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幽韻之志

61/科戸忠興という男

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 まだ、動機が速くて…
 熱から覚めない俺の脈を取る、科戸さんが手を降ろす。

 「蚕蛾のフェロモンに悪い夢でも観たのでしょう、養生なさい」
 「まさか蟲姦ちゅうかん…そんな…」
 「虫にまで子を産ませる気があればの話です」

 科戸さんが声を潜めると、落ち着いた様子の神風が覗き込む。

 「とめき?」
 「通り名です。名は青木昌宗、本家で世話になってるつまらない男です」
 「ああ、おこを届けてくれたのは君か」

 初めて会ったような顔してる、この人は別の人格で…説明しよう。

 玲音に犯される俺の悲愴を救うべく、小夜子は蚕蛾を盗み出し、狂人の執務長・九頭竜神風くずりゅうあらしをおびき寄せて争わせた挙句、雌のフェロモンによって誘発された幻想的な月夜に魅せられた神風の人格が入れ替わる。


 蚕蛾の最期に立ち会う奇妙な光景に出遭う、御伽の宵。


 基を辿れば科戸さんは御幼少のみぎり、新潟の酒造業を営む夫婦の養子に迎えられその先で使用人の九頭竜家と出会う。
 父親には九つの魂が共存しており、酒造りのマニュアル化と経理、財務管理や当時は珍しい財務諸表の制作をたった一人で手掛けた生粋の商人。


 凄惨で痛ましい事故が起きたあの夜


 日本海に記録的な台風が押し寄せた、夜半
 火の手から逃れ、生き残った幼い若を抱いて、燃える山から里に初めて下りた九頭竜は警察に飛び込んだ時に人の言葉が話せなかったという。
 大正時代から続く大手酒造者である養父の元で何不自由ない暮らしをしていた若の命を狙う何者かにより火を放たれ、総勢200名を超える使用人と家族は全員死亡。
 当時、国策に参与していた怨嗟えんさの連なりだと警察は睨んでいたが犯人は見つからず、科戸家は一家離散。

 たったひとり、養子の忠興を残して…

 双子の弟、青嵐が引き取られた黒鬼家にふたりが訪れた時は惨憺たる状態で「獄卒が来た」と騒ぎになったらしい。黒鬼いづるの計らいにより再会した双子の兄弟を抱きしめる九頭龍は一生涯、子らに仕えることを誓い、離れで養蚕業を営み、今もなお、あの夜の"秘密"を守っている。

 親の因果として神風にも九つの魂が宿り
 16歳の頃から本家の執務長を務め、現在に至る。

 「神風は病気ひとつせず、ひとりで9人分の仕事が出来ます。良きかな」

 にっこり、笑ってるけど俺の依代鄙よりしろひなも殺される所でした。勘弁してくれ。

 「親方様…ご謙遜を」
 「丈夫とはいえ、いざと為れば討て名となりましょう」
 「いい気なモンだ…人など…虫程にも無い」

 あ、声が変わった。
 病気ひとつせず、とはいえ現代医学では解離性障害という深刻な病に相当するが、全ての人格と情報共有して50余年生きていられるのだから、九頭龍神風もまた人ならざる者。修羅人のうち、そう思えば"お仲間"だ。

 「これ、蜂。とめきの腕が折れますよ」

 俺の腕を捉えて離さない、この男は9つある魂の中で最も狂暴で身体能力に優れた殺人蜂。家族を守る使命感が強く命における忖度が無い蜂だが、無垢な人格のうじが湧いて蜂に訴える葛藤を振り払った先で、神風が戻る。

 「末っ子が我儘で困ります」

 人格のひとり、一番幼い蛆に8人が振り回されている様子。芝居とも違う様変わり、故に9人がひとつの体を共有するのは苦労が絶えないことを察して頷く。

 「遭ったら最期、3日と命が続かないと噂ですが?」
 「迷信ですよ。私が生きているのだから理由になりません」
 「科戸さんは皆にとって大切なお方です」
 「あなたにとっても、そうだと良いのですが…」
 
 ええ、勿論。
 笑って見せるが、あおちゃんの件で襲撃した経験がある俺は命を狙う疑わしい輩だと科戸さんに疑われて当然。次から次へと厄介を起こすのは青の一門にいた時からの悪癖だ。
 結局、一睡もできないまま玲音は刃毀れを打つ為に出掛けると重い腰を上げたが、目で追いかける俺を見て熟慮の末に仮刃を差し替え、俺の傍にいると決めた。

 「そういえば北都は?」
 「御所の託児所におります。隷属が監視を怠っていなければ問題はありません」

 うわぁ…それはそれで事件だな、間違いない。
 昼過ぎに帰って来たあおちゃんは俺がいることを知り、猛然と廊下を走りまわる。
 「とめきーっ!」両手を広げて俺に飛び込んでくるあおちゃんは夢の国の出来事を話しながら、俺のお土産を一間25畳の床にめいっぱい広げて説明する。

 「お心遣い痛み入ります。でも、俺ひとりで食べきれないかも?」
 「ほら、俺の言う通りだ」

 あおちゃんのほっぺたがぷぅ…と膨れる。

 「大人の世界じゃな?餞別を貰って初めて土産物を買うんだぞ」
 「金ならいくらでもあるって言ったのアンタでしょ!これだから金に汚い男は」
 「調子くれやがってこのガキ…」

 プイッと顔を反らす、あおちゃんは俺の膝に上がって笑う。

 「おかえり。俺の可愛いお姫様」
 「ただいま。私の愛しい王子様」
 「晃汰じゃ役不足だった?素敵な王子様だと思うけど…」
 「キモッ!夜の舞踏会でガラスの靴を落とすから、とめきが届けてね」

 お迎え前提の設定をより好む小さなお姫様は、2泊3日でとんでもない額を溶かす金銭感覚にフラフラ。お昼は質素に鮭おにぎりとたまご焼き。蕗の味噌炒めを上手に箸で掴んで食べるあおちゃんはプレ幼稚園の準備万端に見えたが、書類を郵送した後の面接で俺はバッサリと切られた。
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