上 下
2 / 189
一章

『私』と『俺』

しおりを挟む
 ——◆◇◆◇——

 さて、ここで私——いや、『俺』の人生を振り返るとしよう。

 俺はこの世界の人間ではない。
 正確に言えば、元々はこの世界の人間ではない、というべきか。
 あるいは、魂がこの世界のものではないとも言えるかもしれない。
 何が言いたいのかと言ったら、端的に言えば異世界から生まれ変わったということだ。

 元々の世界では平凡に生きていた。いや、平凡というよりも、無意味と言った方が正しいかもしれない。
 ただ親に言われるがままに育ち、適当な学校に進み、それなりの会社に勤め、五十半ばまで誰かと結婚することもなく、何も成せずに病にて死んだ。急に病に襲われたというわけではなく、おそらくは前々から何かあったのだろう。時折体の調子が悪いと思うこともしばしばあったのでな。

 そうして死んだわけだが、そのことを十歳になった時に突如として思い出したのだ。
 何かあったわけではない。転んだわけでも、殴られたわけでも、魔法の事故に遭ったわけでも、本当になんでもなく、ただ突然「ああそうだ」と頭の中に浮かんだ。

 そうして生まれ変わったのだと理解したわけだが、この時の感覚はなんとも表現し難い。昔からよく知っていたような、忘れていたそれをふとした拍子に思い出した、といえば理解してもらえるだろうか。ただし、その思い出した量が半端ではなかったのでしばらくは混乱したが。

 十歳まで生きた記憶と、五十余年を過ごした記憶が混ざり合ったのだから、混乱も当然といえよう。
 だが、混ざり合ったといっても完全に混ざったわけではない。元々あった『私』を核とし、その周りを『俺』が覆っている状態、といえばわかるだろうか?
 基本的に物事を考えたりする意識は『俺』なのだが、個人を表す本質のような部分は『私』がいる。
『俺』はこうするべきだと考えても、『私』の意思に反していればそれを選ぶことはできない。
 だが、その〝選ぶことができない〟という状態も、無理やり押さえつけられるようにして〝選ぶことができなくされている〟のではなく、自然と思考が選ばない方へと傾いている状態だ。
 ふとした拍子に〝昔はこうではなかったな〟、と思ったことでそう推測しただけなので実際はどうなっているのかわからないが。
 なので現状は、混ざり合っているというよりも、上手く同居している、といった方が正しいかもしれない。

 さて、そんな風に生まれ変わった俺だが、アルフレッド・トライデンという、まあ貴族の生まれだった。それも、そこらの木端ではなく、一国において最上位の貴族。王族に次ぐ力を持つ、公爵位の家系。
 しかも、その公爵家の次期当主だというのだから笑えない。なぜ平凡な人間だった俺がこんな立場に、と思いもした。

 だが、〝なぜ〟など意味はないのだろう。たまたまこの体に入り込んだ魂がかつて『俺』だったというだけのこと。

 アルフレッドは天才だった。凡庸な俺に比べ、大抵のことはなんだってできた。勉強も武芸も魔法も、全てが高水準でこなせ、しかも研鑽することを忘れないのだからタチが悪い。
 才能がある者が努力を重ねたのだ。それも、ただの努力ではなく次期公爵家当主にふさわしくあるための努力を、だ。
 そのせいで、と言おうか、アルフレッドは他者を虐げるようになった。
 強者を折り、弱者を砕く。

 公爵家という立場を使って他者を虐げるなど、それは人として褒められたことではないだろう。

 だが俺は、そのことを理解しつつも周りとの接し方……それまでのアルフレッドの振る舞いを変えることはなかった。

 変わらず他者を見下し、暴言を吐き、虐げる。そんな振る舞いを続けている。
 それは『私』の考えだからではない。『私』に抑えつけられて考えを変えられたからではなく、『俺』がそれを間違っているとは思わなかったから。

