天下静謐~光秀奔る~

たい陸

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第二幕 幕府の鉄砲隊

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 光秀が幕府の足軽衆となり、藤孝付きとなってから幾日かがたった。

 光秀は、幕府に鉄砲隊を組織することを藤孝に進言し、藤孝もそれが必要なことを、了解していた。しかし、幕府にはやっぱり金がないのである。鉄砲自体が高価な上、また鉄砲を扱う人間を教育しなければいけない。

 そしてまだ問題があり、この時代に、日本全国を見渡しても、まだ鉄砲の必要性を考慮している者の方が少なかったのである。むろん幕府内でも反対の声が多く、その筆頭となるのが三好長慶だった。

 長慶が鉄砲隊の組織化を渋るのには理由があり、前記した通り、幕府には金がない。鉄砲には大量の投資が必要となる。そして、購入するとなると支払うのは三好家の懐に頼るところが多くなってしまうのだ。

 なぜ?鉄砲に投資をしなければいけないのか、という声があがり、そう簡単には鉄砲隊誕生とはいかない流れになってしまっているのが現状であった。

 仕方がないので、光秀は、ここ数日の内は、理解のある幕府内の人間を捕まえては、鉄砲の手ほどきをするようになっていた。今は、藤孝に教えているところだが、さながら鉄砲教の布教活動といった様子であった。

「明日は、重臣達の前で砲術披露の儀を行うそうだが、頭の固い連中を判らすためには、何か手立てが必要だぞ」

 藤孝は、鉄砲の標準を合わせる動作をしながら、横に控える光秀に聞いた。

「ふむ」
 そう言ったきり光秀は何も言わない。この頃になると、二人は上司と部下という関係を超えて、親友とも言って良いような間柄となっていた。
「そなたであれば、上手く行く気がするがな」

 そう言いながら、狙いをつけて勢いよく、藤孝は発砲したが、的より大きく外してしまった。
「まだまだ修練が必要ですな、兵部大輔殿」
 そう言って光秀は藤孝をからかうのだった。

「只今より、明智十兵衛による、砲術披露の儀を執り行う」
 翌朝、光秀は幕閣の重臣達が居並ぶ中、白州の場に立っていた。
「お主が明智十兵衛か?私が三好長慶だ。見知りおくがよい」

 居並ぶ重臣の中で、義輝の側近くで上位に座る男が口を開いた。
(この男が三好修理大夫か?)

 光秀は、重臣達に一礼しながらも、目線を長慶に走らせていた。すると、長慶の横の端に一人の男が鋭い眼光で、こちらに睨みを効かせて座っているのが見えた。光秀は、その男と目が合ったが、その男は、その鋭い眼光を決して緩めようとはしなかった。

(誰だ!あの男は?)
 心の中で光秀は思ったが、重臣の一人でもなさそうだし、名乗りもしないので光秀には分からなかった。そんな中、光秀による砲術披露は始まった。

 まず、光秀が鉄砲に弾を込めて的に向かって構えると、一同から驚きの声があがった。通常の射撃よりも倍の距離を取っていたからだ。そこから一切のためらいもなく、光秀は鉄砲を撃った。まず一発目が的の中心を見事に射抜いた。

「おおっ!」
一同が驚嘆の声をあげる中、光秀は喜ぶ風でもなく、すぐに次の弾を込めた。そして引き金を引く、また命中する。この作業を淡々と、まるでこの時代にはない精密機械の如くこなしていった。

 結果、百発中全弾が的に命中し、その内の六十発が的の中心を射抜いていた。この結果には、居並ぶ重臣の中にあった藤孝も内心で胸を撫で下ろしいた。しかし、安堵も束の間で、次の長慶らの言葉に一同は、どよめく事になる。

「見事なものじゃ、どう思うか久秀よ」
 長慶は、横に控える眼光の鋭い男に語りかけた。

「誠に見事な腕でございますな。しかし、戦場では敵は動くもの。的のようには止まってはくださりますまい」

 そう言いながら、久秀は、その鋭い眼光を再び光秀に走らせた。二人のやり取りを控えて聞いていた光秀は、

「承知仕りました」
 それだけを言うと、おもむろに立ち上がり、鉄砲を的ではなく、今度は空に向かって構えてみせた。そして、少し呼吸を整えて、間合いを計りながら、しかし臆することもなく引き金を引いた。

 一座に銃声が再び鳴り響いた。打ち終わった後、光秀が再び片膝をついて控えていると、少ししてから、一羽の山鳥が落ちてきた。光秀はこの鳥を見事射抜いたのだった。

「光秀、見事なり!」
 一連の出来事を、何も発することなく見ていた義輝が、始めて口を開いた。
「長慶よ、良いな。鉄砲の件は、光秀に任せる」

 義輝は、横に居る長慶に念を押すように問うた。
「御意。すべて上様の思い召すままに」
 そう言うと長慶は立ち上がり、白州の先まで歩み寄り、光秀に対峙した。

「明智光秀儀、三月以内に鉄砲を調達し、五十名の鉄砲隊を組織せよ。金はこの長慶が負担しよう。方法は問わず。後はそちの才覚で馳走せよ」

 長慶の言葉を聞くと、光秀は恭しく頭を下げた。
「畏まって候、しかしながら申し上げまする。時は、危急存亡の秋なれば、三月では遅すぎまする。また、五十名では少なく存ずる。従って一月で百名の隊を作る事で如何でござりましょう」

