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おとぎ話の時間

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 光也が運転する車は、元のヘリポートにも東京方面のハイウェイにも向かわない。中央自動車道に入り、八ヶ岳方面へと走っていく。

「どこへ行くのですか? 今日中に帰れなくなります」

 強く繋がれたままの手を見ながら聞く。

「元から帰るつもりはないよ。この先に叶の別荘があるから準備してある。今夜はそこに泊まるんだ」
「聞いてないですけど……」
「全てサプライズにしたかったからね。千尋にそう思ってもらえなかったのは悲しいけれど、これはデートだから、色々と考えていたんだ」

 見えない針が胸に刺さる気がした。オメガ性ゆえに人に不快を与えたことはあっても、哀しみをもたらすような深い付き合いをした相手は、これまでにいない。

「……とりあえず、手を離してください。危ないですよ。私もさすがにこの状態からは逃げませんから」
「ああ、悪かった。千尋のことになると冷静でいられなくなるな」

 枷のようだった手が離れる。
 どうして出会ったばかりの僕のことをそこまで、と聞くのは無粋な気がして言えなかった。
 光也は千尋を運命の番だと勘違いしているのだ。でも、言わなくてもそのうちに間違いだったと気づくだろう。早ければ今夜にでも。



 重い沈黙の一時間に耐えたのち、光也の屋敷ほどではないが十分な広さのある建物に到着した。

 すでに二十二時近く、周囲には電灯もないから外観はよくわからなかったが、室内は吹き抜けで開放感があり、インテリアや家具が白で統一されていて、外国映画に出てくる洋館のような豪華さだ。

「あまり食べていなかったけど、お腹は?」

 ドアを開けてすぐにカウンターキッチンがあり、カウンターの上には色とりどりの果物のバスケットが置いてある。どれも新鮮でおいしそうだったが食欲はなく、千尋は頭を横に振った。

「なら、先にお風呂を用意しよう。疲れただろうからゆっくり浸かるといい。水質がいいから気持ちも和らぐよ」
「ありがとうございます……あ、着替え……」

 泊まるとは思わなかったから、用意していない。

「全部準備してあるよ。もちろん"お代金"はいいから、安心して使って」

 苦笑交じりに言われる。
 千尋はすみませんと言って、またうつむく羽目になった。


***

 
 喉の乾きと首周りの汗の不快さに目を開ける。

 ここはどこだろう。光也の屋敷でも千尋の住むアパートでもない。白い壁に大きな掃き出し窓が二つ、窓の向こうは広いバルコニーに繋がっている。

「あ……専務……?」

 バルコニーにふたつ並んだエッグハンギングチェアのひとつに、光也の後ろ姿が透けて見えた。

 風呂の湯張りの短い合間に眠ってしまい、光也が運んでくれたのだろう。ベッドに横たえていた身体を起こしてベランダへ行く。

「ああ、起きたのか」

 気配に気づいた光也がチェアを揺らして振り向き、隣のチェアを勧めてミネラルウォーターを手渡してくれた。

「すみません。僕……私、寝てしまったんですね」

 うん、と言いながらうなずき「俺も素で話すから、千尋も普通に話して」と言ってくれる。
 ただ四つの年齢差もあるし、敬語を使わないのは難しくて、千尋は呼称だけを"僕"と言わせてもらうことにした。

「お風呂、追い焚きのままにしてあるから入れるよ。どうする?」
「あとにします。ここ、夏なのに涼しくて、もう汗が引きましたから」

 そうは言ったが、風呂に行ってしまったら光也が眠ってしまう気がして、寂しくて行きたくなかった。

(寂しいなんて、勝手だな。専務と距離を置こうとしたくせに)

「千尋、見て?」
「はい?」

 声をかけられ、光也が指差す先、広い夜空を見上げる。

「わ……」

 東京では見ることができない、まばゆい満点の星。
 周囲は暗く、明かりは室内側の足元照明とバルコニーにあるテーブルの上の小さなランプだけだから、宇宙に放り出されたような感覚になる。少し怖くなるほどだ。

「このあたりの別荘はここだけだなんだ。山頂に近いから気温も低めだし静かだし、星が見放題なんだよ」
 「そうなんですね。デネブ、ベガ、アルタイル……天の川までちゃんと見えますよ。凄い!」

 目が慣れてくるとさらによく見えて、感嘆の声を漏らす。

「星に詳しいんだね」
「はい。小さな頃から好きで」
「そう。きっかけはなんだったの?」

 光也が優しい瞳で聞いてくれるから、ここに来る前、遊園地で嫌な雰囲気を作ってしまったことは心の隅っこに預けて会話を続けることができた。

「あ、あの、小さい頃の友達が……教えてくれて……」
「友達、か。……どんな子だった?」
「どんな……?」

 両親が亡くなる以前の記憶はもうおぼろげだ。事故のショックが原因なだけでなく、八歳という幼い年齢だったからか、その時期の友人たちの記憶もほぼない。
 だが、星を教えてくれた子とは一番仲がよかった気がする────千尋は遠い遠い記憶をゆっくりと掘り起こし始めた。 

「あの子は……望遠鏡を持っていて……そうだ、僕と体の大きさは変わらないのに、年上だったから……僕が興味を持ったら、いろいろと教えてくれたんです」

 千尋が住んでいたマンションのベランダは東南向きだったから、季節の星空がよく見えた。春は乙女座、獅子座。冬はオリオン座にふたご座。

 でもやっぱり、夜空に羽を広げるはくちょう座がある夏の夜空が好きで。
 星を眺めたあと、一緒の布団の中で、白鳥の尻尾のデネブは太陽よりも大きいんだよ、と教えてもらった。

(あれ? どうして夜も一緒にいたんだろう)

「……ああ、思い出した。その子は星が好きなのに夜の暗闇が怖くて。ほら、ホラーハウスのときに話したお化けが苦手な子ですよ。僕が小学校に上がるときにお父さんと二人でお隣に越してきたんですけど、お父さんが仕事から帰るのが遅くて、たいていは僕の家でおやつと夜ご飯も食べて、一緒に眠りました」
「そう。兄弟みたいに、いつも一緒にいたんだね」

 テーブルランプの灯りなのか、星明りが反射しているのか、光也の瞳には穏やかな光が宿っている。
 その穏やかさに導かれるように瞼を閉じ、千尋は再び記憶の欠片を探した。

「はい……その子は男の子なのに、女の子みたいに綺麗で優しくて……お父さんが外国の血が入っていたからかな。髪と目が薄い茶色で……あぁ、ちょうど専務みたいな……」

 瞼を開いて隣のチェアに視線を向けると、琥珀色の瞳が真っすぐに千尋を見ていた。
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