49 / 104
本編
大きな木の上で ①
しおりを挟む
「この木、こんなに大きくなったんだ」
その木は、俺がモンテカルスト家を初めて訪れた日に登った木だ。あのときも大きく見えたけど、今の方が大きく見えるってことは、木も十二年分成長しているんだ。
「昇るか」
「へ?」
クラウスが枝に手をかけ、腕力であっという間に俺の頭上の高さに登った。でも俺には無理そう。手を懸命に伸ばしても、一番下の枝の高さにも届きそうもない。
オメガの俺は、十五歳くらいで身体の成長が止まっているから。
「いいなあ、アルファは。……ベータもか。身体の大きさからもう違うもんな」
「それを補うために、俺がいるんだろう。ほら、おいで、エルフィー」
「おいでって」
枝からクラウスに視線を戻すと、クラウスはがっしりした長い腕を俺に伸ばし、微笑んでいた。生い茂る緑の葉の間から零れる日差しがクラウスの黒髪をきらきらと光らせて、その姿は古代の剣闘神のよう。
まぶしくて頼り甲斐に満ちていて、俺はゆっくりと腕を伸ばした。
ぐ、と掴まれて一気に引き上げられ、身体を掬い上げられる。
不安定な場所でそうされてもちっとも怖くなくて、俺はクラウスに身を委ねた。
「わ。登れた!」
「ここからは幹が多いから登りやすい。手伝うからもう少し上に行こう」
「うん!」
久しぶりの木登りに夢中になって、俺たちはクラウスの背の二倍分のあたりの太い枝に並んで腰を下ろした。
公爵家のメインの庭が眼下に広がり、常緑の針葉樹で作られた綺麗な形の生垣やローズガーデン、中央に馬に乗った騎士の彫像が置かれた大きな噴水が一望できる。
「わあ……やっぱり最高の景色! でもクラウスが座ってると枝が折れそう」
「大丈夫だ。もし落ちても俺が守る」
ふふ、と微笑んで、俺の巻き毛に指を通してくる。
ジク、と胸が騒めいた。こんなのまるで……。
「フェリックスみたいなこと、するなよ」
頭を振って避けると、ぴくりとクラウスの指が止まり、表情を曇らせた。
「なかなか同じようにはできないが、これからも努力はするから……」
努力? 同じようにする? ……って、もしかして。
「なあ……さっき言ってた"努力"とか、"こういうのが好きなんだろう?"って言ったのって、もしかして、フェリックスの真似をしてるってこと? いつから? ……まさか、つがいになってから、ずっと?」
言い当ててしまったんだろう。クラウスは手を下げ、噴水の方に目をそらす。
どうして? どうしてそんなことを? つがいの契約というのは、そこまで人を操作するものなのか?
「ねえ、クラウス、そうなの?」
「……そうだ。エルフィーはいつもフェリクスを見ていた。そして、フェリックスの振る舞いに逐一心を踊らせていただろう? あの夜も……フェリックスが茶話室に来るのをずっと待っていた」
「そう、そうだよ! 俺は五年間もフェリックスに片思いをしていて、今だって!」
今だって、好き。
あれ……? そう言いたいのに、言葉が出てこない。胸の中にジクジクが広がって、喉のあたりまでべったりと貼り付いて蓋をしている。
そしてなぜだろう。今までは、フェリックスの名をつぶやけば彼の麗しい微笑みがすぐに頭に浮かんでいたのに、数日前に再会した彼の顔さえ浮かんでこない。
どうして? どうして?
「……今も、あいつが好きなんだな。当然か、あの夜からまだ十日ほどしか経っていない。番になったからと言って、気持ちまでは変わらない、か……」
クラウスの横顔が酷く辛そうに見えて、頭の隅に薄っすらと浮かびかけたフェリックスの顔を消してしまう。
さらに胸が苦しくなって、俺は自分の口で「今でも彼が好きだ」と言えない代わりに、クラウスの話に置き換えた。
「そうだよ、番になったと言っても俺たちは事故番。好きだった人から気持ちが移るわけがない。それなのにお前ときたら……なあクラウス、思い出せよ。お前も俺を好きじゃなかった。お前がずっと想っていたのは、ニコラ。そうだろう?」
「だからなぜエルフィーの中でそうなっているんだ!」
ジクジクを通り越してズクズクと痛み出した胸を押さえようとしたそのとき、クラウスがばっ、とこっちを向いた。今度は辛いというより、戸惑っている顔で。
「俺の中だけじゃないよ。アカデミーの生徒たちだって、みんなそう噂してた」
「噂など知らないし、他の者がどう思っていたかは重要じゃない。だがエルフィー、君にだけは誤解されたくない。俺は確かにニコラを好きだが、それは友人としての敬愛だ。俺がずっと想い続けてきたのは」
クラウスの瞳が太陽の光を受けて黄金色に輝く。綺麗だ……俺は、この輝きにとても弱い。
「エルフィー、君だ」
「……お、れ……?」
その木は、俺がモンテカルスト家を初めて訪れた日に登った木だ。あのときも大きく見えたけど、今の方が大きく見えるってことは、木も十二年分成長しているんだ。
「昇るか」
「へ?」
クラウスが枝に手をかけ、腕力であっという間に俺の頭上の高さに登った。でも俺には無理そう。手を懸命に伸ばしても、一番下の枝の高さにも届きそうもない。
オメガの俺は、十五歳くらいで身体の成長が止まっているから。
「いいなあ、アルファは。……ベータもか。身体の大きさからもう違うもんな」
「それを補うために、俺がいるんだろう。ほら、おいで、エルフィー」
