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IX 追憶-再会- -I
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――あれから3年が経過し、私は14歳となった。
マリアは配偶者を失い、そして住まいも失った。あの日を境にマリアと会っていない為、彼女がその後、どうなったのかは分からない。幾ら本当の姉妹の様な関係と言えど、“あんな事”があった後にその関係を続けられる筈が無かった。
マリアには子供が居る。あれから3年も経過したのだ、子供は会話が出来る位には成長しただろう。
きっと何処かで身を隠しながら、子供と2人で暮らしているに違いない。そう思う事で、寂しく思う気持ちをどうにか抑え込んでいた。
――診療所に入り浸りながら、いつもの様にエリオット先生の背に向かって話し掛ける。その日にあった出来事を彼に報告する日課は、3年が経過した今でも続いていた。先生は時々助言をしてくれて、私の心を救ってくれる。
私が天使ならば、先生は神様だ。今日もそんな事を考えながら、相変わらず口に合わないエルダーフラワーのハーブティーを口に運んだ。
丁度、時計の針が16時を指した頃だった。
カーテンの向こう側から、カラリと軽やかなドアベルの音が鳴る。それは、訪問者を告げる音だ。
「おや、患者さんかな。マーシャ、此処で暫く待っていてくれるかい?」
「んー、分かった」
患者が来ると、先生は暫く戻って来なくなってしまう。診療所のカーテンの奥で過ごす1人の時間は、あまり好きでは無かった。
先生のデスクに置かれたカルテを勝手に覗き見したり、普段は触らない様な場所に触れてみたりした事は何度もある。しかし、カルテには専門用語ばかりが並んでいて理解に及ばず、普段は触らない場所を漁って見ても面白い物が出てきた事は無かった。何か悪戯をしようとしても、悪戯をする物が無い。
ただ只管に、退屈なのだ。
セドリックの元へ戻ろうとも思うが、先生との会話も中途半端なままで、更には外に出るには診察室の前を通らねばならない。先生は、患者と私が接触する事を酷く嫌がっていた。どうやら、特定の人物をカーテンの奥へ通しているという事実を、他の患者に知られたくないらしい。
そんな事、私の知った事では無い。しかし、それでも先生を困らせる事だけはしたくなかった。
はぁ、と声が出る程の大きな溜息を吐き、机に突っ伏す。
恐ろしく退屈だ。先生の居ない診療所は、暴れ出したくなる程につまらない。
この3年で身体は成長し、椅子に座っても足が浮く事はなくなった。床にしっかりと付いた両足を動かし、パタパタと靴底を床に叩き付けて意味無く音を鳴らす。
先生がカーテンの向こう側へと出て行ってからまだ幾らも経過していないが、退屈具合はもう既に限界を迎えそうな程であった。
溜息交じりに、あぁ、と声を漏らし、顔を上げる。
新聞でも読もう。先生は掃除に使うなどと言って、古い新聞を部屋の片隅に積み上げていた。椅子から立ち上がり、その新聞の山に近付く。
一番上の新聞を摘み上げ、日付に目を遣った。約4年半前の記事だ。昔の新聞など読んで何になる、と言う人間も多いが、古い新聞を読むのは意外と楽しいものである。「あぁ、こんな事もあった」、「懐かしい」等と思う事もあれば、知らない情報を知識として取り込む事も出来る。
新聞を3束掴み、定位置に戻った。テーブルの上に新聞を広げ、頬杖を付きながら記事に目を走らせていく。
――舞台の上の女王マリア・ウィルソン、引退公演まで残り3日!
――大女優、マリア・ウィルソンが最後に演じるのは永遠の少女の物語。
――女王マリア・ウィルソン、引退公演でロンドン1の歌姫アリス・ブランシェットと共演。
3束の新聞全てを広げてみるが、どの新聞も“マリア・ウィルソン”という女性が一面を飾っていた。
4年半前と言うと、私が9歳から10歳になった頃位だ。当時は今ほど読み書きが出来ず、新聞を拾っても記事を読む事は出来なかった。故に、ロンドンにこれ程有名な女優が居たという事実を今までに知る事は無かった。
一度は見て見たいと思う事はあれど、演劇やコンサートに然程大きな興味はない。もしかすると、当時街で彼女の存在を耳にしていたかもしれないが、記憶には一切残って居なかった。
このマリア・ウィルソンという女性を見て、思う事は1つ。かつての友人であるマリア・アッカーソンと同じ名だ、という事だけだ。
マリアという名はそれ程珍しい物でも無く、聖母マリアから所以して名付ける親が多いと聞いた事があった。今では姿を見かけなくなってしまったが、幼い頃自分達と同じ様に路地裏暮らしをしている孤児の中にもマリアという名の少女が居た。
新聞の日付を見ながら、ぼんやりと考える。
そういえば、マリアの旧姓はなんだったのだろう。このマリア・ウィルソンという女性が女優を引退したのと、マリアがアッカーソン家の人間になったのはほぼ同時期だ。
マリアとは暫くの間友人関係であったが、マリアの過去は聞いた事が無かった。話したくない、という訳では無いようだったが、敢えて聞く必要もないと判断し、尋ねた事が無かったのだ。
