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見えない鎖がほどけるとき

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 別荘から東京までは車で二時間弱。十時前には光也の自宅に到着し、着替えをしてから社に向かうことになった。

 千尋も、借りている部屋へ行く。
 クローゼットを開ければ、光也が千尋のために揃えた洋服に、専務室異動初日に着たスーツ、同じ日に注文された三着の仕立てスーツもハンガーにかかっている。

 どのスーツを着るか以外にもうひとつ、別のことで迷っているとドアのノック音が鳴った。

「藤村君、十時半には出ようと思いますので」
「はい! 了解しました」

 言ってから、一瞬考えるを置き、急いでドアを開ける。ここより奥の部屋が光也の寝室だから、おそらく彼は階下に降りがてら声をかけにきたのだろう。

「専務!」

 すでに階段に足を下ろそうと進んでいた横顔に声をかける。光也はすぐに足を止めた。

「どうかしました?」
「あの……」

 たった一週間だが、軟禁状態の中でも千尋が暮らしやすいように整えられた部屋、揃えられた数々の品。光也の気遣いに溢れたそれらを大切にしたい。そして……伝えたい。

「遊園地で、購入していただいた品物のお支払いの話をしたのですが……」
「ああ……その話はもう解決したと思っていたんですが」

 光也は千尋のそばまで戻り、プレゼントと思うのは難しいでしょうか、と残念そうに言った。

「違います! そうじゃなくて」

 別荘の洗面室から出たときはあんなに伝えたくて仕方がなかったのに、場所とタイミングが少し変わっただけで躊躇してしまう。千尋は人づき合いの経験も少なければ、恋愛の経験もない。それに今、スーツを着て前髪を後ろに流しているのは「専務」だ。

「専務、五分、いや三分。私に時間をください。十時二十五分には出るよう整えますので」
「? もちろん大丈夫ですが、何か問題が?」
「……みっくん!」

 意を決した第一声は思ったよりも大きく、慌てて口を塞ぐが、光也は凛とした表情を崩して目尻と口元に弧を描いた。

「何? 千尋」

 距離を一歩詰められる。専務ではない、幼馴染の顔がすぐそばに来る。

 心臓が、トク、と弾んだ。

 この人は、どうしてこんなに瞳が優しいのだろう。どうしてこんなにまぶしいのだろう。

 自分も、光也にとってそうでありたい。

「もらったもの、全部大事だから、この家に置いておいてもいい? それで、僕もそのままこの家に置いてほしい」

 短い言葉なのに喉が渇いてくる。千尋は一旦空気を飲み込んだ。
 それから。

「……みっくんが、好き、だから」

 言った途端に頭が真っ白になる。

(言った。言ってしまった。でも、言えた!)

 緊張が解けて、口元がへにゃぁと緩んでしまった。でも、情けない顔は見られずに済んだ。瞬間で抱きしめられたから。

「あーーすごい破壊力。まずい、壁崩壊、堤防決壊。このままベッドに運びたい」
「へぁっ!?」
「千尋、今すぐ番おう」
「は、ちょ、みっくん、みっくん……ひゃっ!」

 力のこもった抱擁の苦しさに、光也の腕をぱたぱた叩いていたら不意に身体が浮いた。

(またお姫様抱っこ……!)

「近いから千尋の部屋でいい?」
「! 待って、待って、また冗談ばっかり!」

 足をバタバタさせてみるが、当然もろともしない光也は千尋のこめかみに唇を落とす。部屋はもうすぐそこだ。

「みっく……専務! 五分経過しました! 仕事の準備に入りましょう!」

 光也の手がドアノブにかかると同時。目を三角にして言うと、光也の動きが止まった。

「藤村秘書はやはり真面目な方ですね」
「当然です。公私混同はしま……したけど、もうしません」
「これは、私も心しておかないと。仕事中に君に見惚れるだけでお叱りを受けそうです」
「見惚っ……専務、それはハラスメントです。絶対に禁止です!」

 そう、これは溺愛という名のハラスメントだ、と思いながら、千尋は首を振る。

「気をつけます。でも……あと二分、秘書にブレイクタイムを要求します」
「二分?」

 瞳を見返すと、琥珀色の中にキラキラと星が光って見えた。でも、すぐに暗転する。

「んっ……」

 唇が重なった。
 頭を強く固定され、息が止まりそうなほどに絡まってくる肉厚な舌に翻弄されながら、千尋は思った。

(強引なの、好き……)

 祖父の鎖はほどけても、マゾ気質はほどけそうにない。
 二分だけではなくもっとしてほしいと、光也の首に手を回してしまう千尋なのだった。
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