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69 第二王子の悔恨④
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それは、前触れもなく突然やってきた。
「シャーロット嬢の犯罪?」
「そうです、殿下。貴方様の口からおっしゃっていただければ確固たる証拠となり、公爵令嬢の犯罪は成立します」
ある日、僕はロージー・モーガン男爵令嬢や兄上の取り巻きの貴族たちから面会を求められた。
彼らと顔を合わせるのも億劫だったが、頑なに拒否をする理由もないので、僕は仕方なく承諾をしたのだった。
そして開口一番これだ。
僕はシャーロット嬢を扱き下ろす彼らに悪感情を抱きながらも、その頃は切羽詰まっていたので、彼らの悪夢みたいな戯言につい耳を傾けてしまったのだ。
「なぜ、僕が彼女の罪を証言しないといけないのかい? 彼女はなにもやっていないと思うが」
「殿下も幾度もご覧になっていたでしょう? 公爵令嬢がロージーに対してどんなに酷い仕打ちを行ってきたか」
「まぁ……そうだが……。あれは犯罪とまでは言えないのではないか?」
追い詰められたシャーロット嬢が、男爵令嬢へ過度な嫌がらせをしていることは知っていた。
僕はそれとなく彼女の矛先を男爵令嬢から兄上へ向けようと「君の立場が悪くなる」「一番悪いのは兄上じゃないのか」と誘導したが、彼女の憎悪は男爵令嬢へ向かったままだった。
彼女は公爵令嬢という立場を利用して、憎き恋敵に制裁を与えているようだった。
しかし、それは仕方のないことだと僕は思っていた。
男爵令嬢と兄上の言動は、度を越している。大体、はじめに不貞を働いたあちら側のほうに非があるんじゃないか。
国王が決めた婚約者がいる身でありながら公然と浮気をする兄上と、第一王子から寵愛を受けているからと言って分不相応の待遇を求めて来る男爵令嬢――二人とも頭がおかしいんじゃないかと思う。
僕からしてみれば、お似合いの愚か者同士だよ。
「いいえ!」にわかに男爵令嬢のキンキン声が耳を貫いた。「ヨークさんは、あたしを階段から突き落とそうともしました! これは歴とした犯罪です! それに、昨日はヨーク家傘下の貴族令嬢たちを連れて、あたしを取り囲んだんです! それで、伯爵令嬢があたしの頬を叩いたんですよっ!」
男爵令嬢は涙目で僕に左頬を見せた。白粉で誤魔化しているが、たしかにうっすらと赤みを帯びていた。
だが……、
「君を叩いたのはその伯爵令嬢とやらで、シャーロット嬢自身は暴力を振るっていない。……あと、ヨークさんではなくてヨーク公爵令嬢だろう。身分を弁えろ」
「違うんです! 命令をしたのはヨークさんで――」
「彼女が命令を出した証拠はあるのか?」
「それは……」
男爵令嬢が口ごもると、
「その場にいた一番身位が高い者はあの女だ。状況から見て、あの女が命令したとしか考えられない」
毎日聞いている不快な声が、僕らの背後から響いた。
「兄上……」
「エド様ぁ~!」
男爵令嬢が愛しの恋人に抱きつく。その恋人とやらは目を細めながら大切な彼女の頭を優しく撫でて、僕の胸はみるみる嫌悪感でいっぱいになった。
「……兄上、どうしてここに?」と、僕は眉をひそめた。
きっと男爵令嬢たちは兄上には秘密裏に来たのだろう。令息たちは罰の悪そうに顔を見合わせている。
「あぁ、ロージーたちが王宮に来ていると小耳に挟んでな。お前たちも、水臭い。言ってくれれば、俺のほうから弟を説得したのに」
「だって、エド様に負担をかけたくなかったんだもん!」
「なんだなんだ。ロージーが俺に負担をかけているのは今更だろう?」
「もうっ! エド様の意地悪ぅ!」
「ははは」
「あのさぁ!」
僕は大音声で二人の胸焼けするような戯れを遮る。苛つきがどんどん込み上げて来て、腸が煮えくり返る思いだった。
このような馬鹿どものために、なぜシャーロット嬢が塗炭の苦しみを舐めなければならないのか。
こんな軽薄な男なんて早く忘れて自分のもとへ来ればいいのに。そうすれば、僕が人生を賭けて愛してあげるのに。
……そんなことを考えると、僕の理性はもう吹き飛びそうだった。
「さっきからなんなんだよ……。悪いけど、シャーロット嬢を貶める計画なんて僕は協力できない。では、僕はこれで――」
