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一期一会
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道後平野に降り注いだ石鎚おろしは、今朝には止んでいた。こうは、いつものように、家人の誰よりも早く起きると、まだ陽も登らない内から、竈に火をおこした。外に出ると、背中をうんと伸ばしながら、両手を真上に上げる。ぶるぶるっと身体の芯から凍えそうな冷気に、今度は身体を縮こまらせた。
見れば、石鎚山の頂上付近で雪化粧をしているのが、暗がりでも分かる。どうりで寒い筈だと納得した。石鎚おろしが運んできた冷気が作り出した霜で、辺り一面が真っ白に染まっていた。かじかむ両手に、息を吹きかける。外気と息との温度差で、あかぎれのある箇所が疼いた。
「今日は大根だ。だんだん(ありがとう)」
小作人の作兵衛が、昨夜の内に軒先に置いてくれていた、いささか小振りな大根を桶の水で洗う。桶の上面に薄く張っていた氷を取り除くと、優しく大根を手洗いする。今年の冬物の野菜は、秋に降った大雨のせいで、育ちが今一つだと、作兵衛が教えてくれた。だけど、五人しか居ないこうの家では、これで十分ありがたい。こうの家は、土地持ちの百姓であったが、明治になって、土地の売買に成功して、富を得ていた。
「まだ出来てないのかい?」
起きて来た祖母のやえが、こうを叱る。グズグズしていると、お天道様が登ってしまうよと、口やかましく、こうを急かす。はいただいまと、手際よく味噌汁を椀に注ぐ。
「お前は、親孝行のおこうなのだからね」
やえの口癖である。私は親孝行をする為に産まれてきたおこうだから、うんと働いて、親孝行しなくちゃいけない。
こうの母親は、こうを産んで数日後に亡くなっていた。姑のやえから、お産の際に、難産となるぬよう日頃から動いて、お腹の子を太らせぬようにと、きつく言い渡されていた。
子は産まれてから太らすもので、産まれる前に太らすのは、母親の身体によくないと。こうの母は、その言いつけを従順に守り、食事の量を減らし、身体を休ませぬように、湯船に浸からず、毎日小作人と一緒に畑仕事に出た。
そして、臨月を迎えたある日の事である。大きなお腹を抱えながら、いつものように、畑仕事をしていた母は、運悪く山で一人の時に破水し、予定よりも早く、そのままこうを産んだのだった。そして、産まれてすぐの赤子を懐に抱えて、自力で家に辿り着くと、そのまま倒れてしまい、その数日後に亡くなってしまった。
以来、こうは祖母のやえが、母親代わりとして育てていたのだった。
「おこう御免ね。何もかも一人でさせて」
継母のたえがすまなそうな顔をする。その横で、母違いの弟一郎が、飲んだ味噌汁をこぼしている。たえが一郎を産んだ日の事である。
その日、いつもと違う家の様子に、まだ幼かったこうは、何だか心が落ち着かず、玄関の戸に立てかけてあった竹ぼうきで、庭を掃いてみたりしていた。それから、掃除に飽きたこうは、竹ぼうきの柄竹の部分を逆さまにして、玄関口に置いて、外へ遊びに行ってしまった。夕方、帰ってきたこうは、やえに竹ぼうきを逆さまに置いたのはお前かと詰られる。
「お蔭で産まれるのに苦労したよ」
そう言って、その竹ぼうきで何度も打ち据えらえた。この地域では、家の者がお産の際に、箒を逆さに置くと、逆子になって産まれてくるという言い伝えがあった。一郎は逆子で産まれてきた。
おこうが箒を逆さに置いたせいで、一郎は少し呆けた子で産まれてきてしまったと、やえに何度も小言を言われる羽目になってしまった。継母のたえは、難産が祟って、それから病みがちとなってしまった。それもこれも皆おこうのせいだと、やえは言うのだ。
「母さん、もうそれぐらいに」
父の啓太郎が庇ってくれる。優しい父であるが、畑仕事をしている姿をこうは見たことがない。いつも朝食を終えると、どこかに出掛けて行って、夕食時には戻ってくる。こうには、全く関心を示さぬどこか他人のような印象の父であった。
「お父さんが生きていたら、きっと許しゃしないよ」
大きな音を出してたくわんを噛みながら、やえの小言は今日も続いていく。祖父の又吉は、こうが産まれた年に、コレラに罹って亡くなってしまった。祖母のやえは、未だにその事を悔いている様子で、毎日のように祖父の名を口にする。
又吉は、代々の土地持ち百姓の子として産まれたが、明治の世になり、地租改正によって、税金逃れの為に土地を手放す者から土地を買って、またその土地を高値で売って、富を築いた。だから、こうたちが今暮らす家も、この村では大きな屋敷と言っていい。
しかし、祖父の真似をして、土地ころがしで財を増やそうと考えた啓太郎は、父に似ず、多くの土地と財を失ってしまったのだ。あの家も坊ちゃんの代で終わりよと、村人に陰口を叩かれている事を知っているやえには、それが悔しくて堪らず、今でも又吉の英姿と、羽振りのよかった時代を忘れられないのだろう。
「これを持っていきな。あのお屋敷の角を曲がった家だよ」
やえにせっつかれるように、こうは家を飛び出した。その家にいる男に渡してくりゃいいんだよと、風呂敷を抱えて走るこうの背中にまだ小言を言っている。
「失礼のないように、先生に宜しくとお伝えしなさい」
