枕営業から逃げたら江戸にいました。陰間茶屋でナンバー1目指します。

カミヤルイ

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いつか見た夢

新しい波、新しい未来

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 桜が勢いを付けて開花した。

 俺は客の同伴で隅田川に花見に行った。船に乗せてもらい、長命寺の桜餅を買ってもらって食べた。
「美味いか」と言われて「美味しいです」と笑った。

 別の客には勧進相撲に連れて行ってもらった。迫力ある江戸の力士の姿に興奮した。
「楽しいか」と聞かれて笑顔で頷いた。

 
 そんなふうに日々は過ぎて、食べられるし笑えるし、小さな幸せを感じることもある。
 どんなに辛い恋の結末を迎えても、人間は未来に向けて生きて行けてしまうんだ。
 そう、あんなに恋焦がれた保科様への思いだって、楓がいたら過去のことになっていた……楓への思いも、時間が経てばそのうち薄れて行くのだろう。

 ────今はまだそんなふうに思えないけど。




 そして紫陽花が咲き始める頃、牡丹の大和座への引き抜きが決定した。
 牡丹は大和屋さんにもらわれるわけではなく「就職」だから、落石の儀はないし、住む場所も自分で探すそうだ。

 俺も来年か再来年にはそうなるんだろう。
 江戸に来て一年と約半年になるけど、未だにこの時代のことや、場所には詳しくない。客に連れて行ってもらう以外は華屋の茶屋と見世の往復だけだし、給料の貯金もしていない。
 一人で生きて行くことになるんだからもう少ししっかりしないと、と思った。


  「まあ、大丈夫だろ。アンタなら大和屋さんが拾ってくれるだろうし、そうしたら私が色々教えてやるからさ」
 最近色香が増した牡丹に、キセルタバコの煙をふわぁとかけられる。
 過去には一悶着あった俺と牡丹だけど、今では華屋の中では良く話す親友みたいなものだ。

  「そうならいいけど。どこにも拾ってもらえなかったら、なにやって生きて行ったらいいいのか」
 自嘲気味に笑うと、また煙が吹きかけられた。

  「またそんなことを。アンタ、大華になるんだろ。大華になれば芸の道は約束されたようなもんだ。しっかりおやりよ。市山屋さんとのことだって、楓に遠慮することなんてないのにアンタはさ……あぁ、悪い。この話はナシだね」

 うん……。
 小さく頷いたけど、大華になる目的がなんだったのかも、もう見失っていた。大華にになれば褥仕事はほとんどなくなる。ずっと望んできたことなのに、今の俺にはそのことの方が怖い。

 昼はまだいい。
 稽古と舞台に明け暮れていれば考えなくて済む。
 でも夜に一人になると、寒くて寂しくて消えてしまいそうになるんだ。永遠の愛でもなく、ただ一人の人でもなく、不特定多数の肌の温もりが、今の俺には必要だった。

 だから今でも沢山の客を相手する。
 今までの「華」の常識とは違うけど、女将も旦那も好きにさせてくれた。渋い顔をするのは権さんくらいだ。

  「全く、華になってまで四十八手や縛りを喜んでやるなんて気ぃたことねぇよ。華の品格はどこに消えちまったんだか……よし、傷や痕はねぇな」
 馴染みのお侍さんからの紹介で受けたお客を見送ると、いつものように部屋の外に待機していた権さんが俺の全身を点検した。

 久しぶりに荒い褥がご所望のお客ではあったけど、位の高い武士だけあって、褥の前後は紳士的で、また受けてもいいな、と思った──激しい褥であればあるほど、寂しさを忘れられるから。

  「牡丹だって似たようなものじゃないか」

  「あれは増大寺さんに限ってだから良いんだよ。……しかし、牡丹まで居なくなったら次の華が育つまで華屋がしんみりするなぁ……」
  権さんはため息をついた。

 この一年、見世華屋の人気に反して新しい陰間の入門がない。それに、今いる陰間達も努力をしているとは言え、まだ成長途上で、次世代の華を張れる人材はいないのだ。

 また、華屋だけでなくどこの舞台でも男形を入れるのが必要不可欠になってきた中、この華屋でも一六人いる陰間のうち、なずな含む四人が男形に転向した。

 ただ、そうなると褥には従来利用が多い男の客が付かないのだ。
 女性客は勿論いるけど、大半が同伴や一切り希望で、大口で契約するお客はいない。
  加えて、多発する陰間関連の刃傷事件の為に、幕府から陰間茶屋利用に対しての締め付けが厳しくなり、遊郭に流れる客が増えてきている。
 舞台の形式だけではなく、陰間茶屋の流れも大きく変わろうとしていた。

  「だからさ権さん、俺がいろんな客を相手ににすれば、馴染みが増えて華屋の他の陰間への斡旋もできるでしょ? 一石二鳥じゃない」

  「バカ言ってんじゃねぇよ。お前は大華になるんだ。気高く、安売りしない最高級の大華・百合の姿、俺に見せてくれよ。百合ならできるさ」
 ぐしゃぐしゃと頭を撫でられると、つい顔が二ヘラ、とだらしなくなってしまう。 

  「できるかな……ねぇ、権さんは俺が大華になったら喜んでくれる?」

  「なんだ今更。前からそう言ってるだろ? 百合が大華になって、それから歌舞伎座の売れっ子になるのが俺の金剛人生、最後の願いだよ」
 そう言ってまた、俺の頭を撫でた。

 俺の年季明けと共に金剛を引退する予定の権さんは、俺に並々ならぬ期待をかけている。
 最初は権藤さんに似ている権さんが恐かったけど、権さんだけは俺から去らずにいつも見守っていてくれる。そして時に叱り、励まし、こうして甘えさせてくれる……権さんはまるで俺のみたいだ。

 そうだ。俺には権さんがいるじゃん。権さんが見ていてくれるなら俺はまだまだ頑張れる。

  「ねぇ、権さん。俺の年季が開けたら一緒に暮らそうよ! 俺、看板役者になってガッポリ稼ぐから養ってあげる。ほら、権さんは独り身だからさ。俺が老後も世話するし、最期を看取ってあげるからね!」

  「……はぁ? お前なんかに世話されてたまるか。それに俺を殺すな。こちとらまだまだ現役だよ、ふざけんな」
 そう言って俺を羽交い締めにして、怒ったように言うけど、顔は笑っていた……いや、目尻から涙が出ていた。
 それが「しゃあねぇな、そうしてやるよ」とでも言わんばかりに見える。
 

 ────俺に、新しい目標ができた。
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