 光秀の言葉を聞いて、藤孝は色を無くした。一同も、あっけに取られた顔をする者がほとんどであった。

「明智殿、今の言葉は、冗談ではすまされませぬぞ」
 ただ、一人だけ光秀の言動に飲まれない男がいた。久秀である。

「幕府重臣のお歴々が居並ぶ中、なぜに冗談など申しましょうや。もし、約束を違えることがあらば、ご存分に、この光秀をなされませ」

 居並ぶ重臣を前に光秀は啖呵を言ってのけた。
「明智、今の言葉覚えておこう」
 長慶は、不敵な笑みを浮かべながら言った。

「一同、大儀であった」
 義輝の言葉により、散会となった。

 その場には光秀と藤孝だけとなった。
「あんなことを言ってのけて、本当に大丈夫なのか?」
 藤孝は心配そうに光秀に問うた。

「藤孝殿、ご心配めさるな。すべては任されよ。それより、あの久秀という男は?」

「ん?ああ、あの男のことか。あれは三好家の家老で、松永久秀という男じゃ。奴がどういう男なのか、陪臣ゆえ、詳しくは分からぬが、短い期間に一代で、三好家の家老になり、幕府の相伴衆となった長慶殿に成り代わり、今や三好家の政務の一切を任されている男さ。その久秀がどうかしたのか?」

 藤孝は、聞いてきた光秀の問いに答えつつ、こちらからも聞いた。
「いや、少しな。あの男のあの鋭い眼光は只者ではない。何か、人の下にいつまでもついている男ではないと思うのだ。そのうち何か、大きな事件を起こしそうな気がしてな」

 光秀は藤孝の問いに答えるというよりは、少し独語めいて言葉にして言った。この時は、この会話はこれで終わった。後日、二人はこの会話を苦々しい気持ちで思い出すことになろうとは、この時の二人は思いもよらないことだった。

「さて、どうしたものか…」
 先日の件で、光秀は百名の鉄砲隊を作らなければならなくなった。しかも、五十名でよい所を、わざわざ倍の百名にすると言ったのは、他でもない光秀本人なのだ。藤孝には心配するなと言ったが、実は、その後の考えがまとまらずに、無為に数日を過ごしていた。

 今も何をするでもなく、自室に閉じこもり、ただ寝転がってゴロゴロとしていた。このことを藤孝が知ったら、何と言うだろうか。

「そうだ、あの男だ!なぜ失念していたのか」

 そう言うと、光秀は勢いよく起き上がった。光秀が起き上がると、同時に入り口の戸が開き、ちょうど藤孝が現れた。
「光秀殿、例の件は、進んでおりますかな?」

 藤孝は、部屋の中に光秀の姿を認めると、怖い形相をして、しかし、ゆっくりとした口調で言った。

「藤孝殿、頼みがある。一緒に堺に行ってくれ」
 藤孝の顔を見るなり、藤孝の問いには何も答えず、光秀は言い放った。

 光秀が何もせずに、ただゴロゴロしていることを嗅ぎ付けて、文句の一つでも言ってやろうと乗り込んできた藤孝は、肩透かしを喰らってきょとんとした顔で、光秀を眺めていた。

「いい加減教えてくださらぬか?」
 堺に行く道中、光秀は、ある男を捜しに行くとだけ藤孝には伝えており、何のために誰に会いに行くのかを教えようとはしないので、藤孝はしびれを切らせ始めていた。

「ふむ、ならば一服しながら、話しすると致しますかな」
 そう言いながら、光秀が指差す先には、一軒の茶屋があった。二人が腰掛けると、一人の老婆が現れた。

「ほう、粽か。粽はそれがしの好物でござってな」
 老婆が差し出した粽に、光秀は無邪気に喜んで見せた。

「皮を剥いて、お召し上がり下され」
 老婆が気だるそうに説明する。
「ほう、この粽は川を向いて食べるのか。それが最近の風流ですかな?」

 そう言うと、光秀は皮も剥かずに粽を食べようとした。
「光秀殿、川を向いてではなく、皮を剥くのですぞ」

 光秀の姿を見た藤孝が軽く嗜めた。
「これはお恥ずかしい。拙者は昔から、一つの事に夢中になると、他の事が疎かになる癖がござってな」

 恥ずかしそうに頭を掻きながら、そう言う光秀を見て、藤孝と老婆は声を上げて笑った。これは、この明智光秀という男の長所なのだろうか、短所なのだろうか。笑いながら藤孝は心の中で思うのだった。


「それでは、お話し申そう」
 光秀は、照れ隠しをするように、急に真面目な顔つきになり、藤孝に一人の男との出会いについて語り始めた。
「あれは、斉藤義龍によって我が明智城が落城し、一族離散の憂き目にあい、拙者が一人で旅をしていた時のことだ」

 その時の光秀は、故郷の美濃国を出たこともない、ただの若者の一人に過ぎなかった。この機会に、いっそ色々な土地を旅し、自分の見聞を広げようと考えていた。

 まず向かったのは、琵琶湖がある近江国だった。特に理由があって琵琶湖に行ったわけではなかった。ただ、日本一大きな湖を見てみたかった。光秀が琵琶湖の畔について、その広大さに心を奪われていた時のことである。一人の男が渡し舟の船頭と押し問答をしていた。

「この風では、舟は出せないな」
 船頭はそう男に、腕組みをしたままそっぽを向いて、ぶっきら棒な態度で言った。

「そんな事はない。現にこの前は、これぐらいの風でも舟は通っていたぞ」
 しかし、尚も男は食い下がる。見るからに浪人風な格好で、身なりもあまり宜しそうになかった。ただ、背中に、何やら大事そうに棒状の荷物を風呂敷に入れて下げていた。

