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ハードボイルド

蜘蛛と蝶①

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 初めて人を好きになった。オーマイロミオ、俺の最愛の男。


 君と出会ったのは、トラットリアタイプのゲイバーだった。お気に入りの奥の席で、トマトソースがその魅惑的な口元を赤く染めるのを厭わず、ブルスケッタを貪る野性的な姿に興味を惹かれた。

「よう、ベイビー相席かまわないか? 仕事の後にこの席で一杯やるのが俺のルーティーンなんだ」

 俺の仕事は頭脳と肉体を使う仕事だ。別段苦労はしていないが、ひとつの仕事をやり終えたあと、このザワザワした小さな店で一人で祝杯を上げるのが小さな癒やしであり、次の仕事の成功へのゲン担ぎでもあった。

「知ってるよ。ヴァレリオ・サルトーリ。あなたと話してみたくてこの席で待っていたんだ」
「なんだって?どこで俺のことを」
「ヴァレリオ、おまちどう」

 椅子の背に手をかけ、腰を落としたところで店長がビールを持ってきた。一本しか頼んでいないのに両手に持って、俺にウインクしてきやがる。

 なるほど店長か、俺の情報を彼に教えたのは。
 まあいい、透けるような白肌に、柔らかそうなブロンドヘア。目尻が上がった瞳は落ち着きのあるブルーグレイ。体は華奢すぎずゴツくもなく、妖艶な空気を纏っている。正直言って好みだ。

「出会いに乾杯」

 そう言って、店長が持ってきたビールの一本を彼に渡す。
 彼はトマトソースが付いた唇を舌でねろりと拭うと、飾り気なく喉を鳴らしてビールを飲んだ。

「僕の名前はロミオ。最近北部から引っ越して来たんだ。このトラットリアが北部の家庭料理を出してるって聞いて、通うようになったんだ」
「へぇ、そうか。店長の料理はうまいからな」

 俺も故郷は北部だ。だがおくびにも出さずに答える。

「そう。トマトやバジルも好きだけど、クリームやチーズみたいな濃厚なものを、本能が求めるんだよ……ね」

 上目遣いに俺を見つめて、足先で脛をつつきながら「濃厚なものを求める」とは。いい誘い方だ。
 親父の店で会話を楽しんだ後、俺は彼を連泊しているホテルに誘った。


「古いけど、落ち着くホテルだね。それにあなたの部屋はとっておきの部屋だ。ずいぶん稼ぎがいいんだね」
「まあな」

 言いながら、ロミオの腰に手を回して室内に引き込み、口付けようとした。その途端。

「うあぁぁ!」

 叫ばれて、突き飛ばされた。
 ロミオは床にしゃがみ込み、体をふるわせている。

 ここまで来ておいて、なんだこの反応は。もしや美人局の類か。

「てめ…」
「くも、くも、くもーー!」

 だが様子が違った。ロミオはふるえる指で俺のジャケットを指さす。

「くも?…なんだコイツか」

 見れば俺の肩に小さな蜘蛛が乗っている。
 俺の肩に乗るとは、百年以上早い。俺は胸ポケットからチーフを取り出し、蜘蛛を払った。
 蜘蛛は床に落ちると、サカサカと足を動かしてロミオの方へと移動する。

「うわっ! 蜘蛛、蜘蛛が来る!」

 飛び跳ねるように立ち上がり、俺の背の後ろに隠れるロミオ。

「ふ。かわいいやつだ」

 蜘蛛を足先でコツンと蹴り、部屋の外へと追い出した。

「助けてくれてありがとう」

 ドアを閉めて向き直ると、心底ほっとしたように微笑んでくる。妖艶な男のあどけない表情は心をくすぐる。

「蜘蛛が苦手なのか、ベイビー」
「虫全般が苦手かな」
「そうか、俺のマンマもそうだった」
「そうなの? 僕みたいに小さな虫でも騒いだ?」
「ああ、それはそれは凄かった。虫を見ると断末魔みたいに叫んで俺を呼んだよ」

 ソファに並んで腰掛け、他人に話したことがないマンマの話をした。マンマは男勝りの気の強い女性だったが、虫だけは取り立て屋よりも殺し屋よりも怖いとふるえていたような人だった。

「わかるな。虫たちの意志や目的ってわからないから、次にどんな行動に出るか読めないんだ。予測不能って怖いものだよ」
「マンマもそう言っていたな。俺は虫の意志や目的なんて考えたこともないね。生きているモノはすべて同じだ。害にならないなら捨て置く、害があるなら潰す、それだけだな」
「シンプルなんだね。でも……少し怖い。僕はどっちになるのかな」

 怖いと言いながら、ほんのりと赤い唇の両端はキュッと上がっている。
 虫は赤を嫌って避けるというが、意志ある人間の俺は、その赤に親指を滑らせた。

                                       
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