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事故つがいの夫は僕を愛さない

夫の運命の番

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 夜の営業までの中抜けの時間、保健所に番解消薬の給付金の相談に向かった。

 すでに相談者がたくさん詰めかけていて、結局ぶ厚い封筒を渡されて、中の書類をよく読んで書類に記入してからまた来るように言われた。 
  
「すごい審査書類……こんなの、給付してもらえる可能性は薄そう」

 お店に戻りながら封筒を開けて、ざっと中身を見る。

 書類記入の多さにも辟易するけれど、優先度にしても、現在番の所在が明らかでないオメガが優先になるようで、僕みたいに婚姻関係にある事故つがいは希望が薄そうだった。

「実費だと病院通院の費用も含めて三百万以上……こんなにかかるなんて」

 貯金はしていても、高卒で働き始めてまだ二年の僕たちには大金だ。だからってお金が貯まるまで待っていたら、理人と離婚した後の発情期を何度一人で越えなくちゃならなくなるんだろう。

「あの……! すみません、高梨天音さんですよね?」

 途方に暮れて立ち止まってしまうと、背中から声をかけられた。

「はい? ……あ……!」

 振り向くと、理人の運命のつがいが立っていた。

 どうしてこんなところに? どうして僕のことを?

 頭の中で考えがまとまりきらず、僕は茫然と突っ立ってしまう。
 手から書類がバザバサと落ちた。けれど僕には「拾う」ことさえ思いつかない。

「突然にすみません。でも、お見かけしたら声をかけずにいられなくて……理人さんのことで、少しお話する時間をいただけませんか?」

 彼はそう言ったあと、しゃがんで書類を拾い、汚れを払って綺麗に封筒に入れ直してくれた。

「はい、こちらどうぞ。大事な書類ですものね」 

 綺麗に揃えた指で差し出される。
 その上品な微笑みと仕草のとおり、彼はとても礼儀正しく、そして、美しいオメガだった。

 身に着けている物も見るからに上質で、口調から知性も感じさせられる。
 平凡な僕なんかとは違い、アルファ然とした理人の輝きを損なわない人だ。

 ……お似合いだ。

「あ、あの……僕は……」

 怖い。話なんかしたくない。

 愛する人の運命のつがいを目の前にして、平気ではいられない。
 今はあのきつい匂いは感じないけれど、「運命」と「事故」との違いを見せつけられて足がすくむ。
 逃げ出したいのに逃げられない。

「あの、どうか怖がらないでください。お話がしたいだけです。実は私も、さっき保健所にいたんです」
「え……」
「あなたもおられたということは、理人さんとのつがい解消を考えておられるんですよね? 私と理人さんが運命に導かれて出会ったんだと、ご存知ということですよね?」

 そこまで落ち着いた口調だった彼が、興奮気味に言い募る。

「実は、理人さんにすでにつがいがいて、結婚もしていると聞いて、いてもたってもいられなくて、早急に調べさせてもらいました。つがい相手のあなたのことや、つがい解消薬について。それで私も今日保健所に出向いたら、あなたをお見かけしたんです」

 僕はなにも答えられなかった。彼の必死な様子が手に取るように伝わってきたからだ。

 運命に出会ったんだもの。そこまでして理人と一緒になりたいと思って当然だ。

「それで、突然に失礼な申し出ですが、つがい解消の費用、私に出させてください!」
「……は……?」

 本当に唐突な申し出に、理解が追いつかない。
 僕はただただ茫然と「夫の運命のつがい」に視線を留めている。

「理人さんにも今日言います。私とのこと、まだあなたに伝えていないだろうと思っていたんですけど、あなたが動いているってことは、理人さんが話してくれたんでしょう? やっぱり理人さんは私とのことを考えてくれていたんですね! だから今日会ったら伝えます。つがい解消や離婚に関わる費用や手続きを、私も手伝うって。一刻も早く理人さんとつがいになりたいんです!」

 絶望という名の崖っぷちに立っている僕とは真逆に、彼は天に昇っているかのような幸せな笑みを満面に浮かべた。

 まるでなにかの演劇でも見ているようだ。
 こっち側とあっち側。
 脇役と主役。
 違う……僕は観客にもなれない蚊帳の外の人間だ。

 正しいつがいの彼がいるところは、別世界のように感じた。

 理人と彼はもう、別世界で別の人生に向けて歩き出しているのか……。

「夜、理人さんと会うので、あなたと話したと伝えますね。そうだ、大事なことだから今度時間を合わせて席を設け、三人で話しましょう。決してあなたを不利にはしません。私もできる限りのことはさせていただきます!」

 熱く、湿った手で両手を握られる。
 嫌なのに、その手は枷のように僕の手をしっかりと握り、僕は自分の意思でそれを振り払えない。

「でもよかったです。あなたがつがい解消を考えてくださっていて。やっぱり事故つがいなんて、不幸でしかないですものね。実費なら薬は早く手に入るって保健所で聞きました。だから安心してくださいね!」

 とうとう感極まったのだろう。彼は大きな瞳から、次々に大粒の涙を流した。
 
 そして僕は、またなにも言えなくなる。心の中は、二人の抱擁を見たときのように空虚になった。

 頭の中では「事故つがいは不幸」「事故つがいは不幸」という言葉がぐるぐる回っている。

 その後、どうやって彼と別れたのかは覚えていないけれど、店へ帰る道中で、僕はずっと謝り続けていた。

「ごめんね、理人」
「ごめんね、理人」
「不幸にしてごめん、理人……」

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