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人食い黒竜

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 城を出てすぐの大通りで、ヒジリはオークの老婆とぶつかり、彼女を転ばせてしまう。

「失礼した。お怪我は? ご婦人」

 この場所からでも、黒竜のドタンバタンと動き回る音と戦士たちの怒号が聞こえてくる。

 ヒジリは早く現場に行って戦いを終わらせたいので、老婆を持ち上げて立たせた。

「ないよ。あんたは戦いに参加するんだろう? 邪魔して悪かったね」

 そう言って老婆は腰を擦ってから、ヒジリの顔を見て驚く。

「ちょい待ち! ・・・・急にこんな事を言うのもなんだけどさ。あんた! 黒竜との戦いで大事な誰かを失うよ。あたしゃ元呪術師でね。触った相手の未来がぼんやりと見えるんじゃよ! 早くお行き! 急いだほうが良いよ!」

 自分の大事な誰かを失うだと? ヒジリは考える。今のところ命の危険があるのはヘカティニスだが、彼女がそう簡単にやられるだろうか?

 老婆の言葉はひとまず頭の片隅に置いて、ヒジリは、老婆にゴブリン谷まで避難しろとアドバイスをして、先を急いだ。

「妙な事を言う老婆でしたね、マスター」

「全くだ。だが嫌な予感はする。急ごう」





 ヒジリは黒竜の暴れる集合住宅前まで来ると、真っ先にヘカティニスを探した。彼女は竜の噛みつき攻撃をなんとか躱していたが、攻撃できる余裕はなさそうだ。

「見ろ、老婆の予言は外れた。彼女は無傷だ。おい! ヘカティニス! 砦の戦士たち! 下がれ! 後は私がやる」

 ヒジリの到着にヘカティニスは喜び、竜の目に砂を浴びせてから、ヒジリのもとへやって来る。

 黒竜が目に入った砂を涙で流そうとして動きが止まっている間に、砦の戦士たちが攻撃するも、厚い鎧のような鱗に阻まれてダメージが通らない。

「旦那様、あのドラゴンは凄く硬いし、念力を使う。気をつけてくで」

「うむ。砦の戦士たち! 下がれ!」

 ヒジリの指示を無視したベンキ、が鎧通しのような短剣で鱗の隙間を狙ったが、大したダメージにはならず、尻尾で跳ね飛ばされていった。

「言う事を聞かない奴らだな」

 ヒジリは跳躍して竜の背中に立つと、激しく放電し始めた。

 青い稲妻の光が、竜とその周囲を照らす。砦の戦士たちは攻撃に巻き込まれるのを避けて後方に飛び退った。

「電撃を使うオーガメイジか。珍しいな」

 黒竜は念力で近くにあった岩を持ち上げると、背中のヒジリ目掛けて高速で投げつける。

 ―――バキャン!

