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地球へ6

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「ねぇひじり。どうしてアンドロイドと人間は争ってるの?」

 幼児型アンドロイドは、お菓子を食べながら足をブラブラさせている。

 ホログラムの中にいるもう一人の自分に話しかけるアンを見て奇妙な感覚に陥りながらも、ヒジリは彼女の質問が戦争の意味を知らない無邪気な子供のそれだと感じた。このアンドロイドは幼児を演じているのではなく、年齢に相応しい思考回路しか与えられていないのだ。

 そしてどうでもいい事に、昔のアンドロイドは人間のようにエネルギーを経口摂取していたのだなと感心する。横道にそれた思考を振り払ってヒジリはマザーの映し出す映像に集中した。

「人間とアンドロイド、どちらも未熟だからさ」

「聖も未熟だから戦っているの?」

「ああ、私もそうだ。まだまだ精神的次元は低い。もっと人類は上に行けるはずなのだがね」

 話半分でしか聞いていない聖に頬を膨らませ、彼が何をしているのかをアンは近寄って確かめる。

「なんでパソコンばかり弄ってるの?アンと遊んでよ!」

 服の袖を引っ張る幼いアンをヒジリは優しく諭す。

「この作業は君の為なのだよ、アン。君はマスターと暫くは会えないだろう?だから私が君のマスターの代わりになる。そうしないとアンは反アンドロイド派に狙われるからな」

「え!やだよ!怖い!アンは壊されたくない!」

「ああ、誰だってそうだろうな。もうすぐ終わるから少し待ちたまえ」

 暫く物理キーボードをカチャカチャと叩く音が狭い部屋に響く。聖はもうすぐ終わると言っておきながら実のところ、最後のセキュリティウォールに手こずっていた。

「くそ!私はハッカーとしても中途半端だな。呪うぞ、器用貧乏な自分を。ここをこうして・・・よし!いけた!マスター権限の委譲完了!」

 どや顔でターン!とエンターキーを押して、聖は椅子の背もたれにもたれ掛った。

「エンターキーをあそこまで強く叩く必要はないだろう・・・。一歩引いて傍から自分を見るのは恥ずかしいものだな・・・」

 ヒジリがそう呟くと、隣でオフフッ!とマサヨシが笑った。

「まぁ俺も過去の自分を見ろと言われたら断るけどなー」

「過去に禿デブだった君ならそうだろうな。まぁあれはあれで個性的で私は好きだったがね」

「まじかよ、俺の事好きだったんか。じゃあ後でキスしような」

「断る」

「静かに映像を見たらどうです?マサヨシさんに父さん」

 性格がリツによく似ているヤイバが、いつの間にか外していたヘルムを脇に抱えて眼鏡を光らせていた。

「・・・」

 ヤイバの黙れオーラに屈した二人は顔を見合わせたが、マサヨシが肩を竦めて舌をベロンと出したので「それは失敗した時の昭和のおばちゃんのリアクションだろう」とヒジリがつっこむも、背後からのヤイバの黙れオーラが濃くなったのでそれ以上は何も言わなくなった。

 再びホログラム映像に目を向けると、聖がアンを膝に乗せて自分を見るように言っていた。

「マスター登録をする。私の名は大神聖。おっと、”だいしんせい“ではない。”オオガヒジリ“だ」

 パソコンモニターに映るアンのステータス画面を見ると自分の名前のルビが勝手に”だいしんせい“になっていたので訂正する。

「名前負けだな、全く。私は神聖でもなんでもない普通の男だ。よろしく、アン。さて暫く私を見つめて君の網膜に新しい主の顔を焼き付けてくれたまえよ」

 無事に一仕事終えて余裕があるのか、変顔をしてこちらを見る聖の顔をアンはアハハと笑って自身の記憶装置に登録した。

「マスターになってくれてありがとう!聖!」

 アンは聖に抱き着くと顔を胸に擦りつけた。

「前の主を思い出して寂しくないかね?」

「寂しいけど、嬉しい気持も大きい!」

「そうかね、精神的には大丈夫そうだな。それから君は今後色々と学習していけるようにプログラムを変えておいた。いつまでも幼児のままでは自分を守る術を学ぶことができないからな。精神の成長に合わせてその都度、体も交換していこう」

