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三章

騎士マリア

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「俺は知っている。その上で、見逃している。もっとも、俺と行動を共にするようになってからはまだその機会に遭遇していないがな」
「でも、もしその時が来たら、手を貸してくれるんだよね? そもそも今回だって、貴族ではないけど商人を殺すつもりだったし」
「相手によると言っただろう。その者が本当に民を虐げる悪人であれば、それを処理するのは止めはしない。相手が貴族であろうと、商人であろうとな」
「だってさ。——で? どうするのさ。〝騎士様〟?」

 俺と軽い話を終えたルージェは、楽しげに、だが目の奥が笑っていない笑みを浮かべてマリアへと問いかけた。

「……私は私が助けられる人みんなを助けたい。だから、誰かを殺すことを認めることなんてできない」

 ルージェの言葉に僅かに躊躇いを見せたマリアだが、それでも一切視線を逸らす事なく答えた。

 まあそうだろうなという答えだ。むしろ、そうでなくてはならない。だが、マリアの答えはそれで終わりではなかった。

「でも、アルフ君がなんの理由もなく誰かを殺すなんてありえない。少なくとも、私はそう信じてるわ」

 なんともまあ信頼されたものだ。マリアが俺を信頼するでき事など、それほどなかったように思うがな。付き合った期間も短い。つまりは、マリアにとってあの晩の会話はそれだけ重要な事だったということか。

 だが、そんな風に答えたマリアに対し、ルージェも視線を逸らす事なくじっと見つめ返した。

「ふーん。でも、信じてるからって、仮にそれが本当だとしても、誰かを殺してるのは事実なわけでしょ? それはいいの? 誰も彼もを救いたい、なんて夢物語を語る君にとっては、ボクたちは敵になるんじゃないの?」
「助けたいと思っている人たちは、なんの罪もなく平穏に暮らしている〝守られるべき人〟よ。悪事を働きみんなを虐げるそれは、人ではないわ」

 尚も挑発的に言葉を続けたルージェに対して、マリアはそれでも逃げる事なく答えた。だが、その考えは以前とは少し違うものとなっていた。

「この間とは些か考え方が変わったようだな」

 助ける人を選ばなければいけない時が来ると言うことに関しては、あの日の夜に問いかけたときも理解を示していた。
 だが、あの時はまだ誰かを切り捨てるという行為を選ぶ覚悟が定まっていなかったように思えるのだが、今はそんなこともないようだ。

 闇に飲まれた、というわけでもないだろう。人の生き死にを見て人生観が変わったというわけでもないはずだ。今まで人死になど、見てきたことがあるはずだからな。
 だから、あの日、あの晩だけが特別な何かがあったのだろうと思う。

「あれからグラハムさんにも言われたんだけど、考えたの。できることなら誰にも死んでほしくない。誰にも不幸になってほしくない。でも、私がそう迷ったことで傷つく誰かがいるのなら、それは間違ってるんだ、って」

 グラハムというのは、あの晩にマリアが戦った相手だったか。確か、最後には殺す事なく『揺蕩う月』に引き渡したのだとか。
 それで問題ないのかと思ったが、今のところ暴れる様子はないようだ。もちろん監視や魔法による封印措置など何かしらはとっているだろうが、それでも敵に対しては随分と寛大な処置だ。

 そんなグラハムとやらによって、マリアの考えは変わったらしい。
 その変化は進歩ではあるが、同時にあまり好ましくないとも思える。

「誰も彼もを助けた結果、助けたはずの人たちが傷つくんだったら、それは正しくないことよ。だから、私は選ばなくちゃいけない」

 何かの事態に直面した時、誰かを切り捨てるのは為政者の考えだ。
 だがマリアは違う。本物の騎士であり、誰も彼もを助ける素晴らしいヒーロー。そうであってほしいと思っている。

 だが、それは俺の勝手な思いだ。自分ではできないから、自分は捨てた考えだから、だからそれを目指すマリアには突き進んでほしい。そう思っていたんだと思う。

 だから、少しだけ……俺の勝手な思いではあるが本当に少しだけ失望した。

「もちろん進んで誰かを殺すことはしないわ。色々考えて、限界まで粘って、ギリギリまで手を尽くして……それでもダメだったなら、その時は決断するわ」

 だが、そんな考えは、やはり俺の勝手な思い込みだったようだ。

 ……まったく、俺も人を見る目がないものだな。俺が間違えていることなど、この目を見ればわかる。マリアは、俺達とは決定的に違うのだ。

 マリアは人を切り捨てる事を許容し、助ける相手を選んでいるという点では俺達と変わらない。
 だが、俺達為政者側が人を『数字』で見るのに対し、マリアは人を『人』として見ている。

 それのどこに違いがあるのかと思うかもしれないが、その両者は決定的に違っている。
 現在の俺はすでに為政者ではないが、その考えは為政者と変わらない。そんな俺達は、誰かが死ぬと悲しみを感じることはある。だが、結局は相手のことを一人の人間としてではなく、数字や損得で考えてしまうのだ。

