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ᒪove Stories 〈第二幕〉 ほぼ❁✿✾ ✾✿❁︎
Love to give you 4
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三月中旬。映画のロケがオールアップするとすぐ、楓真と悠理は八月納涼歌舞伎の準備に入った。
映画の宣伝周りや舞台挨拶、他の仕事もこなしながらの稽古は必然的に早朝や深夜になったが、少しも苦にはならなかった。
特に楓真はトップアイドルだけあって、数分刻みのスケジュールで動いているのだが、稽古への熱と言ったら江戸時代とまるで変わっていない。
「悠理! 指先をおろそかにするな!」
「目線! 舞台は自分の為だけじゃないぞ。自分の世界に入ってどうする!」
次々と指南が入る。
悠理はそれに一つ一つ頷き、真剣に向き合った。
「ふぅー」
わずかな休憩時間。稽古場の端に腰を下ろす。楓真がペットボトルのミネラルウォーターを悠理に渡してくれた。
「ありがと」
「ん。お疲れ。悠理、だいぶ型が戻ってきたな」
約二年ぶりの舞台稽古。
「現代の歌舞伎」は初めてだが、特別公演であり、エンターテイメント性を表に出しているから華屋で演っていた内容に近いものはある。体の疲労はあるが、辛いとは微塵も思わず、少しずつ勘が戻って来るのがとても嬉しかった────なにより、演目は「アポロ座の魔手」のアレンジだ。
そう。江戸の華屋で楓が魔手役を、百合が踊り子の野菊役を演じた「華屋怪奇奇談」の再現なのだから。
水を飲み終えたペットボトルの蓋を締めながら楓真が笑いをこぼす。
「まさか、アポロ座の魔手が元ネタだったとはね」
「あ、ははは……。でも、江戸時代だから著作権侵害にはならないよね? 今回はちゃんと許可をもらってるんだし」
悠理はきまりの悪い顔をして楓真を見た。
「心配するなよ、大丈夫に決まってる。たださ、あの頃、百合の持ってる案に驚かされたけど、なるほど、現代の知識だったのか、って種明かしみたいで面白くてさ……劇中ダンスも。sakusi-doのダンスだったんだな。おかげでダンスの振り付けを初めて見た時は吹き出したよ」
楓真が言うのは、初めて江戸で披露した劇中のヒップホップダンスだ。斜め半分に割った鬼の面をつけた楓をセンターに、なずなを含む六人が男形に転向して踊り、江戸の観客にも大絶賛だった。
「へへ。俺、sakusi-doのファンだったしね。楓に踊らせたら絶対かっこいいって思って……そりゃ、本人なんだから当たり前だよね。でも、ほんとにカッコよかったよなあ……あの公演で楓は市山座に引き抜かれて……」
言い終えようとして、言葉に詰まる。楓との思い出が一気に胸に流れ込んで、喉の下あたりがギュッと締め付けられた。
「……ごめんな」
楓真がポツリ、と呟いた。
舞台の端で二人並んで肩を寄せて座っていて、江戸時代とは違う電気の照明だが、楓真の艶のある美しい横顔を照らしている。伏し目を縁取るまつ毛の影が頬に落ちて、いつも見ていた「楓」と同じその横顔に、悠理は三百年の時の経過を忘れそうになる。
「楓……」
悠理の指が楓真の頬に伸びる。いや、今ここには悠理の自我はなかった。意図して切り替えたわけではない。自然に、気持ちが百合になっている。
「百合」
楓真も……楓も同じだ。
手を伸ばし、百合の指を自分の指に絡ませる。あの頃、舞台の端でいつもこうして二人、手を繋いだ。そして……。
互いに顔を寄せ合う。
「ん……」
ここには百合と楓しかいなくて、他の全ては遮断されている。なにも頭に入ってこない。見えるのは互いの顔だけ。ただそうするのが当たり前みたいに、二人はきつく指を絡め合い、唇を重ねていた。
柔らかい唇が擦れ合い、滑らかな舌が行き交いする。時に顔を動かし、静かに息継ぎをしながら熱を分け合った。口の端からどちらのものかもわからない唾液が滴って、それも互いに舐め、啜る。
頭の芯が痺れて、目の前が霞んだ。
────ぴりりりりりり
