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奴隷島
風が西寄りに吹いてる刻は
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「お客様かな…」
引き戸が開くと季節外れの、銅の風鈴が鳴る。
「おや、先約が居りましたな」
「構いません、どうぞ」
「それでは失礼するよ。久しぶりにここの名物が食べたくてね」
「ありがとうございます」
カウンターにお膳と箸を用意して、邪魔にならないよう厨房に回る。
ここでの初仕事は、お遣い。
店を出てまっすぐ三丁進んだ先の角に銭湯があるからそこで瓶牛乳3本買ってくること。泪町の二十四軒にはコンビニが無い、この時間は商店も閉まっている為、銭湯に走り出す。
昼間は眠った様に静か…だけど夜の泪町は人がまばらにいて窓に明かりが灯る。地面に座っている男が頭から血を流しているけど喧嘩?
そのまま伸びてると死ぬぞ、誰か救急車呼んでやれ。
「よう、兄ちゃん新入りか」
競馬新聞から顔を覗かせる男は、歯並びの悪さが目立つ。
「そこの店で世話になってます」指をさす先に…そこらじゅうの人が顔を向ける。
浮浪者みたいな成りした男がふらふらと前に出て、乾いた唇で何か呟くがこの距離では聞き取れない。
「この先に銭湯ありますか」
「ふしみ湯か?」
「…ああ、あっちだぞ。何の用だ」
「牛乳みっつ」
三本指を振りながら、また走り出す。
ふしみ…か、懐かしい名前だな。
修学旅行で行った京都の伏見を思い出す。
御香水は霊水として名高い。南部は名水の元、酒蔵が沢山あって情緒のある屋根瓦が連なっていた。
銭湯の入り口で一呼吸おいて「ゆ」の文字が書かれた暖簾を潜る。
散乱する上靴とサンダルを見た所、男物ばかりで入口がひとつ…
男湯しかないのか?
「お邪魔します。牛乳ありますか?」
目の上の番頭は背中を丸めたまま俯いていた。
前に回って覗き込むと、性別不明のご老人は斜視で目が合わない。
……寝てるのか?
気にせず靴を脱いで、脱衣所の冷蔵庫から牛乳瓶を取り出した。
まばらな客層は100%ごっつい紋々を背負っている。
一般のスパなら即アウトな面子、まるで映画の世界だな。
まぁいい…番頭にお題を渡して靴を履く俺を遠くで睨んでる奴がいる。
「おい、ババアの近くにある箱に金入れて行け」
ご親切にどうも
牛乳瓶を抱いて店まで走って戻ると、入れ違いで来た客の姿はなく…
それほど時間を要してないつもりだったが、もう帰ったのか?
使い込まれた鍋にはバター香る肉と野菜が炒められ、コンロから降ろすと、もう一つの鍋に溶かしバターを広げて白い粉を入れると泡立ち、手早く混ぜながら「牛乳のフタを開けてください」手渡すと少量ずつ加えクリーム状の何か?が出来あがる。
「なんですか、それ」
「ベシャメルソースです」
突如聞きなれないおしゃんな専門用語に相槌したものの解らず、黙って見ているとシチューの元になるクリームだと判明。
残りの牛乳でソースを伸ばすのか、なるほど。
花模様の細工に角を落とした人参がとてつもなく和風だが、料理なんでもできるんだな。だから店やってんだろうけど…
前下がりの髪を耳に掛けてから袂を押さえて、味見の小皿を傾け、そ…っと目を細める科戸さんを飽きずに見ていると、口角を上げて大人の対応をされてしまう。
「洗い物しましょうか」
「いいえ…貴方の仕事はこれを食べることです、どうぞ」
白い器に盛りつけられた待望のシューが届く。
スプーンですくって一口、ほう…優しいくちどけに後退く旨味。
行儀悪いけどオンザライス希望。
商売やってれば上手くてなんぼ、だけど料理の腕だけではない。
何事にも動じることなく淡々と確実にこなしていく手際の良さ、無機質な雰囲気を醸しているのに嫌味ではない素っ気なさに包容力を感じて…勝手に居心地を覚えている自分を客観視。
俺は…今、尊敬できる目上の人に出会えた喜びを切なく募らせている。
「科戸さん。ここでは有名なんですか」
「狭い町なので…誰かに会いましたか」
「親切にしてくれた人には、何人か」
「ここは特殊な地域。この通りの場所…なのでね。支援してくれる団体を取りまとめたり、病院が無いので私が町医者を担っています。顔は広い方かも知れません」
「医者?」
「簡単な手当てと薬の処方を、その程度です」
なるほど、飲食店経営と町医者を兼ねていたら知らない者はいない。
それも住民からは金を取らないっていうんだから資産家の可能性も考えられる。
政府の関係者?その筋に詳しくないが人は見かけによらないから、足元救われないように気を付けないと。
さて、食べ終わったら科戸さんが片づけている間に寝床の準備。
トントン…
狭い階段に手を付けて駆け上がり、六畳一間の格子窓に薄いカーテンを引いて電気を付ける。
――――不意に、視線を感じて振り返ったが…気のせいか。
こんなに古けりゃ曰く付き?