「俺は、あの女に婚約破棄を突き付けるつもりだ」
兄上の言葉が、僕の胸を強く掴んだ。
刹那、時が止まる。
心臓の音だけが太鼓のように重たく鳴って、しばしのあいだ頭が真っ白になった。
「婚約、破棄……?」
少しして、やっと掠れた声が出た。
「あぁ」兄上は頷く。「俺はあの女には完全に失望した。王太子妃として相応しくない。だが、父上を説得させるためには確実な根拠が要る。王家の将来を見据えての、客観的に判断したあの女の評価がな」
「それで……僕に嘘の証言を……?」
「別に嘘じゃないだろ? 事実だ」
兄上はにやりと口元を歪ませる。同時に男爵令嬢の醜い笑顔もこちらに向けられて、虫唾が走った。
「お前はあの女が取り巻きを利用してロージーに行った仕打ちをありのまま言えばいい。そうだな……少しばかり誇張しても構わないだろう。王族の発言は事実だからな。そうすれば俺もすんなりと婚約破棄に持って行ける。第二王子の証言は王を説得させる重要な証拠になるからな」
「そうしたら……」僕は思わず懇願するように兄上を見た。「そうしたら、彼女と婚約破棄をしてくれるんだな!?」
兄上はにわかに爽やかな笑顔を見せて、
「もちろんだ」
そして今度は僕の耳元でそっと囁く。
「お前があの女を手に入れるチャンスをやるよ。欲しいんだろう? シャーロットの全てが……」
「っ……!」
たちまち顔が熱くなる。全身がぞくぞくと粟立った。
またぞろ鼓動が早くなって、シャーロット嬢の恐ろしいくらいに綺麗な顔が、僕の心を包み込むように支配した。
「はっ……!」兄上は悪魔みたいにせせら笑う。「――じゃあ、頼んだぞ。第二王子」
僕の思考は、同じ場所でどよどよと停滞していた。それは黒いとぐろを巻いて、自身の心の深くへ潜り込んで来る。
気が付くと、兄上は男爵令嬢の腰を抱きながら部屋の外へ向かっていて、取り巻きたちもその後に続いていた。
その様子を無味乾燥にぼんやりと眺める。
僕はあいつらが嫌いだ。自分たちのことは棚に上げて、シャーロット嬢だけを悪者にする卑劣な者ども。あんな奴らと手なんか組みたくない。
しかし――、
少しだけ……奴らに迎合すれば、シャーロット嬢は開放される。
そして、
僕だけのものになる。
もう、限界が近かった。
僕は、彼女の身も心も……全てを欲しくてたまらなかったのだ。
「シャーロット嬢の犯罪?」
「そうです、殿下。貴方様の口からおっしゃっていただければ確固たる証拠となり、公爵令嬢の犯罪は成立します」
ある日、僕はロージー・モーガン男爵令嬢や兄上の取り巻きの貴族たちから面会を求められた。
彼らと顔を合わせるのも億劫だったが、頑なに拒否をする理由もないので、僕は仕方なく承諾をしたのだった。
そして開口一番これだ。
僕はシャーロット嬢を扱き下ろす彼らに悪感情を抱きながらも、その頃は切羽詰まっていたので、彼らの悪夢みたいな戯言につい耳を傾けてしまったのだ。
「なぜ、僕が彼女の罪を証言しないといけないのかい? 彼女はなにもやっていないと思うが」
「殿下も幾度もご覧になっていたでしょう? 公爵令嬢がロージーに対してどんなに酷い仕打ちを行ってきたか」
「まぁ……そうだが……。あれは犯罪とまでは言えないのではないか?」
追い詰められたシャーロット嬢が、男爵令嬢へ過度な嫌がらせをしていることは知っていた。
僕はそれとなく彼女の矛先を男爵令嬢から兄上へ向けようと「君の立場が悪くなる」「一番悪いのは兄上じゃないのか」と誘導したが、彼女の憎悪は男爵令嬢へ向かったままだった。
彼女は公爵令嬢という立場を利用して、憎き恋敵に制裁を与えているようだった。
しかし、それは仕方のないことだと僕は思っていた。
男爵令嬢と兄上の言動は、度を越している。大体、はじめに不貞を働いたあちら側のほうに非があるんじゃないか。
国王が決めた婚約者がいる身でありながら公然と浮気をする兄上と、第一王子から寵愛を受けているからと言って分不相応の待遇を求めて来る男爵令嬢――二人とも頭がおかしいんじゃないかと思う。
僕からしてみれば、お似合いの愚か者同士だよ。
「いいえ!」にわかに男爵令嬢のキンキン声が耳を貫いた。「ヨークさんは、あたしを階段から突き落とそうともしました! これは歴とした犯罪です! それに、昨日はヨーク家傘下の貴族令嬢たちを連れて、あたしを取り囲んだんです! それで、伯爵令嬢があたしの頬を叩いたんですよっ!」