道の途中で、帰りがけの啓太郎に会うと、そんな事を言われた。こうには、父の言う先生が誰なのか分からなかったが、何だか父に大事な頼まれごとをされたみたいで、その事が嬉しかった。
「こんにちは」
お屋敷で大きな庭木の剪定をしていたおじさんに声を掛ける。数年前まで、空き家だったこの屋敷に移り住んできた隣村の元庄屋の家の人だという事は、こうも知っていた。角を曲がると、一軒の小さな東家があった。元々は、このお屋敷の使用人が数名暮らしていた物らしい。
「御免下さい。御届け物にあがりました」
入口は開いていたので、そのまま土間へ入って声を掛けた。家の中は、昼間でも薄暗く、そんなに大きな家でもない筈なのに、奥がよく見えない。
「どちら様ですか?」
暗闇の奥から、動く声がする。こうはそれだけで、何やら恐怖を感じ後ずさりする。
「啓太郎の娘こうです」
早口で名乗ると、ここに置いておきますと、上り框の上に風呂敷をそっと置いた。そのまま家を出ようとする。
「待ちなさい、慌てずともよい。その風呂敷を開けてみなさい」
暗闇から現れたその男は、髪は真っ白で、とても痩せていた。それがより男を年老いて見せていたのかもしれない。しかし、その声はとても落ち着いていて、その目は穏やかであった。
そして、首には手ぬぐいが巻かれている。こうは、暗闇から現れたのが、恐怖の欠片もない「先生」である事を悟り、恥じ入る気持ちでいっぱいになった。その恥ずかしい気持ちを悟らせない為か、急いで風呂敷を開ける。
「やはり小蜜柑か。家の中にも風呂敷から良い香りが漂ってきておりました。私は小蜜柑が好物だから、お前の父がよこしたのだろう」
先生はそう言うと、小蜜柑を一つ取り出して皮を剥くと、半分をこうに差し出す。こうは慌てて遠慮するが、先生はこうの両手をしっかりと握ると、その平に小さな蜜柑を置くのだった。
遠慮気味に受取り、礼を言うと、実を一つ口に含む。とたんに口の中いっぱいに蜜柑の甘みが広がる。蜜柑など、めったに食べられない。一つをすぐに食べてしまうと、もう抑える事が出来ない。急いで全てを平らげてしまった。
「良く食べる子だ。よかったら、これも食べなさい」
先生はこうの食べる所を嬉しそうに見ている。最初の不安など余所に、こうも何だか楽しい気分になっていた。こうが持ってきた蜜柑を三個食べ終わった頃、先生は少し待っていなさいと外に行ってしまった。
少しして戻って来ると、上り框に座れという。こうが戸惑いながらも腰を降ろすと、沸かした湯を桶に入れる。そこに手を入れろという。
「この乾燥させておいた蜜柑の皮と一緒に手を揉めば良くなります」
先生は、あかぎれだらけのこうの小さな両手を揉んでくれた。ゆっくり、ゆっくりとほぐして、蜜柑の皮を摺り込んでいくように、丁寧に何度も揉むのだった。
「年はいくつですか?」
「十二です」
「学校は行かないのですか?」
「学校まで遠いし、家には弟がおりますので。女の私まではいけません」
それに私が学校に通えば、家の仕事をする人間がいなくなりますから。そういう事をこうは先生に話した。こうの言葉に先生はそうかとだけ答えると、少し悲しそうな表情を浮かべた。
「次は足です」
今度はしもやけが数か所出来ている足の指を揉むほぐす。
「先生、ありがとうございました」
先生が揉んでくれた手足は、少しむず痒くなったようであった。でも手足も心も少し軽くなったような気がしていた。蜜柑の身と交換するように、先生が残りの乾燥した蜜柑の皮を持たせてくれた。こうはそれを風呂敷に包むと、大事そうに懐にしまうのだった。
その日から、先生への御届け物はこうの仕事となった。それは決まった日にある訳ではなく、数日後の時もあれば、連日続けてという事もあった。小蜜柑のような食べ物から、重たい本など、御届け物の中身は様々であった。先生は食べ物よりも、難しくてこうにはとても内容が分からないような本を届けた時に、より嬉しそうな顔をした。
そして、時には、その本の内容を読んで聞かせてくれるのだが、つい先日読んでもらった「学問のすすめ」という本は、聞くだけで、頭がクラクラして、沸いてきそうだった。
こうは、全く読み書きが出来ない訳ではなかったが、漢字は全くと言っていいほど分からなかった。それが恥ずかしい事という気持ちはあったが、女は学問などしなくてよいとやえから言われて、家の仕事ばかりしていては、夜はへとへとで、すぐに寝てしまって、本を読んで学問など出来る時間は、とても取れそうになかった。でも本は好きで、先生にはああ言ったけれど、本当は学校にだって行ってみたいと思っていた。だから、こうは思い切って切り出したのだ。
「先生、私に学問を教えて頂けませんか」
こうにとって、先生の所に御届け物をして、少し身の回りの掃除などをしているこの時間だけが、日常を忘れて、自分の世界を広げられる機会であった。しかし、そんなこうの願いを先生は俯き、右手を顎に置いて、暫く思案した後で、
「私は一度死んだ人間だから、それは難しいのです」
そう言ったのだ。それは、こうにとって、明確に拒絶されるよりも、或いは辛い答えだったかもしれない。先生はそれを口にした後は、ずっと黙って俯いているだけだった。こうは、居た堪れなくなって、そのまま何も言わず、逃げだすように走り去るのだった。走りながら、涙が後から後から流れてくる。それが、どういう理由であるのか、自分にも理解出来なかった。
(先生は何であんな事を言ったのだろう?)
