上 下
150 / 222

XLIII 悪いのは-VIII

しおりを挟む
 そんな彼を見ていて、これ以上黙っているのは彼の為にも、自分の為にもならないと思った。
 彼は私と向き合ってくれている。私を、知ろうとしてくれている。なのに私は、逃げてばかりだ。この機会を逃したら、きっと私はまた逃げ続ける。また1人になる。彼との距離も、今迄通りで縮まる事もなくなる。

「――母親、だよ」

 ズキズキと痛む身体を無理に起こし、言葉を零した。

「私を殴ったのは、私の実の母親だよ」

「……母親、って、だって貴女のお母様は幼少の貴女を……」

「そう。あの女は私を捨てた。エリオット先生にどこまで話したか覚えてなかったけど、やっぱ私話してたんだ。それも、カルテに書かれてたんだね」

「……はい。貴女のカルテには、“幼少の頃に母親に捨てられ孤児になった”と……。たったそれだけなので、詳細は分かりませんが」

「まぁ、母親に捨てられた事は隠す事でもないし別にいいんだけどね。ただ、いつ頃だったかな、一ヶ月は前だったと思う。久しぶりに母親と会って、会うなり金をせびられた」

 起き上がったは良いが、身体の痛みが酷く座っていられない。身体が倒れない様にベッドに手を突くも、手首を痛めていた様でずきりと痛みが走った。
 そんな私を見て直ぐに察してくれたのか、彼の両腕が支える様に私の身体を包む。

「あの女、本当にやり方が汚くて。セディとエルちゃんに手を出されたくなかったら金を出せ、なんて言って脅してきて。あの2人だけは、どうしても守りたかったからさ……、払えない額じゃなかったし……」

「それでお金を、渡したんですか」

「……うん」

 私の身体を抱く彼の腕に、僅かに力が籠る。

「本当に、情けない話なんだけど。それから何度もあの女に金せびられる様になって、生活が不安定になって、借家の家賃も払えなくなって……」

「借家を、出たんですね? 今は何処で生活を?」

「職場の書斎。セディには職場に住み着くなって言われてたけど、その辺は上手くやってるから未だにバレてはいないっぽい。幸い、職場は小さい屋敷だから風呂もキッチンもあってさ、生活には困らなかったんだ」

「……そういう問題では無いでしょう」

「……そういう問題なんだよ、私にとっては」

 ふふ、と笑みを零し、彼の背に腕を回した。
 彼は何処までも、優しい人だ。先程までは、これ以上隠す事は彼の為にも自身の為にもならないだなんて思っていたのに、話した途端に後悔に苛まれる。

「――僕に、いい案があります」

「うん?」

「僕、この診療所の二階を借りて生活しているんです」

「……知ってる、けど」

 沸き上がる嫌な予感に、彼から身を離した。私を見つめるその瞳は、真剣そのものだ。

「僕と一緒に暮らしましょう」

「はぁ!?」

 突拍子もない――という程でも無いが、彼のその案はあまりに非現実的である。
 それは、彼なりの精一杯の優しさだったのかもしれない。哀れみだったのかもしれない。しかし、彼に迷惑を掛ける事だけはしたくなかった。

「慰めとか、要らない。私は今迄通り書斎で生活できるから」

「慰めなんかじゃありませんよ」

 彼の手が、くしゃりと頭を撫でた。そしてそのまま頬へ手が滑り、優しく撫でる様に包み込む。

「これは僕にとって、美味しい状況なんですよ。愛した女性に同棲を持ち掛けられる、絶好の機会じゃないですか」

「愛……って……」

 一気に顔に熱が上り、思わず彼から顔を背ける。しかし、頬を包んでいた彼の手がそれを許さず、再び視線が交わった。

「あぁ、貴女のその傷も心配なので強制入院です。でもこの診療所には入院できる環境が無いので、僕の部屋で様子を見ましょう」

「取って付けた様な言葉だなぁ……。何がなんでも同棲するつもりなんだね……」

「はい」

 ――彼の熱の孕んだ視線に、巧みな言葉選び。
 彼との押し問答に勝てる訳が無く、何故こんな事になってしまったのか、彼と同棲する事が決まってしまった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

処理中です...