いつまでも終わりがないと思われた甘い口づけを、突然の電子音が制する。
「……!」
自我を取り戻した二人は咄嗟に互いの体を引き剥がし、大きな目をより大きく見開いた。
ぴりりりり……
電子音はまだ鳴っていて、それが自分のスマートフォンだと気づいた悠理は慌ててバッグを探って、スマートフォンを取り出した。
「あ、彬さん!」
焦って着信を受け取る。通話口の向こうの彬は一瞬沈黙をした。
「……悠理? 今、連絡駄目だった? 一時過ぎても連絡がないからまだ帰ってないのかと思って……稽古は? 終わった?」
彬の声を聞きながら顔を上げて稽古場の時計を見ると、深夜の一時を半分過ぎようとしている。
「うん。いや、まだちょっと煮詰めてたから。でもそろそろ帰るよ。ごめんね、心配させて。大丈夫。ちゃんと戸締まりするから。彬さん、忙しいのに心配かけてごめんね。おやすみなさい」
彬は先週から九州の方へ出張に出ていて、戻りは来週になるのだ。毎日忙しくしている様子で、悠理から日中に連絡をするのは憚られていたが、夜にはきちんと彬の方から連絡が入っていた。
通話を切ってから、ふう、と息を整えてスマートフォンをバッグにしまう。恐る恐る振り返れば、楓真は上着を着て帰り支度をしていた。
「遅くなっちゃったな。すぐに車を回して貰もらうから待ってて」
いつも柳田の家の運転手が悠理の送迎をしてくれる。
楓真はスマートフォンで運転手に連絡を取ると、先程の悠理と同じに、一つ息を吐いてから言った。
「稽古とか舞台の時ってアドレナリンが湧いてくるよな」
「え? あ、うん」
なんの話だろうとは思ったが、会話に困るよりは良い。悠理は曖昧に頷いた。
「だからさ、さっきのはそのせい。久しぶりに二人で歌舞伎の練習に身を入れたから少し興奮したんだ。それだけだよ」
「……うん、そうだな。俺も、ここんとこテンションがおかしいかも」
「ああ、そうだ。だから……気にすんな。忘れよう?」
そう言った楓真の顔に、喉が熱くなった。切ない、辛い顔。泣く前の時みたいに、目の縁を赤くして唇を結んで無理に微笑っているのが見て取れる。
けれど悠理にはそれを慰めることはできない。
────もう、今はあの頃とは違うのだから。
映画の宣伝周りや舞台挨拶、他の仕事もこなしながらの稽古は必然的に早朝や深夜になったが、少しも苦にはならなかった。
特に楓真はトップアイドルだけあって、数分刻みのスケジュールで動いているのだが、稽古への熱と言ったら江戸時代とまるで変わっていない。
「悠理! 指先をおろそかにするな!」
「目線! 舞台は自分の為だけじゃないぞ。自分の世界に入ってどうする!」
次々と指南が入る。
悠理はそれに一つ一つ頷き、真剣に向き合った。
「ふぅー」
わずかな休憩時間。稽古場の端に腰を下ろす。楓真がペットボトルのミネラルウォーターを悠理に渡してくれた。
「ありがと」
「ん。お疲れ。悠理、だいぶ型が戻ってきたな」
約二年ぶりの舞台稽古。
「現代の歌舞伎」は初めてだが、特別公演であり、エンターテイメント性を表に出しているから華屋で演っていた内容に近いものはある。体の疲労はあるが、辛いとは微塵も思わず、少しずつ勘が戻って来るのがとても嬉しかった────なにより、演目は「アポロ座の魔手」のアレンジだ。
そう。江戸の華屋で楓が魔手役を、百合が踊り子の野菊役を演じた「華屋怪奇奇談」の再現なのだから。
水を飲み終えたペットボトルの蓋を締めながら楓真が笑いをこぼす。
「まさか、アポロ座の魔手が元ネタだったとはね」
「あ、ははは……。でも、江戸時代だから著作権侵害にはならないよね? 今回はちゃんと許可をもらってるんだし」
悠理はきまりの悪い顔をして楓真を見た。
「心配するなよ、大丈夫に決まってる。たださ、あの頃、百合の持ってる案に驚かされたけど、なるほど、現代の知識だったのか、って種明かしみたいで面白くてさ……劇中ダンスも。sakusi-doのダンスだったんだな。おかげでダンスの振り付けを初めて見た時は吹き出したよ」
