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大華繚乱

夢の方向

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  演技ではない本物の嫉妬に狂った俺は、ぶざまで醜いだろう。
  口元をたもとで覆いながら、ゆっくりゆっくりと呼吸を整える。それでも胸の中の業火は弱まらず、熱が涙となり目の縁が滲んだ。

  ……だめだ、宗光がいつ帰ってくるかわからないのに……こんな姿は見せられない。早く収めないと……!

  震えの収まらない手を、爪の痕が付くほどに強く握りしめ畳に押し付ける。走ったわけでもないのに切れている息を戻すのに、どれくらいの時間を要したのだろうか。
  頭の中から消えない、保科様と蘭が寄り添う姿、微笑みを交わし合う姿……宗光の名を呪文のように繰り返し呟いて、懸命にそれを打ち消した夜だった。


  でも。
  結局その夜は、宗光は華屋には戻らなかった。
  その夜だけじゃない。次の日も、その次の日も。




  宗光が俺の前に姿を見せたのは四日後。保科様のお屋敷でだった。

  「しくってもたなぁ」
  唇の端を上げてくく、と笑う宗光は、四日のあいだ奉行所に囚えられていたとは思えないほどいつも通りだった。

  罪人扱いをされたというのに、そんなにひょうひょうとして……。
  「まさか金貸しもやってたなんて」
  今まで知らなかった宗光の別の仕事を、本人からでなく同心けいさつかんから聞かされた俺の驚きもわかって欲しい。

  「金貸しに対する偏見持つなよ? 俺は大名貸しや領主貸ししかせん、至って真っ当な金貸し業者や。まぁ……今回は明らかな管理不足やけどな」

  宗光は本人の言うとおり、財政難にある大名や旗本相手に協定内の年率二割で取り引きを行う貸付業を営んでいたが、雇い人の一人が儲けに目がくらみ、宗光の名を使って商人や町民に高金利での取り引きを繰り返していたと言うのが今回の事件のいきさつだった。

  少し前に赤草の鰻屋で出会った商人もその相手となった一人で、宗光自身は取り引きを受け付けなかったのだが、雇い人が商人と隠密理に契約を交わしていたのだと言う。

  その上、商人は借用金を元に個人でさらに高金利の金貸しをやっていたらしく、それが明るみに出てしょっぴかれてしまった。となると、勿論大元の宗光へと責任追及が及ぶことになり、奉行所へと連行されたのだった。

  「それでここんとこ仕事も忙しくしてたの?」

  「ああ、一人変な動きをしてる奴がいる、って耳に入ってな。そのあたりの事実を調べたり、足が着く前に回収しようとして……まぁ、結局、日の元に晒されたけどな。嘘はつけんもんや。結局しょっぴかれるわ罰金取られるわ叔父貴に迷惑かけるわ……散々や」

  一時的に保釈金の肩代わりをし、身元引き受け人となったのは大旦那様で、大目玉を喰らった宗光は強制的に保科家へ連れ戻されたのだった。

  宗光は脇息肘掛けにもたれて深い息を吐いた。全然懲りていないのかと思ったけど、その横顔には疲れが滲み出ている。

   「……まぁ、それだけで良かったよ。宗光に罪人の入れ墨か烙印でも入るのかと心配してたんだからな」

  宗光のそばに寄り、少しこけた頬を撫でる。宗光はその手に自分の手を重ねて俺を抱き寄せた。

  「悪かったな。心配かけて。……会いたかったで、百合ちゃん」
  唇が寄り、手が着物の裾から入って腿を撫でる。

 けれど今は真っ昼間で、なによりここは保科様のお屋敷だから、俺はそれを拒んだ。

  「ここじゃちょっと……華屋に戻ってから……」

 宗光の手が止まる。気を悪くしたのかもしれない。

  「宗光、あのさ……」

  「……百合ちゃん。俺はもう華屋には戻れん」

  「え?」

  突然の言葉。
  音としては聞こえたけど、すぐには意味が理解できなかった。
  罰で花街の出入りが禁止にでもなったということか?

