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獣化①
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「怖かった……」
襖を閉めながら膝が崩れる。
あのまま水揚げされていたら、明日は朝日を見ることができなかったかもしれない。
月華の気まぐれに救われた……月華は、ケダモノの僕を恥ずかしく思ってお客様に出したくなかったのだろうけれど。
とはいえ花になった僕には、蕾時代には割り当てられていた食事も日用品の支給もなくなった。お客様が付かなければ、これまで貯めてきたお給金で凌がなくちゃならない。いつまで持つだろう。
不安は当たり、その後ハイエナ獣人のお客様は月華の馴染みとなり、僕に新しいお客様が付くこともなく、貯金もすり減っていた。
助けてくれたのは十六夜と日向だ。二人は橘さんや他の花の目を盗んでは僕に食べ物などを分けてくれた。偶然にも僕の好きなものばかりで、今日は大好物の苺まである。
「いつも本当にありがとう。それに苺なんて、手に入れるのは難しいのに……僕の大好物だって憶えていてくれたの? 凄く嬉しい。この借りはいつかお返しするからね」
「お返しだなんて、これは僕たちからじゃなくて、げっ……む、むぐっ」
どうしたのか、まだ話している途中の十六夜の口を、日向が突然塞いだ。
日向は「おまえ、ひっかかれて噛みつかれたいのか」とか小さく言いながら十六夜を睨み、十六夜はぶるぶると横に首を振る。
「突然どうしたの? なんの話?」
聞くものの、二人は「なんでもないよ」と揃って苦笑いをした。おかしな二人だ。
「俺たちにはこれくらいしかできないんだから、お返しなんていいんだって話! それよりほら、新しいうちに食べな」
日向が苺を勧めてくれる。僕は二人にも「どうぞ」とお皿を寄せたけれど、二人は「これは毬也だけのものだよ。大事に食べてあげて」と目を細めて微笑むと、部屋を出て行ってしまった。
皆で食べた方がおいしいし、「食べてあげて」って変な言い方をするな、と思いつつ、ひとつを口に入れる。
「おいしい……」
久しぶりの苺は酸味と甘みのバランスが整ったとても新鮮なもので、口の中いっぱいに果汁が広がった。
たまらずにもうひとつかじると、果汁が唇に滴ってしまい、ペロッと舌で拭う。
──うん、こっちの方がおいしい。
不意に月華の顔が浮かんだ。東雲大輪がいた頃、ご褒美に苺を頂いたことがあった。あのとき月華は自分の苺も僕にくれて、僕の唇の端を舐めてそう言っていたっけ……。
懐かしいな。あの頃はまだ、月華は僕にくっつきっぱなしで、皆が呆れるほどだった。
「……っ、いけない」
月華とのことを思い出すとすぐに涙が滲んでしまう。
いつまでもこんなんじゃ駄目だ。月華も日向も十六夜も花として毎日頑張っている。僕だって、まだお客様はいないけど花になったんだ。過去のことよりも将来を見て頑張らなきゃ。
僕は橘さんのところに行き、なにか仕事をもらえるように頭を下げに行った。
橘さんは眉と唇をひん曲げて「この役立たずが、いっそ飢えて死ねばいい」と言ったけれど、僕が必死でお願いするものだから、これ以上ケダモノと同じ空気を吸いたくないと、仕置き部屋とその隣の物入れの掃除を与えてくれた。
僕も入ったことがある仕置き部屋は西側の棟の奥にある。今お仕置きを受けている人はいないから、誰もいなくて薄暗いだろう。
僕は小さな手持ち行燈を手にして、先に掃除用具を出すために物入れに入った。
やはりとても薄暗くて、少しかび臭い。
昼間だけど幽霊でも出てきそうで、おそるおそる足を踏み入れる。
「……!」
進んでいくと、ニョキッと伸びた二本の足が見えた。
ゆ、幽霊!?
「いや、幽霊は足がない……」
じゃあ誰なんだろう。綺麗な足だから花の誰か?
