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陰間道中膝栗毛!?

初舞台 弐

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 舞台裏の楽屋は四つあって、華達はそれぞれ、贔屓客から送られた暖簾をかけた個室を割り当てられている。俺が入るのは江戸間八畳くらいの楽屋で、若草と小花が所狭ところせましと密集した共同楽屋だ。

 並べられた卓にたくさんの衣装が置かれ、切った和紙にそれぞれの名前が書かれたものが添えてある。
 権さんが「百合」と書かれた一式を取って着替えるよう指示し、俺が着替えている合間もタイミングを見ながら顔や髪を整えてくれた。時代は違えど現代のメイク室と遜色ない。

  「あ、権さん。刀と羽織だけは頼むね」
 俺の宝物を誰かに無闇に触られたくない。
 権さんは「わかってるよ」と布に包んで抱えてくれた。



 今日は新春初見世だから、全ての芸子が舞台を踏む。順としては、俺が以前見学したのとは反対に、若草の集団での踊りから始まり、小花の踊り、若草と小花の小劇と唄。あいだに休みがあって、華達が順に出ていく。もちろん大トリは大華の楓だ。そして、終演後に、華達と小花、若草のトップが前列に順に並び、今年の口上あいさつを。最後に新人の顔見せ挨拶があって、締めとなる。

 最後の挨拶は緊張するけど、小花になったばかりの俺の初舞台の立ち位置は小花のニ列目の真ん中寄り。その他大勢の、目立ちにくい場所だ。その他大勢ってとこ。とはいえ、楓に怒鳴られながら真剣に練習したからミスなく揃う自信あり……今日は保科様もいらっしゃるしさぁ。
 約一ヶ月振り……お姿を一目でも見られたら。



 シャンシャンシャンシャン……鈴の音から始まり、皷と太鼓の音が続く。

 ────いよいよ初舞台の幕が開く……!


 若草が上手から出て、俺達小花は下手に控えている。  客の盛り上がりはまだそうでもない。小花だった芸子が若草に降りた姿を見た客がボソボソと耳打ちする程度だ。
 だけど、若草の一番人気のなずながソロで踊る場面では「いよっ、なずな!」とか「出ました!」なんかの声援が飛んだ。
 あいつ、また少し舞台映えするようになったなぁ。

 若草の踊りの演奏が静かになれば、いよいよ俺達小花の出番だ。川の流れを演出しながら若草と入れ替わる。

  「小花ー!」
 観客席が少しずつ盛り上がる。贔屓客が、小花の名前を一人ずつタイミング良く呼ぶのを聞いて「会いに行けるアイドル」を思い出して笑いそうになった。

 いかんいかん、集中。どーせ俺の名は呼ばれないし……。
  「百合ー!待ってました!」

  「よっ、百合之丞!」

 えっ。

 最後に俺の名が上がると、次々に客が続き、拍手やお囃子が送られた。前列の小花に隠れてほとんど見えないのに、お客は俺を見つけようと背を伸ばしたり、前の座敷の客を押し退けたりしている。
 次の芝居でも、俺は現代と同じく通行人の「娘役その参」だったにも関わらず、大きな歓声を送ってもらった。

 ……なにこれ。めちゃめちゃ気持ちいいじゃん。今までこんな反応もらえたことないよ。

 俺は夢見心地で舞台を降り、権さんに褒められ、抱きしめられてもボンヤリとしていた。

 でも、すぐに目が醒める。

 二部の華の舞台。三人の華の圧倒的な芸。
 自分が稽古を積んだ分、前に見学した時よりもわかるようになった──三人の技術や表現がいかに優れているかを。

 客たちのお囃子も最初だけで、段々と芸にのめり込み表情が変わる。特に大華の楓の番では皆が息を呑み、演目が終わると、劇場が潰れるんじゃないかというくらいの歓声が起こり、興奮で暴れ出す客まで出ていた。

  「すっげ……」
 舞台袖で見ていた俺の体もまた、興奮に包まれ、脱毛して無いはずの毛が逆立つ感覚にゾクリとした。


 楓が舞台から下がる時、俺の横を通り過ぎたけど、息ひとつ乱れていない。

  「どうだ、楓は凄いだろう」
 気づくと後ろに旦那が立っていた。
  「あれを越せるか? お前に大華がやれるかねぇ」

 なんて嫌味な顔だ。もちろんやってやるよ、と言いたかったけど、流石にあれを見たあとに虚勢は張れなくて、唇を噛んだ。

  「おいおい、唇を噛むんじゃないよ。これからご挨拶だってのに。いいか、百合。大華には遠いが、お前は無名で初舞台なのに既に評判が上々だ。これには保科様の力も大きい。保科様の顔を潰すなよ。しっかり上客を惹き付けやがれ」

  「……わかってますよ……。権さん、頼みます」
 保科様の名前を出されて、頭に電気が走る。

 権さんと楽屋に戻り、化粧と挨拶用の着替えを済ませた。
 挨拶用の打掛は、薄紅色を基調にした滑らかで光沢のある朱子織りの緞子どんすに、金箔糸で百合の文様を織り出した金襴緞子きんらんどんす。一流の花魁が着るような上等品だ。そこに俎板まないた帯を巻きつけ、高い位置で前で結ぶ。

  「ああ……綺麗だな。百合、お前は俺の自慢だ。たくさんの夢、見せてくれ」
 権さんに背中を押される。

 高めの下駄はちょっと不安定だけど、背を伸ばして堂々と見えるように。うなじの緊張を抜くなと、保科様のところのお師匠さんにも散々注意されたっけ。

 ふと周りを見ると、若草と小花・その金剛達の視線が俺にあった。
 羨望と嫉妬が混じった目だ。この目は良く知っている。俺も同世代の人気俳優がテレビで見せる爽やかな笑顔にそんな目を向けていた。

 だから。
 俺は微笑む。絶対に怯んだり謙遜したら駄目だ。それは相手への冒涜と同じだ。
 謙虚さは忘れず、自分に与えられた才能を惜しみなく出すべし!  ……ま、弱小芸能プロダクション菊川社長の言葉だけど。
 社長、まさか俺がこんな立場で微笑む日が来るなんて思わなかったよ。

  舞台袖に戻ると、華達は既にスタンバイしていた。
 俺に振り返った菊華は目を三日月にして微笑み、咲華の牡丹さんは真顔に、大華の楓は口角を片方上げた。
 それぞれがどうしてその表情かおをしたのかは読み取れないけど、いつかはわかるだろうか。

 でも今は……挨拶を成功させて観衆に認めてもらうこと。保科様に喜んで頂くこと。その二つだけしか考えられない──
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