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「すみませんが、以前、傷害事件で保護観察処分になったことはありますか?」
私は過去の出来事を思い出した。忘れられない過去だ。
私は幼い頃から怒りを抑えられない気性の荒い人間だった。頭に血が上りやすく、マグマのように熱された血流が一本の縄になって体を這いずり回る感覚であった。憤怒は身近な存在だった。
子どもの頃は、喧嘩で済んでいた。からかってきた顔見知りの男子を、唇が切れるまで殴りつけたこともあった。意地悪な知り合いの女子が嫌がらせをしてきたときは、教科書で殴りつけた。
私は脳みそが沸騰する感覚を覚えると、衝動的な行動を止められなかった。沸騰した血液が手足をつたって鳴動し、それが衝撃となって相手を傷つけるのだ。
癇癪が災いした出来事があった。高校一年生の頃、男に毎日声をかけられ、付きまとわれることがあった。私が無視をしても、男は諦めなかった。ある日、男が私の身体に触れた。嫌らしい手つきで肩と腰に手をあてた。
頭の中でプチリという音が聴こえた。
私は付きまとう男のネクタイをねじり上げて、拳がしびれるまで、殴った。
パトロール中の警官に見つかり、逮捕された。
男は迷惑防止条例違反で捕まり、罰金刑が付いた。前科がなかったことと、反省しているという点が考慮されたらしい。私が、セクハラの常習犯だと警察に訴えても、証拠がないと突っぱねられてしまったことがあった。
結局、私は保護観察処分になった。
保護観察期間中も、男に対する憎しみは消えていなかった。しかし、大学受験に入ると男について考える暇もなかった。学校は退学を免れたが、要注意の生徒として教員からは目をつけられていた。その時に出会ったのが美術部の先生だった。
アートセラピーの名目であった。しかし、私の絵は思った以上に優れていたらしく、コンクールで佳作を受賞した。私はそこそこの成果物を引っ提げて芸術大学へと進学できたのだ。
絵に没頭しているときが、一番、落ち着いた。絵筆やキャンバス、絵の具の香り、アートのすべてが、私の脳細胞を活性化し、感性を研ぎ澄ませてくれた。私の感情を洗い流す水のように、絵は治療薬としての役割を果たしてくれた。
私は、その事実を正直に伝えると、木場さんの聴取をしていた刑事が近づいてきて耳打ちをした。応援の警察官がさらに二人やってくると、刑事は管理人に事情聴取をするように指示した。
「何かあったんですか?」
私がそう聞くと、刑事は「ああ、いや、ね」と歯切れの悪い返事をした。
すると、「え? なにこれ?」と猿渡さんの声が聞こえた気がした。
「何かあったんすか?」
猿渡さんは、無精ひげに、刈り上げられた短髪が特徴的な少し怖い雰囲気のある男性だった。しかし、それは彼が単純に口数が少ないだけで、温厚な性格であった。黒いパーカーにカーキ色のズボンを履いた猿渡さんは、ポケットから鍵を出しながら、警察官を見る。
「帰ってきたんですか、猿渡さん?」
木場さんが猿渡さんに事情を説明した。
すると、隣室から怒鳴り声が聞こえた。私と猿渡さんの部屋の間にある空き家からだ。
「あ、こら。動くな!」
警察官の怒鳴り声と男の喚き声が聞こえた。
私が部屋から顔をのぞかせると、空き部屋に警察官が入っているのが見えた。ドアの近くには、管理人の老女が驚いた表情で立っていた。空き部屋からは、誰かの重い足音が聞こえ、ガラスが壊れる音がした。
ドスンと何かが倒れる音がすると、警察官が「確保!」と叫んでいるのが耳に入った。
そして、部屋から引きずり出されてきたのは、全身に黒い染みをまとった落合さんだった。
「逃げろ、逃げろ! 奴が来たんだ! あいつが、僕を殺しに来た!」
落合さんは、錯乱状態で泣き叫び、暴れていた。
「あ、君。それに、木場さん! た、助けてよお!」
落合さんは、黒ずんだ白いタンクトップとパンツ一丁の姿で、木場さんと私に縋り付こうとした。しかし、警察官が必死にそれを取り押さえる。
「昨日、知らない男が僕の部屋に入ってきたんだよ!」
どういうことだろうか。
目の前の非現実的な光景に、私と木場さんは目を合わせた。
「何時ごろ?」
木場さんが尋ねると、落合さんは「夜中の三時ごろだよ」と告げた。その時間、木場さんは深夜勤務のアルバイトで外出していたはずだった。
私は、鎮痛剤の副作用でそのまま眠ってしまっていた。ギプスで動くのも一苦労であり、最近は眠りが深くなった。もしかしたら、昨日、騒がしかったのは落合さんだったのかもしれないと納得する。
「ところで、どうして全身がそんなに黒ずんでるんです?」
「え?」
私がそう尋ねると、木場さんと落合さん、そして傍にいた刑事が同時に疑問符を投げかけた。
「何言ってんすか、こんなに血まみれなのに」
猿渡さんさんがそう言うと、私は落合さんの姿を改めて観察した。黒ずんでいると思っていた部分は、真っ赤な血のようだ。しかし、私には黒色の染みにしか見えなかった。
