歩く道が拓けてきた将策であったが、ある事件により、その道は、加速度を増す事となる。
文久三年六月、フランス船籍の黒船が、燃料と食糧の補給を求めて、大洲藩領内の長浜沖へ姿を現したのである。ここ近年、瀬戸内海に黒船が出現し始めている事は先に述べた。
しかし、今回は、完全に交渉と、通商を藩に求めて来たのだ。全国にある大名の治める各藩には、外国と通商をする権限は無い。この時代にそれが出来たのは、幕府だけである。
諸外国もそれは承知している為、表だっては、正式に各藩に要請や、要望を出したりする事は稀であった。しかし、時代は生き物のように動いて行くもである。
「殿様はどうなさるおつもりか?」
「いや、殿は今江戸に居られる。対応は重臣方で、決められるそうじゃ」
大洲藩内は一時騒然となった。そして、この大洲藩始まって以来の事件に、藩より対応を任されたのは、国嶋六左衛門であった。
六左衛門は郡中奉行として、大洲藩内の海防の責任者でもあった。そして、諸外国の知識とその見識は、藩内でも随一の男である。他に適任は居ないであろう。
六左衛門は、すぐに対応すべく、現地へと向かった。この時、六左衛門のお供に長浜下目付として、井上将策も同行していた。そして、六左衛門の門弟より、護衛役として、豊川嘉一郎と森本千代之助と、そして、永田権右衛門が加わっていた。
交渉は初手から難航を極めた。何せ大洲藩には、フランス語が話せる藩士など一人もなく、ようやく見つけた通訳も、オランダ語を少し話せる程度であったからだ。
それでも何とか相手側からの要望を聞き出してみると、それは、燃料の補給と食糧の備蓄、そして、船が帰る際に、もう一度寄港し、同じく物資の補給がしたいという内容であった。
つまりは、水、薪、食糧を求めて来た捕鯨船であった。当時、日本海や太平洋沖にて、ランプの油を目的とした捕鯨が盛んに行われていた。
長浜沖には、文久元年にも外国船が停泊した事があったが、この時は、大洲藩の折衝担当の責任者選びに難航し、初めての事であった為に、管轄の所在がはっきりとせず、それを決めている間に、停泊した外国船の方が痺れを切らして、何処かへ出航してしまったのだ。
この事を機に、瀬戸内海でも黒船の渡来が見られるようになっていた。そして、大洲藩内で、対応が決まるまでの間も、フランス船は、空砲を撃ち、音を鳴らし、長浜湾内を航行するなどの威嚇行動を取っていた。我々を侮るなとのメッセージである。
「先生、断るべきです」
最初にそう主張したのは、永田権右衛門であった。彼はその鋭い目つきで、大声で主張を始めると、フランス側が強硬な姿勢に出るならば、斬ってしまえとまで言うのだった。
「それでは、戦(いくさ)になるぞ」
「望む所じゃ!」
権右衛門を諌めるように、千代之助が言うが、聞く耳をを持たない。
「千代之助、貴様はここでも俺の邪魔をするか」
権右衛門が激昂し、刀の柄に手を掛けようとする。
「双方控えぬか!」
それまで黙って目を閉じていた奉行の六左衛門が二人を制した。この問題は、二人が思うよりも、とても難しい問題であった。正答は無いのかもしれない。大洲藩に通商を求められても、その権限は、大名には無い事はすでに触れた。
或いは、薩摩藩のように、密貿易をしている藩もあるが、大洲藩は小藩の上に、立地的に山間の僻地である。薩摩のように大藩で、立地も南の端で貿易がし易い環境でもない。
しかし、だからと言って、にべもなく断れば、どんな強硬手段にあちらが出るか、予測も付かない。予測も付かない事を外交手段に用いる分けにもいかない為、これは一番困る問題なのだ。
下手をすれば、それが日本とフランスとの外交問題、更には、本当に二国間での戦に為りかねないのだから。
「将策はどう思うか?」
六左衛門は、末席にいる将策に問う。
「断るしかないでしょう。しかし、断り方という物がありましょう」
将策も六左衛門を見る。
「まずは、とっくと相手の言い分を聞く事が肝要と…」
「井上、貴様そんな当たり前しか言えぬのか!」
権右衛門が、将策に掴みかかる程の勢いで唾を飛ばす。
「どうした権右衛門。目の上の傷が痛むか?」
「何だと?千代之助、やはり貴様は許せぬ!」
権右衛門が再び柄に手をかけた時であった。
