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XLIII 悪いのは-II

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 ――猫は死に際になると、姿を消すという話を昔何処かで聞いた事があった。
 それには様々な理由が考えられている様だが、猫はぎりぎりまで自身の体調の悪さを巧みに隠す、または気付かないふりが出来る動物らしい。故に、不調を感じた頃にはもう手遅れで、住処すみかに帰れなくなる猫が殆どなのだとか。
 私はこの性格からか、それとも瞳の所為か、昔から猫の様だと言われる事が多かった。
 私が仮に猫だったなら、私の住処は何処だろう。私の帰る場所は、何処だろうか。
 セドリックにはエルが居て、エルにはセドリックが居る。ライリーにも夫が居て、友人も居て、マクファーデンには想い人が居る。
 私は、いつも一人だ。私は今迄、それでいいと、私が大切にしている人達が幸せであればいいと思っていたが、今は心が弱っているからか、誰かの大切な人になってみたかったなんて意味のない願望が心中に広がった。
 涙と血液、そして空から落ちてくる雨が混ざり合った液体が本に落ちる。オフホワイトの紙に滲んだ赤に、彼から借りた本を汚してしまった事への罪悪感が芽生える。
 医学書は、確か普通の書籍に比べて高価だった筈だ。弁償する、という事も脳裏を過るが、今の私にはとても難しい話である。
 後日、ちゃんとマクファーデンに謝らなければ。彼は、許してくれるだろうか。私を、叱責するだろうか。
 なんだか、眠たくなってきた。本の文字をなぞる指は止まり、視界が徐々に暗くなっていく。

「――マーシャ?」

 ふいに耳に届いた、少年を思わせるハスキーな声。私がずっと、聴きたかった声だ。
 声の方向へと視線を向けるが、蛇口を捻った様に止まらない涙の所為で視界がぼやけ、何も見えない。
 幻聴だろうか。そんな事を思うも、視界の先に辛うじて見えた人の輪郭に他でも無いマクファーデンがそこに居るのだと分かった。

「――先生……?」

 意識的か、将又無意識的か。彼の方へ手を伸ばすと、その輪郭がゆらりと動いた。

「マーシャ! 何をやっているんですかこんな所で!」

 私の手を掴む、温かな手。そのまま強く引き寄せられ、膝の上から本が滑り落ちた。
 冷えた身体を包み込むのは、最愛の人の体温。目の前を覆う、ブラウンのスーツ。大きな手が背を摩る。
 “あの日”も、そうだった。
 私がマリアの血液を見て、取り乱してしまった時。あの時も、私が落ち着く様にと彼はこうして抱きしめてくれていた。

「マーシャ、大丈夫。僕は腕が良いんです、貴女を死なせたりはしない」

 耳元で囁かれる、優しい声。いつもの、彼の声だ。
 いつの間にか、彼は冷淡な声では無く、優しさを孕んだ声を私に掛け続けてくれていた。それが当たり前になっていた所為で、私はその事実に気付く事が出来なかった。
 私はずっと前から、彼の特別だったのかもしれない。
 彼と最後に会ったあの日。私が彼の心だけが読めないのだと改めて分かった時、彼は目を伏せ「残念です」と一言告げた。その意味が、ずっと分からなかった。
 でもそれが、私の「好き」の言葉の返事なのだとしたら。
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