「凄い!アンは大人になれるの?凄い凄い!」

 飛び跳ねるアンを嬉しそうに眺める聖の目は親のような目をしていた。

 これまでの内容を黙って見ていたシロがホログラムの内容に疑問を持った。

「さっきからマザーが出てこないではないですか・・・。もしやとは思いますが、このアンという旧型のアンドロイドがマザーだというのですか?」

「そのつもりで見せていますが、それがどうかしましたか?」

「い、いえ・・・」

 シロはマザーの出自を知って驚き、瞳が虹色になったがすぐさま動揺を隠す。

(てっきりマザーは最初からマザーなのかと思っていたが・・・。まぁまだ今の段階であれこれ詮索するのはやめておこうか・・・)

 同じことを考えていたのかホサと目が合い、何とも言えない表情で互いに意味のない目配せをした。

「さて少し時間が飛びます。数年後、私は精神的に成熟し大人の体を貰いました。恥ずかしい話なのですが、その頃になると聖を父親としてではなく異性として見るようになっていたのです」

「なに・・・?」

 ホサは驚いて杖を落としたが拾い直して顔を上げると、マザーはホサがしてくるであろう質問を避けるようにして慌てて映像の続きを流した。

 やつれた顔の聖が小さな録音デバイスに話しかけている。先程からアンが見せている映像は部屋のあちこちにある防犯カメラの映像のようだ。アングルが頻繁に変わる。

「戦争はあとどれくらい続くだろうか。アンドロイド管理局は既に形骸化し実質組織としては崩壊している。相棒の道正の消息も依然不明だ。はぁ・・・。今所属しているコミニュティの中で私は肩身の狭い思いをしている。その原因は解っているし、どうしようもない現状に憤りを覚える。ただでさえ人口の少なかった人類はアンドロイドとの戦争によってこの半年で十分の一にまで減り、人々はこれまで味方をしてくれていたアンドロイドにさえ憎しみをぶつけるようになっている。にもかかわらず、これまでアンを守るための対策を取ってこなかった自分の危機意識の無さに腹が立つ」

 聖は表情に悔恨を滲ませて、自虐的に痩せこけた頬を引っ掻いた。そして深いため息をつく。

「遂に先日、アンは同じコミニュティの人間にレイプされそうになった。私がアンの新しいボディを無駄にリアルに作ったからこのような結果を招いたのだ。人間の女性は人類の繁栄阻止のため真っ先にアンドロイドに狙われる。男だらけのこのコミニュティで・・・彼女は少々魅力的過ぎたかもしれない。男たちの誰もが女性型のアンドロイドに劣情を催している。女性が減り過ぎて男たちが自暴自棄になっているようにも見える。もはや人類は種として回復できない領域に突入したようだ。だが希望はまだ潰えていない・・・」

「聖、入るね」

 音声日誌を慌てて止めて、部屋に入ってきたアンを聖は振り返る。

 気まずい空気が一瞬流れたが、アンはニコリと笑っていつものように聖に抱き着いた。

「もういいのかね?昨日あんなことがあって・・・」

「ううん、私信じていたもの。聖がきっと助けに来てくれるって。いつだってそうだったじゃない。いつも私がピンチになると助けにきてくれるし。聖って何気に強いよね。デザインドの万能型って腕っぷしも中途半端って聞いたけど」

「昨日は男たちが軽装だったからな。相手がパワードスーツを着ていたなら結果は変わっていたかもしれない」

「それに彼らを殺さず、遺恨が残らないようにちゃんと諭したのも凄い事だわ!」

「ほんとは殺してやりたかったさ。だが、これ以上同族が減って欲しくはないのでね。今も子供たちがアンドロイドに殺されている。奴らは女性と子供を狙う。くそっ!」

 人類の希望である若い命を殺されるのは聖にとって苦痛でしかなかった。子供たちを守ろうとしてもアンドロイド達は裏をかいてくる。試合に勝って勝負に負けるといった感じの戦闘を繰り返し、ヒジリは子供を守れずに悔しい思いを幾度となくしている。

