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71 第二王子の悔恨⑥
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「なんだって……?」
僕はみるみる血の気が引いていって、凍り付いた。
なにを言っているのだ、兄上は。こんなの、聞いていない。
シャーロット嬢とは「婚約破棄」ではなくて、あくまでも「解消」であって、それも卒業パーティー後にひっそりと伝えるのではなかったのか……?
はっと我に返って父上を見る。
父王は無表情で息子の様子を眺めていた。感情の乗っていない王の視線に、ぞくりと背中が冷たくなる。
ひょっとして、父上はこのことを事前に兄上から聞かされていたのだろうか。
だが、このような形でヨーク家を敵に回すなんて……まさか…………。
嫌な予感が、這うようにゆっくりと僕の頭を過ぎった。
兄上は、シャーロット嬢だけではなく、ヨーク家の家門全体に冤罪を着せようとしているのか……?
一方、当事者のシャーロット嬢は顔をまっすぐに上げて、堂々とした様子で兄上を見据えていた。
彫像みたいな綺麗な彼女の顔に、兄上の悪意が降り注ぐ。
「私はお前のような傲慢な女とは婚約破棄をして、この心優しいロージー嬢と婚約をする! 彼女こそ王太子妃に相応しい!」
しかし、高潔な彼女は怯まなくて、畏敬の念を覚えたほどだ。
僕はなにもできずに固唾を呑んで彼女を見守る。
「……左様でございますか。承知しましたわ。では、わたくしはこれで失礼致します」
「待つのだ、シャーロット!」
「まだなにか?」
「まだなにか、だと? お前は私のロージーに行った数々の悪行をしらばくれるのか?」
「悪行?」
「そうだっ! お前は学園内で彼女に嫌がらせを度々行い……更には彼女を暗殺しようとした!!」
「なっ……!?」
「暗殺……?」
信じられない言葉に目を見張った。
これは完全に罪のでっち上げじゃないか。そこまでして兄上はなにをしたいのだろうか。
眼前の異様な空気の孕んだ猿芝居に、ぐらりと目眩がした。
「そっ……そのようなことは身に覚えがありませんわ」
「ふんっ、とぼけても無駄だ。既に調べはついている。そして、ヨーク公爵家の不正もな!」
「不正ですって!?」
「とぼけるな! お前たちヨーク公爵家は王太子の婚約者という立場を振りかざして随分いい思いをしたそうだな。それも償ってもらうぞ」
「そんなっ……お父様がそんなことをするはずがないわっ!」
「申し開きは牢屋で役人に言うのだな。おい、この女を連れて行――」
「待ってください!!」
僕は慌てて声を上げる。なんとしても止めないといけないと直感した。
なにか大きな悪意が、別の場所で動いている。
兄上は……本気でシャーロット嬢を――いや、ヨーク家を陥れようとしていると理解した。
「兄上、これはあまりに横暴なのではありませんか? 一方的すぎます!」と、僕は強く抗議する。
「なんだ、ヘンリー? お前はこの汚らわしい女の肩を持つのか?」
兄上の最低な言葉に僕はかっと頭に血が上る。
「シャーロット嬢は汚らわしくなんかありません! それに証拠と言ってもモーガン男爵令嬢側の人間が調べただけではありませんか? きちんと公平に精査してください!」
「心の美しいロージーが嘘をつくわけないだろう? お前もこの女に騙されているのか? まぁ、男なら誰にでも身体を赦すような女だからな。お前ごときを手玉に取るのは安易だろう」
「彼女の名誉を傷付けるような発言はやめてくださいっ!!」
僕は力の限り大声で叫んだ。全身の血が沸騰したみたいだ。自分たちのことを棚に上げて、一方的に彼女を糾弾する愚かな姿に、湧き上がる怒りは収まらなかった。
だが、兄上は僕のことなんか歯牙にも掛けずに、
「早くこの女を地下牢へ連れて行け。愚弟は自室にて謹慎させるように」
シャーロット嬢を騎士たちに拘束させた。僕は彼女を解放させようと彼らに飛び掛かるが、まるで歯が立たなかった。
「ならば、せめて……せめて王族用の牢にしてくさだいっ! 仮にも兄上の婚約者でしょうっ!?」
「この女とは婚約破棄をした。私とはもう関わりのない女だ」
「そんなっ……!」
シャーロット嬢は茫然自失と僕たちを眺めていた。
あの雨の日の曇り硝子のような混濁した双眸は、今も僕の目に深く焼き付いている。
それからは、僕は部屋に軟禁されて、脱出を試みている間にあれよあれよとシャーロット嬢及びヨーク家の処刑が決まって、やっと謹慎が解けたと思ったら……彼女が断頭台へ上がる日だ。
父上は……全てを承知だった。
兄上たちは、巧妙にも公爵令嬢のみならず家門自体の罪を作り上げて、ヨーク公爵家を断頭台へと送り込んだ。
僕の預かり知らぬところで、着々と準備は進んでいたのだ。
即ち、僕とシャーロット嬢の婚約の話なんて、端っから存在しなかったのだった。
シャーッロト嬢が一歩一歩、断頭台へ向かって歩いて行く。
僕の声は、届かなかった。いや、僕の馬鹿な発言のせいで彼女の罪は…………。
僕があのとき、兄上たちの戯言を突っぱねていたなら。
僕があのとき、最後までシャーロット嬢を守る行動を起こしたのなら。
後悔は雪のように静かに積み重なって、僕の胸を圧迫していく。
ドゥ・ルイス公爵令息の言う通りだ。
僕は、欲に目が眩んで、シャーロット嬢を密かに裏切っていたのだから。
僕はみるみる血の気が引いていって、凍り付いた。
なにを言っているのだ、兄上は。こんなの、聞いていない。
シャーロット嬢とは「婚約破棄」ではなくて、あくまでも「解消」であって、それも卒業パーティー後にひっそりと伝えるのではなかったのか……?
