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Ⅱ.入学編

63.地獄のような時間

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 何が、天の助けだ。
 この男に対してそう思ってしまった数時間前の私を全力で殴りたい。



 ──扉を開けて寝室に入ってきたのは、ローレンスだった。
 いや、正確には目を瞑っていたので誰が入ってきたかはすぐにわからなかった。
 まさか私の断りもなく勝手に侵入してくるとは思わず、驚いて固まる。

 そのため、最後のチャンスを逃してしまったのだ。

 何の反応を示すこともできず、はたから見たら寝ているようにしか見えない私に落とされたのは、遠い記憶にあるローレンスの声だった。

「ああお嬢様……今日も一日素晴らしくお美しいお姿を拝謁させていただき誠にありがとうございます……このローレンス、お嬢様のあまりに凛々しいご尊顔に興奮を覚えた数68回。全て諌めて平然を装えたことを誇りに思っています。お嬢様の芳しい香りを嗅いだだけで正常な判断を失うなんて、護衛騎士失格ですよね。しかしお嬢様はこんな不届き者に対しても平等に優しく接してくださる。ああ、なんて崇高なお方なのでしょう──」

 もう二度と聞くことはないと思っていた、身の毛もよだつローレンスの声。

 ある時を境にすっかり大人しくなったものだから、完全に油断していた。更生して立派な護衛騎士になったと思い込んでいた。

 それが、まさかこうやって寝ている私に対して発散していたなんて。

「本日もあの目障りな婚約者を退けたという当たり前のことで過剰に褒めてくださり、私は感涙しました。こっそり記録魔法でお嬢様の美しい声をいただいてしまいましたこと、この場を借りて懺悔いたします。本当ならばその綺麗な瞳を開けている時に私の気持ちを吐露したいですが……同じ失態を繰り返さないためにも我慢いたします。それにあの頃とは違い、お嬢様が聞いてくださってると思うと興奮のあまり何をしでかすかわかりませんから。あの時だって──」

 ローレンスの悪寒が走る暴露話は、その後一時間にも及んだ。

 一時間だ、一時間。

 私はその間物音一つ立てれず、無防備な耳を囲うこともできず、地獄のような時間を耐え凌ぐことしかできなかった。

 いやもうね、気が狂うかと思ったわ!
 ていうか怖い。まさか毎日寝ている私に一時間以上もこんな戯言をほざき続けているわけじゃないでしょうね?
 そう思うも、想像したらそれこそ吐きそうだったのでなんとか踏み止まる。

 もう今となっては起きていることがバレずにこの地獄が終わってくれることを祈るしかない。
 なんかさっき恐ろしいことを言っていたし、バレたらまさしくジ・エンド。

 明日すぐさまお父様に直談判して護衛騎士を変えてもらえるよう頼もう。


 そう決意を胸に抱いていると、ようやく地獄から解放されたのかローレンスの言葉が止まった。
 精神を守るために後半はほぼ聞いていなかったけれど、どうやら満足してくれたようだ。
 よしそのまま背中を向けて二度と私の前に現れないでほしい。切実に。

 一番頼れる存在だと思っていたのに、一番油断ならない相手だったなんて、何の冗談だよ全く。

 とりあえず疲れた。今日一日で三人もの厄介な男の相手をしたのだ。昨日を合わせると四人。
 二日間でどんだけ苦労をかけられたかわかったもんじゃない。疲れるに決まっている。早く寝たい。

 ──と、自分で『油断ならない』と思ったそばから油断してしまった。
 ローレンスの身じろぐ音で退出しようとしているのだと思い込んでしまったのだ。

 だがしかし、地獄はまだ終わっていなかった。

「お嬢様──」

 耳が腐り落ちてしまいそうな甘ったるい声と共に、何故か左手を取られた。
 身構える間もなくやってきたのは、手の甲をペロリと舐められた感触──。

 ギャーーーー!!
 そう叫び出さなかった自分を全力で褒めてやりたい。


 かくして、ローレンスは最後にとんでもない爆弾を落として部屋を去っていった。
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