「お前たちはオーガのくせに動きが素早くてうっとおしかったが・・・。ほら! 一匹は潰せたぞ!」

 確実に岩が砕ける音が背中からして、黒竜はオーガメイジが死んだと思い込み、砦の戦士たちに自慢げな顔でそう言い放った。

「誰が潰れたって言うんだ? 人食い黒竜さんよぉ?」

 砦の戦士のスカーは、竜の背中で腕を組んで涼しい顔をしているヒジリを見て笑う。

「なに?」

 黒竜が背中に顔を向けると、ドゴンと音がして目の前に星が飛んだ。

 とてつもない怪力で殴られたのだ。普通のオーガ、ましてや戦士のオーガよりも身体能力の劣るオーガメイジの攻撃ではこうはならない。

 何が起きたかわ判らない黒竜の耳に、囁くような声が聞こえてくる。

「君はなにゆえ人を食うのかね? ここを縄張りとしていた闇竜は人は不味い上に臭く、食べる価値もないと言っていたが」

「グルルル・・・。お前はマドールおばさんを知っているのか?」

「ああ、彼女なら他の上位ドラゴンたちと同じく、異世界へと旅立ったぞ」

「ああ、知っているとも。だからこそ俺がここにやって来た。この土地は甥っ子である俺が、統治する権利があっても良いはずだ」

「残念ながらここは私の土地だ。君も叔母上のように大人しくしてくれるのであれば、住まわせても良いが人を襲っのならば出ていってもらおう」

「はぁ? ここがお前の土地だと? 狂王はどうした?」

「君の叔母上との間に出来た子供と一緒に、異世界へ旅だったぞ?」

「ゲッギャッギャッギャ! それは初耳だなぁ? 穢れた子を作って逃げていったのか! ゲギャギャギャ! グホッ?!」

 笑う黒竜の顔に毒雲が覆う。

「ヒジリくぅ~ん。さっさと殺しましょうよ。黒竜の肉がは美味しいらしいですよ? キュッキュッキュ!」

 不気味な道化師がヒジリの陰からヌーっと現れて笑う。

「むぅ? いつの間に私の後ろに・・・」

「ヒジリ君の影は魔法を弾かないので、潜ませていただきました。ところでどうです? 黒竜さん。小生の毒の味は?」

「オーガメイジの雷同様、効かんぞ?」

 竜の無詠唱の魔法がナンベルを襲った。

 いつも着ているボロボロの黒いローブが燃え上がる。

「くぅ! なんと練度の高い【闇の炎】なのカ!」

 黒竜はナンベルが燃えるさまを見てグギャギャと喜んでいる。

「ほらどうした? レジストしないとお前は燃え尽きてしまうぞ? 道化師。お前の焼けた肉を食うのも悪くないな」

「ぎゃああ! 熱い! 助けて! ヒジリくぅ~~ん!」

 ナンベルは芝居がかった声を出して戯けているが、「小生、このままでは死んでしまいます」とヒジリの耳元で囁いた。

「さっきまでの余裕な態度は何だったのかね?」

 魔法による副次的な現象はしっかりと見えるヒジリは、炎の中で踊るナンベルを見て溜息をつき、手を伸ばして触ると彼を苦しめる【闇の炎】を消し去った。

「た、助かりました。ヒジリ君」

 あちこちからプスプスと煙を上げるナンベルは、両手を組んで感謝している。

「もう下がっていてくれ。まさかとは思うが、あの老婆が言っていた大事な人が、ナンベルの事だったら嫌なのでな」
 
「なんの話かはわかりませンが、ここはヒジリ君に任せますか」

 そう言ってナンベルはまたヒジリの陰に潜った。

「ジュウゾみたいな技を使うのだな、ナンベルは・・・」

 背中のヒジリに竜が気を取られている間に、ヘカティニスは魔剣へし折りで黒竜の脚を狙ったが、念力で動く岩がそれを防ぐ。

 攻撃を失敗したヘカティニスは、すぐさま後方に大きく跳躍して間合いをとった。

「皆寄ってたかって! 俺が好きな物を! 好きな時に食べて! 何が悪いんだ!」

 竜が怒って咆哮し、無詠唱で放った無数の【魔法の矢】がヘカティニスを襲う。ドラゴンの高い魔力で放たれた魔法はレジストをし難い。

 この場の救世主であろうヒジリは、魔法が見えないのでヘカティニスが狙われている事も気づかなかった。

 ヘカティニスは魔剣を盾にして、魔法から我が身を守るイメージを頭に思い浮かべる。

「無理だ! オーガ如きが防げるものではないぞ! グギャギャ!」

 魔法の白い矢は、真っ直ぐにヘカティニスへと飛び、様々な角度から突き刺さると思われたその瞬間、彼女の周りで魔法陣が壁のように発動して、矢をかき消した。

 ドラゴンは驚いてキョロキョロと何かを探し始めた。

「【一度きりの安寧】・・・。オーガメイジが唱えたのか? いや違う。コイツはからは何故か魔力を感じない・・・」

 背中に乗るオーガメイジは何かを見定めるように動きを止めて、微動だにしなくなった。

「どうした? 怖くなってびびったか? オーガメイジ。それよりも何処かにメイジがいるはずだ・・・」

 自分の周りで空気が揺れたのを黒竜はすぐに察知した。

 風のように自然ではない不自然な揺れ方。波のない静かな湖の中に突然転移してきた”水探し魚“(※生息地の水が枯れると転移して他の水場に移動する魚)の群れのような空気の波紋。

「そこだ!」

 怪しい場所に竜が視線を定めると、空気が揺れた場所から、小さな地走り族のメイジが現れた。

「丁度噛み付くには良い場所だな。どうせ【死の手】でもしようと思ったのだろうが、残念残念」

「まさか!」

 無茶な攻撃を繰り返して、念力の岩で反撃を食らう砦の戦士達を、ウメボシがフォースシールドで守っていると、【姿隠し】を解除する時に起きる、空気の振動を感知した。

「ああ! なんて事! マスター! イグナが! 竜のすぐ近くに! エネルギー残量不足のため、彼女へのフォースシールドが間に合いません!」

「イグナは城にいたのではなかったかね? くそ! あの老婆が言っていたのはこの事か! 間に合ってくれ!」

 竜の胸元に現れたイグナは恐怖と戦いながら冷や汗を流し、【死の手】を唱えようとしていた。

「お前はミミの友達を食べた。許せない! 黒竜に食べられた者は呪いに阻害されて、蘇生の祈りでも生き返らないって聞いたことがある!」

 ミミと共にヒジリ達の様子を見に来ていたイグナは、娘を黒竜に食べられたと嘆くゴブリンの母親を見てしまった。彼女はナンベル孤児院で働く給仕係で、ミミはその娘とも仲が良い。

 幾重にも重なった牙が見える口が、イグナの真後ろから襲いかかる。

 首の長い黒竜にとって胸元は死角にならない。

 黒竜に電撃も打撃も有効ではないと判断したヒジリは、とにかくイグナを守ろうと脚をもつれさせ無様に駆け寄るが、手足が鉛のように遅い。

 タキサイア現象―――、本来は自分の身に危険が迫ると一瞬が永遠のように長く感じる現象だが、イグナを死なせたくないヒジリはそれが我が身に起きていた。

(死んだら生き返らせればいいじゃないか。何を焦る事があるのかね?)