「……いやいや、まさかね」
マリアは配偶者を失い、そして住まいも失った。あの日を境にマリアと会っていない為、彼女がその後、どうなったのかは分からない。幾ら本当の姉妹の様な関係と言えど、“あんな事”があった後にその関係を続けられる筈が無かった。
マリアには子供が居る。あれから3年も経過したのだ、子供は会話が出来る位には成長しただろう。
きっと何処かで身を隠しながら、子供と2人で暮らしているに違いない。そう思う事で、寂しく思う気持ちをどうにか抑え込んでいた。
――診療所に入り浸りながら、いつもの様にエリオット先生の背に向かって話し掛ける。その日にあった出来事を彼に報告する日課は、3年が経過した今でも続いていた。先生は時々助言をしてくれて、私の心を救ってくれる。
私が天使ならば、先生は神様だ。今日もそんな事を考えながら、相変わらず口に合わないエルダーフラワーのハーブティーを口に運んだ。
丁度、時計の針が16時を指した頃だった。
カーテンの向こう側から、カラリと軽やかなドアベルの音が鳴る。それは、訪問者を告げる音だ。
「おや、患者さんかな。マーシャ、此処で暫く待っていてくれるかい?」
「んー、分かった」
患者が来ると、先生は暫く戻って来なくなってしまう。診療所のカーテンの奥で過ごす1人の時間は、あまり好きでは無かった。
先生のデスクに置かれたカルテを勝手に覗き見したり、普段は触らない様な場所に触れてみたりした事は何度もある。しかし、カルテには専門用語ばかりが並んでいて理解に及ばず、普段は触らない場所を漁って見ても面白い物が出てきた事は無かった。何か悪戯をしようとしても、悪戯をする物が無い。
ただ只管に、退屈なのだ。
セドリックの元へ戻ろうとも思うが、先生との会話も中途半端なままで、更には外に出るには診察室の前を通らねばならない。先生は、患者と私が接触する事を酷く嫌がっていた。どうやら、特定の人物をカーテンの奥へ通しているという事実を、他の患者に知られたくないらしい。
そんな事、私の知った事では無い。しかし、それでも先生を困らせる事だけはしたくなかった。
はぁ、と声が出る程の大きな溜息を吐き、机に突っ伏す。
恐ろしく退屈だ。先生の居ない診療所は、暴れ出したくなる程につまらない。
この3年で身体は成長し、椅子に座っても足が浮く事はなくなった。床にしっかりと付いた両足を動かし、パタパタと靴底を床に叩き付けて意味無く音を鳴らす。
先生がカーテンの向こう側へと出て行ってからまだ幾らも経過していないが、退屈具合はもう既に限界を迎えそうな程であった。
溜息交じりに、あぁ、と声を漏らし、顔を上げる。
新聞でも読もう。先生は掃除に使うなどと言って、古い新聞を部屋の片隅に積み上げていた。椅子から立ち上がり、その新聞の山に近付く。
一番上の新聞を摘み上げ、日付に目を遣った。約4年半前の記事だ。昔の新聞など読んで何になる、と言う人間も多いが、古い新聞を読むのは意外と楽しいものである。「あぁ、こんな事もあった」、「懐かしい」等と思う事もあれば、知らない情報を知識として取り込む事も出来る。
新聞を3束掴み、定位置に戻った。テーブルの上に新聞を広げ、頬杖を付きながら記事に目を走らせていく。
――舞台の上の女王マリア・ウィルソン、引退公演まで残り3日!
――大女優、マリア・ウィルソンが最後に演じるのは永遠の少女の物語。
――女王マリア・ウィルソン、引退公演でロンドン1の歌姫アリス・ブランシェットと共演。
3束の新聞全てを広げてみるが、どの新聞も“マリア・ウィルソン”という女性が一面を飾っていた。
4年半前と言うと、私が9歳から10歳になった頃位だ。当時は今ほど読み書きが出来ず、新聞を拾っても記事を読む事は出来なかった。故に、ロンドンにこれ程有名な女優が居たという事実を今までに知る事は無かった。
一度は見て見たいと思う事はあれど、演劇やコンサートに然程大きな興味はない。もしかすると、当時街で彼女の存在を耳にしていたかもしれないが、記憶には一切残って居なかった。
このマリア・ウィルソンという女性を見て、思う事は1つ。かつての友人であるマリア・アッカーソンと同じ名だ、という事だけだ。
マリアという名はそれ程珍しい物でも無く、聖母マリアから所以して名付ける親が多いと聞いた事があった。今では姿を見かけなくなってしまったが、幼い頃自分達と同じ様に路地裏暮らしをしている孤児の中にもマリアという名の少女が居た。
新聞の日付を見ながら、ぼんやりと考える。
そういえば、マリアの旧姓はなんだったのだろう。このマリア・ウィルソンという女性が女優を引退したのと、マリアがアッカーソン家の人間になったのはほぼ同時期だ。
マリアとは暫くの間友人関係であったが、マリアの過去は聞いた事が無かった。話したくない、という訳では無いようだったが、敢えて聞く必要もないと判断し、尋ねた事が無かったのだ。
「……いやいや、まさかね」
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