 もちろん親しい間柄であれば数字ではなく人として悲しむだろう。
 だが、少し触れ合った程度の相手であれば、悲しみはするし、殺されたのであれば恨みもするが、言ってしまえばそれだけだ。ああ、残念だったな。そう口にする程度のもので、その後に出てくる考えは、この死がどこにどう影響するだろうか、というものだ。
 むしろ、敵として対立したのであれば、その程度のことすら思わない。状況によって助けるものと助けないものを分け、助けなかった者には特になんの感慨もなく死んでもらう。

 しかしマリアはそうではない。
 相手を獲物でも数字でも成果でもなく、純粋に人として見たまま、それでも相手を殺す事を受け入れるということは、相手の全てを背負うということだ。辛さも悲しさも苦痛も恨みも、未来への執着も願いも、それを叶えることができない絶望も、全部を捨てることなく背負って生きることになる。

 喩えるなら、賊に襲われた時にどう感じるかという話だ。
 俺達は賊に襲われたのなら容赦することなく殺す。そしてその死に何も思わない。ただ、その賊はどんな存在で、どう利用することができるのか、どんな損得が発生するのかを考えるだけだ。
 俺達為政者側と言ったが、この考えがこの世界では一般的なものだろう。それほどまでにこの世界では命が軽いのだから。

 だがマリアは違う。結果的に殺すことになったとしても、その死を隣人が死んだかのように悼み、背負う。

 それは、辛く険しい道だろう。ずっと続けていくというのであれば、心がその重みに潰されて壊れることになるかもしれない。それほど誰かの人生を背負うというのは重いのだ。

 今までは漠然とした光というのがマリアへのイメージだったが、今は少し……いや、だいぶ違う。騎士として、眩いほどの光の道を生きる者。それがマリアだ。
 今もマリアに抱くイメージが光であることに変わりはない。だが、その形が漠然としたものから、芯のある剣のような輝きのある光とでもいうべきものへと変わっていた。

「いいんじゃないの? お姫様とか貴族狩りなんてのを連れてる時点で、一人追加があっても問題なんてないでしょ」
「気分の問題だ。元は仲間を増やすどころか、誰かと行動を共にするつもりなどなかったのだぞ」
「それは仕方ないんじゃない? そういう運命だったと思って諦めるしかないと思うよ」

 マリアの覚悟を理解した俺は、ルージェと少し話をしてからため息を吐き出し、マリアからの誓いを受けることにした。

「まあ忠誠を捧げるって言ったけど、今まで通り人助けを止めるつもりはないけどね」
「それでいい。そこを曲げてしまえば、お前はお前ではなくなるだろう。そんな〝折れた〟者を配下として連れる趣味などないのでない。お前はお前で好きにすればいい」

 俺は国を追い出されても騎士として人助けをしているマリアだからこそ気に入ったのだ。これが主人を決めたからとその行動まで変えるようなことがあればその時こそ本当に失望することになっていただろう。

「じゃあっ、これからよろしくね! あ、言葉は変えたほうがいい? 私としてはそれはそれで馴染み深いしいいんだけど……」
「言葉も態度も、お前の好きにすれば良い」

 そういったわけで、俺の行動にマリアが加わることとなった。
 スティアにルージェにマリア。初めは一人だけのはずだったのになんとも騒がしくなったことだ。

 できることならば一人で行動したいと思っているのは事実だ。だが、勝手について来ると言うのならば仕方あるまい。俺に誰かの生き方を曲げさせる権利などないのだからな。

 ただ、一つ不満があるとしたら、なぜ集まったのが女ばかりなのかということだ。いや、男であれば素直に受け入れるというわけではないが、はたから見ると俺が三人を囲っているように見えそうで気に入らないのだ。今更仕方のないことではあるのだがな。

 まあ、最初に同行することになったのがスティアだったから、というのはあるだろうな。あいつの人柄があったからこそマリアと親しくなれたのだし、ルージェもスティアの行動がなければ深い関係を持つことはなかっただろう。

「人に夢を見せるのが主の役目、か……ちょうどいいね。何せ『揺蕩う月』っていう、夢を見せる種族が作ったギルドのボスになるんだから。あ、いや、もうすでになったんだったね」

 先ほどのマリアの言葉を聞いて何を感じたのか、俺たちの話がまとまる、ルージェは楽しげな様子でつぶやいた。

「夢と言っても、それは〝夢〟違いだ」
「形は違くても、本質は同じだよ。だからこそ、同じ言葉を使ってるんだから。誰がいい出したのか知らないけど、違うものに対して同じ言葉を使うだなんて、上手いこと言ったもんだよね」

 ルージェは感心したように笑っているが、言われてみれば疑問といえば疑問だな。昔の者は何を思って同じ言葉を用いることにしたのだろうか。
 まあ、どのような理由であっても構わないか。
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