「双方やめよ!相分かった。皆、大儀である」
その六左衛門の言葉が終了の合図となった。後は六左衛門に託されたのであった。
最初、難航していた大洲藩と、フランス船との通商問題であったが、六左衛門は、まずは船員の中で、病気や怪我人の手当てが必要ならばと申し出る事にし、相手の信用を得る事にした。
すると、最初あれだけ威嚇行動に出て、会談の当初は、捲し立てる様な言葉を浴びせていたフランス側も、対応に変化が見られ始めた。六左衛門は、この機を逃すまいと、フランスの船長以下、一等航海士を長浜の庄屋宅を借りて、宴を開いてもてなした。そして、その酒席が落ち着いた所で、
「我が藩は田舎の小国ゆえ、外国との交渉権が無い。大坂まで行き、幕府に直訴願いたい」
と言う事を、懇親を込めて説明した。すると、この六左衛門の対応に心を打たれたフランスの船長は、あっさりと聞き届け、翌日には、大坂へ向けて出港したのだった。
「将策、そなたのおかげぞ」
「いえ、お奉行の誠心が相手に届いたのですぞ」
国嶋奉行の功績は藩内でもすぐに話題となった。しかし、そんな二人のやり取りをその鋭い眼を冷たくして、じっと凝視している男に、二人は気づいてはいなかった。
「やはり黒船が必要じゃ…」
六左衛門が独り言を言うように呟くのを将策は、ただ黙って頷いていたのだった。
四
黒船襲来は、大洲藩を根底から揺るがしかねない大事件であったが、それは、黒船自体が無事に去ってからも、尾を引いていたのだった。今、藩内ではある言葉が叫ばれ始めていた。
「海防をどうするのか?」
という言葉であった。そこで早速、長浜に台場を建設した。肱川下流にある沖の城と、亀の首という二ヶ所に設置し、併せて長浜台場として、大砲を設置するなどの処置を国嶋奉行の指揮の下、速やかに行われている。
そうした防衛策を施した藩内であったが、ある一つの問題が浮き彫りとなっていた。これら、防衛に努める人手の不足である。
この時期の大洲藩士は、約千百名程であり、大洲藩領の人口は約十万四千名程であった。大洲藩は、石高六万国の小国に過ぎず、従って、戦う為の武士も少ない。ここで問題となっていくのは、混沌とする時代に立ち向かう為、火急的速やかに戦う人材を整える事であると言えた。
森本千代之助は、五郎村へと足を運んでいた。将策を訪ねる為だ。今二人はある事をしようと、連日密に連絡を取り合っている。今日もその一つである。
「御免、森本千代之助と申す。将策殿はおいでか?」
千代之助は、入口にて、大声で家中に聞こえるように声を掛ける。
「おう、入ってくれ」
奥より、将策らしき声が聞こえたので、遠慮なく、声の方へと上がって行った。
「入るぞ。何じゃいこりゃ?」
襖を開けると、将策の部屋らしき一室を一見しただけで、千代之助は声を上げた。
「これか?やっぱり驚いたか。これはベッドじゃ」
その六畳一間ほどの小さい部屋に、ベッドらしき物が、我が物顔で横たわっていた。
「前に国嶋先生から聞いての。西洋人はベッドで寝ると。俺は西洋人のように身体が大きいけん、ベッドがええじゃろうと思っての」
それは、将策が自作したベッドであった。
「座ってみんけんよ」
将策に促されて、千代之助は、恐る恐るベッドに腰を降ろす。すると、何ともフワッとした感覚に包まれているのを実感する。
「気づいたか?それは、布団に鳥の羽を入れとるんじゃ」
「お主、このような物。殿様でもしとらんぞ」
「そう言うな。自分で作った物じゃけん金はかかっとらん。それより、千代之助、これ飲んでみんか?」
そう言って、千代之助の目の前に、将策が差し出した湯呑みには、白い液体が入っていた。
「何じゃ?」
「これは牛の乳じゃ」
「こ、馬鹿者!そんな物が呑めるか」
「そうか?滋養の薬ぞ。それに癖はあるが、慣れると美味い。毎日飲んどるぞ」
将策は自宅の裏で、牛を一頭飼い、自ら乳を搾って飲む事を日課としていたのだった。
「それで、お主はさっきから何をしよるんぜ?」
千代之助が気になっていたのは、将策が机の上で、先程から、いじっているある機械についてであった。
「これは、晴雨計(バロメートル)じゃ」
バロメートルとは、所謂気圧計の事であった。この時代の物なので、見た目は、現在の置時計程度の大きさであろうか。
「調子が悪くての。朝からいじっとるんじゃが。これがないと、次に肱川あらしがあっても分からんけんのう」
最近の将策の西洋かぶれ振りに、いささか閉口気味の千代之助であったが、今日はそれどころではなかった。千代之助は苦笑して言った。
「将策、武田の先生がお待ちじゃ」
溜息交じりの千代之助の言葉を聞いて、バロメートルをいじる将策の手が、いつの間にか止まっていたのだった。
武田の先生とは、武田亀五郎敬(ゆき)孝(たか)の事を言う。大洲藩の藩学所である明倫堂の教授方を務める男だ。
この敬孝の弟に、武田斐(あや)三郎(さぶろう)成(なる)章(あき)という人物が居た。この斐三郎は、かの五稜郭建設に助力した人物として知られ、明治政府において、陸軍幼年学校の初代校長を務める事になる人物であった。
そして、その兄にあたる敬孝も藩内随一の知識人であり、勤皇の志篤く、西洋文化に対する見識も、六左衛門と同等か、それ以上である大洲藩の知恵袋と云われていた。そんな人物が、将策と千代之助を呼んでいる。二人は、敬孝の元へとすぐに向かうのであった。
元々、将策も千代之助も明倫堂にて学んでいた元服前には、敬孝の講義を直に受けており、愛弟子と言って、差し支えない。藩に仕え始めてからは、出会う回数も少なくなり、久方ぶりの再会であった。
武田先生がいる大洲城下までは、将策の住む五郎村からは、三里と離れていない。将策の家を出発し、川沿いを歩けば、すぐに大洲城が眼前に現れる。
「千代之助よ。一つ聞きたい事がある。お主と永田権右衛門には、何かあるのか?」
将策が聞いたのは、権右衛門の右目上の眉毛の傷についてであった。二人は並んで歩いていたが、将策の問いに千代之助は、歩を止めて立ち止まる。
「それを聞いて何とする?」
「どうもせぬ。ただ聞いておる」
千代之助は、何か罰の悪い表情で、すぐには言い出せずにいる様子だ。
「…あの傷は、俺がつけた物だ。それ以上は聞くな」
少しの沈黙の後、千代之助はそう言うと、将策を追い越すように急に歩を速めた。この件について、それ以上、二人が会話をすることは無かった。
武田敬孝宅に着いてから、もう一刻を過ぎていたのだが、話しは、一向に進んではいなかった。何故かと問えば、一つの答えが、将策から返ってくるだろう。
(喋り過ぎじゃ、この爺さんは…)
と心中で将策が思っているだろうと、千代之助は確信していた。武田敬孝は、この時、四十代半ばの年齢ではあったが、白髪の多くなった頭髪と、皺の深まった顔に、よく喋るからか、そのしゃがれた声という特徴から、実年齢よりも老けて見えるのは確かであった。
一見して、学者や先生と言うのが、相応しい人物だ。そして、そんな敬孝を将策は、大の苦手と感じていた。
(この方はよくしゃべる。それに…)
「井上、お主、わしがまた喋り過ぎとるとでも思っておろうが?」
(人の心を見透かす…)
先に心を読まれた将策が苦笑いで、心の中で答えた。
「お主の顔にそう書いてあるわい。だいたいお主は、藩のお役目にかこつけて、わしの所には顔を出さずに、最近は、国嶋殿の所ばかりらしいじゃないか?」
図星を付かれて、将策はぐうの音も出ない。
「はい、国嶋奉行は、武田先生に次いで、立派な御仁です」
「うむ、国嶋殿が人物である事に異論は無い」
困り果てる将策を気遣い、千代之助が横から助け舟を出す。お蔭かそれがきっかけで、敬孝の機嫌も直ったのか、話しがようやく進み出した。
「藩内皆兵論」
というような事を敬孝は言った。
「身分に捉われず、有望な士を広く登用すべし。お主ら若人らとの連名にて、殿に建白仕る」
敬孝の言葉に、将策も千代之助も血が滾ってくるのを感じていた。脳天の奥底にズドンと一撃が加えられたかのような衝撃が走る。
「そうしなければ、諸外国には勝てぬ」
敬孝の意見に、将策は賛成であった。この国は長く平和が続き、戦乱を知らない。戦う事が、言わば仕事である武士でも、本当に人を斬った事がある者は、一握りであろう。
こんな国の状態で、しかも兵器でも、日常的な民の生活でも、総てにおいて、外国に引けを取る我が国が、負けない為には、今までの考え方や、習慣その物を壊していかなくてはいけないのかもしれない。
しかし、それと同時に、ある疑問が浮かんでくる。
「何故、先生だけのお名前ではいけないのですか?」
それが、将策の素直な疑問であった。敬孝は、大洲藩随一の知識人で、藩校である明倫堂の学長を務める。云わば、藩の知の代表者である。その男の名を記せば、藩主泰祉といえども、無視は出来ない筈であった。
「若い者の名があれば、若い藩主に想いが届くだろう」
敬孝はそういう言葉で説明をする。仮に武田敬孝一人の建白書を記せば、必ず目を通されるだろうし、重臣たちにも図られるだろう。
しかし、それでは、老婆心からと黙殺されかねない。特に敬孝は、事あるごとに、苦言を呈して憚らない人物である事は、大洲藩士で知らぬ者は居ないだろう事実だ。
「わしの不徳の致す所ではあるが、お主ら若人の力を借りたい。この通りじゃ」
敬孝はそう言うと、驚いた事に二人に頭を下げた。
敬孝のそんな姿を見た二人は、先生のこの国の行く末を案じる志に心を打たれたのだった。国を想うのに、歳や身分や、立場の違いなど、そんな事は、些末な事に過ぎないだろうと。
「先生、承知仕りました。どうか頭をお上げ下さい。我ら両人、先生の意に従いまする」
頭を上げた敬孝に、今度は二人が頭を下げる番であった。
「二人とも良くぞ言ってくれた。それでこそ、わしが見込んだ甲斐があった。命懸けの大仕事となるが、覚悟は出来ておるか?」
先生の問いに、頭を上げた二人はだまって頷いていた。
「ならば両名、もそっと近くに…」
その日、三名の志士は、遅くまで語り合うのだった。これからの藩の進むべき道を。そして、この国の行く末を。
(井上、学問は続けよ。そなたは、剣の道を究めたようだが、学問でも身を興せる男ぞ)
語り合う合間の都度に、敬孝は、将策にそう説いて聞かせた。何度も何度も繰り返し、まるで小姑の小言だと、自分でも呆れるぐらいの熱心さで。そして、そうする内に、三名の秘め事が形を成す。建白書が出来上がったのである。
将策と千代之助は、その翌日から、文字通り、藩内を駆け続けた。同志を募る為である。
駆けていると、時々、敬孝から言われた言葉が脳裏によぎっては、将策を苦笑させた。数日を駆けて、二人は敬孝が認めた建白書に、二十七名からなる藩士有志者連署を集めた。
そして、満月が次の日に迫ったある晩の夜、二人の姿は、大洲藩内から消えた。脱藩したのである。文久三年七月十五日の事であった。
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ある日、信長の嫡男、奇妙丸と知り合った勝蔵。奇妙丸の努力家な一面に惹かれる。
一方奇妙丸も、媚びへつらわない勝蔵に特別な感情を覚える。
同じく奇妙丸のもとを出入りする勝九朗や於泉と交流し、友情をはぐくんでいくが、ある日を境にその絆が破綻してしまって――。
織田信長の嫡男・信忠と仲間たちの幼少期のお話です。以前公開していた作品が長くなってしまったので、章ごとに区切って加筆修正しながら更新していきたいと思います。
戦後戦線異状あり
一条おかゆ
歴史・時代
欧州大戦に勝利した多民族国家、二重帝国。アンゲリカ・ミッターマイヤーは秘密兵科である魔術師として大戦に従事し、現在は社会主義者や民族主義者を鎮圧する『防禦隊』の中隊長。
しかし、そんなアンゲリカは戦時下に摂取した、魔力を魔元素へと変えて魔術の行使を可能にする石、第四世代魔石の副作用に苛まれていた。
社会主義と民族主義が蠢く帝都ヴィエナで、彼女は何を見て何を感じていくのか──
賞に投稿いたしました作品です。九万字前後で終わります。
散華-二本松少年隊・岡山篤次郎-
紫乃森統子
歴史・時代
幕末、戊辰戦争。会津の東に藩境を接する奥州二本松藩は、西軍の圧倒的な戦力により多くの藩兵を失い、進退極まっていた。寡兵ながらも徹底抗戦の構えを取る二本松藩は、少年たちの予てからの出陣嘆願を受け、13歳以上の出陣を認めたのだった。後に「二本松少年隊」と呼ばれる少年隊士たちの一人、岡山篤次郎を描いた作品です。
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
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