ゴクリと唾を呑み込み、床を照らしながら進む。
「……動物の毛?」
掃除をしていないのか、動物の換毛期のときに出るような毛が床に落ちていた。
白い毛と、たまに黒いものも混じっている。
獣人族は換毛期の他にも月に一度の獣化のときに毛が落ちるから、この足の持ち主がここで獣化していたんだろうか。
「誰がこんな寂しいところで……」
この毛だと犬か猫かな……猫……?
「もしかして」
期待を持って進み、控えめに行燈を持ち上げて足の持ち主を照らした。
「あっ……?」
目に入ったのは、上半身だけまだ獣の、とても大きな白猫。
──違う、虎……白虎? ……ううん、そんな上位の獣人が遊郭にいるわけがない。
暗いから見間違いかと、目をこすりもう一度行燈を照らし直す。
「……月華……」
やっぱり見間違えか。そこにうつ伏せて横たわり、眠っていたのは月華だった。
やはり獣化していた様子で、顔や腕に少し毛が残っているし、体の周りにも抜けた毛が落ちている。
獣人族は生命の危機が迫ったときや、気持ちが高ぶったときなどに獣化しやすい。ただ、成長するほど人型を保つことを理智的としている彼らは、成獣以降、不測の獣化を未然に防ぐために月に一度獣化をして、体調を整えている。
その定期の獣化は他人に見せるものではなく、廓の皆も人目に付かない場所を選んでいるのは知っているけれど、大抵は自分の個室だ。月華も個室があるのに、いつもここで獣化の時間を過ごしているんだろうか。
……それにしてもよく寝てるな。
僕はそばでしゃがんで月華の願顔をのぞき見た。
「毛は白くなったけど、サバトラ猫だもんね。体が大きくなったから、虎に見間違えたんだ」
かっこよかったな、と思いながらもう少し体を近づける。
獣化は疲れるのだろうか、それとも日々のお座敷や褥仕事がきついのだろうか。月華が目覚める様子はない。
「……お疲れ様」
目覚めないのをいいことに、つい綺麗な流れの髪に触れてしまった。つる、つる、と頭を撫でる。
「ん……」
すると当然とはいえ気配に気付かれてしまったようで、月華の眉が寄り、長いまつ毛が震えた。
襖を閉めながら膝が崩れる。
あのまま水揚げされていたら、明日は朝日を見ることができなかったかもしれない。
月華の気まぐれに救われた……月華は、ケダモノの僕を恥ずかしく思ってお客様に出したくなかったのだろうけれど。
とはいえ花になった僕には、蕾時代には割り当てられていた食事も日用品の支給もなくなった。お客様が付かなければ、これまで貯めてきたお給金で凌がなくちゃならない。いつまで持つだろう。
不安は当たり、その後ハイエナ獣人のお客様は月華の馴染みとなり、僕に新しいお客様が付くこともなく、貯金もすり減っていた。
助けてくれたのは十六夜と日向だ。二人は橘さんや他の花の目を盗んでは僕に食べ物などを分けてくれた。偶然にも僕の好きなものばかりで、今日は大好物の苺まである。
「いつも本当にありがとう。それに苺なんて、手に入れるのは難しいのに……僕の大好物だって憶えていてくれたの? 凄く嬉しい。この借りはいつかお返しするからね」
「お返しだなんて、これは僕たちからじゃなくて、げっ……む、むぐっ」
どうしたのか、まだ話している途中の十六夜の口を、日向が突然塞いだ。
日向は「おまえ、ひっかかれて噛みつかれたいのか」とか小さく言いながら十六夜を睨み、十六夜はぶるぶると横に首を振る。
「突然どうしたの? なんの話?」
聞くものの、二人は「なんでもないよ」と揃って苦笑いをした。おかしな二人だ。
「俺たちにはこれくらいしかできないんだから、お返しなんていいんだって話! それよりほら、新しいうちに食べな」
日向が苺を勧めてくれる。僕は二人にも「どうぞ」とお皿を寄せたけれど、二人は「これは毬也だけのものだよ。大事に食べてあげて」と目を細めて微笑むと、部屋を出て行ってしまった。
