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16 言葉にしないと伝わらない
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その日の晩、なぜか秋良は少し機嫌が悪かった。
どうしたかのかと訊ねたが、何でもないという。
兄にこっそり「どうしたんだろう?」と相談してみたら『疲れたのかもな』と答えた。
あれから悠馬の子どもたちとみんなで公園へ行き、しばらく遊ぶことになった。
鬼ごっこをしたり、遊具で遊んだり、たくさん体を動かしたから、確かに疲れが出たのかもしれない。
俺も日ごろの運動不足がかかったのか、鬼ごっこで走り回ったり、悠馬の一番下の子に肩車をねだられて頑張ったりしてへとへとだ。
食事と風呂を手早く済ませ、今日は早めに休むことにする。
ただ寝る支度をしながら秋良の様子を観察していたが、どうもただ疲れただけには見えなかった。
明らかに唇が尖っていて、何か不満があるのは明らかだ。
夕飯のメニューが気に食わなかったのだろうか?
それとも悠馬の子どもたちと喧嘩でもしたのだろうか?
そう思いを巡らせてみたが、夕飯はパクパク食べていたし、悠馬一家とも笑顔で別れていた。
機嫌が悪くなったのは、公園から帰宅してからのことだ。
それなら、もっと長く遊びたかったのだろうか?
「なあ、秋良?」
「なあに?」
「本当は、何か嫌なことがあったんじゃないか?」
「……だから、何もないってば。しつこい」
ふいっと顔をそむける秋良は、やはり何でもないという様子ではない。
兄の方を見たが、兄も首をかしげている。
そっぽを向いた秋良の顔をのぞき込むと、その瞳には今人零れ落ちそうなほど涙がたまっていた。
驚いて「どうした!?」と大きな声を出してしまった。
秋良は驚いて肩をはねさせ、その拍子に涙がぽろりとこぼれた。
秋良は涙をゴシゴシこすり、だんまりと決め込む。
『秋良……』
兄が秋良の前にしゃがみ込み、その頬に手を伸ばすが、触れることはできない。
兄は悲しそうに、悔しそうに秋良を見つけていた。
秋良がこんな風に泣くのは、兄夫婦が死んで初めてのことだった。
兄夫婦の生前の秋良は、よく泣き、よく笑う感情豊かな子どもで、今ほど聞き分けが良くもなかった。
たしか半年ほど前にいっしょにテーマパークに遊びに出かけたとき、お土産に大きなクマのぬいぐるみが欲しいとか、まだまだ帰りたくないとか駄々をこねて大変だったっけ。
そのとき、兄夫婦は何とか秋良をなだめたり、厳しく言い聞かせたりして、大変そうだと思った記憶がある。
俺は秋良をそっと抱き上げた。
秋良は腕で顔を覆い隠していたが、抱っこを嫌がったりはしなかった。
そうだ。
あのとき、義姉がこうして秋良を抱っこしていた。
落ち着いたからと下ろそうとすると、次は「抱っこがいい」と泣き出して、義姉と兄が交代で抱っこし続けていた。
大きい赤ちゃんだと笑う2人は、重いと文句を言いつつも楽しそうだった。
「なあ、秋良?俺はまだ、秋良のこと、よくわからない。秋良が何を考えているのか、何が悲しくて泣いているのか、わからないんだ。でも俺はさ、秋良が泣いていると悲しい気持ちになる」
「……どうして……?」
「兄ちゃんと義姉さんがそうだったように、俺も秋良が大切だからだよ」