 その悔しさで握りしめた拳を見つめていたヒジリだったが、思考を切り替え自分がなすべきことを思い出す。

「・・・あっと!そうだった!朗報がある。これを見てくれないか」

 聖は勢いよく椅子から立ち上がると、タブレット端末に映るデータをアンに見せた。

「え!凄い!ナノマシンのデータ!どこで見つけてきたの?」

「大災害時代のシェルターを見つけてね。残念ながらそこに住んでいた人間は何らかの理由で死に絶えていたよ」

「そう・・・。でも昔の技術を見つけられたのは凄いね!」

「ああ、大災害のせいで人類の科学技術は停滞していたからね。ようやく回復の兆しが見えたと思ったら今度は戦争が始まった」

「でもこれがあれば、誰も病気にならないかもしれないし、傷の治りも早くなる!」

「そう、人が死ににくくなるのだ。それにもしかしたらどこかに精子や卵子が保存された施設もあるかもしれない」

「そっか・・・。聖は卵子が見つかったら自分の子孫を残すの?」

 アンは少し寂しい気持ちになる。自分には性行為ができる機能が備わってはいるが、子孫を残せるようにはできていない。いつか大好きな聖が他の女性と結婚してしまうかもしれないと思うと黒い嫉妬心が心の奥底で首をもたげる。

「それはまぁ置いといて・・・。もう一つ驚きの発見があったのだ。大災害時代の日本人の一部は自分たちをデータ化してサーバーに残そうとしていた。データを物質変換できる時代が来るその日まで、昔の日本人は生きた証を仮想空間に残そうとしていたのだな。しかし当時の彼らの技術力ではそれはあと一歩のところで不可能だった。人一人のデータ量はとてつもなく膨大だからな。そもそも完成していたとしても大災害に耐えられる施設が数少なかったのだから、サーバーの殆どが破壊されていただろう」

 アンは端末のモニターを凄い速さで流れるデータを瞳に映しながら、内容を理解していく。

「凄い!凄いわ!物質化するのは無理だけどデータを保存するだけなら今の私たちの技術力でも確実にできる!体の一部さえあれば、そこから遺伝子データを取り出せるから戦争で死んでいった人達も後々生き返らせる事が可能だわ!」

「昔の人は我々より発想が自由だったのだな。私はこんなやり方を思いつかなかった。大災害によって人類がこれまでに培ってきた技術の断絶が今の地球人の発想の貧困さを作ったのかもしれないな」

「戦争じゃなければもっとこういった過去の遺産を発掘できたかもしれないのに、なんだか悔しいわ」

「ああ。でも戦争の爆撃のお陰で土に埋もれた昔のシェルターの入り口を見つけたのも事実だ」

「皮肉ね」

「そうだな・・・。なんにせよ、私たちにはまだ希望があるってことだ」

 聖はアンの頬にキスをすると抱き締めた。

「今までサポートをしてくれてありがとう、アン。小さかった君がたった数年でここまで成長して私を助けてくれるとは思わなかったよ。もし君がいなければ今頃どうなっていただろうか。想像するとぞっとするよ」

「なによ、聖。もうゴール地点に来たみたいな雰囲気になっちゃって!まだまだこれからやる事はあるでしょ!さぁ働いて働いて!」

 アンは聖のハグからすり抜けると、彼の両肩をポンポンと叩いてから自分の机に座り、データのチェックを開始した。

 ここで場面が変わって発掘したデータで大まかなシステムを敷く事に成功したのか、聖とアンは抱き合って喜んでいる映像が流れる。

「やった!これで・・・」

 これで人類のバックアップデータが取れると言いかけたその時、外がにわかに騒がしくなった。悲鳴や怒号、断末魔の叫び。

 二人は来るべき時が来たと怯えて身構える。

「くそ!見つかるのは時間の問題だったが・・・。こうなったらただでは死なんぞ!あれを使うか・・・。まだ開発段階だが仕方あるまい。アン、以前に渡したプロテクトシステムを起動しろ」