ぐるぐると頭の中で、様々な言葉が込み上げては、生まれる前に弾けて消えていくみたいだ。きっとお前のような者が、学問など出来るものかと思われたのだ。私は孝行して生きていかなきゃいけない。だって私の名前は「おこう」なのだから。
それからというもの、先生の所に行くのが何だか億劫になって、届け物を頼まれても、上手くはぐらかせて逃げたり、早朝に行って、軒下に置いて帰ったり、先生と顔を合わさないで済みようにしながら、暮らしていたのだった。
「おこう久しぶりだな」
「修二郎兄様」
ある日、こうが畑仕事の手伝いを終えて帰って来ると、そこには懐かしい顔があった。全く予期せぬ驚きであったが、それは嬉しい驚きであった。修二郎は、啓太郎の妹の子であるが、縁戚の士族の養子となっていた。
そして、常磐会を通じて、東京の大学予備門に通う秀才でもある。こうが幼子の頃から、何度もこの家に来ては、共に遊んでくれた兄の居ないこうにとっては、修二郎は実の兄であった。
「お婆様御無沙汰しております。修二郎は松山に帰って参りました」
「ご立派になられた。背が高くなった」
颯爽とした洋服の出立ちで、深々と頭を下げる孫をやえは満足そうな笑みを浮かべて出迎える。それは、こうには、決して向けられた事のない穏やかな表情であった。修二郎を輪にして、笑顔の輪が広がる。その笑いを背に、こうは修二郎から貰った土産の一つの小豆を元に、おはぎを作っていた。東京からの帰りに立ち寄った広島で求めた物だという。
本当は上野にある流行の餡子が中に入った饅頭を買いたかったが、松山までは日持ちしない為、諦めていたのを小豆ならと買ってきてくれたのだ。霜が降りる季節は、小豆が手に入りにくいから、乾燥小豆でもとてもありがたい。味付けに使う砂糖は貴重なので、一粒も無駄に出来ない。小豆を煮ていくと、甘く香ばしい匂いが家中に広がっていく。
「陸蒸気に乗って横浜まで行きました。松山にもその内、道後‐三津浜までの鉄道が出来ると聞いております」
修二郎の東京話しは、どれも煌びやかな色彩を帯びているみたいで、松山の田舎ぐらいのこう達には、どこか浮世離れしているように思えた。陸蒸気に乗れば、一日歩く距離もあっという間に着いてしまうし、東京の人は、修二郎みたいに洋服を着こなして、馬車に乗って、仕事や学校に通うというのだ。
「何だか、話しを聞くだけで目がくらくらしてくるみたい」
今日は少し身体の調子が良く、こうの炊事を手伝ってくれているたえが、頭に手をやる。たえの気持ちが良く分かる。幼い時から知っている修二郎が、まるで、お伽噺話の国の登場人物になったみたいで、違う世界に迷い込んだように思えるのだ。
「おこう、おはぎは余っているかい?とても美味しかったから、これから先生の所に持っていってあげたいのだが」
急な修二郎の申し出に、こうは何も言えなずにいたが、それはいい。是非そうしなさいと啓太郎が同意した。おこうも修二郎と一緒に行っておいでと言われ、断る術のないこうは、準備をするのだった。
「先生には、養子に行く前に習っていてね。その頃は、この辺りには学校も無かったから、先生にはとてもお世話になったよ」
歩きながら、先生との話しをこうに聞かせてくれる。どんどんと学校が出来た時に、先生は、手習いを辞めたと聞いたよ。
「今からもう十年前の話しだ。僕はまだ子供だったから余り知らないけど、あんな事があったから…」
修二郎は、それ以上何も言わず黙ってしまった。沈黙のまま歩くと、先生の離れに着いてしまった。こうは話の続きが気になったが、先生が何故先生と呼ばれているのかを知って、少し嬉しい気持ちになっていた。
「先生、御無沙汰しております。修二郎でございます」
「何とまあまあ」
奥の部屋より、先生はすぐに出てきて、修二郎の肩に手をやると、目を細めて笑っている。先生と修二郎との再会を邪魔したくないのと、先生に会うのが気まずい事もあって、こうは頼まれてもいないのに、掃除と夕餉の支度を始めていた。奥の部屋では、二人が何やら難しい話をしている。
「先生、つい先日、伊藤博文が総理大臣になって、太政官は終わりました。これからは、内閣制の世となります」
先生は、修二郎の土産話を夢中で聞きながら、土産のおはぎをすぐに二つ平らげた。
「松山にも鉄道が敷かれる。これから、どんどん世の中は変わっていきますね。修二郎、お前は昔から賢い子でした。これからも勉学に励み、末は大臣か学者か、これからが楽しみです」
先生はそう言うと、修二郎に酒を勧める。しかし、せっかく誉めて貰った修二郎は、それ以上は何も言わず、話を逸らすのだった。
「先生、こちらが東京土産です」
修二郎がそう言って差し出したのは、一冊の本とシルクで出来た綺麗な柄のスカーフであった。横浜で流行の店より買った品物だ。修二郎がそのスカーフを手に取ると、先生はいつも首に巻いている手ぬぐいをスルリと取る。すると、先生の首には、くっきりと赤紫色に変色した痣がついていた。そして、スカーフを受け取ると、それを首に巻いてみせる。
「よくお似合いです。なあ、おこう」
修二郎がせっかく、こうに促したのだが、こうは先生の恰好を見て、笑いを堪えるのに必死で固まってしまい、首を振るしか出来なかった。だって、そのスカーフは、赤と橙色の縞模様が入った物で、着物姿の先生が付けると、そこだけ、色が浮き上がって見えるのだ。
それはまるで、
「まるで、金魚みたいで、良い色です」
修二郎がそう言うと、こうは堪りかねて笑い転げてしまった。修二郎に悪気は無く、これが本当に良いと思っての事だったのだが、こうが笑うのを先生は最初照れて、それから釣られるように笑ってしまったのだった。
「これは、よく手に入りましたね」
こうは、まだ笑いが止まらない様子であったが、先生はもう一つの土産物に興味が移った様子だ。その本は、当世書生気質と書かれた小説であった。
