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おとぎ話の時間

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 その後光也は、千尋が作った朝食を綺麗にたいらげてから出社した。
 今朝から何度「ありがとう」と言われただろうか。食べる前には「ありがとう。おいしそう」だし、食べている最中は「おいしいよ、ありがとう」だし、食べ終わってからは「おいしかったよ。ありがとう、ごちそうさま」だし。

 感謝の言葉を言われ慣れていない千尋は、そのたびに喉に何かがつっかえて、返事ができなかった。

(あんなに自然に言葉に出るなんて、どんな環境で育ったんだろう)

 KANOUには光也の兄たちもいて、副社長に長男が、常務に次男が就いているが、どちらも横柄なイメージだ。特に常務はその立場からコスニの業務にも強い権限を持ち、茂部に目をかけていた人物で、同じくアルファ至上主義である彼は社員を駒のように扱っている。
 間違っても配下に「ありがとう」などとは言わないだろう。同じ兄弟なのにこうも違うものだろうか。

 だが、千尋もずっと一人ぼっちだったから、他人からプラスの気持ちを受け取るだけでなく、他人にそれを伝えるのにも慣れていない。

(でも、今日は専務に感謝を伝えられたらいいな)

 最初は反感しかなかったが、結果的にブラジルLNG案件に携わらせてもらえたこと、初めてのヒートを介抱してもらったこと。
 ここにいる間、暖かい家庭料理を一緒に食べさせてもらったこと。

 初めて他人と過ごした七日間は楽しかった。だから形式ではなく、心からのありがとうを伝えたい。

「よし、まずは仕事、完璧に仕上げよう!」

 千尋はパソコンに向かい、気合いを入れた。
 
***

 強風と、バラバラバラと脳髄にまで響く轟音。
 千尋は今、目の前にあるものを見て目を見開いている。

 午後になり、迎えに来た光也とともにKANOU傘下の航空事業会社に来たのだが……。

「さあ、藤村君、乗りましょうか」

 爽やかに微笑んだ光也が用意したのは薔薇の花束程度ではない。目の前にあるのはヘリコプターだ。

「これに乗っていいんですか? 本当に!?」

 実は千尋、天文好きが高じて空を飛ぶ乗り物が大好きだ。
 オメガは発情期があるため規制があって諦めたのだが、小学校の作文に「将来はパイロットになって、星が輝く空を飛びたいです」と書いたこともある。

「もちろん。今日のデートのために用意したんですから。さ、お手をどうぞ」

 光也が茶目っ気たっぷりにウィンクをして、手を差し出してくれる。普段なら恥ずかしいと思うだろうが、気分が昂揚している。
 千尋は戸惑いなく手を借り、ステップに足をかけた。我知らず、黒い瞳がキラキラと輝く。

 定員四名用のヘリの中は想像より広く、座席も普通乗用車のシートに似てゆったりとしている。腰を掛けるとパイロットが振り向き、マイク付きのヘッドフォンを手渡してくれた。

 光也が「お願いします」と声をかけると、パイロットはサムズアップポーズで「安全なフライトをお約束します」とかっこよく返す。

 何もかもが規格外だ。お金持ちって凄いな、なんてありきたりな感想しか出ないが、ワクワク感はどんどん高まっていく。
 シートベルトを締め、ヘッドフォンをつけると、ヘリコプターは大きなローラー音を立てて離陸した。

 初めての空中飛行は興奮続きだ。地味な生活をしていた千尋は飛行機を使った旅の経験がない。

「専務、見てください。空がここにありますよ」
「わ、いつもの場所があんなに小さく見える」

 千尋がはしゃいで口を開くたび、光也はうんうん、とただうなずいてくれていた。
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