枕営業から逃げたら江戸にいました。陰間茶屋でナンバー1目指します。

カミヤルイ

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大華繚乱

陰子 参

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「やぁ、百合。それに蘭」     
「保科様、なにかございましたか?」

  保科様が座敷時間に華屋の二階まで上がっていらっしゃるのは久しぶりだ。最近は放火騒ぎは収まっているようだけど、なにか気になることでもあったのだろうか。

「いや、ここに預けた三人の陰子の様子と……それにかこつけて百合の顔を見に来たのだよ」

「えっ」
  本気なのか冗談なのか、珍しく艶っぽい瞳でおっしゃるものだから、俺が顔を赤くして反応すると、保科様は朗らかに、でも愉しむみたいに笑った。

「大華になってもふとした表情は昔と変わらないね。良いものが見れたよ。やはり来て良かった」

  保科様の手が俺の耳元に伸びる。指は髪を梳いて耳の後ろを撫でた。

 ……なに、これ。
  なんでこんな触り方……触れ合った過去よるを思い起こさせるような甘い指使いに、胸がトク、トクとリズムを刻み出す。
  どうしよう、どんな顔をしたら……。

「大華、市山屋楓雅様も参られております! お入り頂きますか?」
  また弥助さんの声。さっきよりも早口で、焦りの色を感じた。

  ……か、かえで?

  どうして楓が華屋に? それになんで、よりによってこんな時に俺の所に??

「私は構わないよ」
  保科様と扉代わりの襖に視線を行き来させている俺から手を放し、保科様が言う。それで、俺も突かれたように言葉を出した。

「構いません、大丈夫です!」

   しばらくすると、襖から楓の顔が覗いた。

  「保科様。巡回中に失礼致します。百合、また久方ぶりだな」

  前に会ってから半年近く経っている。そろそろ子供が生まれる時期だからだろうか、余裕のある男の振る舞いをする楓はますます輝きが増しているように見えた。
  ていうか……イケメン二人が並んだ迫力って凄い。ぺかーーっと後光が差して見えるのは気のせいかな?
  瞠目しつつも振り向けば、蘭もポカンと口を開けて二人に見惚れていた。



  楓は、約半年後には華屋を上がるであろう俺に、市山座に来るべきだと進言しに来たと言う。
  だけど俺は、女形中心で座を盛り立てている大和座さん……牡丹がいる座だ……との交渉が進んでいたし、やはり一度は市山座からの勧誘を断わった身だったから、その言葉には素直に頷けないでいた。

「大和座はほとんど女形だし、順列を重んじる座だから、実力があったって新人が舞台に上がれるのは随分先になるんだ。牡丹だって大和座に入って一年が過ぎるが、まだ一度も舞台には上がってないの、知っているだろう?」

「そうだけど……」

「俺は百合を埋もれさせたくない。百合がどんなに芸に真剣で、気持ちを注いでいるかを知っているし、なにより華屋にいる時から百合は俺の一番の競合相手だと思ってる。俺は……俺が言えた義理ではないのはわかっているが、百合には夢を叶えて幸せになって欲しい……俺が……少しでもその手助けができたらと思ってる」

  楓の眼差しが熱い。大きな瞳で射抜かれたら、言葉なんかなにも出てこなくなる。

「考えてくれ、百合。前にも言ったが、百合と歌舞伎の世界を盛り立てて行きたいんだ……共に」

  形が変わっても、変わらず俺に注いでくれる情の深さに、ますます言葉が詰まってしまう。
 
「百合、私も楓に賛成だ」
  次いで、左肩に保科様の手が置かれた。大きな手は、慈しむように暖かい。
「市山座は新しいこともいち早く取り入れ、形にしていける座だ。百合の才能が遺憾なく発揮されるだろう。魅せてくれないか? 百合が歌舞伎座で輝く姿を」

「私は……」

  過去に心を焦がした人達が今、同じ空間にいて、俺の未来を支えようとしてくれている。

  二人と引き裂かれた時は悲しくて苦しくて、この先は一人で生きて行くのかと嘆いた日もあった。
  でも、その経験で俺の芸が少しずつ成長してきたように、俺達の関係もまた、良い方向へと変わってきているのだ。

「百合様っ……! 私も百合様を応援致します!」

  ん?
  おっと、自分の世界に入り込んで蘭の存在を蔑ろにしていた……。

  蘭は目を燦々と輝やかせて俺の両手を掴んだ。
「私、感激致しました。このような仁義の通った熱い情を受けられる百合様はやはり素晴らしい御方です。芸事を見下すような振る舞い、失礼致しました。私も、百合様に続く立派な大華を目指して精進致しとうございます!」

「あ、ええ? あ、そう……?」

  良くはわからないけと、保科様と楓の暖かい思いが、純真無垢で実直な子供の心にも響いたのだろうか。

「ただ、やはりお客様の相手は恐ろしゅうございます……仕入れなるものも、どうしたら良いのか……」
  今しがたまでの意気込みはどこれやら、蘭は枯れた花みたいにしゅんとしおれる。

  ──その時。

「む、宗光様お戻りですっ……!」
「なら、忠彬が世話をすればええやん」
 襖が勢い良く開いて、二つの声が揃った。
 
  一瞬、冷たい空気が部屋に流れ込んだ気がした。いつの間にか外には雨が降っていて、襖から外気が流れ込んだのか、弥助さんの焦りと宗光の冷ややかな声がそう感じさせたのかはわからない。

「宗光……今日は戻れないって……」

「あぁ、立て込んでたけど百合ちゃんに会いたかったからな。けどなんや、戻ったら部屋に別の男がニ人も。用があるなら部屋でなく広間したでやるのが筋やないんか」

  襖に寄りかかって、座っている俺達を見下ろす宗光の目までもが冷たく感じる。

「これは失礼致しました。今夜はお客様の登楼がないと聞いていたもので……淀橋屋様、御無礼をお許し下さい」
  楓が立ち上がって深く礼を捧げた。舞台上から観客に注ぐような笑顔もつけてくれたおかげで、少しだけ空気が和らぐ。

「市山座さんのとこの若さん、毎度。そうか、若さんは確か華屋ここの出やったかな」

「はい。淀橋屋様は多大な支援を百合にかけて下さっていると伺っております……百合の先輩としてお礼申し上げます」
  楓が再び深く頭を下げると、宗光はフン、と鼻を鳴らして笑った。

  楓はそんな宗光を一瞥だけして、保科様と蘭に挨拶し、最後に俺に振り返って言った。
「百合、また返事をもらいに来る。考えておいてくれ」と。


  楓が去って、しんとした空気が流れる中、保科様が片膝を立てる。
「私もそろそろ失礼するよ」

  けれど、それを宗光が引き止めた。

「まあ、待てや。さっきの話の続きをしようや」

  ──続き、って。宗光、なにを……。
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