皆で食べた方がおいしいし、「食べてあげて」って変な言い方をするな、と思いつつ、ひとつを口に入れる。
「おいしい……」
久しぶりの苺は酸味と甘みのバランスが整ったとても新鮮なもので、口の中いっぱいに果汁が広がった。
たまらずにもうひとつかじると、果汁が唇に滴ってしまい、ペロッと舌で拭う。
──うん、こっちの方がおいしい。
不意に月華の顔が浮かんだ。東雲大輪がいた頃、ご褒美に苺を頂いたことがあった。あのとき月華は自分の苺も僕にくれて、僕の唇の端を舐めてそう言っていたっけ……。
懐かしいな。あの頃はまだ、月華は僕にくっつきっぱなしで、皆が呆れるほどだった。
「……っ、いけない」
月華とのことを思い出すとすぐに涙が滲んでしまう。
いつまでもこんなんじゃ駄目だ。月華も日向も十六夜も花として毎日頑張っている。僕だって、まだお客様はいないけど花になったんだ。過去のことよりも将来を見て頑張らなきゃ。
僕は橘さんのところに行き、なにか仕事をもらえるように頭を下げに行った。
橘さんは眉と唇をひん曲げて「この役立たずが、いっそ飢えて死ねばいい」と言ったけれど、僕が必死でお願いするものだから、これ以上ケダモノと同じ空気を吸いたくないと、仕置き部屋とその隣の物入れの掃除を与えてくれた。
僕も入ったことがある仕置き部屋は西側の棟の奥にある。今お仕置きを受けている人はいないから、誰もいなくて薄暗いだろう。
僕は小さな手持ち行燈を手にして、先に掃除用具を出すために物入れに入った。
やはりとても薄暗くて、少しかび臭い。
昼間だけど幽霊でも出てきそうで、おそるおそる足を踏み入れる。
「……!」
進んでいくと、ニョキッと伸びた二本の足が見えた。
ゆ、幽霊!?
「いや、幽霊は足がない……」
じゃあ誰なんだろう。綺麗な足だから花の誰か?
ゴクリと唾を呑み込み、床を照らしながら進む。
「……動物の毛?」
掃除をしていないのか、動物の換毛期のときに出るような毛が床に落ちていた。
白い毛と、たまに黒いものも混じっている。
獣人族は換毛期の他にも月に一度の獣化のときに毛が落ちるから、この足の持ち主がここで獣化していたんだろうか。
「誰がこんな寂しいところで……」
この毛だと犬か猫かな……猫……?
「もしかして」
期待を持って進み、控えめに行燈を持ち上げて足の持ち主を照らした。
「あっ……?」
目に入ったのは、上半身だけまだ獣の、とても大きな白猫。
──違う、虎……白虎? ……ううん、そんな上位の獣人が遊郭にいるわけがない。
暗いから見間違いかと、目をこすりもう一度行燈を照らし直す。
「……月華……」
やっぱり見間違えか。そこにうつ伏せて横たわり、眠っていたのは月華だった。
やはり獣化していた様子で、顔や腕に少し毛が残っているし、体の周りにも抜けた毛が落ちている。
獣人族は生命の危機が迫ったときや、気持ちが高ぶったときなどに獣化しやすい。ただ、成長するほど人型を保つことを理智的としている彼らは、成獣以降、不測の獣化を未然に防ぐために月に一度獣化をして、体調を整えている。
その定期の獣化は他人に見せるものではなく、廓の皆も人目に付かない場所を選んでいるのは知っているけれど、大抵は自分の個室だ。月華も個室があるのに、いつもここで獣化の時間を過ごしているんだろうか。
……それにしてもよく寝てるな。
僕はそばでしゃがんで月華の願顔をのぞき見た。
「毛は白くなったけど、サバトラ猫だもんね。体が大きくなったから、虎に見間違えたんだ」
かっこよかったな、と思いながらもう少し体を近づける。
獣化は疲れるのだろうか、それとも日々のお座敷や褥仕事がきついのだろうか。月華が目覚める様子はない。
「……お疲れ様」
目覚めないのをいいことに、つい綺麗な流れの髪に触れてしまった。つる、つる、と頭を撫でる。
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