楓真が言うのは、初めて江戸で披露した劇中のヒップホップダンスだ。斜め半分に割った鬼の面をつけた楓をセンターに、なずなを含む六人が男形に転向して踊り、江戸の観客にも大絶賛だった。
「へへ。俺、sakusi-doのファンだったしね。楓に踊らせたら絶対かっこいいって思って……そりゃ、本人なんだから当たり前だよね。でも、ほんとにカッコよかったよなあ……あの公演で楓は市山座に引き抜かれて……」
言い終えようとして、言葉に詰まる。楓との思い出が一気に胸に流れ込んで、喉の下あたりがギュッと締め付けられた。
「……ごめんな」
楓真がポツリ、と呟いた。
舞台の端で二人並んで肩を寄せて座っていて、江戸時代とは違う電気の照明だが、楓真の艶のある美しい横顔を照らしている。伏し目を縁取るまつ毛の影が頬に落ちて、いつも見ていた「楓」と同じその横顔に、悠理は三百年の時の経過を忘れそうになる。
「楓……」
悠理の指が楓真の頬に伸びる。いや、今ここには悠理の自我はなかった。意図して切り替えたわけではない。自然に、気持ちが百合になっている。
「百合」
楓真も……楓も同じだ。
手を伸ばし、百合の指を自分の指に絡ませる。あの頃、舞台の端でいつもこうして二人、手を繋いだ。そして……。
互いに顔を寄せ合う。
「ん……」
ここには百合と楓しかいなくて、他の全ては遮断されている。なにも頭に入ってこない。見えるのは互いの顔だけ。ただそうするのが当たり前みたいに、二人はきつく指を絡め合い、唇を重ねていた。
柔らかい唇が擦れ合い、滑らかな舌が行き交いする。時に顔を動かし、静かに息継ぎをしながら熱を分け合った。口の端からどちらのものかもわからない唾液が滴って、それも互いに舐め、啜る。
頭の芯が痺れて、目の前が霞んだ。
────ぴりりりりりり
いつまでも終わりがないと思われた甘い口づけを、突然の電子音が制する。
「……!」
自我を取り戻した二人は咄嗟に互いの体を引き剥がし、大きな目をより大きく見開いた。
ぴりりりり……
電子音はまだ鳴っていて、それが自分のスマートフォンだと気づいた悠理は慌ててバッグを探って、スマートフォンを取り出した。
「あ、彬さん!」
焦って着信を受け取る。通話口の向こうの彬は一瞬沈黙をした。
「……悠理? 今、連絡駄目だった? 一時過ぎても連絡がないからまだ帰ってないのかと思って……稽古は? 終わった?」
彬の声を聞きながら顔を上げて稽古場の時計を見ると、深夜の一時を半分過ぎようとしている。
「うん。いや、まだちょっと煮詰めてたから。でもそろそろ帰るよ。ごめんね、心配させて。大丈夫。ちゃんと戸締まりするから。彬さん、忙しいのに心配かけてごめんね。おやすみなさい」
彬は先週から九州の方へ出張に出ていて、戻りは来週になるのだ。毎日忙しくしている様子で、悠理から日中に連絡をするのは憚られていたが、夜にはきちんと彬の方から連絡が入っていた。
通話を切ってから、ふう、と息を整えてスマートフォンをバッグにしまう。恐る恐る振り返れば、楓真は上着を着て帰り支度をしていた。
「遅くなっちゃったな。すぐに車を回して貰もらうから待ってて」
いつも柳田の家の運転手が悠理の送迎をしてくれる。
楓真はスマートフォンで運転手に連絡を取ると、先程の悠理と同じに、一つ息を吐いてから言った。
「稽古とか舞台の時ってアドレナリンが湧いてくるよな」
「え? あ、うん」
なんの話だろうとは思ったが、会話に困るよりは良い。悠理は曖昧に頷いた。
「だからさ、さっきのはそのせい。久しぶりに二人で歌舞伎の練習に身を入れたから少し興奮したんだ。それだけだよ」
「……うん、そうだな。俺も、ここんとこテンションがおかしいかも」
「ああ、そうだ。だから……気にすんな。忘れよう?」
そう言った楓真の顔に、喉が熱くなった。切ない、辛い顔。泣く前の時みたいに、目の縁を赤くして唇を結んで無理に微笑っているのが見て取れる。
けれど悠理にはそれを慰めることはできない。
────もう、今はあの頃とは違うのだから。
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