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虚無は憎しみを削り取る

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 悔しさのあまり口にかかる包帯を噛みしめながら白魔法使いのグラフトは魔法水晶をテーブルの台座に置いた。

「どうも我らは運命に見放されているようですね」

 このまま戦うか?と自分の声が頭をよぎると、直ぐにそれは無意味だと別の心の声が答える。

 肩に乗る使い魔のコマドリが急にトゥルーリリリィと鳴いた。誰かの気配を察知したのだ。

「もうこれ以上何もしてこないと誓うなら、貴方がこの場から逃げても追わない」

 【読心】で自分の焦りを読んだ闇魔女の声が扉の向こう側から聞こえてくる。

「来たのですか・・・」

「貴方はもう呪いの支配下から解き放たれている。何故星のオーガに拘るのかは理解できない」

「長年、呪いが頭の中で繰り返し放つ言葉を信じ、それに従い、そう生きてきた我らに今更生き方を変えろというのは無理な話なのですよ。例え我らに刷り込まれた情報が偽りの情報だったとしても、その嘘は我らの中で真実になっているのです。そしてその偽の真実を捨てろというのは我らが過ごした人生を捨てろという事に等しい」

「では戦うというの?」

 扉の向こうで闇魔女は抑揚なく言う。

「我らは神を殺したのです。樹族の神が我らを裏切ったように思えたから。我らの思い描く未来へと導いてはくれなかった。悔しくて我らはその時の感情に従いました。自暴自棄になって」

「質問に答えて。そのケジメをつける為に無敵のオーガと戦うの?」

「ええ。本当ならば、我らは感情に従って星のオーガの心をズタズタに出来れば満足だったのです。ですがそれも叶いませんでした。ズーイは遠くから【死】の魔法で何度も星のオーガ以外を狙っていました。第七レベル魔法のマナが尽きるまで何度も何度も繰り返し、闇魔女、聖騎士見習い、憤怒のシルビィを狙って放ったのに何も起きなかった。神の座で魔法水晶を通して死の魔法をかける彼の顔は最終的に悲壮感と虚しさに支配され、何も出来ない自分を笑っていましたよ。これまでも何度もチャンスがありましたが、そのチャンスは尽く潰されました。だから赤ローブの彼女は直接シルビィを狙いました。しかしあり得ないミスでまたもやチャンスを失っております。我らはあのような凡ミスは決してしない。狙うべき標的を間違えるなんて事は・・・」

「もしこの世に運命の神がいるとすれば、その神は我らに味方したようだ」

 部屋の扉が開いた。

 ヒジリは魔法の罠を警戒してすり足で一歩を踏み出す。すり足で移動すれば罠が発動する前に仕掛けに触れて魔法を無効化出来るからだ。

「運命の神はただの傍観者だと聞く。でも、もしかしたら本当にそういった力があるのかもしれませんね」

 そう言いつつもグラフトは素早い詠唱で多数の高位光魔法をヒジリに向けて放った。無駄だと解っていても他に手段がないからだ。

 ヒジリはこの哀れな白魔法使いに同情する。彼の人生とはなんだったのか。彼だけではない。呪いに囚われて人生を負の感情に染めて一生を費やす、遺跡守りたち全てが可哀想に思えた。

「きっと私に魔法を撃っているのだろうが・・・。残念ながら私に魔法は効かない」

 ヒジリは人の身を捨てた光魔法を得意とするリッチの前まで来ると怯える彼を掴んだ。彼は樹族にしては背が高い。百七十センチ程はあるだろうか?しかし体重は紙のように軽く、容易に持ち上げる事が出来た。

「これまで君が長年受けていた呪いは心を蝕み、考えを歪めた。そのボロボロの身もその結果だ。君は悪くない。全ては樹族の想念が生み出した呪いが悪いのだ。君はその被害者なのだよ」

 ヒジリはグラフトをギュッと抱きしめた。

「そんな・・・今更・・・」

 グラフトは乾いた眼窩から涙を零す。涙は包帯に染み込みすぐに消えてしまった。

「私は拒絶する。呪いが生んだこの結果を!我が息子ヤイバにも出来たのだ!力を貸せ、虚無の粒子!」

 しかし、部屋はしんとして何も起きない。どういう理屈でヤイバがあの力を使っているのかは理解出来ないが、彼よりもサカモト粒子を多く身に纏わせているだろう自分に出来ないはずがない。

 きっとこういう事は理屈ではないのだろう。ヒジリは余計な考えを捨て、何かにこびり付く汚れを削り取るイメージを浮かべた。

「もう一度言う、私はこの呪いの結果を拒絶する。拒絶するのだ!」

 マナ粒子のように願って結果が足されるわけではない。どんどんと積み重なり足されて修正できなくなった結果を虚無の粒子は消し去るはずだ。

 呪いの負の力も、シナプスの輝きも、積み重ねた出来事の結果も、未だ熱を放つエネルギーである事には変わりない。それを削り取り分解して別宇宙に葬る。無茶苦茶な話だが、ヒジリはそれを考えないようにした。