「そんなに渡りたければ、陸路を迂回するか、鳥にでもなって湖を渡りな。舟に乗りたくば、風が収まるまで待ちな」
 船頭は、なおも横柄な態度で、浪人風の男に言う。

「そんなに待てないな」
 男はそう言うと、背中の荷物が入った風呂敷を広げ、そこから中身を取り出した。そして、それを湖の上を渡っていく鳥に向かって掲げた。鉄砲だった。

 そして、鉄砲の標準を合わせると、一気に放った。ドーンという銃声が辺り一面に鳴り響き、その銃声がなり終わらないうちに、哀れな一羽の渡り鳥は、琵琶湖の水面へと落ちていった。

「さあ、これで如何に!」
 男はそう言うと、銃身を船頭に向けて迫った。船頭はそれを見て、船をすぐに出すことを決めた。

「よう、おたくも舟待ちなら、一緒に乗らねえかい?」
 男は一部始終を見ていた光秀に声をかけた。これが光秀とこの男との出会いだった。舟の中で、二人はお互いのことを語り合った。

「拙者、美濃が住人、明智十兵衛光秀と申す。ご乗船かたじけない」
 光秀は丁寧に名乗った。

「何?あんたも十兵衛かい。俺も重兵衛さ。俺は近江出身の御門重兵衛だ」
 二人は、ようやく舟に乗ることが出来た。

「それにしても、琵琶湖を見たことがないから舟を待っていたとは、近江出身で琵琶湖を長年見ているわしから言わせれば、琵琶湖などただでかいだけさ。そのでかい湖も、海の広大さに比べれば小さきものだ。その小さき湖を見たいから舟に乗るとは、十兵衛殿、お主も変わった武士だのう」

 二人は、舟で琵琶湖を進みながら、会話と湖の景観を楽しんでいた。
「そういう重兵衛殿は、何故その小さき琵琶湖をこれ程まで固執して、お渡りなさるのか」

「ふむ、わしは故あって生国を離れ、旅に出た所だ。これは、旅立つためのわしなりの儀式のようなものなのさ。他人には分からぬ事ながら、わしの心は今、琵琶湖の水が如く澄み渡っておる。この事は男子一生の事として、大事な事なのだ」

 重兵衛は、腕を組み遠くを見つめながら独語していった。その様は、本人は大真面目なのだが、どこか滑稽でもあり、しかし、なぜか親しみを感じさせた。

 光秀は、そんな重兵衛を好ましい男だと思った。十兵衛と重兵衛は、この出会いを機に意気投合し、しばらく行動を共にすることにした。

「ドーーンッ!」
 銃の発射音が辺りに鳴り響いた。行動を共にするようになってから、光秀は重兵衛に銃の手ほどきを受けるようになっていた。

「なかなか腕をあげたな」
 光秀の撃った後を見て、重兵衛が言った。銃の的にするのは、例えば木の実であったり、道端に落ちていた草履をぶら下げたり、案山子であったりした。この時は、木の枝にかかっている葉っぱを見事に射抜いていた。

 重兵衛からの教えとして、的にはなるべく日常の生活に密着したものを選ぶようにしていた。そうすることで、いざ戦の最中になった時に普段から撃っている的を射抜くように、敵を撃てると考えての事だった。

「良き先生のおかげとしておこうか」
 光秀は、ちゃかすように言うと、もう一度的をめがけて銃を放った。辺りに銃の発射音がこだまし、其のたびに森の鳥たちが騒いで、飛び立つ姿が見えた。

「ずっと気になってはいたのだが、お主は如何にして、この銃とその腕を手に入れたのだ?」

 光秀は、前々から気になっていた疑問を、重兵衛に投げかけた。
「ふむ、その事か、いいだろう。お主には話しておこうか」

 大きな岩の上に坐していた重兵衛は、自分の顎髭を気だるそうに触りながら話始めた。

「わしは、元々は近江の刀鍛冶の倅だ。しかし、刀を作るだけで生涯を終えるのは、わしの生に合わんのでな。それで、家を飛び出したのよ」

 重兵衛の話によれば、母親は元々、紀州の根来衆の一族の者で、その後に道々の者となり、流れ着いて、重兵衛の父親に嫁ぎ、重兵衛を産んで、ほどなくして亡くなったらしい。

 その縁で、刀鍛冶をしていた父親に鉄砲の技術が根来衆より伝わり、それは、重兵衛にも受け継がれる事になったのだ。

「わしの母者は、根来衆の一族だが、その血には元々、道々の者たちの血脈が流れていたのさ。だから、わしもこうして立派に流れている。里を飛び出して以来、わしは道々の者として、御門重兵衛を名乗ったというわけじゃ。わしは誰にも仕えぬ。縛られぬ。わしの上には天しかおらぬ。ゆえにわしは、御門(みかど)を称するのじゃ」

 重兵衛は、そう笑いながら光秀に話した。武士の格式や、しきたりの中で育った光秀にとって、自由奔放な重兵衛の生き方は新鮮に感じるのだった。

 その後、二人はしばらく行動を共にしたのちに、重兵衛は、堺である商人の家に用心棒として残ることにした。光秀は自分の母親の里である若狭の武田家を頼るために別れる事となった。

「何かあれば、堺に来い!」
 そう言って、重兵衛は、自分が使っている銃を光秀に手渡した。餞別のつもりのようだった。これが別れ際の重兵衛の言葉だった。

 武田家でしばらく逗留した後に、光秀は再び諸国をめぐる旅に出て、その後に京都に入り、今に至るのである。

「で、その男に会いに堺に行くのは分かったが、なぜわたしが一緒に行くのだ?」

 光秀の話を聞いた藤孝が問うた。その顔には、不満の色がはっきりと見てとれた。

「ふむ、実は、重兵衛は堺にはもうおらぬ。しかし、彼の居場所は、きっと逗留していた商家の主が知っているに 違いないのだ。だが、その主にわしは面識がない。そこで、幕府重臣たるそなたの顔が必要になってくるというわけだ」
 光秀は持ち上げたつもりだろうが、ようするに、藤孝はダシに使われるのである。