 確かに、『私』の……アルフレッドの行いは間違いではあったかもしれない。
 だがそれは、俺の育った世界の住人——日本人としての感性で考えればの話であり、この世界の、この国の貴族としてみればその生き方は間違いではなかった。

 何せアルフレッドは、自身の生まれを誇り、先祖の願いを尊び、貴族として民を守ろうと鍛えていたのだから。
 だからこそ、才能があるにも関わらず、どんな分野のことであっても研鑽し続けてきた。
 そして、だからこそ現在俺達が通っている学園に来る者には相応の努力を求める。

 平民だから見下しているのではない。見下すに値する生き様を晒しているから侮蔑するのだ。
 この学園は貴族は強制で通うことになるが、各分野における才能があるものであれば平民であろうと通うことができる。だがそれは、貴族に関わって生きることを承知してのことだ。強制ではないのだから、そのまま平民として生きることはできる。
 平民としてそれなりに真っ当な幸せを手に入れることができるにもかかわらず、貴族社会に関わることを望み、そこで生きていくことを選んだくせに、自分は平民だからとろくに努力もしないからこそ見下す。

 故に、他を隔絶するほどの才能や、普通とは違う特殊な才能があるから、と強引に学園に入れられた者に対しては寛容さを見せる。彼らは自身の意思でこの場所に来たわけではないのだから。

 無意味に暴言を吐くのではない。それがその者のためとなると知っているから言葉にするのだ。
 それが暴言となってしまうのは、貴族社会では誰かと仲良くしただけで隙となることがある。それは言葉を受けた者もアルフレッドも、どちらも幸せにならないとわかっているからこそ、過度に距離を近づけないように、暴言という形で言葉を贈る。

 故に、アルフレッドの助言を受け、それを真摯に受け止めた者は誰一人としてアルフレッドのことを恨んでなどいない。その助言は、本当に彼らの糧となったのだから。

 根拠なく誰かを虐げるのではない。その者が正しくない行いをしたからこそ罰を下すのだ。
 ともすれば私刑と言われる行いだが、貴族であり、次期公爵であるアルフレッドにはそれが許されていた。貴族としてふさわしくない振る舞いをしている者がいて、その者を教師や衛兵に伝えたとして、多少注意される程度で終わってしまうだろう。だが、それではその者らは反省することなどないだろう。
 だからこそ、アルフレッドが手を下すのだ。そうすれば、その者らはアルフレッドのことを気にして粗暴な振る舞いをしなくなるから。

 故に、虐げられた者の中には真っ当に生きているものはただの一人も含まれていない。その者らは皆、悪意を持って他者に接していた者達だったから。

『民を守るための刃であれ』

 それがトライデンの家に伝わる言葉であり、アルフレッドが心に抱いた信念であった。そして、その言葉に相応しい人物となろうと研鑽し続けていた。

 だからこそ、他人から見れば横柄であろうと反感を買おうと、そんな生き方は間違いではない。そう思ったのだ。

 俺が憑依したのか生まれ変わったのかはわからない。だが、この信念は曲げさせたくない。
 そう思ったからこそ、俺は悪役が如き振る舞いであろうと、それを貫くと決めたのだ。その結果死んだとしても、それならそれで構わない。信念を曲げてまで無様に生きるのは、無意味に息を繋いでいただけの『俺』となんら変わらない。そんな人生はもうごめんだ。
 だからこそ『私』として生きていきるため、それまでとは態度を変えることがなかった。

 先ほどまでの振る舞いもそんな思いからのことだった。

 私自身は戦ったあの生徒に何かしらの恨みがあったわけではない。だが、それでもあの衆人環視の中で完膚なきまでに叩きのめした。それがハタから見れば好感を得られない行いであるとわかっていても。
 なぜならば、あそこで叩きのめして、理解させてやらなければ、あの者はいずれ重大な事故を起こしていただろうから。
 だから、暴言という形ではあったが、戦いを終えた後に助言をした。

