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第三章 受け継がれるもの
六幕 「地下に煌めく光」 五
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***
「クレア・・・」
ヴェルノの声と共に、暗転していたアスの視界が徐々にひらける。窓から月明かりが仄かに差し込む暗がりの部屋。目の前にはベッドに横たわる女性の姿があった。
女性はジゼルにそっくりな容姿をしていたが、よく見ればジゼルより髪が長く大人びている。
ヴェルノの発したクレアという声を思い返し、アスはそこに眠る女性が王妃クレメンティアであると理解した。
「貴公とこのような形で再開することになるとは思わなかったよ」
ベッドの傍らには四十半ばくらいと思われる高貴な身なりの男性が椅子に座っている。
男の顔はクレアに向けられており表情は見えないが、慈しむようにクレアの手を握っていた。
「・・・余は貴公とジゼルに一目会いたいというクレアの願いを最後まで認めることができなかった。会わせればクレアの心に余がいないということを思い知らされることになると思ったからだ」
呟くように男はそう言うと、ヴェルノに顔を向けた。涙も枯れ果て、憔悴しきった表情をしている。その両眼は深く美しい紅に染まっている。
「だがそれも今となってはつまらぬ嫉妬であったと後悔している。・・・貴公に輝葬を依頼したのはせめてもの償いだ。クレアをよろしく頼む」
紅い眼の男は椅子から立ち上がるとクレアを見つめながら後退りした。
アスの視線はヴェルノの歩みと合わせてベッドの脇に進み、見下ろすようにクレアの顔を捉えた。月明かりによって青白く照らされたクレアはただ眠っているだけのようにも見えたが、胸元には淡く光を放つ光球がふわふわと浮かんでいる。
クレアの頬にヴェルノの手がそっと添えられると視界が滲んだ。それはヴェルノの涙によるものと思われた。
*
「おとうさん、はいどうぞ!」
暗転し暗闇が晴れると快晴の空と草原の景色に変わり、シロツメクサを編んで作った花冠を差し出す幼い少女の姿があった。ジゼルだ。
「ありがとうジゼル。すごいな、自分で作ったのか?」
「うん、おとうさん、もうごはんできた?」
「もうできあがるよ」
ヴェルノが受け取った花冠を頭に乗せて視線を横に向けると焚き火にあてられた鍋が映る。蓋を開けると中は干し肉と少量の米が煮込まれていた。
「おいしそー」
「そろそろいいか、さぁ食べよう」
「うん」
ジゼルが満面の笑みを浮かべてスプーンを手にした。
*
「ヴェルノ・ミュルジェ、汝は病める時も健やかなる時もクレメンティアを妻として生涯愛し続けることを誓いますか?」
また暗転し、次は小さな教会に映像が変わる。フランケが言った通り場面転換が早い。
視界には若かりし頃のオーべの姿が映った。
「なんか、こそばゆいな」
「おい、照れてないでちゃんと言えよ。・・・生涯愛し続けることを誓いますか?」
ヴェルノが視線を横に向けると簡素な白いドレスを着たクレアが立っていた。仄かに顔が赤らんでいるようにも見える。
「おいっ!」
「ああ、誓うよ」
「なんだよそれ、素っ気ないやつだな・・・まぁいい」
オーべがクレアに視線を移す。
「クレメンティア・ヴィエルニ、汝は病める時も健やかなる時もヴェルノを夫として生涯愛し続けることを誓いますか?」
「・・・はい、誓います」
俯きながら答えるクレアは真っ赤に赤面している。
「では、その証として人類の始祖ラウル様の前で誓いの口づけを」
真面目なセリフとは裏腹にオーべはニヤニヤした表情でヴェルノを見ていた。
「おまっ!なんだよその顔は!」
「ははは、悪い悪い。でも俺は本当に嬉しいんだよ、二人がこうやって結ばれるってことがさ」