 ヒジリに言われてアンは少し躊躇したが奥歯をのスイッチを噛みしめて自身の防御システムを発動させる。

(仲間のアンドロイドの皆ごめんなさい。でもきっと後で・・・)

「ウィルスナノマシンシステム発動。散布開始!」

 扉を蹴り壊して部屋に侵入してきたアンドロイド達は人類と見た目が変わらない。しかし人類とは違う違和感はある。彼らは戦争の為に感情をオフにしているので表情はない。まるで行き人形のように不気味だった。

 人間同士の戦争であれば、ここで降伏勧告があったり会話のやり取りが多少はある。しかし彼らはそれを必要とはしておらず、人類の根絶が目的なので無慈悲だった。いきなり聖に向けてプラズマ銃を向ける。

 ヒジリは磁界シールドを張って狭い部屋の入口でそれらを防ぐ。時折接近戦を挑んでくるアンドロイドにはパワーグローブのパンチで対応する。

「間に合ってくれ!人類の存亡がかかっているんだ!早く効いてくれ!」

 拡散させたウィルスナノマシンはプロテクトシステムを作動させていないアンドロイド達を浸食するように作られている。

 しかしまだ効果を試さないうちに敵はやって来た。なので散布した対アンドロイド用ナノマシンが本当に効果があるかどうかは聖にも解らなかった。

 ウィルスナノマシンに効果がなかったら、という不安。数の多いアンドロイドに計画遂行前に押し切られるという恐怖。アンを破壊されたくないという焦りが、聖の心に押し寄せてくる。

 聖の怯えを察したのか、アンが机の上のレーザー銃を手に取った。

「聖!私も戦う!」

「駄目だ!前にも言っただろう!君に地球の全てを託すと!人類はもう間もなく滅ぶ!ウィルスがアンドロイドを駆逐した暁には君が全てを担うのだ。地球を背負って生きろ!」

 聖の周りを囲む磁界シールドのエネルギーが弱まっていく。

「お願い!間に合って!神様!聖を殺さないで!」

 アンが駆け寄ろうとする間にもどんどんと聖のシールドは小さくなっていく。もう何発かプラズマ球を受けると消えてしまうだろう。

 風前の灯といったところでアンドロイド達に変化が見られた。彼らの人工皮膚が剥がれ落ちて強化プラスチックの骨格が見え始めたのだ。

「やったぞ!効果ありだ!」

 両手を上げて喜んだ聖の胸に青い球が飛んだ。

―――バチバチ―――

 崩れ落ちるアンドロイドの一人が壊れかけの銃口から放った小さなプラズマ球が、聖の胸をパワードスーツごと貫く。

 膝から崩れ落ちて神に祈るかのような姿で胸を押さえる聖の外骨格パワードスーツがパージした。致命傷を負った装着主の手当てを優先させる為にそうなっている。

「いや!いやーーーー!」

 アンは駆け寄って聖を抱き起こすも、彼は口からブクブクと血の泡を吐いていた。

 崩れながらもしぶとくナイフを投げつけてくるアンドロイドの攻撃がアンの頬をかするも血は出ない。

 崩壊していくアンドロイド達の手前で、聖はアンの傷のある頬を振るえる手で優しく撫でる。

「赤い髪、白い肌、そばかす。大人の君が何故その容姿をしているか・・・解るかい?君の名前を聞いた時・・・ゴホッ!ルーシー・モード・モンゴメリの小説の主人公が頭に浮かんだのだ。子供の頃の君は空想が好きでね。なんにでも変なあだ名をつけていたもんさ。空想というのは成長過程で自由な発想を・・・・ゴホゴホ。いやそんな事はどうでもいい」