「だから、なかなか話さなかったのだな」
 藤孝は内心で光秀の心を読んでいた。そうこうしているうちに二人は堺についた。

「ここだ!」
 その商家の前についた時、藤孝は内心、絶句していた。堺の街を代表する商家の一つである納屋であった。その主は、今井宗久といって、後の世に千利休、津田宗及と並んで天下三宗匠と言われ、この時代を代表する商人であり、茶人でもあるその人であった。

 しかも、幕府は、今、この今井宗久に金を借りている。なんと、藤孝自身も金を借りていて、まだ返済が出来ていないのであった。

 つまり、藤孝にとって今、一番会いたくない人物こそが、今井宗久なのであった。
「色々と物入りでござってな。面目ない…」

 藤孝は、ばつが悪そうに光秀に言い訳をしたが、光秀はそんな藤孝を見て、細川藤孝という武士も、金に頓着がないという欠点があるということか、と思ったが、しかし、葉武者ならいざ知らず、一軍の将たる者が、少しの金に右往左往していては、国の大事は成せぬものだ。

 そうならば、武士たるもの、金が無くて務めを疎かにするよりも、借金をしてでも身を処して、全うするべきものなのだとも思うのだ。

「なるほど、むしろ都合がよいかも知れぬ。うまく行けば、幕府とそなたの借金も、ご破算に出来るかもしれぬぞ。任せておいてくれ」

 そう言うと、足取りの進まぬ藤孝をよそに、光秀は、さっさと店の中に入ってしまった。
「なっ?光秀殿、借金がご破算とは、どういう意味でござるか」

 藤孝は、そう叫びながら、急いで光秀の後を追って店に入った。

 店に入り、主人に目通りを願うと別室に通された。室内は見事な書院作りの風格があり、高級そうな茶器や掛け軸、それに、二人にはそれが何であるか分からない、おそらく南蛮渡来の品であろうものが置かれていた。

「これは、これは、細川様。お久ぶりにございます。今回の御用の向きは?」
 そう言いながら、一人の男が別室に入ってきた。

 今井宗久その人であった。小柄ながら、堂々たる風格を漂わせている。丁寧な物腰だが、決して、こちらに対しても卑屈にはなっていない。
「これは、相当な人物と見た。商人や茶人というよりも、名のある武士に見えるわ」

 宗久の物腰を見て、光秀は内心で唸っていた。
「宗久殿、久しぶりでござるな。実は、今日来たのは、人を探してござってな。詳しくはここにいる明智殿からお聞かせ申す」

 藤孝はそう言うと咳払いをして、光秀を促した。実は、店に入る前に、光秀が藤孝に要件を聞かれたら、自分に振って、後は任せてくれるように頼んでおいたのだ。

(大丈夫であろうな?)
 藤孝の顔には、はっきりとそう書いてあるように光秀には見えた。

「拙者、幕府直臣、明智十兵衛光秀と申す。今回こちらに出向いた用向きは、先ごろまでこちらに居た御門重兵衛を探しておる。今、いずこにおるか、ご存知でないだろうか?」

「貴方様が明智十兵衛様ですか。御門先生より、お聞きしております。ひょっとすると、もう一人の十兵衛が、自分を訪ねてくるやも知れない。その時は宜しく頼むと。先生は、今、根来に行かれております」

 宗久の言葉を聞いて、光秀は安堵した。重兵衛は無事息災であったようだ。
「御門先生には、ほんにようしてくれはります」

 宗久の話しによれば、納屋ほどの商家ともなれば、幾人も用心棒を雇っているのだそうで、重兵衛はその用心棒集団の、まとめ役をやっているようなのだ。

 納屋は、この堺を中心に、他国にも行商に出たりすることが頻繁にあるため、荷駄が狙われぬよう、用心棒は必要不可欠となってくる。重兵衛は、自分の腕で商品を守るだけでなく、他の用心棒や店の若衆にも鉄砲の撃ち方を教えていたらしい。

(だからこそ、あの男が必要なのだ)
 宗久の話しを聞きながら、光秀は思っていた。

「その男は根来にいるのだな?しからば、光秀殿」
 そう言うと藤孝は、光秀に退席を促した。どうやら、借金の話しにならないうちにさっさと店を出てしまおうと思っているようだ。

「藤孝殿、待たれよ。宗久殿、幕府とここにおる細川治部大輔殿の借金の事だが、これから拙者が申す事に得心がいったならば、ご破算にして頂きたい」

「ご破算にですか?」
 光秀の言葉を聞いて、宗久の顔色が変わった。無理もない。今日会った人間に、いきなり商人の命とも言うべき、金を無しにしろとは無茶な言いぐさである。光秀の言葉を聞いて、横で藤孝は色を失い、落着きがなくなり、顔には冷や汗をかいている。

「拙者、このたび幕府の命により、百名の鉄砲隊を組織するよう命じられ申した。そこで、我が鉄砲の師である、御門重兵衛殿のご尽力が必要となり、居場所を知るべく、当家に出向いた次第です。

 しかし、この鉄砲隊を組織するのには、まだ金子が足りぬ次第、そこで、宗久殿には金を出して頂きたい。その代わりに、鉄砲隊組織後の暁きには、その隊が納屋を守りましょう」