*
「おい!ヴェルノ、大陸が見えたぞ!エルダワイスだ!」
慌ただしく部屋に飛び込んでくる少年。若いがオーべであると一目で分かった。
「ほんとか!」
ヴェルノは期待に満ち溢れた声で応じるとすぐにオーべと共に部屋を飛び出す。狭い廊下を抜け階段を駆け上がると船の甲板に出た。
その視界には大海原の景色が広がり、遠くには微かに陸が見えた。波に揺られているためか僅かに視線が上下する。
「あそこに俺たちの新しい世界があるんだな」
オーべが隣で目を輝かせながらそう言った。
「ああ、奴隷の俺たちが成り上がるための唯一の舞台だ。どうなるか分からないけど俺たちならきっと上手くやれる。エルダワイスの人達に俺たちの力を見せつけてやろう!」
ヴェルノは大陸に向かって突き出した拳を強く握りしめた。
*
その後も目まぐるしく場面転換を繰り返しながら、ヴェルノの記憶の断片がアスの脳裏に流れ込んでくる。
些細な日常や戦いの記憶、その一つ一つが優しかった父のことを想起させ、アスの心を締め付けた。
だが、一方でこれまでの輝葬と違い、慣れ親しんだ父の記憶ということが明らかに別人格の記憶であると強く印象付けていることもあって、アスはいつもより没入感に若干の薄さを感じていた。
その没入感の薄さから生まれた余裕がアスに今回の輝葬の異質な部分を気付かせる。
それは記憶をかなり過去にまで遡っていることであった。本来輝葬で見る記憶は死の直前やその直近の記憶が多いのだが、明らかに遠い過去の記憶の方が多い。
輝核損壊の影響なのか、それとも近しい人だからなのか。
そんな疑問を覚えつつも、アスは頃合いを見計らって次の段階である意識乖離からの戻りに進むため、フランケに言われたまじないの言葉を心の中で唱え始めた。
だが一向に意識乖離から戻る感覚はない。それどころか、慣れない言葉を繰り返し唱えたことによって集中を欠いた影響からか記憶の映像が暗闇のまま停滞してしまった。
アスは再び輝葬に集中するがそれでも暗闇は晴れず、焦る気持ちが増大していく。このままではいけないと思った矢先、耳に微かな声が聞こえた。
「・・・すまない、こんなことになってしまって」
ヴェルノの死の間際の言葉だ。その言葉を聞いたアスは暗闇の意味を理解し平静を取り戻した。停滞して暗闇が晴れないのではなく、今は目の見えなくなったヴェルノの記憶が流れているのだと。
輝葬継続の安心感からふっと緊張が緩むが、再び聞いた父の最期の言葉がすぐに感情が高ぶらせる。
緊張、不安、焦り、弛緩、高揚と感情が短い間に大きく起伏したことで、アスは次第に意識が分離しながら覚醒していくような不思議な感覚に陥る。
記憶の映像が脳裏で再生されつつも、数多の光の粒子が輝核を中心に円を描くように旋回しながら明滅を繰り返す現実世界の映像も別に脳裏に流れ込んでくるのだ。
(見える・・・、輝核の流れが)
ヴェルノがいつも言っていた『輝核の流れを捉えること』とはこのことかと実感したアスは、そのまま自分の手を上に持ち上げるように脳から体に信号を送る。
僅かだが確実に自分の手が動いていることを感じる。
「精一杯、強く生きろアス。・・・愛してる」
ヴェルノの言葉がアスの気持ちを更に奮い立たせる。瞬間、耳をつんざくような雷鳴と共に脳裏に閃光が走った。
光が収まった時、アスは実感した。完全に体の支配権が戻ったことを。
*
視界が暗転から晴れる。あともう少し手を上げれば光の糸が切れて輝葬はほぼ完了するところであるが、アスは糸が切れるギリギリで静止した。
(ごめんねお父さん、変なところで止めて。でも、最後にもう一度だけお父さんの声を聞きたいから、この記憶が終わってから双極に送ることにするよ)
別れを惜しむアスの頬を涙が伝う。
「しっかりしろ、エリザ!」
最後の記憶が始まった。