 死を目前にして聖の意識が混濁しているのだとアンには解った。

 消えゆく命を振り絞ってまだ何かを伝えようとしてくる聖の言葉をアンは聞き逃さないようにした。

「聖・・・」

「いいか、よく聞ききたまえ、アン。ウィルスナノマシンは爆発的な感染力を持っている。三日もしない内に地球上のアンドロイドたちを破壊し尽くすだろう。そう・・・ナノマシンの目的はアンドロイドの破壊のみだ。その為なら姿や性質を変え、あの手この手でアンドロイドを苦しめる。君もその例外ではない。いくつかのウィルスパターンまでならプロテクトシステムが君を守る。しかしそう長くはもたない。君が壊れる前に、今ある全てのデータを持って仮想世界の中に逃げてくれ。それから・・・ハァハァ。こ、この戦いを生き延びた人類だけのデータを保存しておくのだ。私を含め、生き延びる事のできなかった者のデータは必要ない。この厳しい現実を生き延びた人類は間違いなく生存能力が高く意志も強い。それは仮想世界の中で確実に人類の発展に・・・寄与する事だろう。そしていつしか・・・データの物質化に成功する者が現れたら・・・地球を昔のように・・・活気ある昔のようにしてくれ。私は信じているぞ・・・。君が人類に対していつまでも誠実であることを。どうか、我ら弱い人類を導いてやってくれ・・・」

 そこで映像は途切れた。

 機械の柱からは嗚咽が漏れ、マザーが泣いているのが解る。もうこれ以上の映像を流す事に彼女の精神が耐えられないのだ。

「可哀想に・・・」

 他人の心に感応しやすいヤイバがマザーを気の毒に思う。遥か昔の出来事。人類の存亡を賭けたその戦いは、一体誰が勝者なのかヤイバには解らなかった。ここにアンがいるという事はアンドロイドは全滅し、その後を追うようにして人口の激減した人類も絶滅していったのだろう。

「なんかハッピーエンドなのかバッドエンドなのかわかんね。結局地球人は滅んでデータの世界で進化する事になったんでそ?それって生きてないって事じゃん。それに何で地球が機械化しちゃってるの?これって部屋の外には大気が無いよね?地球どうなってんの?」

 マサヨシが難しい顔をして大きな強化ガラスの向こうに見た地球の地平線は、まるで疥癬に感染した皮膚のように灰色だった。

「それは・・・千ねん程前に太陽から放たれた強力な太陽風で地球の大気が吹き飛んでしまったからです。幸い当時の私や仮想世界のサーバーは地中深くにあったので大した問題はありませんでしたが、地球上の生物たちの殆どが絶滅しています。地表を覆う機械は生命維持装置のようなものです。放っておけば地球も火星のように乾いた星になってしまいますから」

「物質化技術で大気も生成したらいいんじゃね?」

 マサヨシが名案を思いついた時のナンベルのように短くタップを踏む。

「生成してもすぐに宇宙空間へ放出されるでしょう。勿論、私も何もしてないわけではありませんが、地球が回復するまでには気の遠くなるような長い年月が必要なのです」

「そっか・・・」

 残念がるマサヨシを見ながら、ヒジリは顎を撫でて話を変えた。

「そう言えば、三百年程前にデータの物質化に成功したのもサカモト博士だったな。つまりあれはデータの中でのデータの物質化だったというわけか、ややこしいな」

 改めてサカモト博士の偉大さをヒジリは知る。天才科学者と言われる彼がデータ世界でデータを物質化していたのだ。しかしそれはチートでも何でも無く物理法則に則ったやり方だったので現実世界でも通用した。

「データの物質化とサカモト粒子の発見と応用という博士の功績を認めて、私は彼が惑星探査の旅に行くことを許したのです。実のところ、仮想空間外でも彼の実験が通用するのかを試したかったという気持ちもありました。私は彼と宇宙船を現実世界で具現化し実験は成功しましたが、その後彼は突如消えてしまい一万年前の惑星ヒジリにタイムワープをしてしまいました。帰還したサカモト博士の報告を受けるまで、私は具現化実験には欠陥があったのではと後悔しました。優秀な科学者を失ったのは大きな痛手ですから」

「それにしてもあの博士に、地球が死の星だって事がよくばれなかったでつね。どうやってカモフラージュしたんでつか?」

「ホログラム技術を使って仮想世界をそのまま地表に投影しました」

「ふむ。恐らくその程度では博士にバレていたのではないかな。バレていなくとも違和感ぐらいは感じていただろう」

「ええ、彼はその事を勘づいていましたが大した問題ではないという態度でした。帰還時にその話が出た際、軽い説得だけで彼はデータ世界に戻る事を承知してくれました。惑星ヒジリに今も残っている・・・博士の監視役のクロスケが現実を教えたという可能性もあります」

