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いつか見た夢

親愛 参

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 日々は穏やかに過ぎて行く。

 権さんが華屋から出されることを聞いた時は「病人おにもつを捨てる気なんだ」なんて思ったけど、照芳様が教えて下さった通り、麹町での権さんの暮らしは充分に保障されていて、療養に専念出来ることで、権さんの容態も落ち着いている日が多かった。

 この江戸時代では明らかにはならないが、おそらく権さんは胃がんなのだろう。そして全身に転移している。
 もちろん手術なんてできなければ、抗がん剤だってない時代だ。他の病気も同じだけど、基本的には滋養のある食べ物や漢方の煎じ薬で対症的に経過を追うだけだった。

 それでも仕事の合間に会いに行けば、布団から出て畳に座り、少し前よりも顔色の良い権さんを見ることができて安心する。


  「よぉ、百合。今日の舞台はどうだった?」

  「うん。今日も満員御礼状態だよ。先週から始まった新しい演目が人気でね。なずなも随分男形らしくなって、新しい目当て客がついてきてるんだよ」

 楓と牡丹が抜けても華屋見世に来る客足は減らない。それどころか少しでも良い席を取ろう、観劇券を取り損ねないようにしようと、朝早くから見世前の道に列ができるほどだった。

 皆がみな、将来の役者を真剣に目指して鍛錬に励んでいること、俺の知識を総動員して提案した新しい演出の舞台を、関係者が一丸となり創り続けていること。
 そして、市山座に入ってわずかな期間で、江戸のみならず全国で名を馳せるほどの人気となった「市山屋楓雅いちやまや ふうが」……楓を輩出した華屋の看板に箔がついたことも大きかった。


 の市山屋さんの言葉に嘘はなかった。
  「楓には底知れぬ力がある。必ずや市山座の立役者になるだろう。そして今後の華屋にさらなる繁栄をもたらすことになる」

 別れは互いにとって辛い決断だったけれど、これで良かったのだ……そう素直に、心から思えるくらいには、俺の気持ちも安定してきていた。
 なにより今は権さんのことと、一日でも早く自分が大華になることが心を占めていたから。

  「そうか。良かったな。百合、最近は良い顔してるし、俺は安心したよ」
 めっきり涙脆くなった権さんが、手の甲で目をこすって呟く。

  「あ、だめだめ。俺まだ一人じゃ無理だからね。大華になるまで見ててよ」

 安心させたら「思い遺すことはない」って言い出しそうで、言葉を遮った。

 大華になったら次は歌舞伎座にデビューするまで。その次は全国で有名になるまで。その次は一緒に暮らせるようになるまで。
 あと数ヶ月、と言われた人間の寿命が目標や希望によって延びるのは良く聞く話で、少しでも権さんの命が長く続くようにと、俺も「次の約束」を作る。


  「……っくしょん」

  「権さん、陽が落ちたから冷えたんじゃない? ほら、布団に入んなよ」

 夏も盛りなのに権さんの手足の先は冷えやすくなっていて、すぐに氷みたいになる。あんなに体温が高かったのに、湯につけても布団に入ってもなかなか温まらないのが辛そうだった。

  「そうだ! 俺、一緒に寝てあげるよ!」
  「……ハぁ? なに言ってやがる……こらっ、百合」
 夏用の脱ぎ着しやすい着物を脱ぎ、下帯一つで権さんの布団に潜り込む。権さんはもちろん浴衣を着ているけど、雪山で遭難して体の冷えた人を暖めてやる要領だ。

  「うっわ、冷た。気持ちいいー」 
 暑さで若干汗ばんでいた俺には権さんの冷たさは気持ち良いくらいで、足を絡ませ、ぺたり、と権さんに張り付く。
  「お前なぁ。菊華ともあろうもんが易々と客以外の男のとこに入んじゃねぇよ」

  「だって、権さんじゃん。家族同然なんだから」

  「……まったくよぉ。迎えの金剛まわしが来たら俺が叱られらぁ……お前は本当に……最初は俺を警戒して、仕入れから逃げ出す始末だったのになぁ」
 権さんが鼻声になり、ズズっと鼻を啜った。 目尻を濡らす涙には気づかないふりをしてあげるよ。

  「あはは。権さんが怖い知り合いに似てたからさ。……ね、権さん。もしも生まれ変わっても、また陰間と金剛で出会えたら次も俺の世話をしてくれる?」 

  「なんだよ、それ。……でも、そうだな。そうしてやるよ。今度は一から俺がなんもかんも仕込んで、あっという間に大華にしてやる」

 薄くなって、以前とは感触が違うゴツゴツ感のある体が俺を包んだ。手は頭の天辺をよしよし、と撫でてくれる。
 絶対だよ、と俺が言うと、権さんはもう声は出さずに頷いて、しばらくすると静かに寝息を立てていた。


 
 そして神無月10月が来る頃───俺が江戸に来てもうすぐ二年だ────再び旦那と女将に広間に呼ばれた。
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