・・・いや、最後の『つもり』だった記憶が。
「クレア・・・」
ヴェルノの声と共に、暗転していたアスの視界が徐々にひらける。窓から月明かりが仄かに差し込む暗がりの部屋。目の前にはベッドに横たわる女性の姿があった。
女性はジゼルにそっくりな容姿をしていたが、よく見ればジゼルより髪が長く大人びている。
ヴェルノの発したクレアという声を思い返し、アスはそこに眠る女性が王妃クレメンティアであると理解した。
「貴公とこのような形で再開することになるとは思わなかったよ」
ベッドの傍らには四十半ばくらいと思われる高貴な身なりの男性が椅子に座っている。
男の顔はクレアに向けられており表情は見えないが、慈しむようにクレアの手を握っていた。
「・・・余は貴公とジゼルに一目会いたいというクレアの願いを最後まで認めることができなかった。会わせればクレアの心に余がいないということを思い知らされることになると思ったからだ」
呟くように男はそう言うと、ヴェルノに顔を向けた。涙も枯れ果て、憔悴しきった表情をしている。その両眼は深く美しい紅に染まっている。
「だがそれも今となってはつまらぬ嫉妬であったと後悔している。・・・貴公に輝葬を依頼したのはせめてもの償いだ。クレアをよろしく頼む」
紅い眼の男は椅子から立ち上がるとクレアを見つめながら後退りした。
アスの視線はヴェルノの歩みと合わせてベッドの脇に進み、見下ろすようにクレアの顔を捉えた。月明かりによって青白く照らされたクレアはただ眠っているだけのようにも見えたが、胸元には淡く光を放つ光球がふわふわと浮かんでいる。
クレアの頬にヴェルノの手がそっと添えられると視界が滲んだ。それはヴェルノの涙によるものと思われた。
*
「おとうさん、はいどうぞ!」
暗転し暗闇が晴れると快晴の空と草原の景色に変わり、シロツメクサを編んで作った花冠を差し出す幼い少女の姿があった。ジゼルだ。
「ありがとうジゼル。すごいな、自分で作ったのか?」
「うん、おとうさん、もうごはんできた?」
「もうできあがるよ」
ヴェルノが受け取った花冠を頭に乗せて視線を横に向けると焚き火にあてられた鍋が映る。蓋を開けると中は干し肉と少量の米が煮込まれていた。
「おいしそー」
「そろそろいいか、さぁ食べよう」
「うん」
ジゼルが満面の笑みを浮かべてスプーンを手にした。
*
「ヴェルノ・ミュルジェ、汝は病める時も健やかなる時もクレメンティアを妻として生涯愛し続けることを誓いますか?」
また暗転し、次は小さな教会に映像が変わる。フランケが言った通り場面転換が早い。
視界には若かりし頃のオーべの姿が映った。
「なんか、こそばゆいな」
「おい、照れてないでちゃんと言えよ。・・・生涯愛し続けることを誓いますか?」
ヴェルノが視線を横に向けると簡素な白いドレスを着たクレアが立っていた。仄かに顔が赤らんでいるようにも見える。
「おいっ!」
「ああ、誓うよ」
「なんだよそれ、素っ気ないやつだな・・・まぁいい」
オーべがクレアに視線を移す。
「クレメンティア・ヴィエルニ、汝は病める時も健やかなる時もヴェルノを夫として生涯愛し続けることを誓いますか?」
「・・・はい、誓います」
俯きながら答えるクレアは真っ赤に赤面している。
「では、その証として人類の始祖ラウル様の前で誓いの口づけを」
真面目なセリフとは裏腹にオーべはニヤニヤした表情でヴェルノを見ていた。
「おまっ!なんだよその顔は!」
「ははは、悪い悪い。でも俺は本当に嬉しいんだよ、二人がこうやって結ばれるってことがさ」
*
「おい!ヴェルノ、大陸が見えたぞ!エルダワイスだ!」
慌ただしく部屋に飛び込んでくる少年。若いがオーべであると一目で分かった。
「ほんとか!」
ヴェルノは期待に満ち溢れた声で応じるとすぐにオーべと共に部屋を飛び出す。狭い廊下を抜け階段を駆け上がると船の甲板に出た。