私は過去の出来事を思い出した。忘れられない過去だ。
私は幼い頃から怒りを抑えられない気性の荒い人間だった。頭に血が上りやすく、マグマのように熱された血流が一本の縄になって体を這いずり回る感覚であった。憤怒は身近な存在だった。
子どもの頃は、喧嘩で済んでいた。からかってきた顔見知りの男子を、唇が切れるまで殴りつけたこともあった。意地悪な知り合いの女子が嫌がらせをしてきたときは、教科書で殴りつけた。
私は脳みそが沸騰する感覚を覚えると、衝動的な行動を止められなかった。沸騰した血液が手足をつたって鳴動し、それが衝撃となって相手を傷つけるのだ。
癇癪が災いした出来事があった。高校一年生の頃、男に毎日声をかけられ、付きまとわれることがあった。私が無視をしても、男は諦めなかった。ある日、男が私の身体に触れた。嫌らしい手つきで肩と腰に手をあてた。
頭の中でプチリという音が聴こえた。
私は付きまとう男のネクタイをねじり上げて、拳がしびれるまで、殴った。
パトロール中の警官に見つかり、逮捕された。
男は迷惑防止条例違反で捕まり、罰金刑が付いた。前科がなかったことと、反省しているという点が考慮されたらしい。私が、セクハラの常習犯だと警察に訴えても、証拠がないと突っぱねられてしまったことがあった。
結局、私は保護観察処分になった。
保護観察期間中も、男に対する憎しみは消えていなかった。しかし、大学受験に入ると男について考える暇もなかった。学校は退学を免れたが、要注意の生徒として教員からは目をつけられていた。その時に出会ったのが美術部の先生だった。
アートセラピーの名目であった。しかし、私の絵は思った以上に優れていたらしく、コンクールで佳作を受賞した。私はそこそこの成果物を引っ提げて芸術大学へと進学できたのだ。
絵に没頭しているときが、一番、落ち着いた。絵筆やキャンバス、絵の具の香り、アートのすべてが、私の脳細胞を活性化し、感性を研ぎ澄ませてくれた。私の感情を洗い流す水のように、絵は治療薬としての役割を果たしてくれた。
私は、その事実を正直に伝えると、木場さんの聴取をしていた刑事が近づいてきて耳打ちをした。応援の警察官がさらに二人やってくると、刑事は管理人に事情聴取をするように指示した。
「何かあったんですか?」
私がそう聞くと、刑事は「ああ、いや、ね」と歯切れの悪い返事をした。
すると、「え? なにこれ?」と猿渡さんの声が聞こえた気がした。
「何かあったんすか?」
猿渡さんは、無精ひげに、刈り上げられた短髪が特徴的な少し怖い雰囲気のある男性だった。しかし、それは彼が単純に口数が少ないだけで、温厚な性格であった。黒いパーカーにカーキ色のズボンを履いた猿渡さんは、ポケットから鍵を出しながら、警察官を見る。
「帰ってきたんですか、猿渡さん?」
木場さんが猿渡さんに事情を説明した。
すると、隣室から怒鳴り声が聞こえた。私と猿渡さんの部屋の間にある空き家からだ。
「あ、こら。動くな!」
警察官の怒鳴り声と男の喚き声が聞こえた。
私が部屋から顔をのぞかせると、空き部屋に警察官が入っているのが見えた。ドアの近くには、管理人の老女が驚いた表情で立っていた。空き部屋からは、誰かの重い足音が聞こえ、ガラスが壊れる音がした。
ドスンと何かが倒れる音がすると、警察官が「確保!」と叫んでいるのが耳に入った。
そして、部屋から引きずり出されてきたのは、全身に黒い染みをまとった落合さんだった。
「逃げろ、逃げろ! 奴が来たんだ! あいつが、僕を殺しに来た!」
落合さんは、錯乱状態で泣き叫び、暴れていた。
「あ、君。それに、木場さん! た、助けてよお!」
落合さんは、黒ずんだ白いタンクトップとパンツ一丁の姿で、木場さんと私に縋り付こうとした。しかし、警察官が必死にそれを取り押さえる。
「昨日、知らない男が僕の部屋に入ってきたんだよ!」
どういうことだろうか。
目の前の非現実的な光景に、私と木場さんは目を合わせた。
「何時ごろ?」
木場さんが尋ねると、落合さんは「夜中の三時ごろだよ」と告げた。その時間、木場さんは深夜勤務のアルバイトで外出していたはずだった。
私は、鎮痛剤の副作用でそのまま眠ってしまっていた。ギプスで動くのも一苦労であり、最近は眠りが深くなった。もしかしたら、昨日、騒がしかったのは落合さんだったのかもしれないと納得する。
「ところで、どうして全身がそんなに黒ずんでるんです?」
「え?」
私がそう尋ねると、木場さんと落合さん、そして傍にいた刑事が同時に疑問符を投げかけた。
「何言ってんすか、こんなに血まみれなのに」
猿渡さんさんがそう言うと、私は落合さんの姿を改めて観察した。黒ずんでいると思っていた部分は、真っ赤な血のようだ。しかし、私には黒色の染みにしか見えなかった。
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