 光秀は、とんでもない賭けに出たな、と藤孝は横で聞きながら思っていた。要するに、ハッタリをかましたのである。無茶な話である。借金をチャラにするために、まだ金を出せと迫ったのだ。しかも、そしたら幕府が店を守ってやると。

 納屋は前記した通り、自家で用心棒を雇い、荷物を守っている。特に幕府に守ってもらう必要はないのだ。しかるに光秀は、守ってやると言う。宗久は光秀の真意を測りかねていた。

「当家は、御門先生を始めとして、優秀な用心棒を幾人も抱えております。幕府のご助力は忝のうござりますが、明智様の申される事には、商人の世界で言う所の利が見えませぬ」

 宗久は秀に冷たくそう言うと、光秀の顔色をチラリと覗った。しかし、光秀の顔色にはいささかの曇りも見えず、宗久の言うことに怯みを見せていない様子だった。

「守るのは、店の荷駄だけではない。納屋の店も、堺の街も、この山城の国も日本中を幕府が守るのだ。鉄砲隊を作れば、戦に勝てる。戦に勝てば銭が入る。これで如何に!!」

 宗久も、横で聞いている藤孝も光秀の言う言葉に圧されてしまっていた。その言葉には光秀の真意と心からの想いが備わっていたからだ。要するに、今いる用心棒のように荷駄について守るのではなく、戦に勝ち、その地を平定すれば、治安が良くなる。そうすれば、安心して、商圏を広げられるだろうと。そのために、幕府に投資するように光秀は言ったのである。

「明智殿は、御門先生が申す通りの御方でございますな。宜しゅうございます。この納屋、今井宗久が面倒を見させて頂きましょう」

 宗久はそういうと爽やかに笑った。これは、光秀と宗久との果し合いであった。武士と商人との。そして、宗久は見事に負けたのだ。なんと心地よく金を出させる御仁か。宗久は、光秀に対してそう思っていた。

「私は、幕府に媚びて金を出すのではござりませぬ。明智様の志に対して、金を出すのでございますよ」

 光秀と藤孝の去り際に、宗久は、そう光秀に対して、心の内を語ってくれた。
「お主、最初から金を出させるつもりだったな?」

 店を出てから、藤孝は光秀にあきれた顔をして聞いた。

「宗久は一度、金を幕府に出している。詳しい事情は分からぬが、ともかく一度出してしまえば、商人というものは、その後の利を生むために、金を出した先に対して、次も出さなければ、利が得られぬ。私はそこをうまく付いたまでだ」

 この光秀の考え方は、現代でいう所の先行投資と一緒であろう。一度投資してしまえば、投資先を大きくして潰さぬようにし、自分がその見返りに利益を得るために、投資し続けなければ結果として損をしてしまう。商人の世界の理を光秀は、自分の志を話すことで、一つの儲け話にしてしまったのだ。

「道は見えた。先を急ごうぞ、藤孝殿」
 光秀は、横にいる藤孝に声を掛けると、友のいる根来へと向かって駆け出していた。


 根来衆と言えば、根来寺を中心とした僧兵の集団で、その頭領と目されるのは、津田監物なる人物だった。この監物が種子島に渡り、鉄砲を持って帰って伝播したため、その後、根来衆は、僧兵ながら日本中で先駆けて、鉄砲に長じる集団と化していた。

 あるいは、納屋のような商人の用心棒に兵を派遣し、あるいは、村と村との間の争いごとの調停に、そして大名同士の戦への助っ人として、この戦国乱世に存在して行くのである。

「一体いつまで待たせるのかのう?」
 根来寺に着いた光秀と藤孝の二人は、しばし待たされていた。門番の僧兵に名乗り、要件を伝え取次をお願いして、早や一刻は待たされていた。この間に何も言っては来ない。

「今は、待つより他はあるまい」
 待ちくたびれて、何度も門番を急かす藤孝をよそに、光秀は一人静かに坐して待っていた。

「お待たせし申した。こちらへどうぞ」
 二人が待ちくたびれていると、やっと一人の若い僧が現れて、寺の中へ案内してくれた。寺の境内に入ると篝火を焚き、すれ違う僧兵は武装しており、すれ違う都度、光秀と藤孝を睨んで通り過ぎて行った。まるで、これから戦を始めるかの如くな有様であった。

「知り合いというのは、本当なんだろうな?」
 不安にかられた藤孝が光秀に問いかけたが、光秀はそれについて苦笑するだけで、何も答えなかった。しばらく進むと、本堂へと続く所へ中庭があり、そこへ案内された。行くと十数人ぐらいの人影が、暗がりの中で立っているのが見えた。

「こっちだ、十兵衛!」
 その人影の一つが光秀に向かって叫んだ。光秀には、その声が重兵衛である事がすぐにわかった。

「久しいな、重兵衛!」
 光秀は、その声のする方へ声をかけ、近寄る。
「篝火をたけ!」

 光秀が来たことを確認した重兵衛は、周りの人影に命じて、篝火をつけさせた。灯りがついた事により、光秀と藤孝には、辺りがはっきりと確認できた。

 そこには、屈強そうな僧兵を多数従えて、中央で座する重兵衛の姿があった。その姿は腕を組み、光秀と藤孝を睨みつけて微動だにせず、笑顔で旧友との友好を温めようとするものではなかった。

「十兵衛、何をしにきた!」
 重兵衛は、冷たく光秀に声をかけた。その声には、少し怒気があるように光秀には感じられて、光秀を戸惑わせた。

「そなたの力を借りにきたのだ」
 光秀は、自分が幕府に仕えている事や、鉄砲隊を組織する任務を与えられた事を正直に話した。この重兵衛という男には、口先だけのまやかしや、誤魔化しなどが一切通用しない事を光秀は知っていた。

