上 下
110 / 162

XXIX 挙動不審な幼馴染-II

しおりを挟む

「わ、私からは、何も……」

 銀のスプーンが、彼女の手から滑り落ちる。

 ――もしや、現実を直視出来ない程に診断結果が悪かったのだろうか。流石のマーシャも、こんな状況で悪ふざけはしないだろう。

 今朝のエルの様子を見ると、ただの風邪で無い事は明白だ。
 だがもし、仮に重大な病気や感染症だった場合、マーシャは間違いなく俺が接客中なのもお構いなく客室に飛び込んでくるだろう。
 口籠ったまま答えない彼女を見る限り、緊急性は無いと見受けられる。

 “――人生の分岐点はすぐ目の前”

 ふと脳裏を過った、謎の女性から告げられた言葉。
 1週間ほど前だっただろうか。今の今迄忘れていたが、結局あの言葉の意味は分からず終いだった。

 今がその、女性が言う分岐点なら。

 重大な病気や感染症で無いなら、考えられるのは1つだけ。考えれば考える程、頭に浮かんだ“それ”が現実味を帯びてくる。
 女性が残した言葉も、マーシャの見当違いな言葉も、これで全て納得がいく。

 俺が答えに辿り着いた事を悟ったのか、マーシャが諦めに似た表情を浮べた。

「……セディって、こう変な所で勘が鋭くなるよね……」

 こんな状況でも、彼女の能力は健在だ。頬を掻き、彼女が大きな溜息を付く。
 そして肩を竦め、「ご想像通り」と一言呟く様に言った。

「……あぁ、……そうか……」

 広がる、深い安堵感。
 マーシャの肩から手を離し、深く息を吐きながら壁に凭れ掛かった。
 予想はしていたものの、いざそれが事実だと知ると中々信じられない物だ。まさか、自分が父親になる日が来るなんて。
 仕事柄、子供を持つことに罪悪感を抱かない事も無いが、彼女と愛し合った事実を唯の“書類”では無くそれ以上の“形”にして残せることは心嬉しく思える。

 唯一悔やまれるのは、アルフレッドに気を取られすぎてエルが身籠っている事に気付いてやれなかった事だ。
 彼女を支えられなかった事に呵責を感じるが、これからでも遅くは無いだろう。自然と緩む口元を隠し、未だ不審な挙動を繰り返しているマーシャに視線を向けた。

「……私が言ったって事、エルちゃんには内緒にしといてよ。エルちゃんは、自分の口から伝えたいみたいだったし」

「言わねぇよ」

 乾いた口内を潤そうと、マーシャの手元に置かれていた紅茶を手に取る。
 それが、先程の黒い紅茶だという事に気が付いたのは口を付けた後だった。

 あまりの苦さに、思わず紅茶を吹き出す。茶葉を食べているのと大差ない味だ。

「……酷い味だな」

 口の端から零れた紅茶を手の甲で拭い、カップを彼女の方へと突き返した。

「それ、一応高い茶葉なんだけど」

「そういうのは自分で飲んでみてから言え」

 手を掛けたキッチンの扉を、ゆっくりと押し開いた。
 この後の仕事の予定は無い。家に帰るにはまだ少し早いが、今日はこのままエルが待つ家に帰ろう。
 書類整理などの残った仕事は、また後日やればいい。

 マーシャの紅茶を吹き出す音と悲鳴を背で聞きながら、溢れる幸福感に口元を緩ませた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜

雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。 【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】 ☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆ ※ベリーズカフェでも掲載中 ※推敲、校正前のものです。ご注意下さい

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

処理中です...