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幽韻之志

47/神様からの尾久裏びと

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 唐紅からくれないの雛壇に上るおてんば娘、三人官女が転げ落ちる。
 しづ子さんにみつかったら尻引っぱたかれるよ、何やって…え?宝相華文ほうそうげもんの帯だと思っていたそれは金色と黒が交じり合う尻尾で、左右に揺れ動く。
 顎まで伸びた黒髪に動物の耳、透ける白縹色しろはなだの瞳で俺を見つめていた。

 「……ダディ?」

 鼻を鳴らして俺に飛びつき、首元に絡まりながら肩に登る。

 「うわ!ちょ…っと…」

 首を舐められ襟元からネックレスを咥えて引っ張る。
 それは…悪戯しないで。捕まえようとしても体をくねらせる猫に似たしなやかさで、逆さになって俺を覗き込む。
 どこから迷い込んで来たのか、聞こうにも言葉が通じないのでふんわりとした尻尾をそっと撫でるとキュン鳴き、するりと俺に抱かれる獣仔けものこの耳がピンと立ち上がり、縁側から走って来るあおちゃんの足音に反応する。
 瞬間、俺を蹴り飛ばして跳躍。
 雛壇に着地して人形を散かしながら上段まで駆け上り、あおちゃんの悲鳴を皮切りに西之宮の侍女が駆けつけ大騒ぎ。
 俺の着物は爪で破られ頬から出血
 雛人形をめちゃくちゃにされて激怒するあおちゃんは獣仔を追いかけ回して大広間の鴨居から何から傷だらけ。そこへ優雅にやって来た科戸さんも驚く設えに扇子を閉じる先に獣仔を捉える、危険な瞳孔。

 「おや、泥棒猫かな…」

 黒足袋の爪先が外側に開くと肩を落として引き際、手の中に刃物が握られているのを見て刺し違える覚悟で前に出ると、俺の脇を擦り抜けて刃物が三枚…目視で飛ぶ。
 獣仔は雪見障子を蹴破り欄間らんまに駆け上がり刃物を避けるが、もう逃げ場は無い。
 これ以上事を荒げないよう欄間に登った獣仔の下に立つ。
 爪を立てて眼の色を変える怯えた様子に哀れみを浮かべ、囁くように呼び掛ける。
 声にしなくても、この子の耳にはきっと届くであろう優しい心の声を送り続けると肩に飛び乗り、尻尾を襟巻のように絡めて俺の胸に辿り着く。

 「もう、手懐けてやがる…」
 「とめきは天下の調教師、歌舞伎青嵐かぶきせいらんですから…ね?」

 傷を舐める獣仔は鼻を擦り付け、それが服従の証であることを示す。

 「狐の嫁入りに捨て子…とめき?余りにも節操が無いのでは」
 「誤解しないでください」
 「あおの父親も未だ確認が取れず、まぁ…あなたは腐っても歌舞伎青嵐。何処ぞで種を巻き散らかしていても何ら不思議ではありません」
 「愚弟の好色一代を継承した覚えはありません」
 「では、なぜこの子に父親だと認められたのですか」

 ダディ以外に喋らない獣仔。
 科戸さんの見立てによるとまだ生後4か月程度の成長、猫でいえば仔猫(キトン)時代で小さな乳歯が抜けそうになっており、体毛が柔らかな巻き毛。耳と尻尾以外にも胸毛から続くお腹のラインから鼠径部そけいぶまで動物のような毛が生えており、粗相をしないようオムツを付けてあおちゃんのお下がりを着せた。

 見た目は人間の子供だが、動作と言動が獣でじっとしてない。

 「ミルク、わかる?」

 温かな哺乳瓶の乳首を口元に宛がうと、噛みながら細い舌で舐める。
 俺の膝に上がって食む
 獣仔を忌々しく睨みつけるあおちゃんは襖の裏側で拗ねて嫌い嫌いの連呼。
 初節句を楽しみにしていたのに雛人形を壊されて大広間に掛けられた一本柱の長押を傷つけ、金冠の掛具が割れたのに…赤ちゃんだから怒られないなんておかしい!あおちゃんアレぶっ壊した時、お父様に焼鏝やきごてでお仕置きされてすっごく恐かったと泣き喚いてるけど、科戸さんは知らん顔。

 仕置の術が、拷問。
 さすが本家育ちのお嬢様は格が違います。

 「困ったお姉ちゃんだね。ほら、おいで…近くで見ると可愛いよ」

 襖から顔を半分覗かせ恨めしそうに見ているあおちゃんは地団太を踏む。
 ゆりかごのうたを謡いながら獣仔のお尻をとんとん…あおちゃんは口を尖らせてこっちに来ると、膝を分けて抱っこする。

 「お名前、なんにしようか?」
 「ブタゴリラ」
 「うーん(どこで覚えたの?)呼びにくいなぁ」

 ミルクで体が温まり、安心したのか口を開けたまま眠りに落ちる獣仔を俺のショールで包み、抱き直すとあおちゃんが首に腕を回して抱きつく。

 「赤ちゃんの匂いがする」
 「俺と出会った頃のあおちゃんも4か月だったよ」
 「覚えてる。おっきな声で呼んだら、とめきが来たの」
 「ほんとに?驚かせてしまって、ごめんね」
 「いいよ、あおちゃんお姉さんだから許してあげる」
 「優しいお姉さんだね。ありが…」