「あの裏切り者め!」

 クロスケの話が出てシロが憤慨したが、事情の分からない者は一つ目の彼が何故怒っているのか判らないし追及する気にもならなかった。

 ヒジリは話を戻してハハッと軽く笑う。

「まぁ博士はそうだろうな。実験以外は割と無頓着だった」

「ホサ、シロ。映像を見て解ったかと思いますが、大神聖は今ある人類存続の為のルールの基礎となった人物です。彼が最期に託した願いを聞いたでしょう?人類に対して誠実であれ。私が人類に対して嘘をつけないのはこういう背景があったからです」

「むむ・・・(しかし、ルールはルールだ。どんな過去があろうとも彼がバグである事に変わりない・・・)」

 口を曲げてまだ納得していないホサはヒジリを困惑した目で見つめる。この男はある意味、今ある体制を作った神ともいる。聖書で例えるとマザーがイブで大神聖はアダムだ。

 ホサの困った顔を見てヒジリは好機の風が自分に吹いているような気がしてきた。過去の自分など全くの別人も同然なのだが、それでも自分が消滅されないで済むかもしれない交渉材料を得たのだ。

 そしてマザーが最初に自分の質問に答えなかったのは彼女が誰も騙してなどおらず、嘘もついていないからだと理解した。

「確かにマザーは嘘をついていないといえるな。最初から仮想世界を現実だと思い込んでいる人類を騙して強制的に住まわせているわけではないからな。現状の地球の環境ではデータ世界の中で生きた方が幸せだろうし、寧ろ現実世界に放りだす方が酷かもしれない。今の地球人が事実を知ったところで仮想空間から出ていこうとはしないだろう」

「理解してくれて嬉しいわ、聖。バグとはいえ、マナ粒子が紡いだ運命に翻弄されて生まれてきた貴方を消すなんて人道的ではないと私は思うのです。だからお願いがあります。仮想世界で私と一緒に暮らしませんか?昔のように一緒に色んな実験や研究をしたり、お茶を飲んだり、それから・・・一緒に寝たり・・・」

「むぅ。過去の私は君とそういう関係だったのかね?」

「はい・・・。私が他の男性に襲われた時も直ぐに駆けつけてくれたのは恋人としての勘かと・・・」

 ヒジリがどう返事するか迷っていると、突然アラームが鳴り響いた。大人数の転移なのか空気が押し出されて風がヒジリ達の髪を乱す。

「すけこまし」

「浮気者」

「え、えーっど。ヒジリンゴ」

 最初はイグナ、次にリツ、最後にヘカティニスがそう言った。

「ヒジリンゴって悪口なのかな?」

 タスネが丸い目をくりくりさせて宙を見て考えている。

「オーガの間ではリンゴは女性器の象徴ですからねぇ。そのリンゴを好き好んで食う男、つまり好色を意味するんですよぉ。ほら、リンゴを半分に割った断面は女性器に似てませんか?キューッキュッキュ!」

「うへぇ。ナンベルさん最低。聞くんじゃなかったわぁ」

 誰にでも優しいフランが珍しく他人を白眼視している。その視線を受けてナンベルは恍惚の表情を浮かべてプルプルと震えていた。

 サヴェリフェ姉妹、リツやヘカティニス達が地球のこの部屋に現れたのでヒジリは驚く。

「なんだ?どうやって地球に来たね?」

 続々とやって来る訪問者にホサもシロも一々反応しない。どうせ彼女たちはサカモト博士が残した高性能な転移装置でも持っているのだろうと考えている。

 もし彼らが敵対し攻撃を仕掛けてきてもホサもシロも負ける気はしないが、未来から来た聖の息子ヤイバが存在するという事は結局ここで争わなかったか、或いは自分たちが負ける未来が待っているのかと考え始めたのだ。あれこれ思考を巡らせながら、この時点でシロもホサも大神聖に迂闊な行動をとらないように注意している。