その視界には大海原の景色が広がり、遠くには微かに陸が見えた。波に揺られているためか僅かに視線が上下する。
「あそこに俺たちの新しい世界があるんだな」
オーべが隣で目を輝かせながらそう言った。
「ああ、奴隷の俺たちが成り上がるための唯一の舞台だ。どうなるか分からないけど俺たちならきっと上手くやれる。エルダワイスの人達に俺たちの力を見せつけてやろう!」
ヴェルノは大陸に向かって突き出した拳を強く握りしめた。
*
その後も目まぐるしく場面転換を繰り返しながら、ヴェルノの記憶の断片がアスの脳裏に流れ込んでくる。
些細な日常や戦いの記憶、その一つ一つが優しかった父のことを想起させ、アスの心を締め付けた。
だが、一方でこれまでの輝葬と違い、慣れ親しんだ父の記憶ということが明らかに別人格の記憶であると強く印象付けていることもあって、アスはいつもより没入感に若干の薄さを感じていた。
その没入感の薄さから生まれた余裕がアスに今回の輝葬の異質な部分を気付かせる。
それは記憶をかなり過去にまで遡っていることであった。本来輝葬で見る記憶は死の直前やその直近の記憶が多いのだが、明らかに遠い過去の記憶の方が多い。
輝核損壊の影響なのか、それとも近しい人だからなのか。
そんな疑問を覚えつつも、アスは頃合いを見計らって次の段階である意識乖離からの戻りに進むため、フランケに言われたまじないの言葉を心の中で唱え始めた。
だが一向に意識乖離から戻る感覚はない。それどころか、慣れない言葉を繰り返し唱えたことによって集中を欠いた影響からか記憶の映像が暗闇のまま停滞してしまった。
アスは再び輝葬に集中するがそれでも暗闇は晴れず、焦る気持ちが増大していく。このままではいけないと思った矢先、耳に微かな声が聞こえた。
「・・・すまない、こんなことになってしまって」
ヴェルノの死の間際の言葉だ。その言葉を聞いたアスは暗闇の意味を理解し平静を取り戻した。停滞して暗闇が晴れないのではなく、今は目の見えなくなったヴェルノの記憶が流れているのだと。
輝葬継続の安心感からふっと緊張が緩むが、再び聞いた父の最期の言葉がすぐに感情が高ぶらせる。
緊張、不安、焦り、弛緩、高揚と感情が短い間に大きく起伏したことで、アスは次第に意識が分離しながら覚醒していくような不思議な感覚に陥る。
記憶の映像が脳裏で再生されつつも、数多の光の粒子が輝核を中心に円を描くように旋回しながら明滅を繰り返す現実世界の映像も別に脳裏に流れ込んでくるのだ。
(見える・・・、輝核の流れが)
ヴェルノがいつも言っていた『輝核の流れを捉えること』とはこのことかと実感したアスは、そのまま自分の手を上に持ち上げるように脳から体に信号を送る。
僅かだが確実に自分の手が動いていることを感じる。
「精一杯、強く生きろアス。・・・愛してる」
ヴェルノの言葉がアスの気持ちを更に奮い立たせる。瞬間、耳をつんざくような雷鳴と共に脳裏に閃光が走った。
光が収まった時、アスは実感した。完全に体の支配権が戻ったことを。
*
視界が暗転から晴れる。あともう少し手を上げれば光の糸が切れて輝葬はほぼ完了するところであるが、アスは糸が切れるギリギリで静止した。
(ごめんねお父さん、変なところで止めて。でも、最後にもう一度だけお父さんの声を聞きたいから、この記憶が終わってから双極に送ることにするよ)
別れを惜しむアスの頬を涙が伝う。
「しっかりしろ、エリザ!」
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・・・いや、最後の『つもり』だった記憶が。
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