俺の言葉に、秋良が顔を上げる。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている顔を、タオルで拭ってやった。
「おじさん、僕のこと大切なの……?」
秋良が訊ねる。
当たり前だと返すと、少し驚いたような表情をした。
「俺がお前を大切にしていないと思ったのか?」
そう問いかけると、秋良は少し考え込んでから言った。
「パパとママが死んじゃったから、おじちゃんは僕のお世話をしなくちゃいけなくなったんでしょ?かわいそうだって、みんな言ってた」
「みんな?」
「友だちのママとか、知らないおじさんとか」
「そうか……」
きっと悪気もない、ささやかな世間話だったのだろう。
秋良が聞いているなんて、思ってもいなかったはずだ。
しかし、秋良はそれをずっと気にしていた。
聞き分けのいいよいこで居続けているのも、もしかしたら俺に対する遠慮があるのかもしれない。
「ごめんな」
俺は秋良の目をまっすぐに見て言った。
秋良も、俺のことをじっと見ていた。
「言葉にしなくても伝わってるって、勝手に思ってた。でも、俺が秋良の気持ちがわからなかったように、秋良も俺の気持ちがわからなかったんだな」
「……」
「確かにさ、秋良と暮らすようになって大変になったこともある。でも、秋良といっしょに暮らしたかったのは、俺の方なんだ」
「……そうなの…?」
「うん。俺と秋良は離れて暮らした方がいいんじゃないかって人もいたんだ。でも、俺は絶対に秋良と離れたくなかった。兄ちゃんと義姉さんがいなくなって、寂しくて、これで秋良とも会えなくなったらって思うと、怖くなったんだ」
秋良に俺の気持ちが伝わるように、言葉を選びながら、ゆっくり話す。
秋良はただ、じっと俺の話に耳を傾けてくれていた。
「世話をしなきゃいけないから、秋良を引き取ったんじゃない。俺が秋良といっしょにいたくて、我儘を通したんだ。秋良のことが好きだから、困っていたら助けてやりたいし、笑いながらいっしょに暮らしていきたい。秋良は、俺と暮らすのは嫌だったか?」
秋良はぶんぶんと首を横に振った。
俺は微笑んで、秋良をぎゅっと抱きしめた。
「秋良、俺といっしょにいてくれてありがとう」
秋良の小さな手が、俺の服をぎゅっとつかむ。
Tシャツが濡れるのがわかったが、俺はそのまま秋良を抱きしめ続けた。
その肩の震えが止まるまで。
どうしたかのかと訊ねたが、何でもないという。
兄にこっそり「どうしたんだろう?」と相談してみたら『疲れたのかもな』と答えた。
あれから悠馬の子どもたちとみんなで公園へ行き、しばらく遊ぶことになった。
鬼ごっこをしたり、遊具で遊んだり、たくさん体を動かしたから、確かに疲れが出たのかもしれない。
俺も日ごろの運動不足がかかったのか、鬼ごっこで走り回ったり、悠馬の一番下の子に肩車をねだられて頑張ったりしてへとへとだ。
食事と風呂を手早く済ませ、今日は早めに休むことにする。
ただ寝る支度をしながら秋良の様子を観察していたが、どうもただ疲れただけには見えなかった。
明らかに唇が尖っていて、何か不満があるのは明らかだ。
夕飯のメニューが気に食わなかったのだろうか?
それとも悠馬の子どもたちと喧嘩でもしたのだろうか?
そう思いを巡らせてみたが、夕飯はパクパク食べていたし、悠馬一家とも笑顔で別れていた。
機嫌が悪くなったのは、公園から帰宅してからのことだ。
それなら、もっと長く遊びたかったのだろうか?