 その後生徒に絡み、攻撃をしたのもそう。
 あの場には〝四人〟いたが、そのうち三人組は一人の生徒を虐げる振る舞いをしていた。だからこそ叩き潰した。

 調子に乗って先へ先へと進む者は叩き潰し、他者を虐げる者はその頭を押さえつける。
 才があろうと、家柄があろうと、誰であっても変わらない。等しく虐げる。
 私がそんな振る舞いをしていた結果、この学園内ではいじめの類いは減り、事故も減った。
 いじめをしているとアルフレッド・トライデンの耳目に触れれば、自分達がやられるから。
 調子に乗って失敗すれば、アルフレッド・トライデンに叩きのめされるから。

 その分他者から恨まれることになるが、それで構わなかった。誰ぞに理解され、褒められるための行動ではなく、してほしいとも思わない。ただの自己満足なのだから。

 しかし、『俺』が『私』になってからもう七年がすぎて私は十七歳となったが……実際に過ごしてみると面倒なことだと思う。

 もっと楽に生きられたらと思うし、全てを捨てて冒険に出たいと思った事もあった。何せ魔法の世界だ。貴族などという柵に縛られて生きるなど、窮屈だと思ったし、世界を見て回りたいと思うのは地球の人間なら普通の反応だろう?
 だが、アルフレッドとしての意識がそれを許さない。

 貴族であれ。

 どんな振る舞いをしても構わない。だが、『貴族である』ことを捨てることだけはできなかった。その想いだけは、色々と混ざり合った心の中でも決して消える事も陰る事もなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】底辺冒険者の相続 〜昔、助けたお爺さんが、実はS級冒険者で、その遺言で七つの伝説級最強アイテムを相続しました〜

もう書かないって言ったよね?
ファンタジー
 試験雇用中の冒険者パーティー【ブレイブソード】のリーダーに呼び出されたウィルは、クビを宣言されてしまう。その理由は同じ三ヶ月の試験雇用を受けていたコナーを雇うと決めたからだった。  ウィルは冒険者になって一年と一ヶ月、対してコナーは冒険者になって一ヶ月のド新人である。納得の出来ないウィルはコナーと一対一の決闘を申し込む。  その後、なんやかんやとあって、ウィルはシェフィールドの町を出て、実家の農家を継ぐ為に乗り合い馬車に乗ることになった。道中、魔物と遭遇するも、なんやかんやとあって、無事に生まれ故郷のサークス村に到着した。  無事に到着した村で農家として、再出発しようと考えるウィルの前に、両親は半年前にウィル宛てに届いた一通の手紙を渡してきた。  手紙内容は数年前にウィルが落とし物を探すのを手伝った、お爺さんが亡くなったことを知らせるものだった。そして、そのお爺さんの遺言でウィルに渡したい物があるから屋敷があるアポンタインの町に来て欲しいというものだった。  屋敷に到着したウィルだったが、彼はそこでお爺さんがS級冒険者だったことを知らされる。そんな驚く彼の前に、伝説級最強アイテムが次々と並べられていく。 【聖龍剣・死喰】【邪龍剣・命喰】【無限収納袋】【透明マント】【神速ブーツ】【賢者の壺】【神眼の指輪】  だが、ウィルはもう冒険者を辞めるつもりでいた。そんな彼の前に、お爺さんの孫娘であり、S級冒険者であるアシュリーが現れ、遺産の相続を放棄するように要求してきた。

追放された付与術士、別の職業に就く

志位斗 茂家波
ファンタジー
「…‥‥レーラ。君はもう、このパーティから出て行ってくれないか?」 ……その一言で、私、付与術士のレーラは冒険者パーティから追放された。 けれども、別にそういう事はどうでもいい。なぜならば、別の就職先なら用意してあるもの。 とは言え、これで明暗が分かれるとは……人生とは不思議である。 たまにやる短編。今回は流行りの追放系を取り入れて見ました。作者の他作品のキャラも出す予定デス。 作者の連載作品「拾ったメイドゴーレムによって、いつの間にか色々されていた ~何このメイド、ちょっと怖い~」より、一部出していますので、興味があればそちらもどうぞ。