「はい、先生が手紙を下さったので、手に入ればと」
今度は誉められて嬉しいのか、照れくさそうに頭を掻く。先生はもうすでに本を捲っていた。
「おこうよ、私が読み終わったら、貸してあげるから、お前も是非読んでみなさい」
不意に先生に言われて、その場に座り直す。
「でも先生、私読み書きが苦手で、いつ読み終わるか、知れません」
それではかえって、ご厚意がご迷惑に変わるようで、申し訳ないのですと、こうは寂しげに断るのだった。
「先生、今は手習いを教えてはないのですか?他に教える子が居ないのなら、このおこうに、どうか教えてやっては貰えないでしょうか?」
二人のやり取りを見ていた修二郎は、恩師にお願いする。頭を下げる従兄を見て、こうは心の中で、お願い修兄止めてと何度も言っていたのだった。一度断られているこうにとって、もう一度、しかも修二郎と一緒に居る時に断れるのは、穴があったら、飛び込むしかなくなる。
先生は、修二郎からの申し出を顎に手をやり、目を瞑って考えている様子だった。
「修二郎、お前も知っての通り、私は一度死んだ人間だよ。それを学校が出来た今も、人様に物を教えるなど、おこがましい事です」
それが、先生がこうの頼みを断った理由であった。しかし、そんな先生の考えも、修二郎は諦めなかった。
「ならば、このおこうが先生の身の回りのお手伝いを致します。その対価として、おこうに手習いを教えるのは如何か?」
これならば、誰に憚る事もないでしょうと修二郎は言った。そして、最後にこう付け加えた。おこうは、賢い子です。きっと先生のお目に適いましょうと。
「分かりました。修二郎がそこまで言うのならば。おこう、宜しく頼みます」
先生の教え方は厳しいぞ、覚悟致しなさいという、修二郎の声が聞こえてはいたが、こうは、嬉しくて、嬉しくて、それよりも、何故自分が泣いているのか分からなくなって、ただただ「だんだん、だんだん」と、そればかり繰り返すしかなかったのだった。
「明日は一緒に松山城に行くよ。堀之内に駐屯する兵隊さんを見に行こう」
昨日おはぎを食べながら、修二郎が一郎に言った事で、こうも松山城へ行く事となった。朝から三人分のお弁当を作りながら、いつものように、一郎の世話を焼いていると、修二郎が迎えに来てくれた。
一郎は、昨日だけで、すっかりと修二郎を気に入った様子で、兄(あに)さん、兄さんとまとわりついて離れようとしない。人見知りの激しいこの子にしては珍しい。修二郎が、一郎の手を引いて歩いてくれるので、こうはいささか楽が出来た。
松山の冬は、石鎚おろしの風が運ぶ雲の欠片と共に、足早に流れていく。うかうかと歩いていると、寒い季節に、このまま取り残されてしまいそうになる。田園風景が広がるあぜ道を進むと、畑に撒いた麦が芽を出し、辺り一面が、新芽の若緑に染まっているのが目に入った。
「大雨の時には、この辺りが湖みたいになったの」
秋に降った大雨の被害は、米の収穫時期と重なって、相当な被害があったという。こうも作兵衛ら小作人と一緒に、仲間の田を助ける為、手伝いに行ったが、その際に見た湖の風景は、不謹慎ながらも、感動する程綺麗な物だった。それから、僅かな間に、あれ程荒れ果てた土地が、もうここまで回復している。人の営みと、自然の恵みはとかく逞しい。
「あれは何をしているの?」
一郎が不思議そうに畑を指差す。そこでは、数名のお百姓さんたちが、麦踏みをしている最中であった。丈夫に育てる為とはいえ、せっかく芽を出したら、人に踏まれるのだから、麦からすれば、こんなに理不尽な事はないように思える。
「だけど、とっても必要な事なのだよ」
修二郎は優しく一郎に話して聞かせてくれる。そんな二人の後ろを、こうはお弁当が入ったお重箱を大事そうに抱えて付いてゆく。とても恰好の良い洋服姿の修二郎を着物しかきた事のないこうが一緒に歩けば物笑いになりそうで、いささか恥ずかしい。だから、今日は、一郎が居て良かったと思っていた。
松山城は、松山の中心にある勝山の頂きに天守を建てた山城で、城からは、松山平野を一望出来て、西には瀬戸内海が見える。
「あそこから、船に乗っていくのだよ」
三津浜の方向を指しながら、一郎を肩車した修二郎は、まるで若い父親のようだ。そして、そんな親子の傍らに居る自分は、若い母親には見えないかな?
「ちっとも疲れてないよ」
こうのささやかな空想を一郎の元気いっぱいの声がかき消した。本当に疲れていないみたいで、あんなにすぐ弱音を吐く子が、城山を一人で登りきった。お城は、明治三年に三の丸が、そして、翌年には二の丸が失火による火災で焼失してしまっていた。しかし、今はその場所が広場となって、市民の憩いの場となっていた。
「あそこに兵隊さんたちが、いっぱいいるのが見えるかい?あれが、歩兵第一大隊だよ」
肩車をされた一郎の眼の先には、陸軍の兵隊たちが、一糸乱れぬ軍事訓練に勤しんでいる様が映し出されていた。
「修二郎兄様は、兵隊を見たかったの?」
お弁当のおにぎりを一郎に手渡す。すると、いただきますも忘れて、お腹を空かせた一郎は、そのおにぎりに噛り付いて、すぐに平らげてしまった。
「そうだ。一度この目で見ておきたくて、それで帰ってきた」
修二郎もおにぎりを口に入れる。美味しいと言ってくれて、こうはほっとした。
「修二郎じゃないか?なんじゃ、君も松山に戻ってきていたのか」
三人がお弁当を広げていると、そう言って、一人の青年が近づいて来る。その青年は、目が細長で、黒い学生服に下駄を履いており、マントを靡かせて、颯爽とした足取りをしていた。
「のぼるさんか?どうして君が」
修二郎とのぼるさんと呼ばれた青年は、お互い手を取り合って再会を喜び合った。
「修二郎は、ブラウンのチェックのスーツか?松山に帰る為に、横浜辺りで仕立てたんじゃろ?きまっとるのう」