 矢先に「チビは嫌い」と蹴る極悪お稚児は俺に対する執着が激しくて、隙を見せたら殺し兼ねない。
 弱者に情けの概念無し
 自分が虐げられてきた分おそらく獣仔に辛くあたると見越して俺も強く出るより他に教える方法は無かった。

 「ここには置けないので、俺が躾けます」
 「構いませんが…」

 科戸さんの腕に噛みついてぶら下がるあおちゃんは、断ち膝からの隅落すみおとしで床に投げ出される衝撃に獣仔が驚いて尻尾を膨らませる。

 「ふたりが出会ったのも何かのご縁、俺が諭します。ご容赦下さい」
 「あおは、些か育ち過ぎのような」
 「利発なよい子だと思います」
 「私が稽古を付けます」
 「貸した時と同じ状態で帰してくれるなら、お頼み申し上げます」

 どうやっても科戸さんには勝てないのに噛みつくあおちゃんの方が獣っぽくて、尻尾を丸めて震える獣仔は科戸さんの遺憾なき負の波動に怯える。
 こんな冷徹にチビっこを任せたら殺されてしまう。
 帰り道、あおちゃんと一緒に名前を決めた。
 見上げた夜空に北斗七星、恒星が瞬く星並びに縁起を担いで"北都"にしよう。

 「ほっちゃん、ごはんだよ」
 「キュン!」

 北都にミルクをあげるのは、お姉ちゃんの当番。
 私が私が!面倒をみてくれるので褒めて自信と責任感を育む。北都はお父さんを探して遥か遠い国からやって来た。まだ小さくて正しい判断ができない、臆病ですぐに俺の裾に隠れる小さな獣仔。
 お父さんがみつかるまで、優しく教えて守ってあげようね。

 「あおちゃんの本当のママね…死んじゃってもういないの、パパもいないよ」
 「……キュン?」
 「ほっちゃんのパパがみつかるまで、とめきは貸してあげる」

 奥の部屋から聞こえる話し声に晃汰が吹き出す。

 「なに?あの高速スライダー」
 「子供のごっこ遊びだよ」
 「次から次へと、物怪を呼び寄せて…神降ろしのつれあい?」
 「俺にそんなこと出来ないよ」
 「小夜子さんの術を破ったのお前だろ」
 「そう…だけど、呼ばれて会いに行ってたから」
 「母さんが泣いてた。兄嫂ねえさんは一度も夢に出て来てくれないのに、って…」

 夢、俺にしてみれば小夜子の存在は"居る"
 あれから小夜子は本家で、あおちゃんの子守をしてくれている。
 とても穏やかで童歌を聞かせてくれるようだ。俺には声は聞こえないがあおちゃんは会話ができる。

 「日和ひより御代みだい神様かみさまの赤穂仰ぐや村まつり」
 「赤穂浪士あこうろうしか、なんか?」
 「討ち入り…君主の仇討ち…じゃない事を祈るよ」

 ――――― ギャ……ン!!

 鳴き声に飛び出せば、俯せになった北都に跨り耳を掴むあおちゃんが暴れてる。
 な、な、何してんの!!!!

 「ほっちゃんにかじられた」

 怪我の程度は浅く、甘噛みに驚いて反撃。正当防衛を訴える利発なあおちゃんのことだ、自分より幼く理解ができない北都に苛立つのだろう。
 世の中には理不尽がいっぱい、己の立場により平等は存在しない事を憎しみに置き換えないよう俺が教えないと今まで苦労を重ねて来た意味がない気がして…ふたりを抱き寄せて絵本を読みながら寝かしつける。子育ては大変だけど己を鍛錬する術であることに得心がいく。
 結婚しなければ配偶者を設けることは適わない。
 でも自分を慕ってくれる仲間ができる。ここに在る安らぎを知った今では、掛け替えのない命を俺が護って紡ぐ。花形の掟「親に愛され、子は護られる」愛おしい人のために命を賭す大切なお役目を授かる立場に俺は夢中だ。おそらく性に合っているんだろうな、調教師として修羅の道を往くことに俺はいつだってひたむきで…

 愛は救済だ

 玲音への思いに胸が熱くなる。
 今、どうしているんだろう。あおちゃんの里帰りを兼ねてお見舞いに行きたいと思い立ったが吉日、北都に首輪とハーネスをつけて散歩の練習を開始。
 泪町で迷子になる=死
 逃げ出しても探せるように首輪に俺の指輪を通す。

 「えー!それほっちゃんにあげちゃうの」
 「迷子札に貸してあげるだけ」
 「その指輪無くしたら承知しねぇーぞ」

 短い脚を組んで北都のリードを引く姿がもう女王様の貫禄。
 キュン鳴きして俺の懐に身を寄せる北都は耳を伏せる。
 この頃ではミルクで足りないので食事を与えているが指が上手に使えず犬食い。自分で首輪を外すことは出来ないと見越してのレンタル指輪。だが、これ…追跡機能の他、特殊な加工(自爆装置)が施されているので北都が死ぬ可能性は避けられない。
 俺と玲音の証が、北都を繋ぐ。
 世にも不思議な縁がまたひとつ、逢魔が時に群青の空が焼け堕ちる。
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