「十兵衛、なぜ幕府などに仕えるのだ?幕府など、今や名前だけの力を持たぬ存在だ。それに組みするなどと、お前の目的はなんだ?」

 腕組みをしたままの恰好で、重兵衛は光秀を問い詰めた。重兵衛の脇には屈強な僧兵が立ち、光秀と藤孝を睨みつけている。

「重兵衛よ。私は、将軍義輝公に拝謁し、このお方なら、戦乱の世に終わりを告げ、再び国家安寧をもたらす君だと確信したのだ。そのために、私は力を尽くす。お主も力を貸せ!」

 光秀はありったけの想いを込めて重兵衛に叫んだ。その眼には力が宿っていると重兵衛は感じた。

「わしの力を借りたければ、お前の力を示せ。そうでなければ、根来は動かぬぞ」

 二人の暗黙の了解なのか、光秀と重兵衛は、お互いの銃の腕を競うこととなった。光秀にとっては、重兵衛は銃の扱い方を教えて貰った師になる。その手腕が優れている事を恐らく光秀が一番理解していた。その男に勝たねばならない。

「だが、負けるわけにはいかない」
 光秀は、自分に言い聞かせるように呟いた。

「ここで負けるようなら、自分の志も、幕府の未来も無きが如しだ」
 光秀は心の中で思った。重兵衛は、友であり、師であり、いつかは越えねばならない存在なのだと。

「今、越えていく!」
 光秀は、対峙する重兵衛の顔を見ながら決意を新たに思っていた。
「さて、あれからどれだけ上達したのか、見せてもらおう」

一方の重兵衛は、そんな事を考えていた。重兵衛も負けられない思いは一緒だ。何せ、この根来でも堺でも己の鉄砲の腕を持って生きているのである。それが弟子に負けたとあっては、明日からの食い扶持がなくなるということだ。

「わしは、これにすべてを賭けているのだ。だから、負けるはずがない」
 重兵衛は、両手に持つ銃を眺めながら、誰にも聞こえない程の小さな声で呟いていた。

 勝負は、先攻・後攻を決めて十回ずつ撃って、的の中心を多く射抜いた方の勝ちとすることとなった。先攻は、重兵衛で後攻が光秀となり、藤孝が審判を務める事となった。

「勝負だ、十兵衛!」
「望む所だ、重兵衛!」

 二人の勝負が始まった。
「ドドーンッ!」
 一発目の銃声が辺りに鳴り響いた。重兵衛が撃った弾は、見事に的の中心を射抜いていた。そして、光秀の出番となった。光秀は取り乱す事もなく、すごく落ち着いた状態で姿勢を正し、銃を撃った。

「ドーンッツ!」
 光秀が撃った弾も、見事に的の中心を射抜いていた。すぐに終わるかと思われた勝負は、思わぬ長期戦となってしまった。十回を終えても、二人とも一発も的の中心から外すことなく、撃ち続けているのだ。それが二十発を超え、三十発を超えても、二人の勝負は終わる気配を見せなかった。

 最初、その場の張りつめた空気に、誰一人として声を発することもなく、ただ二人が撃つ銃声のみが、その場にこだましていたのだが、三十発目を超えた辺りから、二人が的の中心を射抜く度に、歓声があがるようになっていた。

 二人は弾を込め、あるいは相手の出番の間に、緊張で渇いた喉を水で潤し、手ぬぐいで汗をふいた。順番が入れ替わるごとに、二人は目線を交わし、終始互いを睨んで牽制しあうのだった。

 勝負が始まってから、一人が撃つ度に的を新しいものと代えていたのだが、二人があまりにも的を外さず中心を射抜くので、的を変更する係りをやっていた男は、いつしか代えることを止めてしまっていた。

そうこうしているうちに、二人の撃った回数が、四十回を超えて五十回が見え始めていた時だった。

「十兵衛よ、このままでは埒があかん。方法を変えるとしようぞ」

 そう言うと重兵衛は、持っている銃の銃口を光秀の方に向けた。それにすぐに反応した光秀も銃の銃口を重兵衛に向けて構えた。二人は、互いに銃を向けて睨みあう恰好になった。その様子を周りの者達は、固唾を呑んで見守っている。辺りに、それまでにない緊張が走った。

 それまで、銃の発射と共にあがっていた歓声は、鳴りをひそめ、誰一人物音をあげる者はいなかった。それだけ、二人の間に張りつめた空気が、物音が少しでもしたら、それを合図に、二人が構えている鉄砲のその銃口から、弾が放たれる事を、そこにいる皆が感じ取っていた。

「双方待たれよ!」
 その場の張りつめた空気をかき消すかのような、叫び声は藤孝だった。藤孝は、そう叫びながら、光秀と重兵衛の間に立ちはだかり、両手を二人に向かって広げながら、互いを制止した。

「どけ!これは、我ら二人の勝負ぞ」
 立ちふさがる藤孝に対して、重兵衛は叫んだ。

「藤孝殿、邪魔立ては無用だ!」
 光秀も藤孝に対して叫んだ。そして、光秀も重兵衛も、尚も銃の構えを解こうとはしなかった。再び膠着状態が続くと思われたその時だった。

「その勝負、それまで!」
 前の藤孝の叫びよりも、さらに大きな声でそう叫ぶ男が、篝火の灯りが届かぬ建物側から聞こえてきた。そして、その男はゆっくりと歩きながらこちらに近づいてきた。