のぼるさんの指摘が当っていたのか、修二郎は照れくさそうに手をぶらぶらとしている。修二郎が着ている洋服がスーツという物だと、こうは始めて知った。二人の会話に異国の言葉が次々に行き交いしていて、よく聞き取れない事ばかりだ。
「あし(自分)は、俳句をやるぞ。これからは俳句よ」
のぼるさんは、城の石垣に手を置いて、まるでこれから写真を取るような恰好をしながら話す。修二郎もおやりんかな?俳句を一緒におやりんかな?そう何度も言う。その独特な言い回しがどうも可笑しく、その手を置く恰好と相まって、何とも愛嬌を感じさせる。
「僕は兵隊になるよ」
修二郎は力強く宣言した。こうは、修二郎の言葉にとても驚いていた。先生も修二郎兄様は、末は大臣か学者だと言っていたのだから。
「なんじゃ、修二郎も兵隊か?まるで彼のようじゃのう」
学者では食っていけないからね。文学でもそう。僕は養子だから、仕送る人が多いからね。のぼるさんが羨ましいと、修二郎は、初めて人に自分の心の内を話したのだった。
「それに彼と約束したんだ。僕は陸軍に行く。彼は海軍、二人でこの国を守るのさ」
そう言うと、修二郎はこうと一郎の肩に手を置き、自分の元へ抱き寄せる。僕の仕事が、この子たちを守る事になるんだ。肩に置いた手に力がこもるのが感じられた。少し痛くはあったが、何故か心地良く、耐えられない痛さではなかった。
「君が退官したら、予備門の皆も呼んで、この城山で俳句会をしよう」
約束だと言って、のぼるさんは城を降りて行った。歩きながら、一句読もうと試みているのか、ブツブツ一人で言っては、時折頭を掻いているのだった。
見れば、石鎚山の頂上付近で雪化粧をしているのが、暗がりでも分かる。どうりで寒い筈だと納得した。石鎚おろしが運んできた冷気が作り出した霜で、辺り一面が真っ白に染まっていた。かじかむ両手に、息を吹きかける。外気と息との温度差で、あかぎれのある箇所が疼いた。
「今日は大根だ。だんだん(ありがとう)」
小作人の作兵衛が、昨夜の内に軒先に置いてくれていた、いささか小振りな大根を桶の水で洗う。桶の上面に薄く張っていた氷を取り除くと、優しく大根を手洗いする。今年の冬物の野菜は、秋に降った大雨のせいで、育ちが今一つだと、作兵衛が教えてくれた。だけど、五人しか居ないこうの家では、これで十分ありがたい。こうの家は、土地持ちの百姓であったが、明治になって、土地の売買に成功して、富を得ていた。
「まだ出来てないのかい?」
起きて来た祖母のやえが、こうを叱る。グズグズしていると、お天道様が登ってしまうよと、口やかましく、こうを急かす。はいただいまと、手際よく味噌汁を椀に注ぐ。
「お前は、親孝行のおこうなのだからね」
やえの口癖である。私は親孝行をする為に産まれてきたおこうだから、うんと働いて、親孝行しなくちゃいけない。
こうの母親は、こうを産んで数日後に亡くなっていた。姑のやえから、お産の際に、難産となるぬよう日頃から動いて、お腹の子を太らせぬようにと、きつく言い渡されていた。
子は産まれてから太らすもので、産まれる前に太らすのは、母親の身体によくないと。こうの母は、その言いつけを従順に守り、食事の量を減らし、身体を休ませぬように、湯船に浸からず、毎日小作人と一緒に畑仕事に出た。
そして、臨月を迎えたある日の事である。大きなお腹を抱えながら、いつものように、畑仕事をしていた母は、運悪く山で一人の時に破水し、予定よりも早く、そのままこうを産んだのだった。そして、産まれてすぐの赤子を懐に抱えて、自力で家に辿り着くと、そのまま倒れてしまい、その数日後に亡くなってしまった。
以来、こうは祖母のやえが、母親代わりとして育てていたのだった。
「おこう御免ね。何もかも一人でさせて」
継母のたえがすまなそうな顔をする。その横で、母違いの弟一郎が、飲んだ味噌汁をこぼしている。たえが一郎を産んだ日の事である。
その日、いつもと違う家の様子に、まだ幼かったこうは、何だか心が落ち着かず、玄関の戸に立てかけてあった竹ぼうきで、庭を掃いてみたりしていた。それから、掃除に飽きたこうは、竹ぼうきの柄竹の部分を逆さまにして、玄関口に置いて、外へ遊びに行ってしまった。夕方、帰ってきたこうは、やえに竹ぼうきを逆さまに置いたのはお前かと詰られる。
「お蔭で産まれるのに苦労したよ」
そう言って、その竹ぼうきで何度も打ち据えらえた。この地域では、家の者がお産の際に、箒を逆さに置くと、逆子になって産まれてくるという言い伝えがあった。一郎は逆子で産まれてきた。
おこうが箒を逆さに置いたせいで、一郎は少し呆けた子で産まれてきてしまったと、やえに何度も小言を言われる羽目になってしまった。継母のたえは、難産が祟って、それから病みがちとなってしまった。それもこれも皆おこうのせいだと、やえは言うのだ。
「母さん、もうそれぐらいに」
父の啓太郎が庇ってくれる。優しい父であるが、畑仕事をしている姿をこうは見たことがない。いつも朝食を終えると、どこかに出掛けて行って、夕食時には戻ってくる。こうには、全く関心を示さぬどこか他人のような印象の父であった。
「お父さんが生きていたら、きっと許しゃしないよ」
大きな音を出してたくわんを噛みながら、やえの小言は今日も続いていく。祖父の又吉は、こうが産まれた年に、コレラに罹って亡くなってしまった。祖母のやえは、未だにその事を悔いている様子で、毎日のように祖父の名を口にする。
又吉は、代々の土地持ち百姓の子として産まれたが、明治の世になり、地租改正によって、税金逃れの為に土地を手放す者から土地を買って、またその土地を高値で売って、富を築いた。だから、こうたちが今暮らす家も、この村では大きな屋敷と言っていい。
しかし、祖父の真似をして、土地ころがしで財を増やそうと考えた啓太郎は、父に似ず、多くの土地と財を失ってしまったのだ。あの家も坊ちゃんの代で終わりよと、村人に陰口を叩かれている事を知っているやえには、それが悔しくて堪らず、今でも又吉の英姿と、羽振りのよかった時代を忘れられないのだろう。
