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第1章: 初等部

執事と喧嘩する

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「お嬢様、そろそろ休んでください。」
「この試験でクラス分けが決まるのよ、下手なことは出来ないわ。」
「お嬢様は十分なほど実力を持っていらっしゃいます、心配など無用です。」
「他の人たちにだって負けていられないわ。」

 私が剣の練習をやめる素振りを少しも見せないため、緋堂は大きな溜息をついて言うことをやめた。

 現在、初等科3年の秋の終わりである。
 今週末に、来年のクラスを決めることを兼ねた剣士科の試合がある。
 初等科4年になると更に高度な授業も増えて、試験の結果を元にクラスが分かれる。
 AクラスからFクラスまでで1クラスに20人といったところだ。

 正直Aクラスから外れるとは思っていないが、そうでなくても上位の中でも上位にいないと私のプライドが許さない。雫や雨香くん、イルマくんたちにだって負けたくないという気持ちが強いのだ。

 ただ、ここ数日休みもせず練習に明け暮れているので緋堂が私を心配した。

 きっと大丈夫だ、そんな根拠の無い自信を持った私がバカだったのだが、このときの私はそんなことを1ミリも考えはしなかった。

「うう……。」

 急激に視界がぐるぐると回り私の身体がゆらりと揺れる。そして、視界は暗転した。



 簡単に言えば、疲労による熱である。
 そりゃあ、成長しきってもいない小さな体で無理をしたら熱も出るに決まっている。

 自分の中で、まだ弱い身体であることを少しだけ忘れていたのだ。もっと自分のことを理解しなければいけないと感じた。
 ただ、別に容体も悪くないし、普通の熱で風邪だから。とはいえ、厄介というか……もっとも悪い状況に私は今置かれているのだ。

「緋堂、私が悪かったわ。だから怒らないで頂戴よ。」

 緋堂は唇をつんと尖らせて、私の言葉に受け答えをせずに仕事をする。
 私の執事だから、そこにはいるものの決して機嫌は良くないし、この部屋の雰囲気も悪い。

「ね? これからはもっと気をつけるわ、だから機嫌を直してよ。」

 私がそういうと、緋堂は私のことをキッと睨んだ。
 その視線に私はびくりと身体は震わせる。

「お嬢様は、今まで一度も私の忠告を聞き入れてくれたことがありません。それだと言うのに、私だけがお嬢様の言うことを聞き入れるのは割りに合わないと思いませんか?」

 とてつもなく怒りの表情。
 普通の執事はこんなこと言わないだろう……というか絶対に言わない。しかし、この環境に慣れた綾子にとって不思議には思わなかった。

 普通の令嬢だったら、ここでクビは確定……もしかしたらそれ以上かもしれない。

「それは……これからはもっと、緋堂の言うことに耳を傾けるわ。」
「傾けるだけですか? それで聞き入れて貰えないと困りますね。」

 確かに緋堂の言っていることも正論なのだが、私だってもっと自由にしたい。
剣術もうまくなりたいから練習をしたいし、綺麗な景色が見たいから木にも登る、町中でも興味を持ったものを見たいと思ってしまう。

「……善処するわ。」

 私が少し口を尖らせて言うと「ハアァ。」とまた盛大なため息をつかれてしまった。

「どうしてこう、もっと御令嬢らしく振る舞えないのですか。」
「令嬢らしいって一体何よ。」
「そんなの自分で考えてくださいよ。」

 そう吐き捨てられて私の中でイライラが募っていく。

 一体なんなのだろうか、私は私じゃいけないのだろうか、どうして他の令嬢と同じでいなければいけないのだろうか。ぐるぐると多くの気持ちが混ざり合って、ぶつかって、わからなくなる。

「これが私よ、何が悪いのよ。」

 気づいたらそう呟いていた。
 そのあとに、ドスの効いた声で「は?」と一言聞こえる。緋堂が完全にキレていた。
 いつもの穏やかな表情は一切なく、般若のような顔。

「いい加減にしろよ。あんた、周りにどんだけ迷惑かけてるか知ってんのかよ。あんたがいちいち何かする度に使用人がすっげぇ心配してんだよ、大事なお嬢様に何かあったらどうしようって。それは単にあんたがお嬢様だからってだけじゃねえよ、あんたのことを本当に大切に思ってるからだろ。それを何にも知らねえで好き勝手しやがって……あ"? 今日だって、どんだけ皆が心配したと思ってんだよ。俺だって散々心配かけてっからあんたのこと言えねえけど、俺なんかよりあんたのがタチが悪くて、迷惑かけてる、自覚しろ。」

 いつもとは全く違う口調に表情。すごく怖かった、いつも優しいからより怖かった。

 あんた、なんて呼ばれるのも今世では初めてのことだった。

「あー、もうやってらんねぇ。」

 持っていたものをぶんっと投げ捨て、着けていたネクタイもガッと外しながらくるりと後ろを向いてネクタイすらも投げ捨てて部屋から出ていく。

 こんなにも怒られたのは初めてのことだった、しかも執事に。
 まさか執事があんな口調で怒るなんて……私じゃなかったら絶対クビじゃすまないわ。しかしながら、今の私にはそんなことを考えている余裕などなかった。
 周りへの迷惑……精神年齢的にはいい大人のくせに、全然そんなこと考えていなかった、バカみたい。

 少し考えればわかることだった、木に登るのも落ちたら大変で、迷子になった時だっていつどんな人に狙われるかわからない。今日だってそうだ……こうやって倒れることを心配して緋堂は休憩を提案した。それを私はまるで聞き入れなかった。緋堂だけじゃない、今まで多くの使用人を数え切れないほどに心配させてきたんだ。

 どうしてこんな簡単なことわからなかったんだろう。

 ただ、今すぐに謝りに行く気力も体力もない私は、しょぼんとしたままベッドで丸くなり目を閉じた。



 次の日に目を覚ますと、いつも通り緋堂がいてとても驚いた。

「緋堂!? どうして……いるとは思わなかった。」

 緋堂はバツの悪そうな顔をして合った目を逸らした。

「昨日は言いすぎました……申し訳ありません。」

 緋堂は未だに気まずそうな顔をしながらも謝罪の言葉を述べた。
 それから、ちらりと私の方を見て様子を伺った。

「私の方こそごめんなさい、自分のことばかりで度が過ぎていたわ。みんなにも申し訳ないことをしたと思っているわ、もちろん緋堂にも……本当にごめんなさい。」

 私の言葉に緋堂はニコリと笑みを浮かべた。

「良かった、あの後ずっとお嬢様に嫌われてしまったのではないかと心配で。」
「そんなことない、感謝してるの。まあ、執事としては失格ものよね。」

 私がふふっと笑って言うと、緋堂も微笑を浮かべて眉を下げる。

「つい、感情に流されてしまいました。あの時ほどお嬢様に仕えていて良かったと思ったことはありません。」
「あら、それはどういうことかしら?」

 いつものやりとりが完成した。二人で笑いあう楽しい日々。

「みんなにも謝らなくちゃ、緋堂も付き合ってくれるわよね?」
「勿論ですよ、その前に体調を直してください。」
「わかってるー。」

 私はぼふっと布団をかぶって横になった。

 後日、緋堂と皆に一言ずつ謝りに行った。みんな何もなくて良かったと言ってくれて、これからはもっと気をつけなければと心に決めたのであった。

 でも、剣の鍛錬は少しだけ無茶させて欲しいわ。
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