上 下
107 / 149
大華繚乱

決断

しおりを挟む
  
「百合ちゃん……」
  俺を抱いていた宗光の手が緩んでいく。

  「俺じゃあかんてことやな」
  宗光の呟きがポツリと落ちてきた。

「……違う! いいとか駄目って言うんじゃない。もしも宗光が江戸に居続けるならきっと俺は」
  全部言い切る前に、宗光の手が俺の口を柔く塞いだ。

  「これ以上惨めにせんとってくれ。百合ちゃんは結局、全部を捨ててまで俺を選べんてことや」

  「そんな……」
  でも、そうじゃないんだ、とは言えない。どんなに言葉を取り繕っても、俺は宗光とは行けないんだから。


  「──帰れ」
  宗光の声が、小さいのに鋭く空気を割いた

  「宗光……!」

  「契約終了や。金輪際会うこともない」
  宗光は腕を伸ばして俺の体を離すとすぐに立ち上がり、俺に背を向ける。

  「宗光……っ」
  名前を呼ぶけれど、宗光の背中は俺を強く拒絶していた。

  俺にはもう、宗光の拒絶を解くためにできることなど、なに一つない。人からの愛情を追い求めていた俺が、自らそれを切り離したのだ。
  「……っ……宗光様。今までありがとうございました。これまでの多岐に渡るご支援、感謝しております」

  指をついて頭を畳に近く下げ、形式だけの挨拶をする。そうでもしないと、なに一つ返せもしないのに、宗光の背にすがってしまいそうだったから。

  涙が畳にポタポタと零れ落ちた──泣くな。全ては自分で選んだ結果なんだ。

  袂で目を拭い、部屋の襖を開ける。今生の別れになるかもしれないのに、もう、宗光の背を振り返ることはできなかった。
  こんな最後になるなんて……!


  「……百合っ……!」

  足を一歩、廊下の板に出した瞬間、背に暖かい重さがかかる。
  宗光の腕が胸に周り、しっかりと抱き締められていた。

  「宗光……」
  途端に、必死でせき止めようとしていた涙が濁流のように溢れた。

  強い力で宗光の方に体を向けられる。
  涙はないけれど、泣き顔も同然の苦しそうな表情の宗光の手が、俺の頬を挟み、親指で涙を拭ってくれる。

  「百合ちゃん、泣くな。俺、約束したやろ? 俺は絶対に百合ちゃんを泣かさんし幸せにしたるって。願い事は絶対叶えたるって。だから泣くな。俺がおらんなるんは百合ちゃんの夢を叶えるためや。
 これが最後に俺が百合ちゃんにしたれることや。……いいか、絶対幸せになるんやで」

  「宗光……うん、うん……うん」
  喉に力を入れ、嗚咽が漏れないよう、涙が止まるように、ただただ頷いた。

  再び宗光が腕に力を込めて俺を抱きしめる。今まで俺を守ってくれた胸の中は、今もやっぱり暖かった。俺はこの温もりを──今までのように、抵抗できない力に引き裂かれるのではない。自らの意志で、切り捨てるのだ。

「……ごめん、宗光……」

  宗光の腕の力が徐々に抜けていく。それから、体を回されて、背中をぽん、と押し出された。

「謝らんでええ。……ほら、進め! 百合ちゃん、もう後ろは見んな。俺は根っからの関西人やから、あとを引くんは苦手なんや」

 言葉に従い、前だけを向いて歩き出す。言葉の最後が震えている宗光の、精一杯の意地と優しさが伝わったから

 ────ありがとう、宗光……。



  真っすぐな長い廊下を渡り、曲がり角に来て一度体を止める。目の縁に残っていた涙を拭いて、無意識に抑えていた呼吸を整えた。

  ふと庭を見ると、保科様と蘭が打ち水をしている。
  保科様が、蘭が持つ重そうな水桶を一緒に持ち、よろけそうな体を支え、蘭はためらいなく保科様の胸元に体を預ける。

  穏やかで、そこだけ空気が違うように見えた。
  ああ、本当にもう、俺とは違う世界なんだな、と実感する。

  「百合様!」
  蘭が気づいて駆け寄り、保科様もゆっくりと向かっていらっしゃった。

  俺は自然に礼を捧げていた。
  「お邪魔しております。保科様も蘭もお変わりなくお過ごしのこと、大変喜ばしく思います」

  「あぁ、ありがとう……。百合、宗光とは」

  「はい。今しがたお別れを。私はこれから華屋に戻ります。……保科様、此度の慶事、聞き及んでおります。蘭をどうか宜しくお願いいたします。 蘭、良かったね。幸せになるんだよ」

  今しがた宗光の前で感情を出し切ったからだろうか。それとも、日常の穏やかな光景に当てられたからなのか、いや、陰間としての条件反射か……自分でも驚くくらい、穏やかにあっさりと言葉が出て、舞台の上から客席に落とすように微笑めていた。


***


  その、しばらくして蘭の落籍の儀が執り行われた。

  今回は花街を取り仕切る保科家への転籍だったから、儀式は華屋ではなく保科家で盛大に行われ、たんまりご祝儀をもらったらしい旦那と女将は「良い式だった」と頬を上気させて帰って来た。

  旦那が式の様子を話そうとしてくれたけど、俺はもう聞かなかった。知ってどうなるものでもないと思っていたから。

  街の人は祝いの影で色々と噂をしていたようだけど、それも一時のこと。江戸の日々はめまぐるしい。皆の関心事はどんどん新しいことに移っていった。

  俺もまた、市山座との打ち合わせと最後の演目に追われて日々を過ごし、気づけば暦は師走12月
  俺が江戸に来て丸三年が過ぎ、いよいよ歌舞伎座三座への入座の日が、三ヶ月先まで近づいていた。
しおりを挟む
感想 155

あなたにおすすめの小説

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

俺以外美形なバンドメンバー、なぜか全員俺のことが好き

toki
BL
美形揃いのバンドメンバーの中で唯一平凡な主人公・神崎。しかし突然メンバー全員から告白されてしまった! ※美形×平凡、総受けものです。激重美形バンドマン3人に平凡くんが愛されまくるお話。 pixiv/ムーンライトノベルズでも同タイトルで投稿しています。 もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿ 感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_ Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109 素敵な表紙お借りしました! https://www.pixiv.net/artworks/100148872

今日くらい泣けばいい。

亜衣藍
BL
ファッション部からBL編集部に転属された尾上は、因縁の男の担当編集になってしまう!お仕事がテーマのBLです☆('ω')☆

王道学園なのに、王道じゃない!!

主食は、blです。
BL
今作品の主人公、レイは6歳の時に自身の前世が、陰キャの腐男子だったことを思い出す。 レイは、自身のいる世界が前世、ハマりにハマっていた『転校生は愛され優等生.ᐟ‪‪.ᐟ』の世界だと気付き、腐男子として、美形×転校生のBのLを見て楽しもうと思っていたが…

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...