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本編

あの夜の俺に言ってやってくれ ②

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「エルフィー」

 深みのある声が俺に呼びかけている。俺の片方の手を大事そうに握っているのは、この声の主なのか。
 大きくて温かい手だ。ごつごつとして厚みもあって、これぞ男の手、という感じ。だけどそんな手の人、俺の周囲にいたっけ。

 知らず知らずのうちに閉じていた瞼を開く。

「……クラウス?」

 なぜいるのか、クラウスは俺の手をしっかりと握り、心配そうに顔を覗き込んでいた。

「よかった。君は廊下で倒れてしまったんだ。呼びかけても応えてくれず、半日気を失ったままだった。気分はどうだ?」

 倒れた? ああ、ここは俺の部屋のベッドの上か。

「俺、なんで倒れたんだっけ。……はっ!」

 気が付いたばかりで働きの悪い頭を動かすと、クラウスの後ろに怒りのオーラを纏っている人物が見えた。

「ニコラ……!」

 その姿にすべてを思い出した俺は、咄嗟にクラウスの手を払った。けれどもう遅かった

 俺が気を失った後クラウスは、父様に申し出たのと同じように「エルフィーと結婚させてください」と、母様とニコラにも頭を下げたそうだ。

「エルフィー。聞いたよ? クラウスとつがいになったんだってね。どういうことなのか、エルフィーの口からも聞かせてほしいな」

 さあぁぁと血の気が引いた。泣き叫んでいないのに、それ以上の怒りのオーラをニコラから感じる。十八年間双子をやってきて、演劇で見た氷の王を彷彿とさせる怒り方をするニコラを見るのは初めてだった。

「エルフィー、どうした。顔が真っ青だ。体も震えている」
「は、離せ! やめろ、俺に触るな!」

 俺の手を両手で握っていたクラウスの片手が、頬を包んでくる。俺は半分パニックになりながらベッドから飛び起き、それを振り払った。

「父様のところへ行く! 俺はクラウスと結婚なんてするつもりはない。つがいも解消する。絶対に解消する!」

 静かな怒りのニコラとは対照的に、俺は喚いた。
 普段は楽天的で呑気な俺がこんなことになるのも初めてだ。けれど感情が制御できない。

「エルフィー」
「やめろつ。触るなって言ってるだろ!」

 鎮めようとしているのか、クラウスが抱きしめてくる。暴れる俺を包むように、腕の中に閉じ込めた。

 嫌だ、嫌だ、離せ! 俺はその言葉を投げつけたはずなのに、声が出ていない。

 嫌なはずなのに、クラウスの体温と鼓動、そしてコーヒーみたいなこの香り……香ってくるフェロモンが一番よくない。これを嗅ぐと途端に反抗する気力を削がれ、身を委ねてしまう。

「つがいを解くすべはない」

 この声もだ。深く穏やかな声は俺の思考力を奪う。今すぐ突き飛ばしたいのに、できない。

「エルフィー、俺はこの生涯の契約に誠心誠意を尽くし、責任を持つと誓った。すでにお父上、お母上の承諾もいただいている。俺は絶対に君と結婚する」
「や、嫌……」

 抱きしめられているからか、声が耳の中で響く。その中でも「絶対に」が最も大きく鼓膜に響いた。脊髄までびりりと響いて、足の力が抜けてしまう。

 クラウスはそんな俺を軽々と横抱きにかかえ、壊れ物のようにベッドに横たえた。

「ぅ……クラウス。あれは事故だ。俺が突発的なヒートを起こして、事故でつがってしまったんだ。だから責任を感じなくていい。急いでつがい解消薬を成功させるから、はやまるな」

 クラウスの体が離れたことで体に力が戻ってくる。自分の胸に手を当て、かすれる声を魔法で治しながら伝えた。

 俺たちは事故つがいだ。互いに好きな人がいて、本来つがうのはその人、クラウスならニコラなのだと、心でも訴えながら。それなのに、

「いいや。誓いを覆すのは騎士道に反する。つがいの解消も結婚の破棄も、天地が裂けてもあり得ない」

 クラウスは怖いくらいに真面目な面持ちで言い切った。その後ろではニコラが見たことのない形相で腕組みをしている。

 ――ああ、頼むから、誰か昨夜の俺に言ってやってくれないか。
 大変なことになってしまうから、ヒート誘発剤をお守りにするなんて、絶対にやめておくんだっって。
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