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本編

大きな木の上で ①

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「この木、こんなに大きくなったんだ」

 その木は、俺がモンテカルスト家を初めて訪れた日に登った木だ。あのときも大きく見えたけど、今の方が大きく見えるってことは、木も十二年分成長しているんだ。

「昇るか」
「へ?」

 クラウスが枝に手をかけ、腕力であっという間に俺の頭上の高さに登った。でも俺には無理そう。手を懸命に伸ばしても、一番下の枝の高さにも届きそうもない。 
 オメガの俺は、十五歳くらいで身体の成長が止まっているから。

「いいなあ、アルファは。……ベータもか。身体の大きさからもう違うもんな」
「それを補うために、俺がいるんだろう。ほら、おいで、エルフィー」
「おいでって」

 枝からクラウスに視線を戻すと、クラウスはがっしりした長い腕を俺に伸ばし、微笑んでいた。生い茂る緑の葉の間から零れる日差しがクラウスの黒髪をきらきらと光らせて、その姿は古代の剣闘神のよう。
 まぶしくて頼り甲斐に満ちていて、俺はゆっくりと腕を伸ばした。

 ぐ、と掴まれて一気に引き上げられ、身体を掬い上げられる。
 不安定な場所でそうされてもちっとも怖くなくて、俺はクラウスに身を委ねた。

「わ。登れた!」
「ここからは幹が多いから登りやすい。手伝うからもう少し上に行こう」
「うん!」

 久しぶりの木登りに夢中になって、俺たちはクラウスの背の二倍分のあたりの太い枝に並んで腰を下ろした。

 公爵家のメインの庭が眼下に広がり、常緑の針葉樹で作られた綺麗な形の生垣やローズガーデン、中央に馬に乗った騎士の彫像が置かれた大きな噴水が一望できる。

「わあ……やっぱり最高の景色! でもクラウスが座ってると枝が折れそう」
「大丈夫だ。もし落ちても俺が守る」

 ふふ、と微笑んで、俺の巻き毛に指を通してくる。
 ジク、と胸が騒めいた。こんなのまるで……。

「フェリックスみたいなこと、するなよ」

 頭を振って避けると、ぴくりとクラウスの指が止まり、表情を曇らせた。

「なかなか同じようにはできないが、これからも努力はするから……」

 努力? 同じようにする? ……って、もしかして。

「なあ……さっき言ってた"努力"とか、"こういうのが好きなんだろう?"って言ったのって、もしかして、フェリックスの真似をしてるってこと? いつから? ……まさか、つがいになってから、ずっと?」

 言い当ててしまったんだろう。クラウスは手を下げ、噴水の方に目をそらす。

 どうして? どうしてそんなことを? つがいの契約というのは、そこまで人を操作するものなのか?

「ねえ、クラウス、そうなの?」
「……そうだ。エルフィーはいつもフェリクスを見ていた。そして、フェリックスの振る舞いに逐一心を踊らせていただろう? あの夜も……フェリックスが茶話室に来るのをずっと待っていた」
「そう、そうだよ! 俺は五年間もフェリックスに片思いをしていて、今だって!」

 今だって、好き。
 あれ……? そう言いたいのに、言葉が出てこない。胸の中にジクジクが広がって、喉のあたりまでべったりと貼り付いて蓋をしている。

 そしてなぜだろう。今までは、フェリックスの名をつぶやけば彼の麗しい微笑みがすぐに頭に浮かんでいたのに、数日前に再会した彼の顔さえ浮かんでこない。

 どうして? どうして?
 
「……今も、あいつが好きなんだな。当然か、あの夜からまだ十日ほどしか経っていない。番になったからと言って、気持ちまでは変わらない、か……」

 クラウスの横顔が酷く辛そうに見えて、頭の隅に薄っすらと浮かびかけたフェリックスの顔を消してしまう。
 さらに胸が苦しくなって、俺は自分の口で「今でも彼が好きだ」と言えない代わりに、クラウスの話に置き換えた。
 
「そうだよ、番になったと言っても俺たちは事故番。好きだった人から気持ちが移るわけがない。それなのにお前ときたら……なあクラウス、思い出せよ。お前も俺を好きじゃなかった。お前がずっと想っていたのは、ニコラ。そうだろう?」
「だからなぜエルフィーの中でそうなっているんだ!」

 ジクジクを通り越してズクズクと痛み出した胸を押さえようとしたそのとき、クラウスがばっ、とこっちを向いた。今度は辛いというより、戸惑っている顔で。

「俺の中だけじゃないよ。アカデミーの生徒たちだって、みんなそう噂してた」
「噂など知らないし、他の者がどう思っていたかは重要じゃない。だがエルフィー、君にだけは誤解されたくない。俺は確かにニコラを好きだが、それは友人としての敬愛だ。俺がずっと想い続けてきたのは」

 クラウスの瞳が太陽の光を受けて黄金色に輝く。綺麗だ……俺は、この輝きにとても弱い。

「エルフィー、君だ」
「……お、れ……?」
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