「これを持っていきな。あのお屋敷の角を曲がった家だよ」
やえにせっつかれるように、こうは家を飛び出した。その家にいる男に渡してくりゃいいんだよと、風呂敷を抱えて走るこうの背中にまだ小言を言っている。
「失礼のないように、先生に宜しくとお伝えしなさい」
道の途中で、帰りがけの啓太郎に会うと、そんな事を言われた。こうには、父の言う先生が誰なのか分からなかったが、何だか父に大事な頼まれごとをされたみたいで、その事が嬉しかった。
「こんにちは」
お屋敷で大きな庭木の剪定をしていたおじさんに声を掛ける。数年前まで、空き家だったこの屋敷に移り住んできた隣村の元庄屋の家の人だという事は、こうも知っていた。角を曲がると、一軒の小さな東家があった。元々は、このお屋敷の使用人が数名暮らしていた物らしい。
「御免下さい。御届け物にあがりました」
入口は開いていたので、そのまま土間へ入って声を掛けた。家の中は、昼間でも薄暗く、そんなに大きな家でもない筈なのに、奥がよく見えない。
「どちら様ですか?」
暗闇の奥から、動く声がする。こうはそれだけで、何やら恐怖を感じ後ずさりする。
「啓太郎の娘こうです」
早口で名乗ると、ここに置いておきますと、上り框の上に風呂敷をそっと置いた。そのまま家を出ようとする。
「待ちなさい、慌てずともよい。その風呂敷を開けてみなさい」
暗闇から現れたその男は、髪は真っ白で、とても痩せていた。それがより男を年老いて見せていたのかもしれない。しかし、その声はとても落ち着いていて、その目は穏やかであった。
そして、首には手ぬぐいが巻かれている。こうは、暗闇から現れたのが、恐怖の欠片もない「先生」である事を悟り、恥じ入る気持ちでいっぱいになった。その恥ずかしい気持ちを悟らせない為か、急いで風呂敷を開ける。
「やはり小蜜柑か。家の中にも風呂敷から良い香りが漂ってきておりました。私は小蜜柑が好物だから、お前の父がよこしたのだろう」
先生はそう言うと、小蜜柑を一つ取り出して皮を剥くと、半分をこうに差し出す。こうは慌てて遠慮するが、先生はこうの両手をしっかりと握ると、その平に小さな蜜柑を置くのだった。
遠慮気味に受取り、礼を言うと、実を一つ口に含む。とたんに口の中いっぱいに蜜柑の甘みが広がる。蜜柑など、めったに食べられない。一つをすぐに食べてしまうと、もう抑える事が出来ない。急いで全てを平らげてしまった。
「良く食べる子だ。よかったら、これも食べなさい」
先生はこうの食べる所を嬉しそうに見ている。最初の不安など余所に、こうも何だか楽しい気分になっていた。こうが持ってきた蜜柑を三個食べ終わった頃、先生は少し待っていなさいと外に行ってしまった。
少しして戻って来ると、上り框に座れという。こうが戸惑いながらも腰を降ろすと、沸かした湯を桶に入れる。そこに手を入れろという。
「この乾燥させておいた蜜柑の皮と一緒に手を揉めば良くなります」
先生は、あかぎれだらけのこうの小さな両手を揉んでくれた。ゆっくり、ゆっくりとほぐして、蜜柑の皮を摺り込んでいくように、丁寧に何度も揉むのだった。
「年はいくつですか?」
「十二です」
「学校は行かないのですか?」
「学校まで遠いし、家には弟がおりますので。女の私まではいけません」
それに私が学校に通えば、家の仕事をする人間がいなくなりますから。そういう事をこうは先生に話した。こうの言葉に先生はそうかとだけ答えると、少し悲しそうな表情を浮かべた。
「次は足です」
今度はしもやけが数か所出来ている足の指を揉むほぐす。
「先生、ありがとうございました」
先生が揉んでくれた手足は、少しむず痒くなったようであった。でも手足も心も少し軽くなったような気がしていた。蜜柑の身と交換するように、先生が残りの乾燥した蜜柑の皮を持たせてくれた。こうはそれを風呂敷に包むと、大事そうに懐にしまうのだった。
その日から、先生への御届け物はこうの仕事となった。それは決まった日にある訳ではなく、数日後の時もあれば、連日続けてという事もあった。小蜜柑のような食べ物から、重たい本など、御届け物の中身は様々であった。先生は食べ物よりも、難しくてこうにはとても内容が分からないような本を届けた時に、より嬉しそうな顔をした。
そして、時には、その本の内容を読んで聞かせてくれるのだが、つい先日読んでもらった「学問のすすめ」という本は、聞くだけで、頭がクラクラして、沸いてきそうだった。
こうは、全く読み書きが出来ない訳ではなかったが、漢字は全くと言っていいほど分からなかった。それが恥ずかしい事という気持ちはあったが、女は学問などしなくてよいとやえから言われて、家の仕事ばかりしていては、夜はへとへとで、すぐに寝てしまって、本を読んで学問など出来る時間は、とても取れそうになかった。でも本は好きで、先生にはああ言ったけれど、本当は学校にだって行ってみたいと思っていた。だから、こうは思い切って切り出したのだ。
「先生、私に学問を教えて頂けませんか」
こうにとって、先生の所に御届け物をして、少し身の回りの掃除などをしているこの時間だけが、日常を忘れて、自分の世界を広げられる機会であった。しかし、そんなこうの願いを先生は俯き、右手を顎に置いて、暫く思案した後で、
「私は一度死んだ人間だから、それは難しいのです」
そう言ったのだ。それは、こうにとって、明確に拒絶されるよりも、或いは辛い答えだったかもしれない。先生はそれを口にした後は、ずっと黙って俯いているだけだった。こうは、居た堪れなくなって、そのまま何も言わず、逃げだすように走り去るのだった。走りながら、涙が後から後から流れてくる。それが、どういう理由であるのか、自分にも理解出来なかった。
(先生は何であんな事を言ったのだろう?)