  「向こう五年は江戸立ち入り禁止令が出た。だから大阪に帰る……半島流しや。まぁ、大阪に帰れるだけマシやな。あっちでは商売の縮小は求められてないし、取られた分は取り返す」

  待って。大阪って? 宗光がいなくなるってこと?

  声に出したいのに、上手く声にならず、俺は宗光にもらったランチュウのように、口をパクパクと動かした。

  「やから百合ちゃん、一緒に大阪に行こ。年季前に上がることにはなるけど、華屋にはきっちり落とし前つけるし、あっちに行ったら百合ちゃんの為に新しく座を作ったっていい……そうや、二人で今までにない新しい座を創っていけばいいんや。俺らやったら必ず成功する」

  ──一緒に、大阪へ!? 

  「上方あっちの歌舞伎はこっちのんより人情や愛情ものが主流やし、男形にもつよさより繊細さが求められてる。やからこそ、そこに江戸歌舞伎も融合させて……百合ちゃんは女形だけじゃなく男形もやるんや。変幻自在の役者、百合。上方中ですぐに評判になるやろな。あぁ、考えただけで気持ちが踊るな」

  戸惑いで体を強張らせている俺の気持ちを置いてきぼりにして、宗光は名案を思いついたかのように饒舌になっている。

  「三日後には江戸を発つ。あっちでの暮らしは心配ないから身ひとつで来たらええ。落籍の儀式をやってやれんのはごめんやけど、大阪と京は俺の縄張りみたいなもんやから今よりもっと華やかな暮らしさせたる。さ、そうと決まれば準備を始めんと。忙しくなるなぁ。戻ったらすぐ手配して……」
  「ま、待って、待ってよ宗光」

  やっと小さく空気を吸いこめて、宗光の話を制した。

  「そんな急に……しかも大阪だなんて」
  「時期が早まっただけやろ。この先一緒におるんなら結果は同じや。なぁ、今は心配やろけど、絶対幸せにしたる。俺と行こ? 百合ちゃん、考える時間は充分やったはずや……決めてくれ」
 
   俺の肩にかかる宗光の手に力が入るのに、俺の体は支えを失ったように崩れそうで、昼間で外の天気は良いと言うのに目の前が真っ暗になり、頭の中がくらくらと回り出す。

  ──俺、俺は……。

   ここ数カ月、いや、会わなかったこの数日のあいだでもいっぱい考えた。
  宗光と保科様への思いの違いを自覚し、自責に駆られながらも気持ちは募り、蘭への嫉妬も覚えた。けれど、蘭の身請け話しにより、今度こそ本当に思いにけりをつけねばならない時が来たのだと、自分なりに気持ちに決着をつけたつもりだ──俺は宗光と生きて行くんだと。

  でも……。
  「宗光……俺、大阪には行けない……」

  「! なんで……なんでや。時期が早すぎるなら華屋を上がってからあとで来てもいい……それともやっぱり忠彬か? あいつにはもう蘭がおる。思ってたって仕方ない。わかってるやろ!」
  「違う!」
  俺は声を荒げた。

  「宗光、俺は……俺はみんなと約束したんだ。華屋で一番になって、それから江戸で一番の女形になるんだって。どこでもいいわけじゃない。この江戸で一番になるんだって……。
  宗光、俺ね、いつも誰かにそばにいて欲しかった。俺の為だけにそばにいてくれる人を探してた。今だってそう思ってるし、宗光ならそうしてくれると思う。でも俺、皆を裏切りたくないし、なにより夢を捨てられない……!」

  なんて強欲なんだろうと思う。夢も愛情もどちらも手に入れようとしていた自分は。
  けれど、過去に楓の背を押したのと同じ理由だ。俺もまた、江戸で咲く夢を捨てられない。
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