男爵令嬢は涙目で僕に左頬を見せた。白粉で誤魔化しているが、たしかにうっすらと赤みを帯びていた。
だが……、
「君を叩いたのはその伯爵令嬢とやらで、シャーロット嬢自身は暴力を振るっていない。……あと、ヨークさんではなくてヨーク公爵令嬢だろう。身分を弁えろ」
「違うんです! 命令をしたのはヨークさんで――」
「彼女が命令を出した証拠はあるのか?」
「それは……」
男爵令嬢が口ごもると、
「その場にいた一番身位が高い者はあの女だ。状況から見て、あの女が命令したとしか考えられない」
毎日聞いている不快な声が、僕らの背後から響いた。
「兄上……」
「エド様ぁ~!」
男爵令嬢が愛しの恋人に抱きつく。その恋人とやらは目を細めながら大切な彼女の頭を優しく撫でて、僕の胸はみるみる嫌悪感でいっぱいになった。
「……兄上、どうしてここに?」と、僕は眉をひそめた。
きっと男爵令嬢たちは兄上には秘密裏に来たのだろう。令息たちは罰の悪そうに顔を見合わせている。
「あぁ、ロージーたちが王宮に来ていると小耳に挟んでな。お前たちも、水臭い。言ってくれれば、俺のほうから弟を説得したのに」
「だって、エド様に負担をかけたくなかったんだもん!」
「なんだなんだ。ロージーが俺に負担をかけているのは今更だろう?」
「もうっ! エド様の意地悪ぅ!」
「ははは」
「あのさぁ!」
僕は大音声で二人の胸焼けするような戯れを遮る。苛つきがどんどん込み上げて来て、腸が煮えくり返る思いだった。
このような馬鹿どものために、なぜシャーロット嬢が塗炭の苦しみを舐めなければならないのか。
こんな軽薄な男なんて早く忘れて自分のもとへ来ればいいのに。そうすれば、僕が人生を賭けて愛してあげるのに。
……そんなことを考えると、僕の理性はもう吹き飛びそうだった。
「さっきからなんなんだよ……。悪いけど、シャーロット嬢を貶める計画なんて僕は協力できない。では、僕はこれで――」
「俺は、あの女に婚約破棄を突き付けるつもりだ」
兄上の言葉が、僕の胸を強く掴んだ。
刹那、時が止まる。
心臓の音だけが太鼓のように重たく鳴って、しばしのあいだ頭が真っ白になった。
「婚約、破棄……?」
少しして、やっと掠れた声が出た。
「あぁ」兄上は頷く。「俺はあの女には完全に失望した。王太子妃として相応しくない。だが、父上を説得させるためには確実な根拠が要る。王家の将来を見据えての、客観的に判断したあの女の評価がな」
「それで……僕に嘘の証言を……?」
「別に嘘じゃないだろ? 事実だ」
兄上はにやりと口元を歪ませる。同時に男爵令嬢の醜い笑顔もこちらに向けられて、虫唾が走った。
「お前はあの女が取り巻きを利用してロージーに行った仕打ちをありのまま言えばいい。そうだな……少しばかり誇張しても構わないだろう。王族の発言は事実だからな。そうすれば俺もすんなりと婚約破棄に持って行ける。第二王子の証言は王を説得させる重要な証拠になるからな」
「そうしたら……」僕は思わず懇願するように兄上を見た。「そうしたら、彼女と婚約破棄をしてくれるんだな!?」
兄上はにわかに爽やかな笑顔を見せて、
「もちろんだ」
そして今度は僕の耳元でそっと囁く。
「お前があの女を手に入れるチャンスをやるよ。欲しいんだろう? シャーロットの全てが……」
「っ……!」
たちまち顔が熱くなる。全身がぞくぞくと粟立った。
またぞろ鼓動が早くなって、シャーロット嬢の恐ろしいくらいに綺麗な顔が、僕の心を包み込むように支配した。
「はっ……!」兄上は悪魔みたいにせせら笑う。「――じゃあ、頼んだぞ。第二王子」
僕の思考は、同じ場所でどよどよと停滞していた。それは黒いとぐろを巻いて、自身の心の深くへ潜り込んで来る。
気が付くと、兄上は男爵令嬢の腰を抱きながら部屋の外へ向かっていて、取り巻きたちもその後に続いていた。
その様子を無味乾燥にぼんやりと眺める。
僕はあいつらが嫌いだ。自分たちのことは棚に上げて、シャーロット嬢だけを悪者にする卑劣な者ども。あんな奴らと手なんか組みたくない。
しかし――、
少しだけ……奴らに迎合すれば、シャーロット嬢は開放される。
そして、
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