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第4話
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馬車が屋敷につきました。
「遅くまでありがとうございます」
「何をおっしゃいますか、奥様。あなた様を無事送り届けるのが、私めの仕事。こんな下々の者にまでお気遣いのお言葉、感謝いたします」
従者である初老の男性が、目尻に皺を寄せて微笑んでくださいました。
そうはいっても、彼にも家族があります。
(もっともっと仕事を効率化し、早く屋敷に戻る方法を考えなければ)
時間は有限。
何をしても覚えが悪く、トロい私にレイジィ様が教えて下さった大切な言葉です。
屋敷に入ると、ほのかに光る照明が私を迎えてくれました。
もちろんこの時間ですから、使用人たちも皆休んでいます。出迎えは誰もありません。
食堂に行くと、暗いテーブルの上に食事が用意されていました。
食事の上には何もかけられず、空気にさらされたまま置かれています。
冷たいスープと乾いたパン、そしてほんの少しの豆の添え物。
私の食事はこれだけ。
未だに領民たちは豊かさからかけ離れた生活をしているはず。
それにレイジィ様は、伯爵となられてからまだ数年ですから、領民のために、夜会などに頻繁に参加して新たな人脈を作っていかなければなりません。その為の準備費用だって必要なのです。
贅沢をするわけにはいきません。
食事をとろうとした時、給仕係の少女リッツがやってきたのです。
「奥様、おかえりなさいませ」
「まあ。リッツ! なぜこんな時間まで起きているのですか⁉ 明日も早いのですから、今日はもう休みなさい」
「いいえ、奥様。貴女様の給仕は私たちの仕事。こんな冷たく放置された食事を、貴女様に召し上がっていただくわけには参りません!」
「いいのです、リッツ。いつものことですから。こんな時間まで仕事を終えられない私が悪いのですから」
「奥様……本当に申し訳ございません」
リッツが突然泣き出し、私は慌てました。
「今まで、このような食事ばかりで本当に申し訳ございませんでした! アイリーンがそうしろと私たちに命令したのです……。もちろん反論する者ばかりでした! ですが、反抗的な者はレイジィ様に解雇してもらうと脅されて……」
「な、なんですって⁉ 庭師のグリッドさんの姿が最近見えないと思っていたのですが、も、もしかして……」
「はい。グリッドさんは最後までアイリーンの発言に異論を唱えた結果、レイジィ様に解雇され、屋敷を追い出されてしまったのです。つい数日前のことです」
私は言葉を失いました。
長くこの屋敷に仕えてくれていた使用人たちが苦しい思いをしていること、それに気づかなかった自分に。
「それから誰もアイリーンに逆らうことができませんでした。私も含めて……。奥様、本当に申し訳……ございません……」
「謝らないで下さい、リッツ! それなら、尚更あなたは私と関わってはいけないわ。あなたには、病気のお母さまがいらっしゃるんでしょ?」
「で、でも……もう限界なのです! お優しい奥様が……何故こんな目に……」
「リッツ、おまえそこで何をしているの?」
リッツの身体が強張りました。
ランタンの明かりと共にやって来たのは、
「あら奥様。おかえりなさいませ。遅くまでお仕事、ご苦労様です」
女中頭アイリーンでした。
声色、視線、そしてご苦労様、という主に決して使うことのない言葉。
完全に私は見下されていました。
そして悟ったのです。
私が、レイジィ様とアイリーンの浮気に気づいていると分かっていて、この態度なのだと。
さらにアイリーンが身につけている夜着に、息が止まりそうになりました。
それは、私が無くなったお父様から頂いた大切な夜着だったのですから。
「あ、あいりーん……あなた、その夜着は……」
「ああこれですか? いつも頑張っているからと、旦那様から頂きました。奥様が着用されておらず、服が勿体ないからと私に下さったのです。では私はこれで。明日もレイジィ様のお仕事をお手伝いしなければならないので」
何も言えませんでした。
アイリーンは手で口元を隠していたとはいえ、私の前で大あくびをしました。そして去って行きました。
あまりのショックに、両膝から力が抜けました。
倒れそうになったところを、リッツが必死で支えてくれました。
「私……見たのです。アイリーンが奥様のお部屋を漁っているのを……。そしてレイジィ様に言い寄って、自分の物にしているのを……。レイジィ様も、奥様の物はご自身の物だからと、与えているのです。わたし……信じられません……」
この屋敷は、すでにレイジィ様の寵愛を受けた女中頭アイリーンによって掌握されていたのです。