はっと我に返って父上を見る。
父王は無表情で息子の様子を眺めていた。感情の乗っていない王の視線に、ぞくりと背中が冷たくなる。
ひょっとして、父上はこのことを事前に兄上から聞かされていたのだろうか。
だが、このような形でヨーク家を敵に回すなんて……まさか…………。
嫌な予感が、這うようにゆっくりと僕の頭を過ぎった。
兄上は、シャーロット嬢だけではなく、ヨーク家の家門全体に冤罪を着せようとしているのか……?
一方、当事者のシャーロット嬢は顔をまっすぐに上げて、堂々とした様子で兄上を見据えていた。
彫像みたいな綺麗な彼女の顔に、兄上の悪意が降り注ぐ。
「私はお前のような傲慢な女とは婚約破棄をして、この心優しいロージー嬢と婚約をする! 彼女こそ王太子妃に相応しい!」
しかし、高潔な彼女は怯まなくて、畏敬の念を覚えたほどだ。
僕はなにもできずに固唾を呑んで彼女を見守る。
「……左様でございますか。承知しましたわ。では、わたくしはこれで失礼致します」
「待つのだ、シャーロット!」
「まだなにか?」
「まだなにか、だと? お前は私のロージーに行った数々の悪行をしらばくれるのか?」
「悪行?」
「そうだっ! お前は学園内で彼女に嫌がらせを度々行い……更には彼女を暗殺しようとした!!」
「なっ……!?」
「暗殺……?」
信じられない言葉に目を見張った。
これは完全に罪のでっち上げじゃないか。そこまでして兄上はなにをしたいのだろうか。
眼前の異様な空気の孕んだ猿芝居に、ぐらりと目眩がした。
「そっ……そのようなことは身に覚えがありませんわ」
「ふんっ、とぼけても無駄だ。既に調べはついている。そして、ヨーク公爵家の不正もな!」
「不正ですって!?」
「とぼけるな! お前たちヨーク公爵家は王太子の婚約者という立場を振りかざして随分いい思いをしたそうだな。それも償ってもらうぞ」
「そんなっ……お父様がそんなことをするはずがないわっ!」
「申し開きは牢屋で役人に言うのだな。おい、この女を連れて行――」
「待ってください!!」
僕は慌てて声を上げる。なんとしても止めないといけないと直感した。
なにか大きな悪意が、別の場所で動いている。
兄上は……本気でシャーロット嬢を――いや、ヨーク家を陥れようとしていると理解した。
「兄上、これはあまりに横暴なのではありませんか? 一方的すぎます!」と、僕は強く抗議する。
「なんだ、ヘンリー? お前はこの汚らわしい女の肩を持つのか?」
兄上の最低な言葉に僕はかっと頭に血が上る。
「シャーロット嬢は汚らわしくなんかありません! それに証拠と言ってもモーガン男爵令嬢側の人間が調べただけではありませんか? きちんと公平に精査してください!」
「心の美しいロージーが嘘をつくわけないだろう? お前もこの女に騙されているのか? まぁ、男なら誰にでも身体を赦すような女だからな。お前ごときを手玉に取るのは安易だろう」
「彼女の名誉を傷付けるような発言はやめてくださいっ!!」
僕は力の限り大声で叫んだ。全身の血が沸騰したみたいだ。自分たちのことを棚に上げて、一方的に彼女を糾弾する愚かな姿に、湧き上がる怒りは収まらなかった。
だが、兄上は僕のことなんか歯牙にも掛けずに、
「早くこの女を地下牢へ連れて行け。愚弟は自室にて謹慎させるように」
シャーロット嬢を騎士たちに拘束させた。僕は彼女を解放させようと彼らに飛び掛かるが、まるで歯が立たなかった。
「ならば、せめて……せめて王族用の牢にしてくさだいっ! 仮にも兄上の婚約者でしょうっ!?」
「この女とは婚約破棄をした。私とはもう関わりのない女だ」
「そんなっ……!」
シャーロット嬢は茫然自失と僕たちを眺めていた。
あの雨の日の曇り硝子のような混濁した双眸は、今も僕の目に深く焼き付いている。
それからは、僕は部屋に軟禁されて、脱出を試みている間にあれよあれよとシャーロット嬢及びヨーク家の処刑が決まって、やっと謹慎が解けたと思ったら……彼女が断頭台へ上がる日だ。
父上は……全てを承知だった。
兄上たちは、巧妙にも公爵令嬢のみならず家門自体の罪を作り上げて、ヨーク公爵家を断頭台へと送り込んだ。
僕の預かり知らぬところで、着々と準備は進んでいたのだ。
即ち、僕とシャーロット嬢の婚約の話なんて、端っから存在しなかったのだった。
シャーッロト嬢が一歩一歩、断頭台へ向かって歩いて行く。
僕の声は、届かなかった。いや、僕の馬鹿な発言のせいで彼女の罪は…………。
僕があのとき、兄上たちの戯言を突っぱねていたなら。
僕があのとき、最後までシャーロット嬢を守る行動を起こしたのなら。
後悔は雪のように静かに積み重なって、僕の胸を圧迫していく。
ドゥ・ルイス公爵令息の言う通りだ。
僕は、欲に目が眩んで、シャーロット嬢を密かに裏切っていたのだから。
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