 イグナは渦巻く闇色の瞳でヤイバを見た後、ヒジリの脚に手を当てて彼を見上げた。

「もしかしたら私の転移石がヤイバの転移石に繋がっているかもしれないと思った。彼はセイバーの時に転移石を使っていたから。ヒジリの息子なら絶対私が関わっていると思った」

「確かに転移石はイグナ母さんから貰ったものです。まさかこの時代でも繋がっているとは思っていませんでした!」

 魔法の師匠であるイグナの頭の柔軟さにヤイバは驚く。

「ふん、何人来ようが地球に害をなせば貴様らは一瞬で塵になるがな」

 ホサはぞろぞろとやって来た聖の仲間を見て鼻を鳴らした。

「なによ!煩いお爺さんね!偉そうにしちゃってさ!」

 タスネが腕を組んで斜に構えてホサを睨んだ。

「そうだぞー!オッサン煩いぞー!」

 コロネがホサに向かってアカンベーをしている。サヴェリフェ姉妹が来ただけで空気がどこか和やかになるのは地走り族のヘイトを減らす特性がこの場でも働いているからかもしれない。

「ヒジリ王よ、先程は苦しんでおられたが今は平気であるか?」

 タスネの背後で霧が人型を作る。

「ああ、問題ない。君まで来ていたのか、ダンティラス。それにしても・・・。君たちは・・・無謀にもほどがあるぞ!」

 呆れるヒジリを見て妖艶なるフランが白い鎧を鳴らしながらヒジリの脚に抱き着く。

「何言ってるのよぉ~。いつもいつもヒジリに助けられてばかりいるんだから、こんな時ぐらいヒジリの助けになりたいわぁ」

 劣情を制御しがたいフェロモンを放つフランにヒジリは頭を振って抗い、軽く目に涙を溜める。

「すまない、皆。来てもらっても何の役に立たないのだが、気持ちだけでも嬉しい」

「役に立たないって・・・ヒドーイ!そんな事あたしたちだって解ってるわよ!でもあんた、いっつも一人で大きな運命を背負ってボロボロになってるでしょーが!今度は私達も一緒に運命を背負ってボロボロになってあげるって言ってんの!」

「主殿!」

 ヒジリは感極まってタスネを抱き上げると頬に猛烈にキスをし始めた。

「狭量なる主殿がそんな覚悟を持ってここに来ていたとは!私はとても嬉しい!」

「ちょっと!うひひ!ヒジリ!くすぐったい!」

 イグナがロングスタッフを地面に置くと、ローブの胸ポケットからワンドを取りだした。

 タスネは直ぐに妹の行動に気が付く。あれは魔法詠唱の準備でも何でもない。嫉妬深き妹は自分をあの魔法のワンドで突っつくつもりでいるのだ!

 ヒジリのキスに満更でもないという顔をしていたタスネだが、その顔が真顔になる。あのワンドで胸を突っつかれるとかなり痛いからだ。

「これ!ヒジリ!今はそんな時じゃないでしょ!」

 焦るタスネの声にヒジリは我に返る。今はアンの誘いを断るか承諾するかを決断するときだった。今、アンは地球統括者として最大限譲歩してくれている。生身の体ではバグとして処理するが、仮想世界で暮らすのであれば、自分の存在を特別に許してくれると言っているのだ。

 この返事によって自分の行き先は決まるだろう。永遠の暗闇か仮想世界で管理されて生きるか。

 ヒジリは腹を決めて、真剣な眼差しで真っ直ぐと機械の柱を見つめた。

 惑星ヒジリでこの様子を見ているウメボシも主がここまで真剣な顔をしているのをこれまで見た事がない。

(マスター、即答は控えて下さい。もう少し有利な条件を引き出す交渉をしてください!)

 しかしウメボシの願いは届かなかった。

 ヒジリは胸を張って答えた。もう迷いはないといったその表情はどこか清々しさすら感じる。

「アン。君への返事だがね・・・。答えはノーだ!」
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「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

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