ぐるぐると頭の中で、様々な言葉が込み上げては、生まれる前に弾けて消えていくみたいだ。きっとお前のような者が、学問など出来るものかと思われたのだ。私は孝行して生きていかなきゃいけない。だって私の名前は「おこう」なのだから。
それからというもの、先生の所に行くのが何だか億劫になって、届け物を頼まれても、上手くはぐらかせて逃げたり、早朝に行って、軒下に置いて帰ったり、先生と顔を合わさないで済みようにしながら、暮らしていたのだった。
「おこう久しぶりだな」
「修二郎兄様」
ある日、こうが畑仕事の手伝いを終えて帰って来ると、そこには懐かしい顔があった。全く予期せぬ驚きであったが、それは嬉しい驚きであった。修二郎は、啓太郎の妹の子であるが、縁戚の士族の養子となっていた。
そして、常磐会を通じて、東京の大学予備門に通う秀才でもある。こうが幼子の頃から、何度もこの家に来ては、共に遊んでくれた兄の居ないこうにとっては、修二郎は実の兄であった。
「お婆様御無沙汰しております。修二郎は松山に帰って参りました」
「ご立派になられた。背が高くなった」
颯爽とした洋服の出立ちで、深々と頭を下げる孫をやえは満足そうな笑みを浮かべて出迎える。それは、こうには、決して向けられた事のない穏やかな表情であった。修二郎を輪にして、笑顔の輪が広がる。その笑いを背に、こうは修二郎から貰った土産の一つの小豆を元に、おはぎを作っていた。東京からの帰りに立ち寄った広島で求めた物だという。
本当は上野にある流行の餡子が中に入った饅頭を買いたかったが、松山までは日持ちしない為、諦めていたのを小豆ならと買ってきてくれたのだ。霜が降りる季節は、小豆が手に入りにくいから、乾燥小豆でもとてもありがたい。味付けに使う砂糖は貴重なので、一粒も無駄に出来ない。小豆を煮ていくと、甘く香ばしい匂いが家中に広がっていく。
「陸蒸気に乗って横浜まで行きました。松山にもその内、道後‐三津浜までの鉄道が出来ると聞いております」
修二郎の東京話しは、どれも煌びやかな色彩を帯びているみたいで、松山の田舎ぐらいのこう達には、どこか浮世離れしているように思えた。陸蒸気に乗れば、一日歩く距離もあっという間に着いてしまうし、東京の人は、修二郎みたいに洋服を着こなして、馬車に乗って、仕事や学校に通うというのだ。
「何だか、話しを聞くだけで目がくらくらしてくるみたい」
今日は少し身体の調子が良く、こうの炊事を手伝ってくれているたえが、頭に手をやる。たえの気持ちが良く分かる。幼い時から知っている修二郎が、まるで、お伽噺話の国の登場人物になったみたいで、違う世界に迷い込んだように思えるのだ。
「おこう、おはぎは余っているかい?とても美味しかったから、これから先生の所に持っていってあげたいのだが」
急な修二郎の申し出に、こうは何も言えなずにいたが、それはいい。是非そうしなさいと啓太郎が同意した。おこうも修二郎と一緒に行っておいでと言われ、断る術のないこうは、準備をするのだった。
「先生には、養子に行く前に習っていてね。その頃は、この辺りには学校も無かったから、先生にはとてもお世話になったよ」
歩きながら、先生との話しをこうに聞かせてくれる。どんどんと学校が出来た時に、先生は、手習いを辞めたと聞いたよ。
「今からもう十年前の話しだ。僕はまだ子供だったから余り知らないけど、あんな事があったから…」
修二郎は、それ以上何も言わず黙ってしまった。沈黙のまま歩くと、先生の離れに着いてしまった。こうは話の続きが気になったが、先生が何故先生と呼ばれているのかを知って、少し嬉しい気持ちになっていた。
「先生、御無沙汰しております。修二郎でございます」
「何とまあまあ」
奥の部屋より、先生はすぐに出てきて、修二郎の肩に手をやると、目を細めて笑っている。先生と修二郎との再会を邪魔したくないのと、先生に会うのが気まずい事もあって、こうは頼まれてもいないのに、掃除と夕餉の支度を始めていた。奥の部屋では、二人が何やら難しい話をしている。
「先生、つい先日、伊藤博文が総理大臣になって、太政官は終わりました。これからは、内閣制の世となります」
先生は、修二郎の土産話を夢中で聞きながら、土産のおはぎをすぐに二つ平らげた。
「松山にも鉄道が敷かれる。これから、どんどん世の中は変わっていきますね。修二郎、お前は昔から賢い子でした。これからも勉学に励み、末は大臣か学者か、これからが楽しみです」
先生はそう言うと、修二郎に酒を勧める。しかし、せっかく誉めて貰った修二郎は、それ以上は何も言わず、話を逸らすのだった。
「先生、こちらが東京土産です」
修二郎がそう言って差し出したのは、一冊の本とシルクで出来た綺麗な柄のスカーフであった。横浜で流行の店より買った品物だ。修二郎がそのスカーフを手に取ると、先生はいつも首に巻いている手ぬぐいをスルリと取る。すると、先生の首には、くっきりと赤紫色に変色した痣がついていた。そして、スカーフを受け取ると、それを首に巻いてみせる。
「よくお似合いです。なあ、おこう」
修二郎がせっかく、こうに促したのだが、こうは先生の恰好を見て、笑いを堪えるのに必死で固まってしまい、首を振るしか出来なかった。だって、そのスカーフは、赤と橙色の縞模様が入った物で、着物姿の先生が付けると、そこだけ、色が浮き上がって見えるのだ。
それはまるで、
「まるで、金魚みたいで、良い色です」
修二郎がそう言うと、こうは堪りかねて笑い転げてしまった。修二郎に悪気は無く、これが本当に良いと思っての事だったのだが、こうが笑うのを先生は最初照れて、それから釣られるように笑ってしまったのだった。
「これは、よく手に入りましたね」
こうは、まだ笑いが止まらない様子であったが、先生はもう一つの土産物に興味が移った様子だ。その本は、当世書生気質と書かれた小説であった。
「はい、先生が手紙を下さったので、手に入ればと」
今度は誉められて嬉しいのか、照れくさそうに頭を掻く。先生はもうすでに本を捲っていた。
「おこうよ、私が読み終わったら、貸してあげるから、お前も是非読んでみなさい」
不意に先生に言われて、その場に座り直す。
「でも先生、私読み書きが苦手で、いつ読み終わるか、知れません」
それではかえって、ご厚意がご迷惑に変わるようで、申し訳ないのですと、こうは寂しげに断るのだった。
「先生、今は手習いを教えてはないのですか?他に教える子が居ないのなら、このおこうに、どうか教えてやっては貰えないでしょうか?」
二人のやり取りを見ていた修二郎は、恩師にお願いする。頭を下げる従兄を見て、こうは心の中で、お願い修兄止めてと何度も言っていたのだった。一度断られているこうにとって、もう一度、しかも修二郎と一緒に居る時に断れるのは、穴があったら、飛び込むしかなくなる。
