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お江戸でざる?

見世劇場「華屋」 壱

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 見世に入ると既に開演時間が迫っていて、俺と権さんは暗がりの舞台袖、上手側に身を落ち着けた。

 若草や小花は真剣な面持ちで下手側にスタンバイし、金剛達も幕揚げの準備や行燈あんどんの調節に集中していて俺達には目もくれない。

  「いいか、良く見てろ。初めは大華たいか一番演目一番人気の踊りだ」

 大華·····あの楓、って陰間か。まだスタンバイはしていないようだけど·····。

  「邪魔だよ、どきな。衣装がこすれる」
 後ろから金剛の声がする。顔を向けて、俺は息を呑んだ。

 楓が見事なまでの女形に扮し、豪華絢爛な衣装や頭飾りを身につけている。でもそれ以上に、強烈な色香が楓本人から匂い立っていて、着物の裾持ちをしている金剛の手が俺を払うまで動けなくなっていた。

 けれど、楓の目には俺なんか映っていない。ぴん、と張りつめた空気をお供に、真っすぐに前だけを見て、舞台の中央へと進んで行く。
 下手側にいる若草や小花が頭を低くしたのは楓への敬意の表れか。


 シャンシャンシャンシャン。

 鈴の音? 始まるのか?

 次いでポーンと張りのある鼓の音。それを合図に、両袖にいた黒子役の金剛が幕を開いていく。


「────わぁああぁぁぁぁぁ!」
  楓の姿を認めた途端に観客席から大歓声が上がり、五臓六腑を押し潰されそうなほどの興奮の波が押し寄せた。


  「すご·····」
  楓の踊りは自然物そのものだった。
  権さんいわく「大蛇おろち姫」といわれる演目で、代々の大華に引き継がれていく伝統芸らしい。
 大蛇姫に扮した楓は花のように艶やかに、風のように軽やかに、水のようにしなやかに·····そして炎のように熱かった。
 空気がまるで違う。 一挙一動から目が離せないってこういうことか。
 続いて出てきた小花・若草が後ろで踊るけれど、楓から視線が外せない。まるで、楓だけがフォーカスされた写真のように浮き出ていた。


***


  「おい、百合、生きてっか」
 権さんに頭を小突かれ、周りが見えなくなるほどに集中していたんだと気づく。

 楓のあとに、まだ顔も見たことがなかった咲華や菊華の演目があり、小花だけの演目もあった。
 若草の演目の時にはとうとう客も舞台に上がって、ハチャメチャな盛り上がりになっていたけれど、俺はずっと、それを舞台袖で凝視していた。

  「権さん。すごいな。ここ」

  「お、お前にもわかるか」 

 ウン、と頷く。 
  「わかるなんてもんじゃない。ビシバシ体に響いた·····俺も、あの中に入りたい」
 そう言うと権さんはニッと笑って、着崩れた俺の着物を直してくれた。

  「その前に顔見せだ。百合、茶汲みの経験はあるか」

  茶汲み?
 上演のあとに給仕みたいな仕事があるって言ってたからホールスタッフみたいなもの?
 それなら任せてよ。ファミレスもあるし、居酒屋でだってバイトの経験がある。

  「めっちゃ得意」

  「めっ·····? まあそれならいい。気張って行きな」



 権さんに連れられ食事処の裏に入ると、陰間達……劇場の中では「芸子」と呼ぶんだそうだ……が一斉に俺を見た。
 舞台袖では俺に気づかなかったなずなや他の若草も、化粧をした俺を見て目を丸くしている。

 それを見た権さんは俺より早く満足気に頷いて、なずなに「イビんなって言ったろ、ちゃんと教えときな」と耳打ちした。

 なずなはチッと舌を鳴らしたけど、すぐに仕事の顔に戻って俺に仕事内容を説明し、順列の並びで客を迎え入れる時には、一番右側に並ぶよう言った。

 一番右。一番新入りの一番下ってことだ。はな達はここには並んでいない。それでも俺の上には十四人。まずはこの並びでトップに立たないと────。
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