死霊王は異世界を蹂躙する~転移したあと処刑された俺、アンデッドとなり全てに復讐する~

未来人A
ファンタジー
主人公、田宮シンジは妹のアカネ、弟のアオバと共に異世界に転移した。 待っていたのは皇帝の命令で即刻処刑されるという、理不尽な仕打ち。 シンジはアンデッドを自分の配下にし、従わせることの出来る『死霊王』というスキルを死後開花させる。 アンデッドとなったシンジは自分とアカネ、アオバを殺した帝国へ復讐を誓う。 死霊王のスキルを駆使して徐々に配下を増やし、アンデッドの軍団を作り上げていく。

お前じゃないと、追い出されたが最強に成りました。ざまぁ~見ろ(笑)

いくみ
ファンタジー
お前じゃないと、追い出されたので楽しく復讐させて貰いますね。実は転生者で今世紀では貴族出身、前世の記憶が在る、今まで能力を隠して居たがもう我慢しなくて良いな、開き直った男が楽しくパーティーメンバーに復讐していく物語。 --------- 掲載は不定期になります。 追記 「ざまぁ」までがかなり時間が掛かります。 お知らせ カクヨム様でも掲載中です。

田舎暮らしと思ったら、異世界暮らしだった。

けむし
ファンタジー
突然の異世界転移とともに魔法が使えるようになった青年の、ほぼ手に汗握らない物語。 日本と異世界を行き来する転移魔法、物を複製する魔法。 あらゆる魔法を使えるようになった主人公は異世界で、そして日本でチート能力を発揮・・・するの? ゆる~くのんびり進む物語です。読者の皆様ものんびりお付き合いください。 感想などお待ちしております。

秘密の聖女(?)異世界でパティスリーを始めます!

中野莉央
ファンタジー
将来の夢はケーキ屋さん。そんな、どこにでもいるような学生は交通事故で死んだ後、異世界の子爵令嬢セリナとして生まれ変わっていた。学園卒業時に婚約者だった侯爵家の子息から婚約破棄を言い渡され、伯爵令嬢フローラに婚約者を奪われる形となったセリナはその後、諸事情で双子の猫耳メイドとパティスリー経営をはじめる事になり、不動産屋、魔道具屋、熊獣人、銀狼獣人の冒険者などと関わっていく。 ※パティスリーの開店準備が始まるのが71話から。パティスリー開店が122話からになります。また、後宮、寵姫、国王などの要素も出てきます。(以前、書いた『婚約破棄された悪役令嬢は決意する「そうだ、パティシエになろう……!」』というチート系短編小説がきっかけで書きはじめた小説なので若干、かぶってる部分もありますが基本的に設定や展開は違う物になっています)※「小説家になろう」でも投稿しています。

奥様は聖女♡

メカ喜楽直人
ファンタジー
聖女を裏切った国は崩壊した。そうして国は魔獣が跋扈する魔境と化したのだ。 ある地方都市を襲ったスタンピードから人々を救ったのは一人の冒険者だった。彼女は夫婦者の冒険者であるが、戦うのはいつも彼女だけ。周囲は揶揄い夫を嘲るが、それを追い払うのは妻の役目だった。

~前世の知識を持つ少女、サーラの料理譚~

あおいろ
ファンタジー
 その少女の名前はサーラ。前世の記憶を持っている。    今から百年近くも昔の事だ。家族の様に親しい使用人達や子供達との、楽しい日々と美味しい料理の思い出だった。  月日は遥か遠く流れて過ぎさり、ー  現代も果てない困難が待ち受けるものの、ー  彼らの思い出の続きは、人知れずに紡がれていく。

処理中です...