「なあ、秋良?」
「なあに?」
「本当は、何か嫌なことがあったんじゃないか?」
「……だから、何もないってば。しつこい」
ふいっと顔をそむける秋良は、やはり何でもないという様子ではない。
兄の方を見たが、兄も首をかしげている。
そっぽを向いた秋良の顔をのぞき込むと、その瞳には今人零れ落ちそうなほど涙がたまっていた。
驚いて「どうした!?」と大きな声を出してしまった。
秋良は驚いて肩をはねさせ、その拍子に涙がぽろりとこぼれた。
秋良は涙をゴシゴシこすり、だんまりと決め込む。
『秋良……』
兄が秋良の前にしゃがみ込み、その頬に手を伸ばすが、触れることはできない。
兄は悲しそうに、悔しそうに秋良を見つけていた。
秋良がこんな風に泣くのは、兄夫婦が死んで初めてのことだった。
兄夫婦の生前の秋良は、よく泣き、よく笑う感情豊かな子どもで、今ほど聞き分けが良くもなかった。
たしか半年ほど前にいっしょにテーマパークに遊びに出かけたとき、お土産に大きなクマのぬいぐるみが欲しいとか、まだまだ帰りたくないとか駄々をこねて大変だったっけ。
そのとき、兄夫婦は何とか秋良をなだめたり、厳しく言い聞かせたりして、大変そうだと思った記憶がある。
俺は秋良をそっと抱き上げた。
秋良は腕で顔を覆い隠していたが、抱っこを嫌がったりはしなかった。
そうだ。
あのとき、義姉がこうして秋良を抱っこしていた。
落ち着いたからと下ろそうとすると、次は「抱っこがいい」と泣き出して、義姉と兄が交代で抱っこし続けていた。
大きい赤ちゃんだと笑う2人は、重いと文句を言いつつも楽しそうだった。
「なあ、秋良?俺はまだ、秋良のこと、よくわからない。秋良が何を考えているのか、何が悲しくて泣いているのか、わからないんだ。でも俺はさ、秋良が泣いていると悲しい気持ちになる」
「……どうして……?」
「兄ちゃんと義姉さんがそうだったように、俺も秋良が大切だからだよ」
俺の言葉に、秋良が顔を上げる。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている顔を、タオルで拭ってやった。
「おじさん、僕のこと大切なの……?」
秋良が訊ねる。
当たり前だと返すと、少し驚いたような表情をした。
「俺がお前を大切にしていないと思ったのか?」
そう問いかけると、秋良は少し考え込んでから言った。
「パパとママが死んじゃったから、おじちゃんは僕のお世話をしなくちゃいけなくなったんでしょ?かわいそうだって、みんな言ってた」
「みんな?」
「友だちのママとか、知らないおじさんとか」
「そうか……」
きっと悪気もない、ささやかな世間話だったのだろう。
秋良が聞いているなんて、思ってもいなかったはずだ。
しかし、秋良はそれをずっと気にしていた。
聞き分けのいいよいこで居続けているのも、もしかしたら俺に対する遠慮があるのかもしれない。
「ごめんな」
俺は秋良の目をまっすぐに見て言った。
秋良も、俺のことをじっと見ていた。
「言葉にしなくても伝わってるって、勝手に思ってた。でも、俺が秋良の気持ちがわからなかったように、秋良も俺の気持ちがわからなかったんだな」
「……」
「確かにさ、秋良と暮らすようになって大変になったこともある。でも、秋良といっしょに暮らしたかったのは、俺の方なんだ」
「……そうなの…?」
「うん。俺と秋良は離れて暮らした方がいいんじゃないかって人もいたんだ。でも、俺は絶対に秋良と離れたくなかった。兄ちゃんと義姉さんがいなくなって、寂しくて、これで秋良とも会えなくなったらって思うと、怖くなったんだ」
秋良に俺の気持ちが伝わるように、言葉を選びながら、ゆっくり話す。
秋良はただ、じっと俺の話に耳を傾けてくれていた。
「世話をしなきゃいけないから、秋良を引き取ったんじゃない。俺が秋良といっしょにいたくて、我儘を通したんだ。秋良のことが好きだから、困っていたら助けてやりたいし、笑いながらいっしょに暮らしていきたい。秋良は、俺と暮らすのは嫌だったか?」
秋良はぶんぶんと首を横に振った。
俺は微笑んで、秋良をぎゅっと抱きしめた。
「秋良、俺といっしょにいてくれてありがとう」
秋良の小さな手が、俺の服をぎゅっとつかむ。
Tシャツが濡れるのがわかったが、俺はそのまま秋良を抱きしめ続けた。
その肩の震えが止まるまで。
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