何の恨みがあるのか知らないが、生きてる人間が一番怖いと相場が決まってる。
知らない天上
冷たい布団が温まり、少し開けた窓から夜風が吹き込む。
時折、外から怒号が聞こえてくるが、乾いた破裂音と共に静けさを取り戻す。
関東で最も治安が悪いといわれる泪町二十四軒。金さえあればギャンブルに興じて暴力が横行する犯罪が日常的な番外地で俺は寝ているわけだが、それは最も人間らしい行為。まともな生理現象だ。底辺で生きる野性味の素晴らしさたるや、魂が揺さぶられるな悦びに溢れている。
朝起きようと思っていたら、死んでいたりして。
青嵐は…みんなに何を言われるか?
誰に送られるんだろう。
玲音は今でも俺のこと覚えているかな…
花を添える美しいあの手に指輪はもう無くて離れて行くのが寂しくて、目覚める。
引き戸が開くと季節外れの、銅の風鈴が鳴る。
「おや、先約が居りましたな」
「構いません、どうぞ」
「それでは失礼するよ。久しぶりにここの名物が食べたくてね」
「ありがとうございます」
カウンターにお膳と箸を用意して、邪魔にならないよう厨房に回る。
ここでの初仕事は、お遣い。
店を出てまっすぐ三丁進んだ先の角に銭湯があるからそこで瓶牛乳3本買ってくること。泪町の二十四軒にはコンビニが無い、この時間は商店も閉まっている為、銭湯に走り出す。
昼間は眠った様に静か…だけど夜の泪町は人がまばらにいて窓に明かりが灯る。地面に座っている男が頭から血を流しているけど喧嘩?
そのまま伸びてると死ぬぞ、誰か救急車呼んでやれ。
「よう、兄ちゃん新入りか」
競馬新聞から顔を覗かせる男は、歯並びの悪さが目立つ。
「そこの店で世話になってます」指をさす先に…そこらじゅうの人が顔を向ける。
浮浪者みたいな成りした男がふらふらと前に出て、乾いた唇で何か呟くがこの距離では聞き取れない。
「この先に銭湯ありますか」
「ふしみ湯か?」
「…ああ、あっちだぞ。何の用だ」
「牛乳みっつ」
三本指を振りながら、また走り出す。
ふしみ…か、懐かしい名前だな。
修学旅行で行った京都の伏見を思い出す。
御香水は霊水として名高い。南部は名水の元、酒蔵が沢山あって情緒のある屋根瓦が連なっていた。
銭湯の入り口で一呼吸おいて「ゆ」の文字が書かれた暖簾を潜る。
散乱する上靴とサンダルを見た所、男物ばかりで入口がひとつ…
男湯しかないのか?
「お邪魔します。牛乳ありますか?」
目の上の番頭は背中を丸めたまま俯いていた。
前に回って覗き込むと、性別不明のご老人は斜視で目が合わない。
……寝てるのか?