 自分はそうすることが出来ると信じてヒジリはグラフトの包帯の額にキスをしてみる。

「あっ!」

 イグナとフランが声を挙げた。突然ヒジリの体からオーラが放たれたのだ。

 サカモト粒子は地球人にも見えるので、体から灰色のオーラを出す主をウメボシは目を見開いて記録を取り始めた。

 灰色のオーラは体から離れる時に小さな渦を作っては消えている。イグナにはそれが虚無が害をなす限界の量に思えた。

 イグナの心配が現実になったのか、抱きしめられるグラフトの体が一瞬で炭のようにまっ黒になってしまった。

「なんだ・・・?」

 ヒジリはミイラ男を抱きしめるのを止めて、炭のようになった彼を地面に置き様子を見る。
 
 イグナはヒジリの虚無の力が強すぎて彼を炭にしてしまったのだと思った。ぎゅっと杖を握りしめて残念な結果にヒジリを慰めようとしたその時。

 炭のようになったミイラ男の表面がボロボロと崩れ、中から若い樹族が現れた。

 グラフトは自分の体を見て驚く。

「おお、人の身を捨てる前の姿に戻りました!しかも若返っている!」

「ほう!私にも虚無の力が使えたという事か!記録には収めたな?ウメボシ!」

「勿論です、マスター。これでまた地球での名声がうなぎ登りです!」

「しかし仕組みを理解し、何度もこの事象を起こす事が出来なければ無意味だな・・・。まぁいい。後で何回か試してみよう。良かったな・・・えっと、君の名前は何かね?」

「はい、グラフト・ボコーシーです!」

「グラフト、体の具合はどうかね?」

「若い体に力は漲っていますが・・・多くの魔法や経験が失われました。でも私は後悔していません!また新しい人生を歩めるのですから!」

「まぁその前に十数年は服役してもらうがな」

 ヒジリの影からジュウゾが現れてグラフトに【捕縛】の魔法をかけた。直ぐにどこからかジュウゾの部下が現れて拘束された彼を連れ去っていく。

「感謝するぞ、ヒジリ」

 公の場ではないのでジュウゾはヒジリを呼び捨てで呼んだ。

 虚無の力の覚醒とグラフトの変化に喜ぶ間もなく、水を差したジュウゾにヒジリはムッとした。

「まぁこうなるとは解っていたが・・・。もう拷問はしていないのだろうな?マギンのように」

「ああ、貴様が樹族国を離れる時の願いだったからな。奴隷制度の見直しと拷問の禁止は」

「それならいい。では行きたまえよ。君もやる事が山積みだろう。今頃、シルビィは後処理で忙しいだろうな・・・」

 ヒジリと一緒に遮蔽装置の遺跡に行くと駄々を捏ねていたシルビィはリューロックに羽交い絞めにされて連れていかれた。その時のシルビィの必死の顔(顔中に皺を寄せて目を剥いていた)を思い出してヒジリは笑いを堪える。
 
「ふむ。では用が済んだらアルケディア城まで来てくれ、ヒジリ。シュラス陛下はきっとお前を裸で接待してくれるだろう」

「不敬だぞ、ジュウゾ。リューロックがこの場にいなくて良かったな」

「グハハハ!それぐらいシュラス陛下は今回の件を喜んでいるという事だ。さらばだヒジリ」

 ジュウゾが珍しく冗談を言ったのでヒジリはフフっと笑う。

 ジュウゾが部屋から出ていくのを見届けてヒジリは遮蔽装置をじっと見た。

「さて・・・。いよいよだ」

「いよいよでヤンス」

 ヒジリと同じ言葉をビヨンドの闇の中でヤンスも発した。蠅のように手を擦り合わせて運命の神は喜んだ。

「私はこれでこの惑星のどこにでも行けるようになるぞ。そして私やウメボシを悩ませていた遮蔽フィールドの影響は無くなるのだ。フハハハハハ!」

 ヒジリは両手を広げラスボスのような笑い声をあげて笑う。

「なんだか魔王みたいねぇ」

 フランがクスクスと笑った。

「そこのレバーを下げてボタンを押せば装置は止まります」

 ウメボシが柱の様な台座にあるレバーやボタンの中から二つをホログラムポインターで指し示した。

 ヒジリは何故か猛烈な寂しさに心を支配されつつも、レバーを降ろして、四角いボタンを押した。

「あ、ぽちっとなー!」
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