 頭の何処かで冷たい声がそう言う。

(生き返った彼女は厳密に言うと、もうイグナではない!)

 焦るような声が冷たい声に反論する。

(それは誰だってそうだろう? 君も死んで生き返ればそうだ)

(オリジナルじゃなくなったら、彼女はこれまで通りの彼女じゃなくなる気がするのだ!)

(気がするだと? 非科学的な言葉だな。根拠を示せ)

(黙れ! そんなもの知った事か! 私は自分の感情に従う!)

 網膜にまた見慣れないエラー表示が出る。それも無数にだ。

 その表示の向こうの景色は歪んで見えた。

(泣いているのか? 私は)

「イグナ!!」

 手を伸ばすも間に合いそうにない。

 黒竜の口も、あと僅かでイグナに届くといったその時。

 ―――ヒュンヒュンヒュン!!

 高さ三メートルもある大盾が、凄まじいスピードで回転しながら飛んできた。

 それは竜の口とイグナの間に割り込み、イグナに覆いかぶさるようにして竜の噛みつき攻撃から守った。

「この盾は! セイバーか?」

 盾は軽いのか、イグナが下敷きになっても潰れることはなかった。

 地面に這いつくばるイグナは自分に何が起きたのか理解できなかった。発動中の【死の手】も詠唱を邪魔された事で失敗している。

 ヒジリは盾が飛んできた方を見たが、そこには見慣れないオーガの騎士が立っているだけだった。

「誰だか判らないが、ありがたい!」

 そう言って竜の頭に飛びつくと、体全体で締め付け、カプリコンに指示を出す。

「この黒竜は脳に腫瘍がある! 異食症だ! だから人を食うのだ! それを正常なものに再構成してくれ、カプリコン!」

 先程まで動きを止めていたのは、竜の異常な食性の原因をさぐっていたからだ。

「畏まりました。その程度なら遮蔽フィールドの影響は少ないと思います」

 ヒジリにしか聞こえない紳士的な声が、快く了承する。

 数秒後、ヒジリから逃れようと藻掻いていた黒竜だったが、急に大人しくなる。

「再構成が完了しました」

「よし!」

 そう言って竜の頭を放し、盾をどけてイグナを抱えると、ヒジリは黒竜に向き合った。

「どうかね? まだ人を食べたいと思うかね?」

 黒竜は一旦目を閉じ、軽く牙をガチガチの噛み合わせた後、口の中を何度か唾液で湿らせた。

「臭せぇ・・・。オエッ! 口の中が臭せぇ・・・。俺は何で人なんて食ってたんだろうか。気分が悪い」

 黒竜は何度か自分の舌に残ったゴブリンの味を牙でこそぎ落とすと、叔母がいた穴底を目指して飛び去っていった。

「もうこれで、あの黒竜は人を襲う事はないだろう」

 ヒジリはイグナを抱き下ろすと、ミミの近くで嘆くゴブリンの母親に近寄って背中に手をやった。

「娘さんの体の一部はあるかね? 髪でも爪でもいい」

 ミミにはその意味が解っていた。

「ヒジリさんがスメを生き返らせてくれるって! カシャンさん!」

 カシャンと呼ばれた孤児院の給仕係は、娘が生まれた時のへその緒をロケットペンダントに入れて、常に持ち歩いていたのだ。

「これ! これがあります! これで大丈夫でしょうキャ?」

 震える手でロケットペンダントを開くと、干からびたへその緒が出てきた。

「十分だ。カプリコン!」

「畏まりました」

 すぐに天から光芒が降りてきて、その光の中でゴブリンの少女が横たわる。

 娘を抱きかかえて喜びに咽び泣き、感謝を述べるカシャンに笑顔で頷くと、ヒジリは大盾を拾っている帝国の鉄騎士のもとへ歩み寄った。

「手助けに感謝する」

 身長三メートルもある鉄傀儡のような見た目のエリートオーガに、ヒジリは握手を求めた。この星に握手の習慣はない、というか、ヒジリが来るまでは無かった。

「いいえ、大したことはしていませんわ。ヒジリ陛下の手助けが出来て光栄です。私はヴャーンズ皇帝陛下から派遣された、帝国鉄騎士団団長のリツ・フーリーです」

 たった一人で派遣された騎士団の団長は、兜を脱いでヒジリの差し出した手を握り返して、少し頬を赤くした。

 青黒いショートボブの前髪は目の上で綺麗に切りそろえられており、真面目そうな印象を与える顔はどこか緊張しているようにも見えた。

「ほう、フーリー家の・・・。君は知らないだろうが私は、フーリー家とは関わりがある。話があるなら城で話そうか。君はイグナの命の恩人だ。歓迎する」

 険しい表情の砦の戦士達やヘカティニスが、帝国騎士を睨みつける中、ヒジリは彼女をピンクの城へと招いた。
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