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お江戸でざる?

陰間「百合」誕生

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 あっちで

 ギシッギシッ、ミシッ  

  ドン、バン、ガタッ

  「ひあぁぁぁぁ、主さまぁぁ」

  「ここか、ここか」


 こっちで

 ベンベンべべン……三味線と舞の音。それから「もしえ、お床がまわりましたぁ」の声。

 ……だよなあ。ここは江戸時代。高級茶屋とは言え、声や音は筒抜け。プライバシーなんかあったもんじゃない


 陰間茶屋「華屋」に拾われた俺は今、これからの仕事の説明を受けている。

  「あんたにはここの陰間かげまになってもらうよ。今日からあんたの名前は百合之丞、通称百合だ。歳は十六。いいね。だよ」
 丸髷の髪の女……ここ、華屋の女将は睨むような鋭い目つきでそう言い放った。ノーとは言わせない雰囲気だ。

  「まあ、一度は身投げしたんだ。死ぬ気でやれば今からでも使いものになるってもんよ。じっくり教えてやるし、熟練の金剛まわしをつけてやるからしっかり励みな」
 社長似の銀杏髷男はここの旦那だった。

 江戸っ子弁ながらも穏やかな口調ではあるけど、俺には「夜の仕事で使えるようになんねぇと、また身投げする羽目になるぞ」と聞こえてくる。
 ていうか、俺は身投げしたわけじゃないんだけど? しかも男に襲われそうになったところを逃げて川に飛び込んだっていうのに、それを生業とする陰間になるしか選択肢がないなんて、どういう因果なんだか。


 ───陰間っていうのは簡単に言えば、遊女の男バージョンらしい。ただ、決定的に違うのは、まんま自分の性を売るんではないのと商品としての寿命。
 陰間は十三歳から十八歳くらいまでが華。どんなに遅くてもニ十歳には年季が明ける。つまりは、身体がまだ未成熟で中性的な時期にしかできないし、見た目は女のように着飾って……いわゆる女装が似合わなきゃならない。だから金欲しさに誰もができるわけじゃなく「選ばれた美少年」だけに許される仕事だ。
 ちなみに、旦那が言っていた金剛まわしと言うのは陰間のマネージャー的な存在だと聞いた。


  「選ばれたっていえば聞こえはいいけど、体を売るのに変わりはないじゃん。しかも男相手に」

  「これ、百合、滅多なことを……」
 旦那が非難の目を向ける。と、同時にすぐ横の部屋の襖がスパアンと開いた。

 勢いに驚いて顔を向けると、そこにはえらくお綺麗な女が……いや、こいつも陰間おとこか? ……が、険しい顔で立っている。

 くっきりした目鼻立ちにバサバサまつ毛。シャープな顎のラインにしまりのある口元……人気アイドルの柳田楓真やなぎだふうまにそっくりじゃん。江戸時代にこんなゴージャスな顔の人間がいるなんて。

 美形具合に息も忘れて見惚れていると、あでやかな赤い打掛が映えるゴージャス顔の陰間は、緩く波打つ艶髪を手で払って、俺を睨んだ。

  「滅多なことをお言いでないよ。お客様のお耳に入ったらどうするつもりだい。新入りが来たとは聞いていたけど、こんな品の無いおのこご男の子供とはね。旦那さん、いくら保科様からのツテだって、もう一度大川に捨てて来た方がいいよ」

  「なんだと……フガッ」 
 言い返そうとしたところを旦那に口を塞がれ、ズルズルと引っ張られる。

  「かえで、すまなかったね。良く教えておくから」
 旦那はヘコヘコと頭を下げると、俺を突き当たりの部屋へと押し込んだ。

  「なんだよ、さっきのやつ偉そうに!」

  「偉いんだよ! この馬鹿。楓はこの茶屋の一番の売れっ子だ」

  「一番がなんだよ、やってることは助平な物好き男に足を広げてるだけだろ」

 スパン!

 旦那の手刀が頭に刺さる。

  「お前はどこの田舎から流れてきたんだ。ここまでなにも知らないとは酷いもんだ。いいか、百合、良く聞け」

 旦那は陰間について再び説明を始めた。
「陰間ってのは将来の花形女形なんだ」

  ────元は芸見世舞台に上がる芸子役者のたまごの下積みの場として始まったのが陰間茶屋。芸と上演前後の食事の饗し役だけだったのが、芸の肥やしとしてしとね仕事……夜のサービスもするようになった。
 ここ江戸では、陰間遊びは元服した男性の嗜みで、陰間になれる美少年は希少な為に、遊女より値が張り、買った客も買われた陰間にも箔がつくらしい。いわゆるステータスだ。

 陰間の多くは、芸と人気が伴って昇進する度に高嶺の華となり、トップに上りつめれば身体を売らなくなる。そして、年季が開ければ江戸に三座あるいずれかの歌舞伎座の女形になって、芸の道を極めるか、金持ちに身請けされるって話だ。

 つまりさっきの楓は店のナンバーワンで、華屋では「大華たいか」と呼ばれてるらしい。吉原で言えば花魁だ。ナンバーツーが咲華さきか・ナンバースリーが菊華きくか

 その下は「小花」と呼ばれる中級集団になり、その階級が芸能界に残れる確率は五割。残りは身請けされるか、芸能関係や茶屋関係の裏方に就職。
  
 さらにその下、芸も褥も未成熟な陰間は「若草」と呼ばれ、給仕と庶民向けの低い料金設定で客相手をして、引退したら里に帰ったり一般の就職口を探すそうだ。

 うーん。江戸でも芸能界はシビアだな。全員が全員、花形女形になるんじゃないじゃん。

「おい、わかったかのか? いいか、この華屋は湯島じゃ一番の茶屋で、多くの役者を輩出してる老舗だ。そして楓はその先達の中でもいち早い昇給を果たした大華で、将来は間違いなく芸の世界の立役者になる存在なんだ。機嫌を損ねるんじゃねぇぞ。悪態でもついてもらえただけありがてぇと思え」     
 脂の乗った顔を、ずい、と寄せられる。

  「……はいはい。けどさ、俺が一番になる可能性もあるよね?」

  「ははは、なに戯言を言ってやがる。お前みたいな仕込み期間もない年増じゃ無理だよ。ま、つらも体も悪くねぇから、せいぜい小花目指して頑張んな」 
 旦那は肩を揺らして笑った。

  「年増じゃない! 俺は十六なんだろ! 芸だってできる。見てろ、絶対にここで大華いちばんになってやる!」
 俺は腹に力を込めて啖呵を切った。

 旦那がフン、と鼻を鳴らす。 
  「……なら、まずその言葉を直せ。女形ができなきゃ芸も体も売れねぇ。いいさ、見ててやる。この華屋で大華になれりゃ好きにさせてやろうじゃないか」

  「言ったな。忘れんじゃねー……覚えておいて下さいね!」

 俺の取ってつけた丁寧語に高らかな笑いを出して、旦那は階下に降りていった。

「見てろよ、すぐにナンバーワンを取ってやるから! それで、体を売らなくていいようにするんだからな!」
 
 階下に向けて怒鳴り、強く心に誓った──ここは江戸時代。高級茶屋とは言え、部屋は薄い壁で仕切られているだけ。俺の啖呵が茶屋内に響き渡っていて、一気に敵や野次馬客を作っていたなんて気づきもせずに。
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