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第八章 王国帰還編

529話 怯える少女の瞳に映るもの

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「はぁ……はぁっ……!」

「く、クレアちゃん……」

 壁にぶつかった背中が少し痛い。でもそんな痛み、この場で気にすることじゃない。
 この場で気にしなければいけないことは……クレアちゃんの、異様なまでの怯え方。

 膝を抱え、体を大きく震わせている。
 こうなってしまった原因は……私が、ルリーちゃんの名前を出したからか。

「ひっ……」

 一歩、クレアちゃんに近づく。するとクレアちゃんは、喉の奥から出したかのような悲鳴を漏らした。
 私をルリーちゃんと勘違いしている? でも、ちゃんと私はエランだよって言ったし……

 ……やっぱり、私をちゃんと認識できているかも怪しい。

「……ずっと、こんな調子で?」

 誰にも話さず、一人で抱え込んで……あのときのことを思い出しては、怯えて泣いて。
 サリアちゃんは、なにかに謝ってたとも言ってたな。この様子だと、それは無意識に謝り続けていたのかもしれない。

 とにかく、このまま放ってはおけない。
 ルリーちゃんには悪いけど、彼女を連れてこなくて良かった。私が相手でこれなのだ。本人がいたらどうなるか。

「クレアちゃん」

「ひっ、いや、来ないで……」

「大丈夫。私はあなたを傷つけないから。大丈夫」

 できるだけ安心させるように、できるだけ警戒心を持たせないように……私はあなたの味方だと、訴えるように。
 私は優しく話しかける。クレアちゃんと目線を合わせて、目を見てじっくりと。

 何度も大丈夫だと告げて……そのおかげか、少しだけクレアちゃんが落ち着いたように見えた。

「そう、大丈夫。私は味方だから……ううん、クレアちゃんの敵なんていないから」

「……サリ、アは?」

 肩を掴んで、クレアちゃんが怖がるものはなにもないと教える。
 敵なんて、ここにはいないのだ。

 それが伝わったのかは、わからない。でも、ようやくクレアちゃんの口から、ちゃんとした言葉を聞いた。
 それは、サリアちゃんの名前だった。

「うん、サリアちゃんは今席を外してる。私が話したいことがあるだろうからって、気を利かせてくれたの」

「……そう、なんだ」

 やっぱり、クレアちゃんにとってサリアちゃんの気遣いはありがたく感じていたんだろう。
 すぐにサリアちゃんを気にするあたり、ただのルームメイト以上の思いが見える。

 それからクレアちゃんは、私を……"見た"。

「あ、れ……エラン、ちゃ、ん?」

「! そうだよ、私だよ!」

 その目に、私の顔が映ったように見えた。
 ついにクレアちゃんの口から私の名前を聞くことができて、私は思わず気持ちが高ぶった。

「え、な、なんで……ここ、に? あれ……?」

「あはは、全然気づいてなかったんだね」

 私を認識していないとは思ったけど、案の定だ。
 今ようやく、私のことを認識した。これまでは引きこもってたのもあって、サリアちゃんのことだけはわかっていたみたいだけど。

 クレアちゃんの手を、ぎゅっと握る。
 やっぱり、冷たい。というか……体温が、感じられない。

「ただいた。帰ってきたんだよ」

「……っ、そっ、か……よかった……ほんとに……」

 改めて、帰ってきたことを伝える。すると、クレアちゃんの目からはポロポロと涙が流れ始めた。

「く、クレアちゃんっ?」

「だ、大丈夫……安心、しただけ……」

 涙を流して笑うクレアちゃんは、安心したと言う。
 それは、私が帰ってきて……無事で、安心したってことだろうか。
 安心して、張り詰めていた糸が切れたのだ。

 まさか、こんなにも泣いてしまうまで心配してくれていたなんて……

「っ……おかえり、エランちゃん」

「! うんっ」

 でも、泣きながらでも応えてくれたクレアちゃんの笑顔は、これまでの中でもひときわ輝いて見えた。

「いったい、どこまで言ってたのよ」

「それがまあ、話せば長いんだけどね。とりあえず魔大陸まで飛ばされてて……」

「魔大陸!?」

 先ほどに比べて、クレアちゃんは落ち着いたように見える。
 目の前で私が消えて、心配して夜も眠れなかった……と、笑いながら話してくれた。笑いながらでもないと、照れて話せないからだろう。

 魔大陸に行って、それからなんとか頑張って戻ってきたのだということを伝えた。
 とりあえず、ちゃんと無事に帰ってきたことを報告したのだ。

 ただ……クレアちゃんは不自然なほどに、ルリーちゃんをの名前を出さなかった。
 私の方から言おうか。
 いや、さっきは私を認識できないほど憔悴しきっていたとはいえ、ルリーちゃんの名前には過敏に反応した。

 今、平常に戻ったように見えるクレアちゃんに、ルリーちゃんの名前を告げるのは……果たして、大丈夫なのだろうか。
 ルリーちゃんの名前が出せないから、帰ってきた話も簡易的なものになってしまう。

「大変、だったのね」

「クレアちゃんこそ。
 ……その、帰ってこないってタリアさん、言ってたよ」

「あー。母さんにはその、そっけない態度取っちゃったかも。今度謝っとかないと」

 聞く、べきだろうか。今。ルリーちゃんのことが、気にならないのかと。
 私と一緒に消えて、いなくなってしまった……ルリーちゃんは、無事なのか知りたくないのか、と。

 以前までの……ルリーちゃんの正体を知る前のクレアちゃんなら、もちろん聞いてきたはずだ。
 でも、今のクレアちゃんは……ルリーちゃんを、どう思っているのか。わからない……

「……あの、さ」

「うん?」

 だめだ、このままじゃ。このままじゃ、ルリーちゃんはずっと寂しい思いをすることになる。
 二人がこのまま仲違いするのは……嫌だ。

 私が、二人の仲を繋ぎ止めてみせる。
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