「お頭!」
 男の姿を確認した重兵衛が叫んだ。そこには、一人の小柄な初老の僧の姿があった。

「津田監物と申します。根来の元締めをやっております」
 津田監物と名乗る初老の男は、光秀と藤孝に恭しく頭を下げた。

「お二人の勝負は、遠目から見物させてもらいました。明智殿と申されたか。この重兵衛と互角の腕とは、貴殿の力量の程、拙僧がしかと承りました」

 そう言うと、監物は二人が構える銃の銃身をその腕の力で下げさせた。その手には何か、逆らえきれない力が込められており、小柄な体のどこに、そんな力が備わっているのか、光秀と重兵衛の二人を困惑させるには、十分の効果を発揮した。

「お頭、まだ勝負は終わっちゃいねえ」
 尚も重兵衛は、監物に喰ってかかった。

「これ以上の争いは無用じゃ。二人の力量は、これで天下に隠れ無きものであることは、この津田監物を始め、ここにいる皆が証人じゃ。それとも重兵衛よ、この監物の頼みを断り、なおも無用な争いごとを、この根来寺の境内で行うと言うのか?」

 その語りかけるような穏やかな口調とは裏腹な、鋭い覇気を含んだ監物の眼力に、さすがの重兵衛も、勝負の終焉を悟った。監物の言葉を聞いて、光秀と藤孝は目線を交わし、安堵の表情を互いに浮かべるのだった。


 その日、京の町は、もう秋を迎える頃だというのに、とても蒸し暑く、京の人々は、その暑さをしのぐ為に、打ち水をしたり、あるいは、うちわで扇いだりして、もう一度の夏をしのいでいた。
平民は、自らの胸元をはだけて、うちわで扇いだり出来るものだが、この時代でも武士の身分にあるものは、そうもいかなかった。

 武士には武士としての佇まいや、しきたりというものが存在したし、ましてや足利将軍家ともなれば、なおの事だった。

 将軍義輝も、額より流れる汗を拭おうとはせず、流れるのに任せきりであった。時おり近習の者が気づいて、汗を手すきで拭うのに任せている。高貴な身分ともなれば、自ら汗を拭けなどとは言わないもので、また、人の見ている前で、自分で拭くような真似もしないものだった。戦場ではこの限りではないのだが、こうした点などが、田舎の大名や武士などとは、少し違った将軍家としての、尊厳の一つ一つの要素になろうかとも思うのだ。

 今、将軍義輝は、幕府重臣である三好長慶や松永久秀らを従えて、光秀と藤孝が帰ってくるのを待っている所だった。白洲に日時計を設置し、あの日、約束した一ヶ月で鉄砲隊の百名を光秀が率いて帰って来るのを待っていたのだ。しかし、約束の刻限までに、もう少しだというのに、物見に出した近習からの報告はまだ入ってはいなかった。

「やはり、お役目を果たせずに、大言を吐いた手前、顔を出せないのではないか?」
 刻限が迫るたびに、居並ぶ重臣からも、そんな声が囁かれるようになっていた。

「逃げたのなら、追手を差し向けようぞ」
「ならば、細川殿を人質にとるのではないか?」
「いや、あの二人は懇意だ。恐らく一緒に逃げたのだろう。ならば細川殿も同罪だ」

 こう言った事が、将軍義輝の前でも、まことしやかに囁かれていた。しかし、義輝は動じず、何も発する事無く、ただ刻限が来るまでに二人が帰ってくるのを信じて待っていた。

「上様も存外お人が良すぎますなあ。あのような、どこの者とも分からぬ者に大任をお任せになるとは。きっと帰っては来ませぬぞ」

 将軍批判とも取れる事を直言したのは、松永久秀であった。この時の久秀は、すでに将軍家直臣となっており、将軍家直臣兼三好家の家老とも言うべき立場にあった。

「余は、光秀ならばしかと果たせると思い使いを出したのだ。もし、帰ってこぬのなら余の見立て違いというだけのことよ。惜しむべきは何もないわ」

 それまで何も言わずにいた義輝は、久秀の言葉に反応し、静かに自らの胸の内を語った。
「これは、上様の胆の座りしことよ。やあ目出度い」

 他の重臣たちは、義輝の言葉にそう囃し立てて、義輝を称えたが、長慶と久秀だけが場の中で笑わずに黙していた。
「御時間で御座る!」

 日時計を見る役目の者が、約束の時刻が来たことを知らせてきた。そこに居たものすべての者に緊張が走った。

「やはり、帰ってはこぬな。明智光秀という者、存外なしたり者であったわ」
 それまで何も言わずにいた長慶が、誰に言うともなく呟いた時だった。

「ご注進!ご注進!明智殿、細川兵部大輔様、百名の軍勢を従えて、帰京のよしにござりまする」
 物見に出していた使いの者が、白洲に走りこんできた。口上を述べながら、息を切らして、肩は激しく上下していた。

「上様、ただいまお役目を果たし、戻りましてござりまする」

 光秀と藤孝は、義輝の前に出向き、戻って来た事を報告した。白洲には、百名からなる根来衆の鉄砲隊が控えていた。その中には、重兵衛の姿もあった。その偉容に一同からは、感歎の声があがっていた。

「光秀、藤孝よ。約定通り鉄砲隊を率いて来よったわ。大儀である」
 義輝は、二人の労を労う声をかけた。その顔には、さっきまでとの緊張とは違い、安堵の表情が見て取れた。

「これは、根来衆の僧兵どもではありませぬか。このような者たちを、幕府の御家来衆に加えられる道理などござりませぬぞ」

 白洲に下りて、根来衆の面々を確かめた久秀が異を唱えた。確かに僧兵が幕府に仕えるなどとは、前例がないことだった。僧兵が武士に仕えるとは、すなわち還俗を意味する事だし、元々、根来衆は、その鉄砲の技術を持って、傭兵として生業とする集団であることは先に述べた通りだ。