先生は、修二郎からの申し出を顎に手をやり、目を瞑って考えている様子だった。
「修二郎、お前も知っての通り、私は一度死んだ人間だよ。それを学校が出来た今も、人様に物を教えるなど、おこがましい事です」
それが、先生がこうの頼みを断った理由であった。しかし、そんな先生の考えも、修二郎は諦めなかった。
「ならば、このおこうが先生の身の回りのお手伝いを致します。その対価として、おこうに手習いを教えるのは如何か?」
これならば、誰に憚る事もないでしょうと修二郎は言った。そして、最後にこう付け加えた。おこうは、賢い子です。きっと先生のお目に適いましょうと。
「分かりました。修二郎がそこまで言うのならば。おこう、宜しく頼みます」
先生の教え方は厳しいぞ、覚悟致しなさいという、修二郎の声が聞こえてはいたが、こうは、嬉しくて、嬉しくて、それよりも、何故自分が泣いているのか分からなくなって、ただただ「だんだん、だんだん」と、そればかり繰り返すしかなかったのだった。
「明日は一緒に松山城に行くよ。堀之内に駐屯する兵隊さんを見に行こう」
昨日おはぎを食べながら、修二郎が一郎に言った事で、こうも松山城へ行く事となった。朝から三人分のお弁当を作りながら、いつものように、一郎の世話を焼いていると、修二郎が迎えに来てくれた。
一郎は、昨日だけで、すっかりと修二郎を気に入った様子で、兄(あに)さん、兄さんとまとわりついて離れようとしない。人見知りの激しいこの子にしては珍しい。修二郎が、一郎の手を引いて歩いてくれるので、こうはいささか楽が出来た。
松山の冬は、石鎚おろしの風が運ぶ雲の欠片と共に、足早に流れていく。うかうかと歩いていると、寒い季節に、このまま取り残されてしまいそうになる。田園風景が広がるあぜ道を進むと、畑に撒いた麦が芽を出し、辺り一面が、新芽の若緑に染まっているのが目に入った。
「大雨の時には、この辺りが湖みたいになったの」
秋に降った大雨の被害は、米の収穫時期と重なって、相当な被害があったという。こうも作兵衛ら小作人と一緒に、仲間の田を助ける為、手伝いに行ったが、その際に見た湖の風景は、不謹慎ながらも、感動する程綺麗な物だった。それから、僅かな間に、あれ程荒れ果てた土地が、もうここまで回復している。人の営みと、自然の恵みはとかく逞しい。
「あれは何をしているの?」
一郎が不思議そうに畑を指差す。そこでは、数名のお百姓さんたちが、麦踏みをしている最中であった。丈夫に育てる為とはいえ、せっかく芽を出したら、人に踏まれるのだから、麦からすれば、こんなに理不尽な事はないように思える。
「だけど、とっても必要な事なのだよ」
修二郎は優しく一郎に話して聞かせてくれる。そんな二人の後ろを、こうはお弁当が入ったお重箱を大事そうに抱えて付いてゆく。とても恰好の良い洋服姿の修二郎を着物しかきた事のないこうが一緒に歩けば物笑いになりそうで、いささか恥ずかしい。だから、今日は、一郎が居て良かったと思っていた。
松山城は、松山の中心にある勝山の頂きに天守を建てた山城で、城からは、松山平野を一望出来て、西には瀬戸内海が見える。
「あそこから、船に乗っていくのだよ」
三津浜の方向を指しながら、一郎を肩車した修二郎は、まるで若い父親のようだ。そして、そんな親子の傍らに居る自分は、若い母親には見えないかな?
「ちっとも疲れてないよ」
こうのささやかな空想を一郎の元気いっぱいの声がかき消した。本当に疲れていないみたいで、あんなにすぐ弱音を吐く子が、城山を一人で登りきった。お城は、明治三年に三の丸が、そして、翌年には二の丸が失火による火災で焼失してしまっていた。しかし、今はその場所が広場となって、市民の憩いの場となっていた。
「あそこに兵隊さんたちが、いっぱいいるのが見えるかい?あれが、歩兵第一大隊だよ」
肩車をされた一郎の眼の先には、陸軍の兵隊たちが、一糸乱れぬ軍事訓練に勤しんでいる様が映し出されていた。
「修二郎兄様は、兵隊を見たかったの?」
お弁当のおにぎりを一郎に手渡す。すると、いただきますも忘れて、お腹を空かせた一郎は、そのおにぎりに噛り付いて、すぐに平らげてしまった。
「そうだ。一度この目で見ておきたくて、それで帰ってきた」
修二郎もおにぎりを口に入れる。美味しいと言ってくれて、こうはほっとした。
「修二郎じゃないか?なんじゃ、君も松山に戻ってきていたのか」
三人がお弁当を広げていると、そう言って、一人の青年が近づいて来る。その青年は、目が細長で、黒い学生服に下駄を履いており、マントを靡かせて、颯爽とした足取りをしていた。
「のぼるさんか?どうして君が」
修二郎とのぼるさんと呼ばれた青年は、お互い手を取り合って再会を喜び合った。
「修二郎は、ブラウンのチェックのスーツか?松山に帰る為に、横浜辺りで仕立てたんじゃろ?きまっとるのう」
のぼるさんの指摘が当っていたのか、修二郎は照れくさそうに手をぶらぶらとしている。修二郎が着ている洋服がスーツという物だと、こうは始めて知った。二人の会話に異国の言葉が次々に行き交いしていて、よく聞き取れない事ばかりだ。
「あし(自分)は、俳句をやるぞ。これからは俳句よ」
のぼるさんは、城の石垣に手を置いて、まるでこれから写真を取るような恰好をしながら話す。修二郎もおやりんかな?俳句を一緒におやりんかな?そう何度も言う。その独特な言い回しがどうも可笑しく、その手を置く恰好と相まって、何とも愛嬌を感じさせる。
「僕は兵隊になるよ」
修二郎は力強く宣言した。こうは、修二郎の言葉にとても驚いていた。先生も修二郎兄様は、末は大臣か学者だと言っていたのだから。
「なんじゃ、修二郎も兵隊か?まるで彼のようじゃのう」
学者では食っていけないからね。文学でもそう。僕は養子だから、仕送る人が多いからね。のぼるさんが羨ましいと、修二郎は、初めて人に自分の心の内を話したのだった。
「それに彼と約束したんだ。僕は陸軍に行く。彼は海軍、二人でこの国を守るのさ」
そう言うと、修二郎はこうと一郎の肩に手を置き、自分の元へ抱き寄せる。僕の仕事が、この子たちを守る事になるんだ。肩に置いた手に力がこもるのが感じられた。少し痛くはあったが、何故か心地良く、耐えられない痛さではなかった。
「君が退官したら、予備門の皆も呼んで、この城山で俳句会をしよう」
約束だと言って、のぼるさんは城を降りて行った。歩きながら、一句読もうと試みているのか、ブツブツ一人で言っては、時折頭を掻いているのだった。
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