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XLIII 悪いのは-I

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 目覚めて最初に感じたのは、恐怖でも寒さでも無く、痛みだった。
 よくもまぁ、これ程殴られ続けて生きていられたものだ。目は霞み、ぐらぐらと眩暈はするものの、身体を蝕む痛みに生を実感する。
 どうにか頭を動かし、周囲を見渡す。あの女の姿は何処にもなく、代わりに地面には私を殴りつけていた物だと思われる、鮮血が付着した石材が転がっていた。
 気が済んだのか、将又意識を失った私を見て逃げ出したのか。後者であれば、あの女が今後私に接触してくる可能性は低いと言えるだろう。しかし、あの女の性格を考えるに前者の様な気がする。
 霧雨きりさめから甚雨じんうに変わった空を見上げ、いい加減動かなければと凭れた壁を支えにしてその場に立ち上がる。
 たった1冊の本しか入れていないというのに、肩から下げた鞄がやけに重たい。冷え切った身体に容赦なく叩き付けられる雨粒にさえも痛みを感じて、きつく唇を噛んだ。
 やっとの思いで路地裏を抜け出し、ひらけた道の明るさに目を細める。雨が酷くなったからか、出店は全て閉められ、街を歩く人もまばらだ。
 その光景に、まるでこの街が自身の見知らぬ土地になってしまったかの様な錯覚に陥り、漸くこの身に訪れた恐怖に震えた息を吐いた。
 
 ――誰かに助けを求めなければ。
 ――しかし、誰の事も巻き込みたくはない。

 心に生まれた、妙な葛藤。
 冷静に考えれば、早く治療を受けなければ命に関わるかもしれない、という事は分かる。だが今は寒さと痛みに感覚が鈍ってしまっているのか、誰かに素直に助けを求める事が出来なかった。
 そんな中辿り着いたのは、診療所と隣の建物の隙間。人が1人通れる程の、路地とも言えぬその狭い隙間に入り込み、診療所の壁に凭れ掛かりずるずるとその場に座り込んだ。
 此処まで来たのなら、素直に診療所へ入ればいい。本は読み切っていないが、これ程の怪我を負ったのだ。マクファーデンも、決して追い返したりなどしないだろう。
 しかし、彼に託された課題を熟せていない事への情けなさか、それとも母親に黙って殴られ続けた無様な自分を彼に見せたくなかったのか、診療所へ入るという選択が出来ない。
 どれ程の時間あの路地裏に居たのかは分からないが、身体の至る場所に出来た傷からの出血は止まりそうにない。早く治療を受けなければ、この寒さも相まって直ぐに限界を迎えてしまうだろう。だが、何故だかそれでも良い様な気がしていた。
 壁越しに、診療所の中から微かに物音が聞こえる。他でも無い、マクファーデンが出している音だ。その音が、彼の気配が、存在が愛おしくて、視界が滲み涙が零れ落ちる。
 
 ――死に、恐怖は無い。
 殺人を企て、人の命を奪った私が死後安らかに眠れるとは思っていないが、それでもどんな罰を受けようと不思議とそこに恐怖は一切なかった。
 だが、そんな私が唯一恐怖を感じるとしたら、マクファーデンと会えなくなる事だ。
 
 本を全て読み終えたら、彼に会いに行っても良いだろうか。こんなにもボロボロになった私を見て、彼は何と言うだろう。
 出来れば、見せたくない。彼には、強い私を見せていたい。弱い姿など、知られたくない。
 けれどその意思と同じ位、彼に会いたい思いも強かった。

 痛む身体をなんとか動かし、鞄の中から本を取り出す。そしてスピンが挟まれたページを開き、文字を指先でなぞりながら目で追った。
 だが、思考が鈍っているからか文章の半分以上が理解出来ない。何度も同じ段落を読み返しては、瞳を閉じ内容を理解しようと無理矢理頭を働かせる。
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