私の思い出の品も、古くから仕えてくれた使用人たちも、この屋敷も、レイジィ様も、全て、すべて……。
「遅くまでありがとうございます」
「何をおっしゃいますか、奥様。あなた様を無事送り届けるのが、私めの仕事。こんな下々の者にまでお気遣いのお言葉、感謝いたします」
従者である初老の男性が、目尻に皺を寄せて微笑んでくださいました。
そうはいっても、彼にも家族があります。
(もっともっと仕事を効率化し、早く屋敷に戻る方法を考えなければ)
時間は有限。
何をしても覚えが悪く、トロい私にレイジィ様が教えて下さった大切な言葉です。
屋敷に入ると、ほのかに光る照明が私を迎えてくれました。
もちろんこの時間ですから、使用人たちも皆休んでいます。出迎えは誰もありません。
食堂に行くと、暗いテーブルの上に食事が用意されていました。
食事の上には何もかけられず、空気にさらされたまま置かれています。
冷たいスープと乾いたパン、そしてほんの少しの豆の添え物。
私の食事はこれだけ。
未だに領民たちは豊かさからかけ離れた生活をしているはず。
それにレイジィ様は、伯爵となられてからまだ数年ですから、領民のために、夜会などに頻繁に参加して新たな人脈を作っていかなければなりません。その為の準備費用だって必要なのです。
贅沢をするわけにはいきません。
食事をとろうとした時、給仕係の少女リッツがやってきたのです。
「奥様、おかえりなさいませ」
「まあ。リッツ! なぜこんな時間まで起きているのですか⁉ 明日も早いのですから、今日はもう休みなさい」
「いいえ、奥様。貴女様の給仕は私たちの仕事。こんな冷たく放置された食事を、貴女様に召し上がっていただくわけには参りません!」
「いいのです、リッツ。いつものことですから。こんな時間まで仕事を終えられない私が悪いのですから」
「奥様……本当に申し訳ございません」
リッツが突然泣き出し、私は慌てました。
「今まで、このような食事ばかりで本当に申し訳ございませんでした! アイリーンがそうしろと私たちに命令したのです……。もちろん反論する者ばかりでした! ですが、反抗的な者はレイジィ様に解雇してもらうと脅されて……」
「な、なんですって⁉ 庭師のグリッドさんの姿が最近見えないと思っていたのですが、も、もしかして……」
「はい。グリッドさんは最後までアイリーンの発言に異論を唱えた結果、レイジィ様に解雇され、屋敷を追い出されてしまったのです。つい数日前のことです」
私は言葉を失いました。
長くこの屋敷に仕えてくれていた使用人たちが苦しい思いをしていること、それに気づかなかった自分に。
「それから誰もアイリーンに逆らうことができませんでした。私も含めて……。奥様、本当に申し訳……ございません……」
「謝らないで下さい、リッツ! それなら、尚更あなたは私と関わってはいけないわ。あなたには、病気のお母さまがいらっしゃるんでしょ?」
「で、でも……もう限界なのです! お優しい奥様が……何故こんな目に……」
「リッツ、おまえそこで何をしているの?」
リッツの身体が強張りました。
ランタンの明かりと共にやって来たのは、
「あら奥様。おかえりなさいませ。遅くまでお仕事、ご苦労様です」
女中頭アイリーンでした。
声色、視線、そしてご苦労様、という主に決して使うことのない言葉。
完全に私は見下されていました。
そして悟ったのです。
私が、レイジィ様とアイリーンの浮気に気づいていると分かっていて、この態度なのだと。
さらにアイリーンが身につけている夜着に、息が止まりそうになりました。
それは、私が無くなったお父様から頂いた大切な夜着だったのですから。
「あ、あいりーん……あなた、その夜着は……」
「ああこれですか? いつも頑張っているからと、旦那様から頂きました。奥様が着用されておらず、服が勿体ないからと私に下さったのです。では私はこれで。明日もレイジィ様のお仕事をお手伝いしなければならないので」
何も言えませんでした。
アイリーンは手で口元を隠していたとはいえ、私の前で大あくびをしました。そして去って行きました。
あまりのショックに、両膝から力が抜けました。
倒れそうになったところを、リッツが必死で支えてくれました。
「私……見たのです。アイリーンが奥様のお部屋を漁っているのを……。そしてレイジィ様に言い寄って、自分の物にしているのを……。レイジィ様も、奥様の物はご自身の物だからと、与えているのです。わたし……信じられません……」
この屋敷は、すでにレイジィ様の寵愛を受けた女中頭アイリーンによって掌握されていたのです。
私の思い出の品も、古くから仕えてくれた使用人たちも、この屋敷も、レイジィ様も、全て、すべて……。
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