気にせず靴を脱いで、脱衣所の冷蔵庫から牛乳瓶を取り出した。
まばらな客層は100%ごっつい紋々を背負っている。
一般のスパなら即アウトな面子、まるで映画の世界だな。
まぁいい…番頭にお題を渡して靴を履く俺を遠くで睨んでる奴がいる。
「おい、ババアの近くにある箱に金入れて行け」
ご親切にどうも
牛乳瓶を抱いて店まで走って戻ると、入れ違いで来た客の姿はなく…
それほど時間を要してないつもりだったが、もう帰ったのか?
使い込まれた鍋にはバター香る肉と野菜が炒められ、コンロから降ろすと、もう一つの鍋に溶かしバターを広げて白い粉を入れると泡立ち、手早く混ぜながら「牛乳のフタを開けてください」手渡すと少量ずつ加えクリーム状の何か?が出来あがる。
「なんですか、それ」
「ベシャメルソースです」
突如聞きなれないおしゃんな専門用語に相槌したものの解らず、黙って見ているとシチューの元になるクリームだと判明。
残りの牛乳でソースを伸ばすのか、なるほど。
花模様の細工に角を落とした人参がとてつもなく和風だが、料理なんでもできるんだな。だから店やってんだろうけど…
前下がりの髪を耳に掛けてから袂を押さえて、味見の小皿を傾け、そ…っと目を細める科戸さんを飽きずに見ていると、口角を上げて大人の対応をされてしまう。
「洗い物しましょうか」
「いいえ…貴方の仕事はこれを食べることです、どうぞ」
白い器に盛りつけられた待望のシューが届く。
スプーンですくって一口、ほう…優しいくちどけに後退く旨味。
行儀悪いけどオンザライス希望。
商売やってれば上手くてなんぼ、だけど料理の腕だけではない。
何事にも動じることなく淡々と確実にこなしていく手際の良さ、無機質な雰囲気を醸しているのに嫌味ではない素っ気なさに包容力を感じて…勝手に居心地を覚えている自分を客観視。
俺は…今、尊敬できる目上の人に出会えた喜びを切なく募らせている。
「科戸さん。ここでは有名なんですか」
「狭い町なので…誰かに会いましたか」
「親切にしてくれた人には、何人か」
「ここは特殊な地域。この通りの場所…なのでね。支援してくれる団体を取りまとめたり、病院が無いので私が町医者を担っています。顔は広い方かも知れません」
「医者?」
「簡単な手当てと薬の処方を、その程度です」
なるほど、飲食店経営と町医者を兼ねていたら知らない者はいない。
それも住民からは金を取らないっていうんだから資産家の可能性も考えられる。
政府の関係者?その筋に詳しくないが人は見かけによらないから、足元救われないように気を付けないと。
さて、食べ終わったら科戸さんが片づけている間に寝床の準備。
トントン…
狭い階段に手を付けて駆け上がり、六畳一間の格子窓に薄いカーテンを引いて電気を付ける。
――――不意に、視線を感じて振り返ったが…気のせいか。
こんなに古けりゃ曰く付き?
何の恨みがあるのか知らないが、生きてる人間が一番怖いと相場が決まってる。
知らない天上
冷たい布団が温まり、少し開けた窓から夜風が吹き込む。
時折、外から怒号が聞こえてくるが、乾いた破裂音と共に静けさを取り戻す。
関東で最も治安が悪いといわれる泪町二十四軒。金さえあればギャンブルに興じて暴力が横行する犯罪が日常的な番外地で俺は寝ているわけだが、それは最も人間らしい行為。まともな生理現象だ。底辺で生きる野性味の素晴らしさたるや、魂が揺さぶられるな悦びに溢れている。
朝起きようと思っていたら、死んでいたりして。
青嵐は…みんなに何を言われるか?
誰に送られるんだろう。
玲音は今でも俺のこと覚えているかな…
花を添える美しいあの手に指輪はもう無くて離れて行くのが寂しくて、目覚める。
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