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大華繚乱

陰子 四

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  襖に寄りかかっていた宗光が部屋に入り、保科様と俺と蘭が向かい合っているあいだに腰を下ろした。
保科様も膝を直し、再び座を保持される。

  「宗光、さっきの続きって……んンッ」
  俺が話しかけると、宗光に強い力で引き寄せられ、奪うように口づけされる。

  俺が宗光の胸を押し返すのと蘭が立ち上がるのは同時だった。
  「宗光様、お客様の前で失礼です!」
 唇を塞がれたままの俺の代わりに蘭が声を荒らげる。

  「おかえりを聞いてなかったからな。なぁ、百合ちゃんの亭主は俺やってこと、忘れてないな?」
  宗光の唇がようやく離れて、さっきから変わらない、冷たい目で確認してくる。

  「……お帰りなさいませ、宗光様。お待ちしておりました」
  俺が言うと、口の端を歪めて笑う宗光。この顔は宗光が亭主になってからは見ていなかった……見たい顔じゃない。
  対して、保科様は表情を変えずに静かに座っておられ、蘭にも着座を促した。


  改めて三人で顔を付き合わせる。
  宗光はまず、保科様へ顔を向けて口を開いた。

  「下で旦那さんから蘭のことを相談されてな。金剛ができなかった場合、俺に蘭の仕入れを頼めないかと」
  「絶対に嫌でございます!」
  宗光の話に蘭が食ってかかる。
  飛びかかりそうな勢いに、蘭の手を引き寄せ鎮めた。

  「わかってるわ。蘭は俺が気に食わんもんな。ま、俺かて百合ちゃん以外に触る気はない。勿論断わった。だが聞けば百合ちゃんの時は、忠彬がやったそうやないか」

  胸がどくん、と飛び跳ねた。
  華屋の皆だけでなく、花街の人間全てに知られているというのに、なぜだが自分の中では秘密にしておきたいことのように思っているそれを、宗光が知って口にしたこと、そして次に出る言葉が予想されること。

  ────どうしてだ、どちらもが痛い。

  「忠彬、蘭も世話してやれよ。顔かって百合ちゃんに似てる蘭なら可愛がってやれるやろ」
  
  ────ああ……やはりそれを宗光が言うのか……。

  俺は力なくうつむいた。
  保科様は大きなため息をついて宗光を諌める。

  「宗光。言いようというものがあるだろう。誰かに似ている似ていないの問題でもない。仕入れ時の経験は今後の褥仕事を左右するのだ。もっと真摯に関わらなくてはならない。それに、蘭とて私なら受け入れられるということではない」

  「わ、私なら……! 私は保科様にお願いしとうございます」
  蘭が再び声を上げる。

  「蘭!?」
   驚いた俺は蘭を凝視した。
   蘭は俺に顔を向け、また瞳を輝かせた。

  「確かに私はどなたであっても仕入れは怖いです。けれど、私の尊敬する百合様が保科様にお世話になられて今があるなら、私も保科様にお願いしたいです。百合様が通られた道、私も同じように歩んで参りたいと存じます」

  「ら、蘭……それは……」
  純真でまっすぐな瞳。俺への信頼だけで心を保たせているのであろう蘭の言葉に、俺は否定の言葉を出せない。ましてや否定する権利もない。

  「……決まりやな。旦那さんには話を通しとく。忠彬、華屋の次代の大華の教育、しっかりやったれや」
  「保科様、どうか宜しくお願いいたします!」
  宗光と蘭の言葉が揃い、保科様は静かに息を吐いて瞼を閉じた。そしてゆっくりと立ち上がる。

  「旦那と女将には私から話そう。ひとまず失礼するよ。百合、邪魔したね」

  保科様が部屋を出て行かれるのに、お見送りにも立てず、俺はただ頭を下げるしかできなかった。


 ***


  蘭も若草の部屋に戻った。
  自身の道標を見つけた蘭は今までの迷いが消えて、すっきりとした表情をしていた。それはとても喜ばしい。でも、俺の心は外の天気と同じに、小さな嵐が起こっていた。


  「百合ちゃん、なに考えてる?」
 二人になってからずっと、宗光に背面から抱きかかえられているけれど、いつもみたいに全身を預ける気にはなれない。
 
  帰って来てからの物言いや、自分だけのペースで事を進めた宗光に苛立ちを感じていた。

  「別に」

  「なぁ、悪かったって。嫌な感じ出してすまん。仕事でちっさいいざこざがあって滅入ってたんや。それで百合ちゃんに癒やされたくて時間作って帰って来たのに、忠彬だけやなく元の恋人がおるんやから。腹も立つやろ」

  「! ……元の恋人って……」
  まさか、楓のこと!? そんなの、宗光が知ってるはずないのに。

 言葉を失くした俺を見て、言わんとすることを察したらしく、宗光はぽそりと話しだした。
 「そんなもん、俺かて華屋にずっと出入りしてるんやから耳に入るわ。それに、さっき市山屋の若さんと話してたら話はほんまなんやな、ってな」

  今日はもう何度目だろう。自分の預かり知らないところで俺の情報を得ていた宗光には驚かされてばかり。
  いや、それでも……。
  
  「楓も俺もそんな素振り出してなかったじゃん。確かに楓は情の深い男だけど、今は奥さんや生まれてくる子がいて、俺達は兄弟弟子、親友として思い合ってるだけだよ。宗光が気分を害するようなこと、なにもない」

  そうだよ。楓と俺には新しい絆が生まれようとしているのに、下世話なふうに見ないで欲しい。

 「ふん」
  宗光はまた薄く笑った。
  「まあええわ。百合ちゃんがそう思ってるならな。……それよりやっと俺を見た」

  体を対面にかかえ直され、ぎゅ、と抱きしめられる。
 「ほんまに悪かった。ただこうして二人でおりたかっただけや」

  「宗光……」

  甘えるように頬を擦り付ける宗光はもういつもの宗光だ。
  こうしていたら本当に柔らかい雰囲気を醸し出しているのに、あんなに冷たくて嫌な言い方をするなんて。
  それに……保科様のこと。思いたくないけど、まるで俺への当てつけみたいに────そりゃ、心の隅には忘れられない思い出や、つつかれれば蘇りそうになる気持ちがないとは言い切れない。
  でも、そんなの誰しも持っている感情だと思うし、宗光はそれを含めて俺を受け止めると言ってくれたじゃないか。
  だから俺も宗光を選ぼうと……。

  

  選ぶ、ってなんだよ。俺はいつからそんな傲慢になったんだ。そばにいてくれる人を選ぶ、だなんて。

  いや。

  なにより、選ばなければならない愛情って、本物なのか? 愛情って、自然にそばにいたいと思う、そういうことじゃないのか……?

  俺の心に浮かんだ小さな黒い染み。
それはこののち、俺を悩ませ続けるのだった。
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