 なので、久秀の言う事は、一見揚げ足取りのように見えて的を得ており、これには光秀も閉口するよりなかった。

「これは、異なことを仰せられる。我らは曲がり事無く、根来衆にござりまする。しからば、我らを無頼の輩が如く仰せられるは、心外の極みにござりまするぞ」

「そもそも、我ら根来衆とは、恐れ多くも鳥羽上皇より院宣を賜りし、興教大師覚鑁和尚が、根来寺を建てられるが起源でござる。それより、我らはお上のために御奉公を仕り今日に至るのでござりまする。今、幕府に我ら根来衆が加わるは、ひとえにお上のためにござりまする。それを、道理がないなどとは、帝に対する不敬も同じことではござりませぬか」

 重兵衛の大演説は、居並ぶ重臣を説得するのに十分な効果を発揮した。何事も天皇のためと言われれば、それが国のためとなると、建前で当時の人達は考えたため、これに逆らえるだけの道理は、当時としては、存在しなかったのである。

「こちらは、鉄砲の指南役を務められます、御門重兵衛殿にございまする」
 光秀は、重兵衛を紹介した。最初、重兵衛は京に来るのを嫌がっていたのだが、

(形の上とはいえ、誰かに仕えるということが苦痛だった)

 是非にと言って、光秀が連れてきたのだ。事のついでに指南役にしてしまえば、先生として尊重されるだろうから、重兵衛もまんざらではないはずだと光秀が考えての言葉だった。

「しかし、前代未聞の事なれば…」
 尚も、重臣たちの中には否定的な意見を言う者もあり、その筆頭が久秀であった。

「わしは、出立の前に明智に対して、方法は問わずと明言した。であれば、ここで認めずば我が謗られよう。のう久秀よ」

 そう言ったのは、以外にも長慶だった。長慶は光秀を弁護するだけでなく、反対派の久秀ら重臣をも牽制しての言葉だった。

「光秀、大儀であった。しかし、金が足りぬはずだが工面はどうしたのか?」
 そう長慶は問うと、光秀は、正直に納屋の今井宗久の事を話した。そして、根来衆を説得した後に、その支度金を用意するために再度、堺によって再び納屋に立ち寄っていて、帰京が遅れたことなどを語った。

「話の内容は承知した。して、その支度とは何か?」
 再び長慶が問うと、光秀は藤孝と重兵衛に合図をして、例の準備をするよう伝えた。

 光秀のその合図で、重兵衛以下、根来衆は、一度、その場を全員離れた。そして、少しの刻を置いて、
「こちらをご覧くださいますよう」

 そう光秀が言うと、光秀の合図で一度白洲の外に出ていた根来衆達が戻ってきた。

 そして、そこにいるすべての根来衆が、揃いの具足をまとい、その背には白色に黒文字で丸に二つの引き両紋が描かれた、足利家の旗印が描かれていた。そして、その旗をここにいるすべての鉄砲隊が背にはためかせていた。

「これにて、将軍家の鉄砲隊に相成りましょうや!」
 そう言うと、光秀は恭しく頭を下げた。見事な演出だった。これには、久秀を始め不満を述べていた重臣達も一言もなく、鉄砲隊の偉容に、ただただ圧倒されるばかりとなっていた。

「明智光秀儀、此度の働き真にあっぱれなり。この功により、足軽大将に任ずると共に鉄砲隊の組頭に命ずる。これよりは、幕府の朝議にも加わるべき事なり。また、細川兵部大輔には、光秀に助力の功に対し、後で褒美を取らせる」

 義輝より下知をくだされた長慶が、光秀と藤孝に対して命じた。これで、光秀は名実ともに将軍義輝の側近くで力を発揮出来ることとなった。光秀は、恭しく命を聞きながら自分を認めてくれる義輝に対して、ただただ感無量でいっぱいだった。

 その数日後に、ある屋敷にて四人の男たちが一室に集まり、何やら話し込んでいる様子だった。それは、三好家の重臣たちのようで、その中心には、あの松永久秀がいた。

「久秀殿、このままだと将軍に力が集まり、やっかいな事になりはしないのか?」

 久秀は、他の者が述べる言葉を、腕組みしながら、目を閉じてじっと聞いていた。

「あの、明智光秀なるものは、公方様がお気に入りなのを良いことに、たかが足軽大将風情が、早や幕府の軍師気取りでいやがる」

「これは、殿(三好長慶)に御忠告あってしかるべきではないのか?」
「しかし、この間のことで殿は明智をお褒めなされた。殿の真意は分からぬ」

 このような事が語られていた。将軍家に力を持たせたくない三好家の重臣達が、この所、働きが目覚ましい光秀と藤孝を失脚させるべく、謀議を図っていたのだ。その面々とは、久秀を始め、三好長逸、三好政康、岩成友通の三好三人衆と言われる者たちだった。

「今は時に非ず。しかしながら、いずれ折りを見て、邪魔になるものは、それが何者であろうと排除せねばならない。しからば、我らの大望を果たすために手を打つ必要があろう」

 口を閉ざしていた久秀が、ゆっくりと、しかし、はっきりとした口調で、自らの意志を示した。

(これで、明智も命はあるまい…)

 三人がそう思うに十分な殺気を、久秀は放っていた。そして三人は、久秀がこの先に何か大事を起こすだろう事を予感した。その久秀の姿は、後世に奸雄と謳われた姿そのものであった。
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