「おいでって」
枝からクラウスに視線を戻すと、クラウスはがっしりした長い腕を俺に伸ばし、微笑んでいた。生い茂る緑の葉の間から零れる日差しがクラウスの黒髪をきらきらと光らせて、その姿は古代の剣闘神のよう。
まぶしくて頼り甲斐に満ちていて、俺はゆっくりと腕を伸ばした。
ぐ、と掴まれて一気に引き上げられ、身体を掬い上げられる。
不安定な場所でそうされてもちっとも怖くなくて、俺はクラウスに身を委ねた。
「わ。登れた!」
「ここからは幹が多いから登りやすい。手伝うからもう少し上に行こう」
「うん!」
久しぶりの木登りに夢中になって、俺たちはクラウスの背の二倍分のあたりの太い枝に並んで腰を下ろした。
公爵家のメインの庭が眼下に広がり、常緑の針葉樹で作られた綺麗な形の生垣やローズガーデン、中央に馬に乗った騎士の彫像が置かれた大きな噴水が一望できる。
「わあ……やっぱり最高の景色! でもクラウスが座ってると枝が折れそう」
「大丈夫だ。もし落ちても俺が守る」
ふふ、と微笑んで、俺の巻き毛に指を通してくる。
ジク、と胸が騒めいた。こんなのまるで……。
「フェリックスみたいなこと、するなよ」
頭を振って避けると、ぴくりとクラウスの指が止まり、表情を曇らせた。
「なかなか同じようにはできないが、これからも努力はするから……」
努力? 同じようにする? ……って、もしかして。
「なあ……さっき言ってた"努力"とか、"こういうのが好きなんだろう?"って言ったのって、もしかして、フェリックスの真似をしてるってこと? いつから? ……まさか、つがいになってから、ずっと?」
言い当ててしまったんだろう。クラウスは手を下げ、噴水の方に目をそらす。
どうして? どうしてそんなことを? つがいの契約というのは、そこまで人を操作するものなのか?
「ねえ、クラウス、そうなの?」
「……そうだ。エルフィーはいつもフェリクスを見ていた。そして、フェリックスの振る舞いに逐一心を踊らせていただろう? あの夜も……フェリックスが茶話室に来るのをずっと待っていた」
「そう、そうだよ! 俺は五年間もフェリックスに片思いをしていて、今だって!」
今だって、好き。
あれ……? そう言いたいのに、言葉が出てこない。胸の中にジクジクが広がって、喉のあたりまでべったりと貼り付いて蓋をしている。
そしてなぜだろう。今までは、フェリックスの名をつぶやけば彼の麗しい微笑みがすぐに頭に浮かんでいたのに、数日前に再会した彼の顔さえ浮かんでこない。
どうして? どうして?
「……今も、あいつが好きなんだな。当然か、あの夜からまだ十日ほどしか経っていない。番になったからと言って、気持ちまでは変わらない、か……」
クラウスの横顔が酷く辛そうに見えて、頭の隅に薄っすらと浮かびかけたフェリックスの顔を消してしまう。
さらに胸が苦しくなって、俺は自分の口で「今でも彼が好きだ」と言えない代わりに、クラウスの話に置き換えた。
「そうだよ、番になったと言っても俺たちは事故番。好きだった人から気持ちが移るわけがない。それなのにお前ときたら……なあクラウス、思い出せよ。お前も俺を好きじゃなかった。お前がずっと想っていたのは、ニコラ。そうだろう?」
「だからなぜエルフィーの中でそうなっているんだ!」
ジクジクを通り越してズクズクと痛み出した胸を押さえようとしたそのとき、クラウスがばっ、とこっちを向いた。今度は辛いというより、戸惑っている顔で。
「俺の中だけじゃないよ。アカデミーの生徒たちだって、みんなそう噂してた」
「噂など知らないし、他の者がどう思っていたかは重要じゃない。だがエルフィー、君にだけは誤解されたくない。俺は確かにニコラを好きだが、それは友人としての敬愛だ。俺がずっと想い続けてきたのは」
クラウスの瞳が太陽の光を受けて黄金色に輝く。綺麗だ……俺は、この輝きにとても弱い。
「エルフィー、君だ」
「……お、れ……?」
68
お気に入りに追加
2,078
あなたにおすすめの小説
花婿候補は冴えないαでした
一
BL
バース性がわからないまま育った凪咲は、20歳の年に待ちに待った判定を受けた。会社を経営する父の一人息子として育てられるなか結果はΩ。 父親を困らせることになってしまう。このまま親に従って、政略結婚を進めて行こうとするが、それでいいのかと自分の今後を考え始める。そして、偶然同じ部署にいた25歳の秘書の孝景と出会った。
本番なしなのもたまにはと思って書いてみました!
※pixivに同様の作品を掲載しています
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
僕の番
結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが――
※他サイトにも掲載
捨てられオメガの幸せは
ホロロン
BL
家族に愛されていると思っていたが実はそうではない事実を知ってもなお家族と仲良くしたいがためにずっと好きだった人と喧嘩別れしてしまった。
幸せになれると思ったのに…番になる前に捨てられて行き場をなくした時に会ったのは、あの大好きな彼だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる